1話 遅刻魔と発光男子
抜き足、差し足、忍び足......
『斉藤朔弥』と自分の名前が書いてある上靴。
真っ白とは言えないそれを手に持った俺は、靴下のまま一年生の教室に向かっていた。
教室のある方向からは、朝のホームルーム中の先生の声が聞こえる。
ちょっとでも気を抜くと音が響く学校の階段を、俺は上り始めた。
(誰もいねぇよな......? 遅刻バレたらマジでヤバい......)
2階に出る直前に息を殺した。階段の壁にへばりついて様子を窺う姿は、側から見ると滑稽だろう。
でも仕方がない。見つかるわけにはいかないんだから。
廊下に誰もいないことを確認して、俺はサササッと3階へと向かう。気持ちは忍者だ。現実はノロノロだけど。
踊り場に差し掛かると、壁にあるでっかい鏡が目に入った。するとそこには、ボッサボサの頭をした男が一人。
もちろん、俺だ。
「寝癖ヤベェ」
自転車を爆漕ぎしてきたのが徒になった。
十月だってのにまだ普通に暑いから汗だくだし、清潔感のカケラもない。
俺は少しでもマシにしようと、手櫛で髪を抑える。髪のボリュームで目立ったら本末転倒だ。
ヨレヨレのワイシャツも少し気になったけど、見なかったことにしよう。
改めて階段を三階まで上り切った俺は、絶対に窓ガラスに映らないように身を屈めた。
あと一息だ。
そう思ってそーっと足を踏み出した、その時。
「斉藤?なんで隠れてるんだ?」
急に後ろから話しかけられた!
「......!!!!!」
俺は声にならない声を上げる。
驚きのあまり音が喉に引っかかってくれて、本当に良かった。
バクバク鳴る心臓の音を聞きながら、俺は振り返る。
俺を見下ろしているのは、涼やかなイケメンだった。
見覚えしかないそのイケメンは、心底不思議そうな顔で首を傾げ、俺の真後ろに立っている。
「......っ、あ、朝日川......くん......」
危ない。呼び捨てするところだった。
前髪を横分けにした涼やかな髪型のイケメンの名前は、朝日川宝。
同じクラスのいわゆる一軍男子だ。
一軍ってすごい。
なんかもう、見た目はもちろん名前までキラキラしてる。
斉藤なんて普通の名前の俺とは大違いだ。
話したこともない発光男子を前に、俺はずっとうるさい胸を押さえた。
「あー......びびった......」
本音が口から滑り出てしまう。
朝日川は俺の態度も言葉も全く気になさらないらしい。ズイッと近づいてきて、同じ言葉を繰り返した。
「なぁ、なんで? なんで隠れてるんだ?」
うわ、顔近い! そして顔がいい!
てか、汗の匂いしないぞ。いい匂いするなんだこれ!
あまりの距離の近さにビビった俺は、しゃがんだまま後ずさりする。声をできる限り小さくして、ボソボソ喋った。
「な、なんでって......遅刻したからだよ。あわよくば見つからずに教室に忍び込みてぇんだ」
「斉藤、遅刻魔だから叱られるの気にしてないと思ってた」
朝日川は俺につられて声量を落とした。わざわざ床に膝をついて、ヒソヒソと問いかけを続けてくる。
曇りなきまなこだ。
俺は「どうせ遅刻魔ですよ」という言葉を飲み込んでため息を吐いた。
「叱られるのは嫌に決まってんだろ。めんどくせぇ」
「そりゃそっか」
「朝日川くんは? 遅刻なんてするタイプに見えねぇけど」
「アサでいいよ。俺は自転車がパンクしちゃってさ。家の最寄駅まで歩く羽目になったから間に合わなくて......先生には連絡済み」
初会話でサラッと愛称呼びの許可をくれた朝日川は、肩をすくめて軽く笑う。
うーん、爽やかだ。
明るい声色とか、細くなった目元とか、唇から覗く白い歯とか、第二ボタンまで開けたワイシャツからチラつく首筋まで。
遅刻した理由を話してるのに爽やかだ。
緩く着こなした制服も、俺と同じものを着てるはずなのにオシャレに見える。
「アサ」なんて、一軍たちが呼んでる愛称で俺が呼ぶわけにはいかない。
俺は眩しいイケメンを浴びながら、教室の方を指差した。
「正当な理由があるなら、隠れてないでさっさと行ったらいいだろ」
「そうだな、もう行くけど......斉藤、先生に見つからないで教室に入る方法があるのか?」
「ある。先生が黒板向いてる隙をついたり......じゃなくて、俺に構ってないで先に行けって」
「んー......あ!」
朝日川はポンっと手を打った。
デカい声を出さないでくれ! とツッコむ前に両肩を掴まれる。
満面の笑顔が、また至近距離まで近づいてきた。
「俺、いいこと思いついたぞ」
「んえ?」
「あのさー」
耳元に口が寄せられる。
息がかかって、朝日川が普段より低音で喋る度に背中までくすぐったい。
でもヒソヒソ話の内容を聞くと、くすぐったさがどこかに飛んでいった。
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