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乙女ゲームの退学予定モブ、改造魔法で最強の魔導機甲を造る!  作者: ジャクロの精霊


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第1話 恋愛に絶望した俺、乙女ゲームのNPCになる

金曜日、午後七時十二分。

 スマートフォンに届いた一通のメッセージを見て、俺は深いため息をついた。

『春樹くん、ごめんね。明日の食事、やっぱり行けなくなっちゃった』

 ここまでは、まだよかった。

 急な仕事かもしれない。家族の用事かもしれない。人間、生きていれば予定が変わることくらいある。

 問題は、その次の文章だった。

『実は最近、付き合い始めた人がいて……。変に期待させちゃうのも悪いから、もう二人では会わないほうがいいと思う。本当にごめんね』

「…………」

 俺はスマートフォンを机に伏せた。

 そして天井を見上げた。

「……またかよ」

 声が思った以上に情けなく響いた。

 俺の名前は春樹。二十五歳。

 都内の小さなIT企業で働く、ごく普通の会社員だ。

 身長は平均より少し高い程度。黒髪は仕事帰りになるといつも乱れ、鏡に映る顔には慢性的な寝不足のせいで薄い隈がある。灰色がかった黒い瞳も、今夜ばかりはひどく疲れて見えた。

 顔が絶望的に悪いわけではないと思う。

 性格だって、そこまでひねくれているつもりはなかった。

 少なくとも、少し前までは。

「三回も食事に行ったんだけどな……」

 彼女とは友人の紹介で知り合った。

 初めて会ったときは緊張したが、趣味の話で盛り上がった。二回目には映画を見に行き、三回目には彼女のほうから次の約束について話してくれた。

 だから、少し期待していた。

 明日のために店を予約し、新しいシャツまで買った。

 その結果が、これだ。

 しかも、相手にはもう恋人がいるらしい。

「……俺と会ってた時間って、何だったんだ?」

 思わず口にしたものの、答えなんて分からない。

 彼女に悪意があったとは限らない。付き合う前なのだから、誰を好きになるかは自由だ。

 それくらい、頭では理解している。

 だが、理解できることと、傷つかないことは別問題だった。

 俺はスマートフォンを持ち直し、短い返事を打った。

『分かった。教えてくれてありがとう。幸せになってね』

 送信。

 続けて、明日のレストランの予約をキャンセルする。

 確認画面に表示された『キャンセルが完了しました』という文字を見て、俺は乾いた笑いを漏らした。

「……俺の恋愛も、キャンセルできたら楽なんだけどな」

 これが初めての失恋なら、まだ笑えただろう。

 高校時代には好きだった女の子に告白して振られた。大学時代には、いい雰囲気だと思っていた相手から「友達としてしか見られない」と言われた。

 社会人になってからは短い交際も経験したが、仕事の忙しさとすれ違いが重なり、長くは続かなかった。

 別に、女性全員が悪いと言いたいわけじゃない。

 ただ、俺はもう疲れてしまった。

 期待して、努力して、少し幸せな未来を想像して。

 最後には、いつも一人に戻る。

「……恋愛なんて、もういいだろ」

 そう呟いて、俺はパソコンの電源を入れた。

 現実の恋愛がうまくいかないなら、せめてゲームくらい好きに楽しませてほしい。

 俺には、そう思える場所が一つだけあった。

     ◇

 『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』。

 それが、最近の俺が夢中になっているゲームの名前だ。

 ジャンルは恋愛シミュレーション。

 いわゆる乙女ゲームである。

 ……何だ、その意外そうな顔は。

 男が乙女ゲームを遊んだっていいだろう。

 そもそも、俺がこのゲームを買った理由は恋愛要素じゃない。

 魔導甲冑《ターボナイト》。

 それが目当てだった。

 舞台は、魔法と機械技術が共存するアステリア王国。

 この世界では、魔力を宿した結晶《エーテルコア》を動力源として、さまざまな魔導装置が作られている。

 その技術の最高峰の一つが、ターボナイトだ。

 外見は、中世の騎士が身につける全身鎧に近い。

 金属製の胸当て、肩当て、籠手、脚甲、そして顔全体を覆う兜。

 だが、ただの鎧ではない。

 装甲の内側には無数の魔力回路が刻まれ、関節には装着者の動きを補助する駆動機構が組み込まれている。

 人間が身につけることで、常人をはるかに超える力と速度を発揮する、魔法仕掛けの強化甲冑なのだ。

 高性能な機体なら、脚部の加速機構で地面を滑るように疾走し、背部の魔導推進器を使って短時間の飛行までできる。

 もちろん、装着者の技量も重要だ。

 高価な鎧を手に入れたからといって、誰でも最強になれるわけではない。

 剣術、魔力制御、機体との適合性。

 そのすべてが戦闘能力を左右する。

 ……素晴らしい。

 魔法のある世界で、騎士の鎧を着て、剣を振るいながら空を飛ぶ。

 そんなもの、男の浪漫そのものじゃないか。

 ところが。

 このゲームの中心は、あくまで恋愛だった。

 主人公は、特別な魔力適性を持つ少女、ソフィア・エヴァーハート。

 彼女は奨学生として王立アストラリス学院に入学し、そこで四人の青年と出会う。

 王太子アドリアン。

 名門騎士家の跡取りダリウス。

 魔導研究に秀でたルシアン。

 そして、外交貴族の青年フェリックス。

 彼らとの交流や選択によって、物語が変化していく。

 身分の違い、貴族社会の陰謀、学院内の対立。

 さらに、王国を揺るがす大きな事件まで用意されていた。

 ストーリー自体は、なかなか面白かった。

 ソフィアも、ただ守られるだけの女の子ではない。努力家で、自分の考えを持ち、身分の高い相手にも必要なら意見を言える。

 そこは好感が持てた。

 ただ、一つだけ不満があった。

「……何で、この鎧を自由に改造できないんだよ」

 俺はパソコンの画面を睨んだ。

 画面には、王太子アドリアン専用のターボナイト《レガリア》が表示されている。

 白と金を基調とした美しい全身鎧だ。

 胸部には王家の紋章が刻まれ、左右の肩には翼を思わせる装飾がある。細身の腰部から脚甲へと続く装甲線は洗練されており、背中には四枚の小型魔導翼が折り畳まれていた。

 王太子が身につけるにふさわしい、優雅で高性能な一着だった。

 だが、俺には物足りない。

 もっと加速性能を上げられる。

 もっと魔力の流れを効率化できる。

 関節部分の装甲を見直せば、防御力を落とさず可動域を広げられるはずだ。

 何より。

「……俺だったら、こうするのにな」

 その考えが、すべての始まりだった。

 俺はゲームのデータを調べ、改造用のツールを作り始めた。

 もちろん、オフラインの個人用環境だけで遊ぶためだ。

 最初は装甲の色を変える程度だった。

 次に、武器の性能を調整した。

 そのうち既存の機体データを解析し、装甲の構造や魔力回路の設定まで変更するようになった。

 そして、数か月かけて作り上げたのが――。

「……よし。今日こそ完成させてやる」

 俺は画面中央に表示された青銀色の鎧を見つめた。

 《オメガ》。

 それが、俺の考えたオリジナルのターボナイトだった。

 全身を覆う装甲は、深い青と銀色を基調としている。

 兜には鋭く前方へ伸びる二本の角飾りがあり、目元には青白い光を放つ細い魔導視界窓を設けた。

 胸当ては分厚すぎず、人体の動きを妨げないように複数の装甲板を重ねている。

 両腕の籠手には魔力を集束する補助回路。

 脚甲には瞬間加速用の推進機構。

 そして背中には、四基の可動式魔導推進器を配置した。

 装着者が動けば、その動きに合わせて装甲内の機構が作動する。

 走る、跳ぶ、剣を振るう。

 その一つ一つを、魔法と機械が補助する設計だ。

 巨大なロボットではない。

 人間が身につけ、人間の動きを極限まで高めるための鎧。

 それが、俺の理想だった。

「……かっこよすぎるだろ、これ」

 自分で作ったものを自画自賛するのもどうかと思うが、仕方ない。

 本当にかっこいいんだから。

 俺はテスト用の戦闘画面を開いた。

 舞台は学院の模擬戦闘場。

 相手は、王太子アドリアンの《レガリア》。

 俺が操作する試験用キャラクターは、青銀の《オメガ》を装着している。

 装甲が体に沿って固定され、胸部のエーテルコアが青く輝いた。

 両脚の推進器が低く唸る。

『模擬戦闘、開始』

 合図と同時に、俺は加速操作を入力した。

 オメガが地面を蹴る。

 青白い魔力の光が脚甲から噴き出し、機体が一気に前進した。

「よし、速度は問題なし!」

 レガリアが黄金の剣を構える。

 俺は右腕の魔力出力を上げ、正面から斬り込んだ。

 次の瞬間。

 バチンッ!

 画面の中で、オメガの右腕が火花を散らした。

「……は?」

 籠手の内部回路が過負荷を起こし、右腕の装甲が弾け飛ぶ。

 続いて警告表示。

『右腕駆動機構、機能停止』

『魔力循環異常』

『戦闘継続不能』

「…………」

 俺は無言で画面を見つめた。

 そして。

「何でだよおおおおっ!」

 思わず叫んでしまった。

「昨日は動いただろ! 何で今日に限って腕が吹っ飛ぶんだよ!」

 机を叩きそうになり、寸前で手を止める。

 パソコンに罪はない。

 悪いのは、俺の設計だ。

「……くそ。右腕の魔力流量が多すぎたのか?」

 俺は戦闘ログを開いた。

 数字が並んだ画面を睨み、問題の箇所を探す。

 魔力供給の遅延。

 補助回路との同期ずれ。

 それに、加速直後の姿勢制御が重なったことで、右腕に負荷が集中したらしい。

「……なるほど。そういうことか」

 原因が分かれば、あとは修正するだけだ。

 俺は椅子に座り直し、キーボードに指を置いた。

 現実の恋愛は、どれだけ頑張っても思いどおりにはならない。

 でも、機械は違う。

 失敗には原因がある。

 原因を調べ、直して、また試す。

 それを繰り返せば、少なくとも前には進める。

 ……まあ、原因が分からないまま三日くらい悩むこともあるんだけどな。

「待ってろよ、オメガ。絶対に完成させてやるからな」

「お兄ちゃん、うるさい!」

 突然、背後の扉が開いた。

「うわっ!」

 驚いて振り返ると、妹の美咲が立っていた。

 肩まで伸びた明るい茶色の髪に、少し大きな茶色い瞳。白いブラウスと黒いスカートを着ており、肩には小さなバッグを掛けている。

 二十二歳の大学生。

 俺とは三歳違いだ。

 昔は俺の後ろをついて回っていたくせに、今ではすっかり生意気になってしまった。

「さっきから何回叫んでるの? 下まで聞こえてるんだけど」

「仕方ないだろ。大事なところだったんだよ」

「ゲームでしょ?」

「ただのゲームじゃない。俺が何か月もかけて作ってる鎧の――」

「はいはい。青いロボットね」

「ロボットじゃない! 装着式の魔導甲冑だ!」

 美咲は呆れた顔で俺を見た。

「……そこ、そんなに大事?」

「大事に決まってるだろ。中に乗るんじゃなくて、自分で着るんだよ。動き方も戦い方も全然違うんだから」

「ふうん」

 まったく興味がなさそうだった。

 ……悲しい。

 この素晴らしさが伝わらないとは。

 美咲は俺の机をちらりと見た。

 そこには、明日のために買った新しいシャツが、袋に入ったまま置かれている。

「あれ? 明日、デートじゃなかった?」

 俺の指が止まった。

「……なくなった」

「え?」

「だから、なくなったんだよ」

 美咲は少し黙った。

 それから、気まずそうに口を開く。

「……また?」

「その『また』って言い方、やめてくれない?」

「あ、ごめん」

 妹は本当に申し訳なさそうな顔をした。

 それが逆に、少し胸に刺さった。

「相手に彼氏ができたんだとさ」

「……そっか」

「まあ、仕方ないよ。付き合ってたわけでもないし」

 俺はわざと軽い調子で言った。

 美咲は何か言いかけたが、結局口を閉じた。

 しばらくして、彼女は机の上のシャツを見た。

「……その服、似合うと思うよ」

「え?」

「せっかく買ったんだから、別の日に着ればいいじゃん」

 思いがけない言葉に、俺は少し驚いた。

「……お前、たまにはいいこと言うな」

「たまには余計!」

 美咲は頬を膨らませた。

 それから、思い出したようにバッグを持ち直す。

「あ、そうだ。私、これから出かけるから」

「彼氏と?」

「うん。今日で付き合って半年なの」

「…………」

 俺はゆっくりと椅子を回し、パソコンに向き直った。

「……そうか。楽しんでこい」

「何その反応!」

「別に。幸せそうで何よりだなって」

「絶対そう思ってないでしょ!」

「思ってるよ。心の底から。ものすごく」

「声が怖いんだけど!」

 美咲は笑いながら扉へ向かった。

 だが、出ていく直前、少しだけ振り返った。

「……お兄ちゃん」

「何だよ」

「そのうち、いい人見つかるよ」

 俺は答えなかった。

 妹も、それ以上は何も言わずに部屋を出ていった。

 扉が閉まる。

 静かになった部屋で、俺はしばらく画面を眺めていた。

「……いい人、ね」

 そんな人が本当にいるなら、もう少し早く会いたかった。

 だが、今は考えたくない。

 俺はマウスを握り直した。

「……よし。恋愛は終了。オメガの修正を続けよう」

 少なくとも、こいつは俺を裏切らない。

 ……いや、さっき右腕が爆発したけど。

 あれは俺の責任だから、ノーカウントだ。

     ◇

 夕食の時間になり、俺は一階の食堂へ向かった。

 父はすでに席についていた。

 短く切り揃えた黒髪には白いものが混じり、眉間にはいつものように深い皺が刻まれている。五十代半ばになった今も背筋が伸びており、仕事帰りのワイシャツ姿にはどこか威圧感があった。

 母はその向かい側で、料理を取り分けていた。

 肩まで伸びた黒髪を後ろでまとめ、薄いベージュ色のカーディガンを羽織っている。

「春樹、今日は早いのね」

 母が微笑んだ。

「うん。仕事、少し早く終わったから」

「そう。ちゃんと食べてる? 最近、顔色がよくないわよ」

「食べてるよ」

「また夜更かししてるんでしょう」

「……まあ、少し」

 母は呆れたように笑った。

 俺は席につき、箸を手に取った。

 今日の夕食は焼き魚と味噌汁、それに野菜の煮物だった。

 いつもと変わらない家庭の食事。

 だが、その何気ない光景が、妙に落ち着いた。

「春樹」

 父が箸を置いた。

「仕事のほうはどうなんだ?」

「普通だよ。今の案件も、もうすぐ終わる」

「そうか」

 父は頷いた。

 そして、少し間を置いて続けた。

「美咲は今日も出かけているのか?」

「彼氏と半年記念だってさ」

「そうか。あいつも、もうそんな年か」

 父は感慨深そうに呟いた。

 嫌な予感がした。

 こういう話題の流れは、大体ろくなことにならない。

「春樹、お前はどうなんだ?」

 ……ほら来た。

「何が?」

「付き合っている相手はいないのか?」

「……いないよ」

「そうか」

 父は短く答えた。

 それだけなら、まだよかった。

「仕事も大事だが、将来のことも考えないとな。いつまでもゲームばかりしているわけにはいかないだろう」

 俺は箸を止めた。

「……別に、ゲームばっかりしてるわけじゃないよ」

「分かっている。だが、お前ももう二十五歳だ」

「知ってるよ」

「だったら――」

「父さん」

 思ったより強い声が出た。

 父が口を閉じる。

 俺は一度、息を吐いた。

「俺だって仕事してるし、生活費も入れてる。将来のことだって考えてないわけじゃない」

「それは分かっている」

「だったら、少しくらい好きなことをしててもいいだろ」

 父の眉が寄った。

 だが、怒鳴ることはなかった。

「……お前が心配なんだ」

 その一言に、俺は返す言葉を失った。

 父は続けた。

「最近、帰ってきても疲れた顔をしている。休みの日も部屋にこもっていることが多い。何かあったなら、話してくれてもいいだろう」

「…………」

 俺は俯いた。

 父は、俺が思っていたほど何も見ていないわけではなかったらしい。

 ただ、心配の仕方が少し不器用なのだ。

「あなた」

 母が静かに口を挟んだ。

「春樹も仕事で疲れているんだから、食事のときくらいゆっくりさせてあげましょう」

「……そうだな」

 父はそれ以上、何も言わなかった。

 俺も黙って食事を続けた。

 味噌汁は、いつもと同じ味だった。

 なのに、今日は少しだけ喉を通りにくかった。

     ◇

 午後十一時を過ぎた頃。

 俺は再びパソコンの前に座っていた。

 部屋の照明は落とし、机のスタンドライトだけをつけている。

 画面には、オメガの魔力回路の設計図が表示されていた。

「……ここだな」

 右腕の補助回路。

 問題は、加速時に胸部から供給される魔力が、一瞬だけ集中してしまうことだった。

 だから、流量を分散させる。

 腕部だけに負荷をかけるのではなく、肩と背部の補助回路を経由させ、必要な分だけを送り込む。

 それに合わせて、関節の駆動制御も調整する。

 作業を始めてから、すでに二時間以上が経っていた。

 だが、不思議と疲れは感じなかった。

 俺は最後の設定を保存し、テスト画面を開いた。

「……頼むぞ」

 模擬戦闘場に、青銀のオメガが現れる。

 人間の体に沿って装着された装甲が、淡い光を放った。

 胸部のエーテルコアが起動し、背中の四基の推進器が展開する。

 対するのは、王太子アドリアンのレガリア。

 黄金の剣を構えた白金の騎士が、静かにこちらを見据えていた。

『模擬戦闘、開始』

「行け!」

 俺は加速操作を入力した。

 オメガの脚甲から青白い魔力が噴き出す。

 装着者が地面を蹴る動作に合わせて推進器が作動し、機体は一気に距離を詰めた。

 レガリアが剣を振るう。

 俺は左へ回避。

 背部推進器の角度を変え、相手の側面へ回り込む。

「よし……!」

 オメガが右腕を引いた。

 魔力が肩から籠手へと流れ込む。

 昨日までなら、この瞬間に警告が表示されていた。

 だが。

『魔力循環、正常』

『右腕駆動機構、安定』

「……来た!」

 俺は思わず身を乗り出した。

 オメガの右拳が、レガリアの盾を打ち抜く。

 衝撃で黄金の騎士が後退した。

 続けて剣を抜き、青い光をまとった刃を振り下ろす。

『模擬戦闘、終了』

『勝者:オメガ』

「…………」

 一瞬、何も言えなかった。

 画面の中央には、勝利を示す文字が表示されている。

 オメガは両足でしっかりと立っていた。

 右腕も壊れていない。

 魔力回路も正常。

 俺はゆっくりと拳を握った。

「……やった」

 そして。

「よっしゃあああああ!」

 椅子から立ち上がり、両手を突き上げた。

「勝った! ついに勝ったぞ!」

 何か月もかけて作り上げた鎧。

 何度も失敗し、何度も修正した。

 そのオメガが、ようやく完成に近づいたのだ。

「……最高だろ、これ」

 俺は画面の中の青銀の騎士を見つめた。

 もし、こんな鎧を本当に着ることができたら。

 魔法の力で空を飛び、剣を振るい、自分の手で改良しながら強くなっていけたら。

 どれほど楽しいだろう。

 現実では、どう頑張っても手に入らないもの。

 だが、このゲームの世界には存在している。

「……いいよな、お前らは」

 俺は画面の中のキャラクターたちに向かって呟いた。

「魔法があって、こんな鎧があって……。しかも、学院には可愛い女の子までいるんだろ?」

 ……いや、最後の部分は別に羨ましくない。

 羨ましくないったら羨ましくない。

 恋愛なんて、もうこりごりだ。

 俺が欲しいのは、自由に機械をいじれる環境と、自分だけの鎧。

 それだけでいい。

「……もし、あの世界に行けたらな」

 思わず、そんな言葉が口から漏れた。

 その直後だった。

「……っ?」

 胸の奥に、奇妙な痛みが走った。

 最初は、ほんの小さな違和感だった。

 長時間同じ姿勢でいたせいだろうか。

 俺は胸元に手を当てた。

「……何だ?」

 だが、痛みは消えなかった。

 むしろ、次第に強くなっていく。

 胸を内側から強く締めつけられるような感覚。

 息を吸おうとしても、うまく空気が入ってこない。

「……う、そだろ……」

 額から冷たい汗が流れた。

 立っていられなくなり、机に手をつく。

 心臓が異常な速さで打っていた。

 まずい。

 これは、まずい。

 俺はスマートフォンを探した。

 机の端に置いてある。

 手を伸ばす。

 だが、指先が届く前に、膝から力が抜けた。

 ドサッ。

 床に倒れ込む。

「……っ、は……」

 声が出ない。

 呼吸が苦しい。

 視界の端が暗くなっていく。

 何が起きているのか分からなかった。

 ただ、自分の体が急速に動かなくなっていることだけは理解できた。

 ……嘘だろ。

 まだ、やりたいことがあるのに。

 オメガだって、完全には仕上がっていない。

 追加したい機能もある。

 新しい装甲も作りたい。

 それに。

 父さんと、さっき変な空気になったままだ。

 母さんにも、ちゃんと礼を言っていない。

 美咲の半年記念の話だって、もっと普通に祝ってやればよかった。

 そんなことが、次々と頭に浮かんだ。

 俺はもう一度、スマートフォンへ手を伸ばした。

 しかし、腕はほとんど動かなかった。

 ぼやけた視界の向こうで、パソコンの画面だけが明るく光っている。

 そこには、青銀のオメガが立っていた。

 まるで、俺を待っているかのように。

(……一度でいいから……)

 俺は、最後の力で目を開いた。

(……あんな鎧を、着てみたかったな……)

 魔法のある世界で。

 自分の手で、好きなものを作って。

 誰かに人生を決められることもなく、自由に生きる。

 そんな人生があったなら。

 今度こそ――。

 そこで、俺の意識は途切れた。

     ◇

 最初に感じたのは、柔らかな布の感触だった。

 次に、窓から吹き込む涼しい風。

 そして、誰かが俺の名前を呼ぶ声。

「……レオン」

 女性の声だった。

「レオンハルト……お願い、目を覚まして……」

 ……誰だ?

 聞き覚えのない声。

 だが、不思議と懐かしい。

 俺は重い瞼を開いた。

 ぼんやりとした視界に、見知らぬ天井が映る。

 木製の梁。

 白い漆喰の壁。

 窓から差し込む柔らかな日差し。

 ……病院?

 いや、違う。

 病院にしては、ずいぶん古風な部屋だ。

「……あ」

 声を出そうとして、違和感に気づいた。

 声が高い。

 まるで、子供の声だった。

「レオン!」

 次の瞬間、誰かが俺の手を握った。

 視線を向けると、一人の女性がベッドの横に座っていた。

 年齢は四十歳前後だろうか。

 長い栗色の髪を緩くまとめ、深い緑色の瞳をしている。淡いクリーム色のドレスには細かな刺繍が施されていたが、派手な宝石などは身につけていなかった。

 上品で、どこか優しそうな女性だった。

 彼女は俺の顔を見るなり、目に涙を浮かべた。

「よかった……! 本当に、よかった……!」

 女性は俺の手を両手で包み込んだ。

「三日も熱が下がらなかったのよ。お医者様も、今夜が山かもしれないって……」

 ……三日?

 熱?

 何の話だ?

 俺は混乱しながら口を開いた。

「……あの」

 すると、女性が心配そうに身を乗り出した。

「どうしたの、レオン? どこか痛む?」

 その声を聞いた瞬間だった。

 頭の奥に、知らないはずの記憶が流れ込んできた。

 大きな屋敷。

 緑色の庭。

 厳しい顔をした父親。

 優しい母親。

 二人の兄。

 そして、自分の名前。

 レオンハルト・ヴァイス。

 ……待て。

 何だ、これ。

 俺は思わず額を押さえた。

「レオン!?」

 女性が慌てて立ち上がる。

「誰か! お医者様を呼んでちょうだい!」

「ま、待ってください!」

 俺は反射的に叫んだ。

 女性の動きが止まる。

「……レオン?」

「大丈夫です。ちょっと、頭が……」

 俺は言葉を濁した。

 何が起きているのか、自分でも分からない。

 だが、一つだけ確かなことがあった。

 目の前の女性を、俺は知っている。

 ヘレナ・ヴァイス。

 この体の母親だ。

 そして、俺は――。

「……母上」

 自然と、その言葉が口から出た。

 ヘレナは目を見開いた。

 それから、安心したように微笑んだ。

「ええ。ここにいるわ、レオン」

 彼女は俺の額にそっと手を当てた。

「もう大丈夫よ。ゆっくり休みなさい」

 その手は、温かかった。

 俺は何も言えず、ただ彼女を見つめていた。

     ◇

 しばらくして、母が医者を呼びに部屋を出ていった。

 一人になった俺は、ゆっくりと体を起こした。

 まず、手を見る。

「……小さい」

 信じられないほど、小さかった。

 指は短く、手のひらも柔らかい。

 腕も細い。

 寝間着の袖から覗く肌は、前世の自分よりずっと白かった。

 俺はベッドから降り、部屋の隅に置かれた鏡へ向かった。

 そこに映っていたのは、一人の少年だった。

 年齢は八歳ほど。

 少し長めの黒髪に、灰青色の瞳。

 病み上がりのせいか頬は白く、細い肩にはゆったりとした白い寝間着が掛かっている。

 整った顔立ちではあるが、まだ幼さが強く残っていた。

「……誰だよ、これ」

 俺が呟くと、鏡の中の少年も同じように口を動かした。

 頬をつまむ。

「痛っ」

 ちゃんと痛い。

 夢ではないらしい。

 俺は鏡の前で固まった。

 そして、ようやく理解した。

「……俺、死んだのか?」

 最後の記憶は、パソコンの前で倒れたところまでだ。

 胸の痛み。

 息苦しさ。

 遠ざかっていく意識。

 あれが夢だったとは思えない。

 なら、今のこれは何だ?

 まさか。

「……転生?」

 口にした瞬間、頭の中で何かが繋がった。

 レオンハルト・ヴァイス。

 アステリア王国。

 ヴァイス男爵家。

 そして――。

「……『ターボナイト ~エターナル・ハーツ~』?」

 俺は思わず声を上げた。

 知っている。

 この名前を知っている。

 いや、知っているどころじゃない。

 何十時間も遊び、設定資料を読み、改造データまで作ったゲームの世界だ。

 レオンハルト・ヴァイス。

 確か、学院に登場する脇役の一人だった。

 主人公のソフィアと同じ学年に在籍しているが、物語の中心にはほとんど関わらない。

 王子でもなければ、天才魔導師でもない。

 特別な恋愛イベントもない。

 そして、ゲームの途中で学院から姿を消す。

 理由は――。

「……実家の借金」

 背筋が冷たくなった。

 そうだ。

 思い出した。

 ヴァイス男爵家は、領地の水害と復旧費用によって多額の借金を抱えていた。

 その影響で、レオンハルトは学院に通い続けられなくなる。

 ゲームでは、ほんの短い説明で終わっていた。

 だが、今の俺にとっては笑い話ではない。

「……ちょっと待てよ」

 俺はベッドに座り込んだ。

「せっかく異世界に転生したのに、借金持ちの貧乏貴族って……」

 しかも三男。

 家を継ぐ予定もない。

 特別な才能があると分かっているわけでもない。

 学院に入る前から、将来がかなり怪しい。

 ……おい。

 人生二周目までハードモードなのか?

 俺は両手で顔を覆った。

「……勘弁してくれよ」

 前世では恋愛がうまくいかなかった。

 仕事だって楽ではなかった。

 ようやく完成させたオメガも、結局はゲームの中にしか存在しなかった。

 それなのに、今度は借金まみれの男爵家の子供。

 ……いや、待て。

 俺は顔を上げた。

 確かに、この家は貧しい。

 だが、ここは魔法のある世界だ。

 そして。

 ターボナイトが実在する世界でもある。

 そのことを思い出した瞬間、胸の奥に小さな期待が生まれた。

 もし、あの鎧を本当に作れるなら。

 もし、前世で学んだ知識を活かせるなら。

 今度こそ、自分の手で理想のオメガを完成させられるかもしれない。

「……そうだよ」

 俺はゆっくりと立ち上がった。

「まだ、何も終わってないじゃないか」

 八歳。

 学院に入るまで、まだ何年もある。

 その間に、この世界の魔法を学べばいい。

 魔導技術を調べればいい。

 必要な知識と材料を集めればいい。

 そして、家の借金だって、何とかする方法を考えればいい。

 簡単ではないだろう。

 でも、前世の俺は、何もないところからオメガの改造データを作り上げた。

 何度も失敗して、それでも諦めなかった。

 だったら、今度も同じだ。

「……よし」

 俺は小さく拳を握った。

「今度の人生は、好きなことをして生きてやる」

 恋愛に振り回されるのは、もうごめんだ。

 誰かに認められるためだけに、無理をするのもやめる。

 自分の手で作り、自分の足で立ち、自分の好きな場所へ行く。

 それが、俺の新しい目標だ。

 そのときだった。

 窓の外から、低い風切り音が聞こえてきた。

「……ん?」

 俺は顔を上げた。

 次の瞬間、青空を一人の騎士が横切った。

「……え?」

 銀色の全身鎧。

 細身の兜。

 背中には二基の魔導推進器が取りつけられ、脚甲からは青白い光が噴き出している。

 鎧を身につけた騎士は、両腕を広げて姿勢を制御しながら、屋敷の向こうへ飛んでいった。

 その動きは、鳥とも飛行機とも違った。

 人間が、自分の体を使って空を飛んでいる。

 魔法と機械の力を借りて。

「…………」

 俺は窓に駆け寄った。

 騎士の姿は、すでに遠くの丘の向こうへ消えかけていた。

 だが、見間違えるはずがない。

 あの装甲の形。

 背部の推進器。

 脚部に刻まれた魔力回路。

「……ターボナイト」

 俺の声が震えた。

 本物だ。

 本当に存在している。

 画面の中でも、設定資料のイラストでもない。

 人間が身につけて動かす、本物の魔導甲冑。

 俺はしばらく窓の外を見つめていた。

 そして、思わず笑ってしまった。

「……ははっ」

 最初は小さな笑いだった。

 だが、次第に抑えきれなくなる。

「はははっ……! マジかよ……!」

 さっきまで感じていた不安が、少しだけ薄れていった。

 借金。

 貧乏貴族。

 学院からの退学。

 確かに問題は山積みだ。

 でも、それが何だ。

 目の前には、前世では絶対に手に入らなかった世界が広がっている。

 俺が何か月も夢中になって作り続けた鎧を、本当に完成させられる可能性がある。

「……待ってろよ、オメガ」

 俺は青空を見上げた。

「今度こそ、お前を本物にしてやるからな」

 もちろん、今の俺には金も技術も足りない。

 魔法だって、まともに使えるか分からない。

 それでもいい。

 一つずつ覚えていけばいい。

 失敗したら、原因を調べればいい。

 壊れたら、直せばいい。

 足りないものがあるなら、作る方法を考えればいい。

 そうやって、いつか。

 青銀の魔導甲冑《オメガ》を身にまとい、自分の力で空を飛ぶ。

 それが、俺の新しい夢になった。

 ……ああ、そうだ。

 もう一つ、大事なことを忘れていた。

「……恋愛だけは、絶対にしないからな」

 俺は真剣な顔で呟いた。

 前世では、散々な目に遭った。

 今度こそ、平和で自由な人生を送ってやる。

 王子だの、貴族令嬢だの、恋愛イベントだの。

 そんな面倒なものには近づかない。

 俺はただ、好きなものを作って生きたいだけなのだ。

 そのとき、廊下から足音が聞こえた。

「レオン? 起きているの?」

 母の声だった。

「はい、母上!」

 俺が返事をすると、扉の向こうで安堵したような声がした。

「お医者様がいらっしゃったわ。少し診てもらいましょうね」

「分かりました!」

 俺は窓から離れ、ベッドへ戻った。

 まだ八歳の体だ。

 無理をして倒れるわけにはいかない。

 まずは、この世界のことを知ろう。

 家族のこと。

 領地のこと。

 魔法のこと。

 そして、ターボナイトのこと。

 やるべきことは、いくらでもある。

 俺は小さな手を握りしめた。

 二度目の人生。

 今度こそ、後悔しないように生きてやる。

 たとえ俺が、この世界では名前も知られていないようなNPCだったとしても。

 運命なんて、誰かが決めたとおりに進むとは限らない。

 少なくとも、俺はそう信じたい。

 ――こうして、俺ことレオンハルト・ヴァイスの新しい人生が始まった。

 後に俺は知ることになる。

 この世界で本当に厄介なのは、貧乏でも、魔法の勉強でも、ターボナイトの開発でもなかったということを。

 それは、俺が二度と関わりたくないと願った、あの面倒なものだった。

 そう。

 恋愛である。

 ……いや、本当に勘弁してくれ。

この章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。


楽しんでいただけたなら幸いです。もし何か感想や意見、あるいは単に物語の展開に対する感想などがあれば、ぜひお聞かせください。皆さんのコメントは、物語をどのように受け止めていただいているかを知る上で大変参考になりますし、私自身も作家として成長していく上で大きな励みになります。


もしこの物語が評価に値すると感じていただけたら、ぜひ評価をお願いします。


この章を読んでいただき、心から感謝申し上げます。

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