01話 神様はボクっ子美少女でした
気が付くと、真っ暗な空間にいた。
上下左右の感覚はない。
立っているのか、浮いているのか、それすら分からない。
身体の感覚もなく、ただ意識だけが暗闇の中に取り残されているようだった。
――ああ、俺は死んだのか。
直近の記憶を思い出し、自分がもう生きていないことだけは理解できた。
不思議と混乱は少なかった。
いや、混乱するだけの気力が残っていなかったのかもしれない。
意識だけは妙にはっきりしている。
このまま何もない暗闇に放り出され続けるのだとしたら、暇すぎて気が狂うことは間違いない。
いっそ意識もなくなってくれればいいのに。
そんなことを考えた瞬間、暗闇の奥に小さな白い点が見えた。
白い点は少しずつ大きくなっていく。
やがて視界全体を塗り潰し、真っ暗だった空間は、今度は真っ白な空間へと変わった。
「初めまして。ボクの名前はフォルシア。簡単に説明すると、神様って呼ばれる存在だよ」
目の前に現れた自称神様は、銀髪ロングに碧眼の少女だった。
青いワンピースのような服を着たその姿は、神様というより物語に出てくる美少女そのものって感じだ。
神様って羽が生えていたり、白い髭のおじいさんだったりするものだと思っていたが、どうやらそうとは限らないらしい。
「自称神様って…君から見たら確かにそうなんだけど、ちゃんと神様だよ。神にもいろいろいてね。人型だったり、獣型だったり、球体のような姿をした存在もいる。だから君の想像も間違いではないよ」
声に出していないはずなのに、考えていることが筒抜けだった。
失礼なことを考えてしまった気がする。
神罰とか、そういうものがあるのだろうか。
「神罰なんてしないよ。ボクそんなに野蛮じゃないし。考えていることが筒抜けなのは正解だけどね」
神様はそう言うと、こちらに指を向けた。
直後、自分の身体を認識できるようになった。
手がある。足がある。
俺は自分の手を見下ろし、軽く握った。
感触がある。さっきまで何もなかったはずなのに、今は確かに自分の身体がある。
「魂だけの存在と会話するのも味気ないからね。これで声に出して会話もできるようになったよ。ちなみに考えていることも全部分かるから、嘘とか建前で話してもバレるから気を付けてね」
「えーっと……なんで自分は神様の前にいるんですか? 死んだ人は、基本こういう謁見みたいな場に呼ばれるんでしょうか?」
正直、困惑している。
だからまず、今の状況を教えてほしかった。
「たしかに困惑はするよね。説明はもちろんするけど……ん?」
神様が不思議そうに首を傾げた。
「普通に話せてるね?」
「はい?」
話せるようにしたのは、目の前の神様自身ではないのか。
何か制限でもかけ忘れたのだろうか。
「ああ、なるほど。そういうことか」
神様は一人で納得したように頷いた。
こちらは何も分かっていない。
できれば説明が欲しい。
「あぁ、ごめんごめん。普通の魂とボクたち神って呼ばれる者は存在の格が違うんだ。だから、魂の状態で神を前にすると、萎縮して話せないことが多い。ほとんどの場合は、考えをこっちが読み取って対応するんだけど、君は萎縮することなく普通に話してきたから、少し驚いたんだよ」
普通は話せないらしい。
目の前にいるのは、どう見てもボクっ子美少女にしか見えないが。
「あははは、ボクっ子美少女か。面白いね」
楽しそうに笑っていた神様の表情が、そこで少しだけ真面目なものに変わった。
「そんなわけで、本題に入るよ。君は地球で亡くなった。それについては自覚があるよね?」
真面目な空気に切り替わり、ほんの少しだけ場の温度が下がったような気がした。
俺は静かに頷いた。
「自覚があるなら話が早いね。本来、肉体を失った魂は循環する。君たちの世界で言う、輪廻転生だね」
輪廻転生。
生まれ変わり。
そういう言葉は知っている。けれど、本当にそんなものがあるとは思っていなかった。
「魂は浄化されて、新しい肉体へ巡る。そのとき、記憶や経験は基本的にすべて洗い流される。だけど、まれに完全には落ちきらないものもあるんだ」
「落ちきらないもの、ですか?」
「うん。人それぞれ性格ってあるよね。同じ環境で育っても、同じ人間にはならない。もちろん環境の影響は大きいけど、それだけじゃ説明できない部分もある。あれは、輪廻転生の中で落としきれなかった魂の蓄積が影響しているんだ」
何か、世界の裏側のシステムを聞かされている気分だった。
そんなことを、自分が知っていていいのだろうか。
「問題ないよ。知っていたとしても、証拠がなければ誰にも証明できないしね」
神様は軽く笑う。
「魂の数は、基本的には大きく変わらない。同じ魂が浄化されて、また新しい命として巡っていく。ただし、亡くなった数と同じだけすぐに生まれるわけじゃない。浄化には時間がかかるし、まれに現世に魂だけが残る子もいるからね」
幽霊のようなものだろうか。
死んだ後にまだ残る魂がいる。そう考えると、少しだけ背筋が冷えた。
「そして、さっき言ったように、浄化しても消えない蓄積がある。その蓄積は、いい方向へ進むこともあれば、悪い方向へ進むこともある」
「悪い方向に進むと、どうなるんですか?」
聞いてから、少し後悔した。
神様の表情が変わったわけではない。
けれど、言葉の先にあまり良いものがないことだけはなんとなく分かった。
「悪い方向へ進みすぎた魂は、輪廻転生の循環から外される」
「外される……」
「そう。穢れが溜まりすぎた魂は、どれだけ浄化しても、また同じ選択をする可能性が高い。誰かを傷つけ、奪い、壊し、それでも変わらない魂。そういう魂を何度も世界に戻すわけにはいかない」
神様の声は穏やかだった。
けれど、その内容はひどく重い。
「循環から外された魂は、壊される。それは完全な魂の死だね」
魂の死。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷えた。
すでに死んでいるはずなのに、まだ死ぬ先があるらしい。
肉体が死んでも、魂は巡る。
でも魂が壊されれば、本当に何も残らない。
そう考えると、怖いと思った。
死んだ後にまで怖いと思う自分が、少しだけ滑稽だった。
「壊された魂の分は、必要に応じて新しい魂が創造される場合もある。逆に、待機している魂が多い場合は、そのまま追加されないこともある。魂の循環は、そうやって保たれているんだ」
神様の話は、たぶん本当なのだろう。
あまりにも現実感がないのに、不思議と嘘には聞こえなかった。
そして、話が少しずつ見えてきた。
なぜ自分がここに呼ばれたのか。
なぜこんな説明をされているのか。
「その予想通りだよ」
神様は、俺の考えを読んで静かに言った。
「君の魂は、本来なら輪廻転生の循環から外されるべき魂だった」
言葉が出なかった。
壊される魂。完全な魂の死。
さっき聞いたばかりの言葉が、自分に向けられている。
「……自分は、そんなに悪いことをしたんですか?」
自分でも驚くくらい、声は小さかった。
神様はすぐには答えなかった。
少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと口を開く。
「した、と言えばした。神のルールでは、君の魂は壊されるべきだった」
やっぱり、とどこかで思った。
何が、とは言えない。
けれど、そう言われても仕方がないような気がしてしまった。
「でもね」
神様の声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「地球神のエルミナが、君の魂を壊したくないと願った」
「地球神……?」
「君がいた地球を管理している神様だよ。エルミナはとても優しい神でね。地球に生まれた命を、我が子のように愛している」
神様が、命を愛している。
そう言われても、すぐには信じられなかった。
信じたいとも、信じていいとも思えなかった。
けれど神様は、そんな俺の考えも分かっているのだろう。
責めることなく、話を続けた。
「もちろん、神にもルールはある。どれだけ愛していても、循環から外すべき魂をそのまま戻すことはできない。エルミナもこれまで、何度もその役目を果たしてきた」
優しい神様が、魂を壊す。
その矛盾が、妙に胸に引っかかった。
「でも、君の魂だけは違った。少なくともエルミナは、そう判断した」
「自分の魂が?」
「うん。君の魂は、何度も輪廻転生を繰り返してきた。その中で、決して恵まれた人生ばかりではなかった。むしろ、不遇と呼べる人生の方が多かった」
神様の言葉を聞いても、俺には過去の人生の記憶なんてない。
だから実感はなかった。
けれど、胸の奥に小さな痛みのようなものがあった。
覚えていないはずなのに、どこかで知っているような気がした。
「それでも君の魂は、誰かを強く恨み続けることも、妬みに染まることも、誰かを傷つけて奪うことも選ばなかった。少なくとも、魂の根本はそういう方向へ進まなかった」
「でも、自分は壊されるべき魂なんですよね?」
「そうだね。ルールの上では、そうなる」
肯定された。
分かっていたはずなのに、胸が重くなる。
「けれど、エルミナは君の魂を見てきた。今回の人生だけじゃない。何度も、何度もね。その上で、壊したくないと願った」
神様はまっすぐこちらを見た。
「この魂には、穏やかに幸せになってほしい。そう言って、ボクに相談してきたんだ」
幸せ。
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
自分に向けられた言葉だと、すぐには思えなかった。
そんなものを望んでいいのかも分からない。
「結果として、君の魂はボクの世界へ転生することになった。大温情も大温情。かなりの特例だよ」
「……なんで、そこまで」
自分でも、それしか言えなかった。
壊されるべき魂。
けれど壊したくないと願われた魂。
その二つが、同じ自分のことだとは思えなかった。
「理由の全部は、今ここで話すべきじゃないと思う。君自身が、これから生きていく中で知った方がいいこともあるから」
「自分が、知る……」
「うん。だから今は、君が特例で転生することになったとだけ分かっていればいいよ」
それだけ、と言われても十分すぎるほど重い。
けれど神様は、空気を変えるように明るく手を叩いた。
「じゃあ、ここからはボクの世界について説明するね」
切り替えが早い。
神様というのは、こういうものなのだろうか。
「ボクの世界の名前はフォルテシア。地球との違いはいろいろあるけど、一番大きいのは魔法があることかな」
「魔法……」
「そう。あとは魔界、人界、神界があって、それぞれに交流がある。動物以外に魔物もいるから、生態系は地球よりかなり複雑だね」
急にファンタジーらしい話になってきた。
魔法。
魔物。
魔界に神界。
地球で見聞きした物語の中に出てくるような言葉ばかりだ。
「ガスや電気、ネットはないけど、魔道具があるから生活水準はそこまで低くないよ。もちろん地域差はあるけど、地球に近い生活ができる場所もある。君が地球でファンタジー作品として見てきたものの多くは、フォルテシアがベースになっているんだ」
「ファンタジーのベース……」
何から聞けばいいのか分からなかった。
世界が違うなら言語も違うはずだ。
食文化だって違うだろう。
ネットがない生活に耐えられるのかも分からない。
そもそも、魔法は自分にも使えるのだろうか。
魔界や神界がある世界で、普通に生きていけるのだろうか。
「考えがまとまらない感じだね。よし、まとめて答えよう」
さすが神様。
こちらが口に出す前に、疑問を拾ってくれる。
「まず言語について。フォルテシアの言語は基本的に一つしかない。君はその言語を使える状態で送るから、会話や読み書きで困ることはないよ」
それは助かる。
転生初日から言葉が通じないのは、さすがに厳しい。
「記憶は持ったまま転生することになる。だから地球での知識も残る。ネットがないことについては……まあ、後で相談しようか」
相談でどうにかなるものなのだろうか。
「魔法については、基本魔法と特殊固有魔法の二種類がある。基本魔法は多くの人が学べば使える魔法。特殊固有魔法は、その人だけが持つ特殊な魔法だね。種類は本当にたくさんあるよ」
自分にも使えるのか、と考える。
「もちろん使えるようにするよ。せっかくフォルテシアに行くんだから、魔法が使えないとつまらないでしょ?」
楽しそうに言われた。
神様にとっては、転生や世界移動の準備も、少し手間のかかる旅行の支度くらいの感覚なのかもしれない。
「持ち物や移動、住む場所についても、ある程度は対応できるよ。詳しいものは準備してから説明するね。お金も当分困らないように用意しておくから安心していいよ」
あまりにも簡単に話が進んでいく。
こちらが思いついたことを、無茶ぶりも含めて拾われている気がする。
いや、実際に全部読まれているのだろう。
「食べ物についても、地球に近い食文化の国があるから大丈夫。旅をして、いろいろ試してみるのもいいと思うよ」
そこまでしてもらっていいのだろうか。
壊されるべきだった魂。
そう言われた自分が、こんなに都合よくしてもらっていいのか。
何か裏があるんじゃないか。
あるいは、何か役目を押し付けられるのではないか。
「ん? 特に裏はないよ。利用できるのは君だけ、みたいな制限が付くだけだからね。あと、何か使命を背負わせるつもりもないよ」
「使命は、ないんですか?」
「ないよ。少なくともボクたちが強制することはない」
強制されない。
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「他にはあるかな? ないなら先に進めるし、後から何かあれば調整は検討するよ」
後から調整してもらえるなら、今すぐ全部決めなくてもいいのかもしれない。
俺は小さく頷いた。
「よし。じゃあ、ここからは転生後の君についてだ」
神様は、少しだけ楽しそうに笑った。
「転生後の君は、限りなく人間に近い存在として生活できる。食事も睡眠も排泄もできるし、もちろん生殖行為も可能だよ」
突然かなり現実的な話になった。
「大事なことだからね。ただ一つ、人間と大きく違う点がある」
「違う点?」
「君は不老不死になる」
一瞬、理解が追いつかなかった。
不老不死。
それは、物語の中では特別な存在に与えられるものだ。
けれど、実際に自分がそうなると言われると、喜びより先に戸惑いが来た。
「痛みは感じるし、怪我もする。そこは普通の人間に近い。でも病気にはならない。怪我も何か月も続くようなものはなくて、重症でも一日あれば治るよ」
「……それ、本当に人間に近いんですか?」
「近いよ。完全な人間ではないけどね」
軽く言っているが、かなり大きな違いだと思う。
死ねない。
年を取らない。
病気にもならない。
それが幸せなのかどうか、今の俺には判断できなかった。
「不安?」
「……分かりません」
正直に答えた。
嘘をついても意味がないのだから、取り繕う必要もない。
「そっか。でも、今はそれでいいよ」
神様は優しく笑った。
「君はただ、ボクの世界で生きてくれればいい。何かを成し遂げる必要もない。誰かに認められる必要もない。好きな場所へ行って、好きなものを食べて、好きなように過ごしていい」
好きなように。
その言葉は、とても自由に聞こえた。
同時に、どうすればいいのか分からない言葉でもあった。
「与えられるものは与えてあげる。だから、ボクの世界を楽しんで生きておいで」
神様はそう言って、こちらに背を向けるように一歩下がった。
「じゃあ、準備するから少し待っててね」
そう言うと、神様の姿は一瞬で消えた。
真っ白な空間に、俺だけが残される。
壊されるはずだった魂。
地球神が壊したくないと願った魂。
特例で、別の世界へ送られる魂。
それが本当に自分のことなのか、まだよく分からなかった。
けれど、胸の奥に残った言葉だけは消えない。
――穏やかに幸せになってほしい。
そんなことを願われる資格が、自分にあるのだろうか。
答えは出なかった。
ただ、もう一度生きることだけが決まっていた。




