4話 ブレイズ様
3日目の夜は、ブレイズ様が見張りをすることになっていた。
「あの、本当によろしいんですか。ブレイズ様まで」
「ええ、もちろん。グウェンも言っていましたが、うちの店の看板商品のためですからね」
元筆頭魔術師であるブレイズ様に見張りをさせるなんてと、恐縮してしまうけれど、相変わらずニコニコしながらなんでもないことのように言ってくれた。
血縁はないはずなのに、さり気なく優しいところがグウェンさんと似ていた。
それまでの夜と同じように、ブレイズ様に温かいお茶やブランケットを運んだ後、私は自室で休んだ。
3日目の夜は、事件が起きた。
――なにこの魔力⁉
真夜中にものすごく強い魔力を感じて、ぐっすりと眠っていたのにも関わらず飛び起きた。
人ではありえないほどの魔力。
これはもう竜とか魔獣とか、そういう別次元の類の物だと瞬時に感じ取れた。
急いで部屋を出て、階段を駆け下りる。
中庭に通じるドアを開いたら、ソレと目が合った。
体長2メートルはあるかという獣が、牙を剥いて、鋭い瞳で睨みつけ、こちらを威嚇してきている。
絶対に勝てない。魔力以前に、この巨体でもしも攻撃されたら、それだけで防ぎきれないだろう。
――悪いモノではないのではなかったの⁉
月明かりを反射してほのかに光る白銀の毛並みの獣。その表情はなぜか憎悪に満ちている。
――絶対に、目を逸らしてはダメだ。
それは故郷のドレスディア領で学んだことだった。
ドレスディア領は王都よりも自然が多く、獣やそれ以外のモノとも遭遇することが多い。
獣、魔獣や妖精に出会っても、目が合ったら逸らしてはいけない。
逸らした途端に、『狩られるもの』になってしまうから。
――私はあなたの敵ではないです。お願い、分かって。
そんな願いを込めて、白銀の獣の瞳を見つめ続ける。
何時間経ったか分からない。もしかしたら10秒も経っていないのかもしれない。
背中が汗でぐっしょりと濡れていた。
獣の白銀の毛皮が先ほどよりも光っていてやけに明るいと思っていたら、朝陽が昇り始めていた。
そろそろおばあが起きてしまう時間かもしれない。と束の間気がそれた瞬間に、それは目の前から消えていた。
――助かったー……。
安堵感に、全身から力が抜ける。
本当に、いなくなってくれて良かった。あんなの相手に、勝てるわけがないから。
全身が異様なほど疲れていて、もうその場に座り込んでしまおうとしたら、そんな場合ではないことに気が付いた。
「ブレイズ様! どうされたんですか⁉」
目の前にブレイズ様が倒れていたのだ。
いつからだろう。きっと私が来た時にはすでに倒れていたのだろう。今まで気が付かなかった。
「ブレイズ様! ブレイズ様! ランスー⁉ お願い来て」
近づいて呼び掛けても、目を閉じてなんの反応もしないブレイズ様。
私は慌ててランスを呼びに走った。
「じーさん! しっかりしてくれ! じーさん!」
「グウェンさん……回復魔法も掛けましたし、健康上の問題はありません。恐らくあまりに強大な魔力の威嚇が直撃して、ショックで寝込んでいるのかと思います」
「じーさん……頼むから」
倒れていたブレイズ様を、駆け付けたランスが宿のベッドまで運んでくれて、そのままグウェンさんを呼んできてくれた。
グウェンさんはいつもの余裕など微塵もない、真っ青な顔をして宿屋に駆け込んできた。
私も最初は倒れているブレイズ様を見て動揺してしまったけれど、大きな怪我はなさそうだと分かって落ち着いてきた。
けれどグウェンさんは、まるで迷子になった子どものような顔で、ブレイズ様に縋りついたままだ。
何度大丈夫だと説明しても、まるで言葉が届いていないみたいだった。
◇◇◇
俺に火の魔力の才能があると分かったのは、10歳の時だったか。
誰も俺に魔力があるかどうかなんて興味はなかったけれど、一応決まりだからと神殿に連れられて行った先の魔力検査で判明した。
同じ日に検査を受けに来ていた貴族の子たちはとびっきりドレスアップしていて、家族に見守られていた。
それで初めて、本来神殿で魔力検査を受けることはおめでたいことなのだと知った。
他の子供たちは家族に囲まれているのに、王子である俺にはやる気のない使用人が一人付いてきていただけ。
だから神官に「とても珍しい火の魔力がおありです。おめでとうございます」と言われたところで、喜んでくれる人もいなかった。
でも俺は嬉しかった。これで父上や母上に褒められると、懲りずにまた期待したのだ。
まあ俺に魔力があろうとなかろうとどうでもいいみたいで、いつも通り声すら掛けられなかったわけだけど。
だから年齢を理由に引退する魔術師に魔法を教われと命じられた時、俺は心底ガッカリしたんだ。
まるで俺が厄介者で、世話を押し付けられたみたいだって。
――実際そうだったんだろうけど。
「ブレイズ様は、色んな国を旅したいと引退を希望したんだろう?」「それが第四王子に魔法の才能があることが分かって、教師役にと頼み込まれて引き留められてしまったらしいぞ」「お可哀そうに」
俺の目の前で堂々と、使用人たちが噂していた。隠す気すらない。
それに10歳の俺にとって、当時50歳くらいだった師匠はくたびれて見えて、頼りなく感じた。
貴族の奴らみたいに着飾ったりしていないから、正直言うと貧乏くさくて弱そうに見えたし。
使用人たちの噂のせいもあって、俺は最初っから師匠のことを嫌っていた。
――こいつもどうせ、俺のことを疎ましく思ってすぐにいなくなると。
「なんだよ。こんな冴えない奴が俺の師匠になるの? じじいじゃないか」
「……グウェン第四王子。この方は先日まで火の筆頭魔術師だった方です。ご本人の希望で退職されますが、本来ならまだ何年も現役で活躍できるほどお若く、魔力も衰えておられません」
「いいんですよ、じじいで。我儘で早めに引退させていただくのですから。それに友人たちにはそろそろ孫も生まれていますし、私ももう王子の祖父でおかしくはない歳だ」
俺が何を言っても、師匠はいつもニコニコと許してくれた。
「すばらしい。もう実際に火を起こせるようになったのですね」
「あのさあ、いつもヘラヘラ笑っているの、止めてくれない? そうやってわざとらしく褒めるのも胡散臭いんだよ、じじい」
「それはすみません。意識している訳ではないのですが」
一応最初の頃は真面目に魔法を教わっていたけれど、生まれて初めて優しく丁寧に扱われた俺は、どう反応したらいいのか分からなかった。
ずっと誰かに優しくされたいと思っていた。構ってほしかった。
それなのにいざそうされても、笑顔の裏で何を考えているか分からないと、信じることができなかった。
誰よりも優しくしてくれる師匠を、なぜか俺は誰よりも嫌った。憎んでいると言ってもいいくらいの、煮えたぎるマグマのような怒りが次から次に涌いてきた。
俺のことを本当に冷たく扱う誰よりも。
ついに俺は魔法の授業もサボり始めた。
平気で師匠を何時間も待たせたし、行かない日もあった。
それが当然の権利だと思っていた。




