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9. 春 前編

 蝋燭の小さな灯りが、乳白色の紙を通り、その外側の繊細な木彫りの装飾に阻まれる。

 眠気を誘う淡い光に照らされた文書に目を通しながら、珠子(みこ)は父、帝の話に耳を傾けていた。

「あいつら、俺を庭から遠ざけようと必死でな。そのままそこで戦っててもどうにもならねぇから、逃げたふりして花火師のところまで行ったんだ。まあ、全員殺されてたがな」


 1週間程前の、(かげ)の襲撃。

 邪気祓いの術が込められた花火がうち上がらなかった。

 それが、多大な被害を出した襲撃の幕開けだった。

「花火も綺麗にぶち壊されてたわ。とりあえずそれを直して、打ち上げたってわけだ」

 簡単に言うが、数ヶ月かけて準備されてきたものをあの一時で修繕してしまうとは、さすがとしか言いようがない。

「お前が翳たちの気を引いててくれたから、助かった」

「フン」

 珠子は得意げに鼻を鳴らす。


「そんで……」

 また文書に目を落とした珠子を見て、帝は呆れたように笑った。

千影(ちかげ)のことだろ?」

「……」

 珠子は、緊張したように帝の顔を見た。

「あいつもあいつで、めんどくせぇ奴だ」




 帝が千影と話したのは数日前。

 肌寒い地下牢の鉄格子を挟んで、必要最低限の会話を交わした。

「お前は翳の仲間か?」

「はい」

「ここを襲った奴ら以外にも仲間はいるのか?」

「……」

「そいつらの元を離れて、俺たちに付くことはできるか?」

「……」


 返事のない千影に、帝は大きくため息をつく。

「お前、放免される気あんのか?せっかく珠子が恩情をっつってんのに」

 この牢から出ていく気は、ある。

 だが生きている限り、譲ってはいけないものも背負っているつもりだ。

 改心したと偽るもいいが、何故かこの男には嘘をつく気になれなかった。


 帝はしばらく考え、低く言葉を発した。

「……珠子を裏切らないと、約束できるか?」

 千影は目を見開く。

「珠子だけ、だ。珠子だけは、何があっても守ると、誓えるか?」

 潜められた声、しかしそれでいて鋭い語気で帝は問う。

 人払いをされ、2人の声だけが響く牢に、一瞬の静寂が訪れた。


「誓えます」

 千影は、そこで初めて、帝の目を見た。

「何があっても」

「……」

 そこに帝は、亡くした友の、若い若い妻の姿を見る。

 くだらない惚気話も、今となっては忘れ難い思い出の1つで、そこにあと少しで、新たな話の種が生まれようとしていた時に。

「分かった。もう少しだけ、ここにいろ」

「はい」

 深々と頭を下げた千影を背に感じながら、帝は牢の出口へ向かう。

 そして扉に手をかけたとき、思い出したように言った。

「それと、頼みがあるんだが――」




「あんだけの死者を出したんだ。成人してりゃ死罪。だが、あいつはまだガキだし、あの戦いの才は目を見張るものがある。それに、自分たちがやった事とはいえ、襲撃後の救助活動ではよく働いてくれたしな」

 殺人など重罪を犯した者は、死罪とならなかった場合、小さな島の更生施設に送られる。

 そこでの生活態度によって、また外に出られる者もいれば、一生をそこで過ごす者もいた。

 18に満たない者が死罪に相当する罪を犯した場合は、死罪ではなく、その島で一生を過ごす刑に処される。

 千影やアサに与えられるのは、普通ならばその刑だ。


 しかし、罪人に突出した何かの能力がある場合、監視をつけて、その才を生かす職につかせることがある。

 そして罪の重さに応じて、国に金や技術を引き渡すことで、贖罪とする。

「だから、新生の刑に処すことにした」

 新しい生を受ける。

 つまり、罪を犯した自分を捨て、国の為だけに動く人間になるということ。


 それは、罪を無かったことにするという意味ではない。

 罪人を恐れたり恨んだりしているであろう、被害者や遺族の暮らしを壊さない為。

 新生の刑を受けたものは、家族を捨て、故郷や地位も捨て、時には名も顔も変えて、新しい人間となる。

 それが出来なければ、他の罪人と同じように島へ流されるだけ。


「じゃあ、それで課せられる役目は」

 珠子の従者にできないかと、帝に頼みはしたが、正直その願いが叶う確率は絶望的だ。

 貴族には千影たちに殺されたものが沢山いるし、それを姫の傍に置くのを良しとする人がいるはずがない。

 だから珠子は、もう1つの決断をしてここに来た。


「お前の護衛だ」

 思ってもいなかった答えが返ってきて、珠子は固まる。

「……え」

「えって、お前が言ったことだろ」

「いや、そうだけど」


 てっきり断られるものとばかり思っていた。

 そしてその時は身分を隠して旅に出、その先々で、翳術で人を助けるのだと駄々をこねるつもりだった。

 いくら身分を偽っているとはいえ、供をつけない訳にも行かないから、そこに千影とアサを入れてもらえないかと。

 ちゃんと民のためにはなるし、貴族たちの目にもつかないから、なんて政治や法に疎い頭で色々考えていたのだが。


「いいの……?」

 帝は面倒くさそうに言った。

「殺されたやつらの家族には俺が話をつけた」

「え……」

 今回の死者は2桁では収まらないはずだが。

「だからこうやってお前と話すのにも、ちと時間がかかっちまったんだ」

「父上……」

 珠子は驚きと喜びに息を飲み、すぐにその利己的な思考回路を恥じた。


「でも、貴族たちはそれで納得するのか?」

 帝に話をつけられて断る者は居なかろうが、心の内では行き場のない憎しみを生涯飼うこととなる。

 そんな傍若無人な振る舞いができるのが皇族で、けれどそれをしてしまっては、皇族を皇族たらしめる何かが崩れてしまう。

 帝はそれを、満足そうに笑い飛ばした。


「お前は、そういうとこガキのまんまだな」

 珠子は、困惑して帝を見る。

「殺し合った仲でも、利害が一致すりゃ盃交わすのが貴族ってもんだ。あいつらにとっちゃこんなの日常茶飯事。親殺した奴の元に嫁ぐなんて奴もいるんだ。千影のことは権力を乱用した特例じゃあない」

 そんな理屈でいいのだろうか。


 黙り込んだ珠子の肩に手を置き、帝は言った。

「もう決まったことだ。後ろめたく思うなら、これからのお前たちの行動で、あいつらに報いろ」

 殺されていった人々に、その残された家族に。

「……わかった」

 一生かけても人の命に見合うことなんてできるわけがない。

 それでも珠子は、進みたかった。


「父上、ありがとうございました」

 珠子は深々と頭を下げて、じゃあ、と扉へ振り返る。

 その相変わらず薄い背中に、帝は目をやった。

「珠子」

「ん?」

 帝は、一瞬言葉を探す。

「……自分の体の限界は弁えろよ」

 それに珠子は、笑って返す。

「大丈夫。ちゃんと寝てるし、ご飯もいっぱい食べれるようになってきたもん」




 翌朝、朝食を済ませ、街へ出ようと裏門へ向かうと、3つの人影が待ち構えていた。

「!!ちか……」

 小走りになりながら3人に近づこうとして、珠子はハッと顔を強ばらせる。

 あの襲撃を受けた貴族や兵がこの場を見たとしたら、いい気持ちはしないだろう。

 

右京(うきょう)。そいつらが新しい従者たちか?」

 縦に首を振り、右京は口を開く。

「ろくな説明もなく恐縮なのじゃが、さっそく連れて行ってもらっても構わんじゃろうか」

「いや、助かるよ。右京は?」

 感情を表に出さないように、淡々と話す。

「わしも監視として同行する」

「了解。じゃあ行こうか」


 兵に連れられた3体の翳鳥に跨る。

 暁炎(ぎょうえん)には珠子と千影、その他2体にアサと右京がそれぞれ乗る。

 皇族の移動手段は基本牛車で、姿を晒して、それも空の上をかけることはまずない。

 だからせめてもの奇襲対策として、後方に人の盾を置くのだった。

 

 高く高く上空へ。

 皇居が点に見えるほど小さくなって、珠子はやっと肩を下ろした。

「新生の刑は、どんな感じになったんだ?」

「新しい名を貰い、しばらくは牢で寝泊まり、護衛の任があるときのみ、右京殿の監視のもと、外へ出ることが許されることになりました」

「名前って?」

 突き放すようでもないが距離を感じる千影の返答に、珠子は調子を変えず質問を続ける。


「私が光ると書いて(こう)、アサが夕日の夕で(せき)と」

「元の名と逆の意味か。面白いな。なんの捻りもないけど」

「てかちか……光は、相変わらず女装してるのか」

「ええ。父は貴族の端くれでしたし、私は母とよく似ていますから。私が千影という人物であったことに気付く者もおりましょう。それでは新生の刑の意味がない」

 千影の継父は医者で、珠子の父とも共に研究をしていたと聞いている。

「さすがに性別が違えば、私をあの医者の息子かと疑う人もいないでしょう」


「ふーん」

「というのもありますが、1番大きいのは、男子禁制の場に気兼ねなく立ち入ることができることでしょうか」

「殺そうか?」

「……皇后様や姫様方が生活されている場は、男子禁制でしょう」

 皇族であれば男でも入れるが、従者は立ち入れない。

 護衛には腕がたつ女たちが集められているものの、人手不足は常である。


「私のように、女と偽り護衛につくことを許された者は、珍しいですが、いない訳では無いと」

 まあそんなことは珠子も知っているのだが。

「それで皇女と通じて、相棒とさよならしたやつもいるってな」

 さすがに現代の法では、数年牢に入れられるくらいだろうが、新生の形を受けている千影はそうもいかないだろう。

「気をつけろよな」

 何か言い返そうと千影が口を開いたが、それは右京に遮られた。

「着きましたぞ」




 珠子はあの2度目の襲撃以降、ずっと各地の治院(じいん)を回っていた。

 病気の治し方は微塵も分からないが、傷の癒し方なら想像できる。

 想像できるということは、できるということに近い。

 とはいえ、ちぎれたものを繋ぎ合わせるくらいしかできないから、細かな指示はしっかりと知識を持ったものに乞うこととなる。


 皇女(ひめみこ)として人前に出る訳にはいかないので立場は明かさなかったが、国より使わされた少女の話は、瞬く間に都周辺へ広まっていった。

 医者からの依頼は絶えず、朝から夕まで各地を飛び回り、夜は医学を学ぶというのが、ここひと月続いた珠子の生活だった。


「うぅっ……」

 今目の前に横たわるのは、火事で右肩から腕全体が焼けただれた男だ。

 眉間に皺を寄せながら、医者は、赤々とした棒のように見える腕の上部を、紐でキツく縛る。

「腕を落とすので、その傷口を塞いでいただけますか」

「わかった」


 酷い傷を見て吐くことが何度かあったが、今は強い動悸くらいで何とかなっている。

 傷口の陰惨さよりも辛いのは、患者の心の声だ。

 痛い、苦しい、死への恐怖。

 傷が治れば、弾けるばかりの安堵と感謝が伝わってくるからなんとか耐えられるが、癒しきる前に、絶望の中死んでしまった者もいた。


「き、る……?いや……だ……」

 男は朦朧とした意識の中うめく。

 けれど暴れる力はないから、医者は淡々と準備を始めている。

「大丈夫だ。痛みは感じないから。お前は眠ってるだけでいい」

 それでも男は、どうにかもがこうとする。


 見かねて珠子は、男の左腕を握った。

「ほら、痛みが消えてくだろ?」

 痛みを消すという翳術が、どのような仕組みなのかは自分でも分からないが、使えるものは使っていく。

「うぁ……」

 とっくに翳術はかかっているはずなのに、男は苦しみを増していく。

 自分が死にかけているという認識が強すぎて、意識が勝手に痛みを作り出してしまっているのだ。

 重症の患者には、よくある現象。


 珠子は静かに、歌を口ずさみ始めた。

 母がよく歌ってくれた子守唄。

 男を落ち着かせるためでもあるが、自分自身の心を鎮めるため。

 医者は、それを静かに見やって、男の腕に大きな刃を当てた。

 珠子は歌を止めずに、肩から切り離されていく腕に意識を集中させる。


 血を止め、肉を繋ぎ、痛みを打ち消し続ける。

 荒かった男の息が緩やかになり、いつの間にか寝息を立て始めたころ、やっと焼けただれた腕は体から離れた。

「あとは、この薬を飲ませるだけですね」

 傷口から入ってきた病のもとを消す薬。

 父が作り出したものだ。

「せっかく眠ったのに、また起こさなきゃか」


 医者は小さく微笑み、珠子に頭を下げた。

「ありがとうございました。薬は私が飲ませますので、今日はもうお休みください。あれほど酷いと、気力がごっそり削がれますから」

「うん。じゃあ、また明日」

 深々と頭を下げたままの医者に背を向けて、珠子たちは治院を後にした。


「次はあの山を越えたとこだ。あそこは治院が少ないから、すごい混んでるんだ。今日は少ないといいなあ」

 伸びをしながら話す珠子に、アサが初めて口を開いた。

「あいつは休めって言ってたけど」

 目を見開いて、珠子はアサに飛びつく。

「心配してくれんのか〜。可愛いやつめ」


「は?俺がサボりてぇだけだわ!離せクソが」

 相変わらず死ぬほど口の悪い娘だが、それも可愛く思えてしまうほどに、アサには威圧感というものが欠けている。

「珠子もだが、お前はもっとガキなんだから、疲れたらちゃんと言うんだぞ?3人交代でおぶってやるから」

「うっせぇ、姉貴気取りすんな!」




 それからも毎日、珠子は数え切れないほど治院を回った。

 決して無理はせず、3食しっかり食べ、何なら行く先々で貰った菓子もたらふく頬張り、夜は8歳児並に眠る。

 目に見える疲れは感じない珠子だったが、それでも削られていくものはあったらしい。

 門を出ようとした珠子の足が止まったのは、重たい雲の立ち込める朝。

 雨は落ちないが、光も落ちない。

 そんな中途半端な日だった。



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