10. 春 後編
結構軽いノリで描きたかったけど、文字だけじゃ上手く表現出来なかったので、後々挿絵も入れようかと思います。
厚い雲にさえぎられ、朝の訪れを感じられない一日の始まり。
春に浮き足立っていた大地が、数歩冬に後戻りしたように静かだ。
「よう」
「おはようございます。姫様」
「おはー……」
門で待ち構えているのは夕と光。
半月ほどは右京も付いていたが、今では2人だけで十分、護衛の任をこなせている。
だから監視は外してもいいだろうという話になり、その代わりに2人は、体に術を施されることとなった。
人の心を読む翳がいるというのは、この世のものなら誰でも知っていることだ。
だが、それがどんな見た目をしていて、何を好み、何を嫌うのか、それを知るものは少ない。
その翳の中の数体が、はるか昔、時の帝と契約した。
彼らが求めたのは、生きていくための翳力の供給と、暇つぶしの何か。
翳力は、皇族の血から分け与えられてきたらしい。
というのも、翳力は物に宿るから、空を介して分け与えるのは非常に困難だからだ。
翳力を外に出そうとすると、それは光だったり、風だったり、炎だったりに変換されて出ていってしまう。
それらは翳たちの何の腹の足しにもならない。
だから翳は生き物を殺し、その肉体に宿る翳力を貪り食うのだ。
今は帝、珠子の父がその血を与える役目を担っている。
その翳を、光と夕の肉体に封じて、その心を読ませる。
封じられている間は、翳力の供給は必要ない。
さらに、人の心を覗き放題なのがたまらんということで、その翳たちは封じられることについて結構ノリノリである。
そして2人が珠子に害をなそうとし、それが翳に察知されれば、2人の意識を奪う術が発動される。
そして光と夕は島へ流され、その翳たちはまた元のように、帝の血を貰い、人間の娯楽を享受する生活へと戻るのだ。
「……どうした?」
「何が?」
いつも眉間に力を入れている夕だが、意外にもよく話しかけてくれるようになった。
「お前いつも会うなり、気持ち悪い言動してくんじゃねーか」
そういえば最近、そんな夕が可愛くてたまらなくなり、撫で回したり褒め倒したりしていたっけ。
「腹が痛いからかな。ちょっとうんこ行ってくる」
「さっさと行け」
裏門の近くにも厠はあるだろうが、珠子は使い慣れた自分の部屋の方へ向かう。
「……私も」
珠子が建物の中に入ったところで、光もその後ろに続く。
「えー、なら俺も!」
結局その場には、翳鳥たちだけが残された。
珠子は走った。
走って、走って、乾いてしまえばいいと思った。
それでもこぼれ落ちる涙は止まらない。
なぜ。
胸が痛いのは、息が苦しいのは、走っているからだ。
それ以外に理由なんていらないのに。
「……っ」
厠の横の物置に飛び込む。
あまり心地よくない匂いが充満する暗くて狭いその空間で、やっと珠子は涙を拭った。
ここへ来るまでに何人かの兵や官とすれ違った。
彼らは心配して珠子を追いかけて来るだろうか。
(いやだ)
今は誰にも会いたくない。
このままここで、暗闇に隠れていたい。
思えば数日前から、予兆はあった。
怪我人を目の前にして、術をかける手が止まりそうになるのだ。
(わからない……)
癒しの術が使えるのはいいことで、それで人を助けるのもいいこと。
いいことをするのはいいことで、自分も心から望んでやっていたことだった。
それなのに、今日もまた治院を回るのだと思うと、急に目の前が滲んでいった。
足のどこに力を入れたらいいのか分からなくなり、無理やり走って逃げた。
けれど治院に行かないのなら、その力を持っていながら人を助けないのなら、自分が生きている意味はなんだ。
怪我人は助けたい。
けれどここから動こうとする自分の足を、何かが止めてくる。
(また、あの生活に戻るのか)
喋らない母の隣で、自分の役目から目を逸らして生き続ける日々に。
言いようのない絶望が珠子を襲う。
涙は流れ続けるのに、時間は止まったようだった。
(もうなんか……)
死にたいかもしれない。
「見つけた」
物置の扉を開けたのは、光。
「……別に」
涙をふいて、声が震えないように低く呟く。
光の反応に怯えながら、できるだけ音を立てずに鼻をすすろうとすると、頭の上から何かを掛けられた。
「行こう」
「ちょっ……!」
光は着ていた衣の1枚を珠子に被せ、そのまま珠子を抱き抱えて建物の外へと出た。
扉の先は、ちょうど暁炎が降り立つところだった。
「暁炎、お前ほんといい子だな」
言って光は、珠子を抱えたまま暁炎に飛び乗る。
「え?ちょっと!」
やっと珠子たちを見つけた夕が、駆け寄ってきた。
「お前ら何してんだよ。糞は??!」
「いつもの森へ行く。右京殿にそう言えば、分かってもらえるから」
「はぁあああ?」
「夕飯までには帰るよ」
「待て、光!!」
光がポンと背を叩くのを感じ、暁炎は力強く地を蹴る。
あっという間に遠ざかった大地を見渡し、幾年ぶりかのその方角へ首を向けた。
白く吹き出す滝つぼを眺めながら、止まる気配のない涙に、珠子は苦笑する。
「なんでここに?」
鼻の詰まった声で、問う。
「俺が来たかったから」
「そうか……」
今は光、というよりも千影に戻ったようだ。
しばらく、滝の音と風に草木が擦れ合う音だけが響く。
いつ切り出されるか分からない空気にやきもきして、珠子は口を開いた。
「そろそろ戻らないと」
「戻りたいの?」
千影は、手のひらほどの石を拾って、それを水面に放り投げる。
「うん」
絞り出した肯定に、嘘はない。
「ここにいるのは嫌?」
「……ううん」
できればずっとここに居たい。
どちらも本心だ。
「今日くらい、羽を伸ばしてもいいんじゃないかな?」
「……だめだ」
千影の顔は視界に入れず、ただ水面に向かって話し続ける。
「だめなんだけど……。治院に行きたくないってのも本当だ」
何がそんなに嫌なのか、自分でも驚くほどの嫌悪感。
「うん」
「……けど、人を助けられる力があるのに、それをしないのも同じくらい嫌だ」
けど、なのに。
逆接ばかり出てくるのは、それだけ相反する感情を抱えているから。
「このまままたあの日々に逆戻りしてしまうなら、珠子の生きている意味はなんだ……」
千影は首を傾げて、珠子の隣に腰掛けた。
「あの日々って5年前の襲撃から最近までのこと?」
珠子は小さく頷く。
千影は相変わらず、明るい口調を崩さない。
「俺がいるのに?」
「……は?」
当たり前のように言う千影に、さすがに涙が途切れてしまった。
「治院に行かなくても、やることはたくさんあるだろう?小さい頃みたいにここで毎日遊んだっていいし、学校に行ったっていい。旅に出てもいいし、一日中あやとりしたっていい」
「いや、しないが?」
「とにかく、俺はあの日、貴族たちを殺して、自分の目的を果たそうとした」
千影が何を言いたいのか量りかねて、珠子は黙って続きを待つ。
「だけど珠子の声を聞いて、君の隣にいることに決めたんだ。それとも珠子、もう君に俺は必要なくなったの?」
両肩を掴まれ、目を向けた千影の目には、頼りない顔をした自分が映っていた。
「別に、そんなことは言ってない」
ペシッと千影の腕を振り払い、そっぽを向く。
「じゃあ今日くらいは、俺と――」
頬が緩みそうになるのを、また思考がかき消してくる。
「けど、こうしている間にも死んでいく人たちがいるんだ。珠子なら助けられるかもしれないのに」
そうだ。
大怪我をおったものが今も治院に運ばれているだろうに、それを分かっていて放っておくなんて、してはならない。
「なら珠子は、医者は患者を助けるために休みも取らず働くべきだと?」
千影は、柔らかく問い続ける。
「医者になる技量をもつ者が別の夢を語っても、医者になるべきだって言う?」
「そんな事はない」
「なら、自分にもそう言ってやれば良くないか?」
「でも……」
自分にしか助けられないから。
寝る間も惜しんで、なんて自己犠牲を語るつもりは無い。
けれどせめて、日が昇っている間だけでも。
「珠子、君は自分が疲れてることに気づいてる?」
「……?疲れてないけど」
治院への足が止まったのは、疲れたからでは無い。
治院を回り、癒しの術を使うだけの日々への忌避感。
そして、そんなことを考える自分が酷く汚いものに見えて、板挟みになっている。
「体が動けば疲れていない、なんて思ってないか?」
「……」
そう思っていたが、改めて聞かれると違う気がしてくる。
「気力は体力とは違う。ただでさえ生活が大きく変わったのに、毎日人の命を託されて生きてちゃ、耐えられなくもなるよ」
けれど少し休んだからといって、何の負の感情もなくまた治院へ行けるようになるとも、思えなかった。
「ここで立ち止まるのは、珠子のためだけじゃない。珠子について行く俺や、アサのためだって……言うのはズルいかな」
「……」
それでも、と言わなくては。
そう思ったが、これだけ自分の弱さの逃げ道を用意してくれる千影に、これ以上反論する気は起きなかった。
「……とりあえず、今日はここにいていいか」
「そうしよう」
千影に背を向け、縮こまって横になる。
硬い岩の上だから少々体が痛かったが、寝れないこともないだろう。
背中で、千影も寝そべる音がした。
そこに少しだけ体を寄せて、目を閉じる。
まぶたから、また涙が溢れた。
1度泣いてしまってから、涙を流す機能が張り切りすぎているみたいだ。
けれどそれは、物置で流したものとは違う。
小さな安堵を含んだ涙だということは、自分でも分かった。
目が覚めると、暁炎が隣で眠っていた。
千影は、岩や石の少ない足場で剣を振り回している。
雲は相変わらず空を覆っているが、葉の影をうっすらと映すほどには、光を通すようになっていた。
耳に入るのは、いくつかの小鳥の鳴き声と、低い笛のような鳥の声、風に葉が擦れ合う音、滝の水が打ち付けられる音。
そして自分と暁炎の呼吸音と、千影の剣が空を切る音。
何の花かは知らないが、この時期になるといつも漂ってくる香りもする。
そういえば森自体も、土の匂いなのか木々の匂いなのか、うっすらと独特の香りがする。
久しぶりの感覚に、息が軽くなる気がした。
突然、蜂なのか蝿なのか、虫が耳元を掠める。
反射的に頭を振ると、それがその虫の逆鱗に触れたのか、珠子の顔の辺りへ突撃を始めた。
「ぬぁっ」
助けを求めて千影のもとへ走っていく。
暁炎が、何事かと半分ほど瞼を開いた。
「ああああ」
ジタバタと腕を振り回しても、虫は追撃をやめない。
カンと鈍い音がして、耳元の不快な音が消える。
警戒を緩めず辺りを見渡すと、大きな蜂がフラフラと足元を漂っていた。
すかさず珠子は、剣の側面を蜂へ向けている千影の後ろへ隠れる。
剣で殴られたらしい蜂は、揺れながら茂みの中へ消えていった。
暁炎は、決着が着いたのを確かめてから、また瞼を閉じた。
「二度と来るな!!」
心の底からの怒りを込めて、珠子は叫ぶ。
ついでに、ペッと唾も飛ばしておく。
「蜂が可哀想だよ」
「何もしてないのに襲ってくるのが悪い」
千影は、呆れて笑った。
「全身防御の術でも考えようか……」
蜂は速いし毒も持っているから、意外と翳以上の天敵かもしれない。
「あはは、いいな。珠子も俺たちと一緒に稽古する?」
笑い続ける千影に、珠子は恨めしく目を細める。
だが、助けてもらったことを思い出し、そっぽを向きながら礼を言う。
「助けていただいて、ありがとうございました!じゃあ、寝るから!」
吐き捨てるように言って、元いた岩に戻ろうとした珠子の腕を、千影が引き止めた。
「珠子」
振り返った先の妙に真剣な眼差しの千影に、珠子は唇を引きしめる。
何も言わずに、千影は珠子の顔の横へ手を伸ばしてきた。
「何……?」
後ずさりしようとした珠子の髪に、千影が触れる。
「……取れた」
「……は?」
髪から何かが剥がれる感覚がした。
「カタツムリ」
「……!!!」
寝ていたときについたのか。
泣きそうになりながら、川の水に頭を突っ込む。
「大丈夫か……?」
若干引いたような声で、千影が聞く。
さっきの蜂のことで気が動転していたが、よくよく考えればカタツムリはそんなに苦手でもない。
粘液は気持ち悪いが、ゴキブリ程じゃないし。
「さぶい」
「今、火起こすよ。……いや、ついでに魚でも取ろうか」
「死ぬぞ?」
千影は衣を脱いで、躊躇無く川へと飛び込む。
「珠子もおいでよ」
1人でやらせてもいいが、千影が戻るまで火を起こすこともできないから、仕方なく川へ入る。
風を起こすことはできるが、火は自分が作り出すのをどうしても想像できない。
「ふぁああああ」
歯をガタガタ言わせながら、千影の隣まで進む。
「珠子、風かなんかで渦を作れないかな」
「魚を端に追い込むくらいは」
冷たさを跳ね返す翳術、熱を発する翳術とかを使えないか考えながら、風で水を押し、なんとか魚を岸辺へ追い詰める。
閉じ込められた可哀想な魚たちは、千影の剣に瞬く間に串刺しにされていった。
急いで火を起こして、魚と共に火を囲む。
「この世は厳しい……」
全身を震わせ、腹も鳴らしながら、珠子は呟く。
「そうだなぁ」
千影は笑顔で肯定する。
「……お前、楽しそうだな」
何にも興味が無さそうな淡白な人間に見えるが、千影は意外とよく笑う。
「楽しいよ」
今日初めて現れた雲の切れ間から太陽が顔を見せ、珠子の震えを幾分かマシにさせる。
陽の光は、白みがかった大地に、ほのかに金を差した。
上空に吹く風のおかげか、空はどんどん開けていく。
滝つぼにも光が落ち、ガラスが砕けるように水しぶきが光る。
珠子は、思わず深く息を吸い込んだ。
「美しいものも、そうでないものも。楽しいことも、苦しいことも。世界に何かを見せられる度、聞かせられる度、感じさせられる度、思うんだ。俺は世界から祝福されてるって」
歌い合いながら頭上を通り抜けた、深い青の鳥たち。
木の洞から飛び出して、森の奥へと消えた、小さな野うさぎ。
「どれだけ自分の殻に閉じこもっても、世界は干渉してくることを止めない。つまり俺は、世界に必要とされて生きている。そう勝手に解釈してるんだ」
空を見上げる千影。
すべてが、春のぬるい風のように心地よい。
「って、何の話?これ。……まあとにかく、俺はこの世界が好きだってこと」
千影は、照れたようにさっと話をまとめる。
足元に咲いている小さな花を指で撫でて、珠子は千影と同じ空を見上げた。
「珠子も好きだよ」
「――つーわけで、お前ら明日から学校な」
帝の職務室に呼ばれた珠子、光、夕は唐突に告げられる。
「光と夕は護衛として入るが、一応成績も出してもらうから、ちゃんと授業受けろよ」
「えぇぇぇぇぇぇぇ」
夕の絶叫の声が、部屋の外まで響き渡った。




