第98話 ミルバーシュの背後にいる強大ななにか
……ティアに敗北したミルバーシュさんはイルーラ姫殺害を依頼した者を教えてくれた。
依頼主の名はベルミゲイロ。イルーラ姫の姉で、同じく王女様だ。
それを聞いたルナリオ様はミャームを連れて城へと戻り、残った俺たちはとりあえずハシュバントさんの家へと入った。
「なんか大変なことになっちゃったね」
イスに座った俺は、暗い雰囲気の中で一声を発する。
まさか王女様殺害を依頼したのが同じ王女様だったとは。
理由は知らないが、殺そうとするなんて姉妹なのにひどい話である。
「この国にとっては重大事じゃが、ナナたちには関係の無いことじゃ」
そう冷たく言いつつナナちゃんは俺の膝に座る。
「こらクソガキ、なぜお前がそこへ座る?」
と、ティアが怒気を含んだ声で言うと、
「ここはナナの指定席じゃ」
ナナちゃんは冷静な声音で言葉を返す。
「違う。どけ」
「嫌じゃ」
「どけ」
「嫌じゃ」
「やさしく言ってるうちにどけ。どかないと拳骨食らわすぞ」
「にーにはナナのじゃ。絶対に離れんぞ」
「むきーっ! 勝手にお前のにするなっ! どけこのガキ女っ!」
両手足でがっしり抱きついてくるナナちゃんをティアが引っ張る。
以前にもあった光景だ。
あのとき喧嘩してティアは村へ帰ってしまったと思っていたが……。
「テ、ティアっ」
「ちょっと待って。今このガキどかすから」
「あ、いや……その、ナナちゃん」
「うん?」
ポンと頭を撫でると、こちらを見上げるナナちゃんは察したように頷いて俺の膝から離れた。
「ティア、ごめんな。俺が悪かったよ」
「えっ?」
「お前のこと馬鹿力とか、加減しろとか言ってさ。いつだってお前が手加減してたのはわかってたんだ。それなのにあのときはカッとなって……。ごめんな」
「マオ兄さん……」
「俺がよわっちいってのも本当だよ。俺なんて町のチンピラに殴り倒される程度さ。さっきだってお前がいてくれなきゃシャオナは死んでいたかもしれない。助けてくれてありがとな」
心配してずっとついて来てくれていた。それが本当にありがたい。
「うん。でも、助けたのは……」
「ありがとうございますっ!」
不意に大声でシャオナは礼を叫ぶ。
「あなたのおかげで殺されずに済みましたっ! 怖い人だと思ってましたけど、本当はやさしい人だった……」
「女が私に礼を言ってんじゃねぇ!」
「ぐびょんっ!?」
ティアの右足が蹴り上がりシャオナの顎下を打つ。
天井すれすれま吹っ飛んだシャオナの身体が地面へ背中から落ちた。
「ぐはーっ! 痛い……」
しかしもちろん手加減はしたのだろう。本気ならたぶん頭が粉々だったろうし……。
「女に礼を言われるなんて吐き気がするっ! 今度言ったら殺すからなこの乳牛がっ!」
「さ、さっきは助けてくれたのにぃ……」
「助けたのはマオ兄さんの心だ。お前なんかのせいでマオ兄さんの綺麗な心を傷つけられたくないからな」
「ティア……」
そんなに俺のことを思ってくれて……。なんて友情に厚い奴なんだ。しかしそうだからと言って、蹴るのはダメだと思う。
「ひえーっ! やっぱむっちゃ怖い人っ!」
「私を見て話すな! 気分悪い!」
「えっ? あ、じゃあ目を逸らして……」
「人と話すときは目を見ろ! 不愉快だ!」
「ど、どうしろと……」
「死ね」
「あーんっ! やっぱこの人、怖いですーっ!」
這うように走って来たシャオナが俺の背に隠れる。
「マオ兄さんに近づくんじゃねーっ! マジで殺すぞこの乳牛がっ!」
「も、もういいだろティア。怖がってるし……」
「まあ殺したほうがいいと言うのはナナも賛成じゃがの」
「そんなーナナちゃんまでひどいですよーっ」
「ナ、ナナちゃん……」
ただの悪口という風ではない。真面目な様子でナナちゃんは言っていた。
「シャオナは危険じゃ。殺したほうがよい」
「でも、もう傭兵には狙われてないし大丈夫だよ」
「ふん。変には思わなかったかの?」
「えっ? 変って……」
「顔を晒していたわけではないのに、なぜミルバーシュは仮面の中身を知っておったのか」
「あ……」
確かに言われてみれば変だ。
人前ではずっと仮面を被っていた。それなのにミルバーシュさんは中身を知っている様子だった。
「それにミルバーシュは『仕事の後処理』と言っておった。これはつまり本来の仕事である王女の殺害を終えていたと考えられるのではないかの」
「だ、だったらどうして偽物のシャオナを殺そうなんて……」
「殺し損ねた偽物が万が一にも本物を騙って現れたら厄介だからじゃろう。じゃがこれはそんなに重要じゃない。重要なのはミルバーシュに偽物がここにいることを教えた存在のことじゃ」
「誰かがミルバーシュさんに教えたってこと? でも誰が? なんのために? そもそもシャオナがイルーラ姫の偽物ってことを知ってたのは俺とナナちゃんと……あとはハシュバントさんやエミーリア様やルナリオ様、あとはセルバートさんか。まさかハシュバントさんが……」
なにも見なかったことにしてくれるとは言ってたけど、もしかしたら娘のミルバーシュさんにだけは話してしまっていたのかも……。
「それは無いじゃろう。この家にミルバーシュがおったのはナナたちが来た最初の日だけじゃ。ハシュバントおじさんが話していたならば、あのときにミルバーシュがなにもしなかったのはおかしい。知っていたならば本物と勘違いして殺害に動いていたはずじゃ」
「あ、そうか」
「今日に知ったエミーリアおばさんやルナリオ、セルバートでもない。それ以外の誰かじゃ」
「でも、他に知ってる人はいないんじゃないかな?」
少なくとも俺が考える限りでは他の誰かを思いつくことはできなかった。
「可能性の低いものから高いものまで考慮すればいくつか思い当たることはある。例えば何者かが偶然にこの家の中を見てしまい、シャオナの素顔を知ったその者がたまたまミルバーシュにそれを伝えたとかの」
「それは無さそうだね」
「うむ。それにこんなありえない理由ならもう危険は無い。考えるべきは、危険がまだ終わっていない可能性のほうじゃ。最悪の可能性をの」
「最悪の可能性?」
「考えたくはないがの、想定しておけば最悪が当たったときに冷静でいられるんじゃ。想定外じゃと冷静さを失って危険が増すからの」
「なるほど」
さすがナナちゃんだ。頭を使うことに関しては頼りになる。
「それでそのナナちゃんが考える最悪の可能性ってなに?」
「それはミルバーシュに話を聞いたあとでいいじゃろう。まずはミルバーシュにシャオナの居場所を教えた何者かを知らねばならぬ」
「あ、そうだね」
ミルバーシュさんは気を失ったハシュバントさんを連れて寝室へと行った。先にルナリオ様が目を覚ましてずいぶん経ったし、そろそろ目覚めているかもしれない。
「じゃあちょっと話を聞きに行ってみようか」
「うむ」
と、伸びてきたナナちゃんの手を掴もうとすると、
「こら、なに当たり前のようにマオ兄さんと手を繋ごうとしてるんだガキ女」
繋がれようする手のあいだを手刀で割ってティアが阻んだ。
「いつもしていることじゃ」
「ぐっ……けど、今後はゆるさんからな」
「ふん、だからティアを側に呼ぶのは嫌だったんじゃ」
「てめえ、マオ兄さんと触れ合いたいからって、私に気付いてて知らない振りしてやがったな」
「聞かれなかったから、なにも言わなかっただけじゃ」
「こいつ……はっ!? もしかして私の目が届かないところで、こいつもっとすごいことをマオ兄さんにしてたんじゃ……」
こちらを振り向いたティアと目が合い、俺はほぼ無意識に顔を逸らす。
こういうときナナちゃんみたいにどんなときも平静な顔でいられたら便利なんだろうなと咄嗟に思う。
「一緒に風呂へ入ったのじゃ」
「一緒に風呂っ!?」
「あ、私も一緒に入りましたよー。そこでマオルドさんに……きゃー言えないですっ!」
そう言ってわざとらしくシャオナは両手で自分の大きな胸を覆う。
「ま、まさか風呂でそいつの胸に……」
「い、いやなにもしてない……って、こともないんだけど……」
目を瞑っていたから見てはいないけど、たぶんおっぱい揉んだし……。
「ナナは裸でにーにに抱きついてたのじゃ」
「うんまあ……そうだね」
完全に事実なので微塵も否定できない。
「なんてことだ……」
話を聞いていてなにを思ったのか、ティアは頭を抱えて蹲ってしまう。
「私が側を離れたばっかりにマオ兄さんが淫乱女たちに汚されてしまった……」
「よ、汚されたって……むしろ俺のほうが汚した気がするんだけど」
わざとじゃなくてもエッチなことしちゃったしなぁ。
「ティア?」
声をかけるとティアは立ち上がり、腰の剣を鞘から抜き放つ。
「この女ども2人を殺して罪を償わせよう。うん。罪は罰を受けて償わなきゃダメだしね」
「ひえーっ!」
悲鳴を上げるシャオナだが、ナナちゃんはいつも通り平気で静かな表情をしていた。
「ま、まてまてそんなことしちゃダメだ」
あいだに入ってティアを止める。
「でも……だってだってこいつらのせいでマオ兄さんの純潔が散らされてしまったんだよ」
「いや、散らされてないから……」
俺は2人になにをされたと思ってるんだこいつは。
「シャオナのは事故でちょっと触れちゃっただけで、そんなつもりはなかったんだ。ナナちゃんのはちっちゃい子の悪戯みたいなもんだよ。さっきの口づけだってティアを呼ぶためにしただけで、エッチなことをするつもりじゃ……ん?」
あれ? そういえばなんで口づけをする必要があったんだろう? というか、なんでティアはあんなに怒りながら出てきたんだ?
「なんで俺がナナちゃんに口づけされたらティアが怒って出てきたんだ? 今までぜんぜん姿を現さなかったのに」」
「えっ? それは……その」
頬を赤くしてティアは俯いてしまう。
「どうした? なんか顔が赤いぞ」
「い、いやあの……ちょっと暑いじゃん」
暑いかな? まあ暑くないこともないか。
「キスとか、は、破廉恥だしダメかなって思って」
「お前そんなこと気にする奴だったっけ?」
「気にするよ。乙女だし……」
乙女かな? まあ乙女でもいいか。
「こんな小さな子のキスに破廉恥もなにもないだろ? 単なるスキンシップだよ」
「でも女じゃん」
「いやまあ女だけど……子供だよ」
「子供でも女じゃん」
「女でも子供だよ」
「子供でも女じゃん」
「女でも……って、永久に続ける気かこのやり取り」
馬鹿馬鹿しい。
「のう、いつになったらミルバーシュへ話を聞きに行くのじゃ?」
「あ、ああうん。そうだったね。ごめん。行こうか」
ふたたびナナちゃんと手を繋ごうとするが、
「手を繋ぐなんて破廉恥―っ!」
またしてもティアによって防がれた。
「手を繋ぐだけだよ」
「でも破廉恥じゃん」
「手を繋ぐだけだよ」
「でも破廉恥じゃん」
「手を繋ぐ……って、またかよ。ああもうわかったよ」
なにが破廉恥かはわからないけど、手を繋ぐことは別に重要じゃない。
手は繋がず、俺はハシュバントさんとミルバーシュさんがいる部屋へ向かう。
「にーに」
「うん?」
呼ばれて見下ろすと、膨れた顔がこちらを見上げていた。
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