45・偏食
深陽とニーナの会合は四日続いた。
内容はいつも変わらず、どこぞのグループでコンロが足りないという意見があるだの、部屋の温度調節をする機器の調子が可笑しいだの、段ボールが欲しいだの、そういう意見をノートに纏め、その下に解決策と実際に解決したかなどを書く。実際に見に行ってなるほどコンロが三つでは回らなそうだと確認しに行くこともあったが、ほとんどが二人が机に向かい合って作業をする酷く地味な日々だった。
深陽はそのことに不満があるわけではない。地味ではあるが大切な仕事だと思うしやりがいも感じている。書き溜めたものを後になって見返すと頑張った感じがして好ましいと思ってすらいる。
不満があるとしたら、このクラスメイトの──
「ニーナ。お昼くらいちゃんと食べた方が良い」
──食生活だ。
四日目の昼休み、深陽はとうとうお節介を口にした。
眼前でシェイクのストローを口に含む少女──ニーナは、喧騒に掻き消されそうな声量で「朝、食べ過ぎた」と四回目の常套句を述べた。
「本当に?」
「本当」
「なに食べたんだ?」
一瞬、間がある。
「ハアングァヴァ」
「なら、それは嘘だ。今日あのキッチンカートはお休みだった」
「俺も朝よく食べるから」と、責めるような心配するような眼差しを向ける深陽に、その視線の先にいるニーナはストローから唇を離した。
「……別に良いでしょ」
「よくない。あと、そのシェイク俺も飲んだけど、栄養飲料じゃないか。それはご飯には入らないと思う」
バニラシェイク──否、魔界産栄養補助水ヴァリルァシェックス。
人界で例えるとモンスターなエナジーなあれとか、翼を授ける効果のあるそれに近いものであり、間違っても食事の代わりにするべきものではないことを「そんなにバニラシェイク好きなのかな」と一口飲んで吹き出しかけた深陽は昨日知ったのだ。因みに、味はほぼ食塩水と変わらなかった。
子供に愛情を惜しみ無く注ぐ親のもと育った深陽の食生活は、母の仕事の関係でたまに外食になることはあってもバランスの良い食事を心がけるよう言われていた。そうでなくとも、朝も昼も夜もとにかくきちんと食べることが己のパフォーマンスに深く関わることになると学ばせられている。
この島に来てからもそれは変わらない。ハンバーグ定食を口にする自分の目の前でニーナが栄養飲料のみで食事を済ませているのを見ていると、さすがに口を出さないわけにはいかなかった。
──初めて食堂で会ったときはちゃんと食べてたからたまたまかと思ったけど、四日連続はもう偶然とかじゃないよな……。
ニーナの言葉を待ちつつそう思案する深陽のことを、面倒臭そうな視線が捉えた。ここ数日で慣れ親しんだやや荒れた唇が小さく開かれる。
「イカリ・ミハル」
相も変わらず他人行儀にはフルネームを唱える彼女に、まばたきで続く言葉を促した。
「私たちは、ただ同じ係になっただけのクラスメイト」
「……そうだな」
冷たい台詞に苦く思って、ほんのすこし遅れて相槌を返す。
「友達でもない人にそういう余計なことをするのって、あんたの故郷じゃ普通のことなの?」
「普通うんぬんは考えてない。俺が、ニーナを見ていて心配だから余計なことをしている」
普段からしかめられてる眉間が寄るのに構わず、「もしこれが」と間髪入れずに言葉を継ぎ足して、
「君の故郷では友達にしか許されないことなら、俺はニーナと友達になりたい」
そう、言った。
「あ、いや、そうでなくとも友達になりたいけど」と心の中でだけ補足して、深陽は彼女の返事を待った。
ニーナというこのクラスメイトと自分の間にある壁は、扉もなければ透けてもないし、分厚く頑丈で、そしてひやりと冷たい。
けれど深陽は、それを苦に感じたことは無かった。嫌な子だなと離れたり、乗り越えたり打ち破ったり出来ないことを理解して背を向けたりもしたくない。
別に、壁があるままでも、彼女に向かって声を届けることはできるし、彼女も壁越しに声を届けてくれる。
それでいい。深陽が望むことは、少し空いている壁の隙間から目を覗かせ、合わせて、そして手を振ったときに振り返してくれるような関係だった。
友人を作ることを恐れて引っ込む右足とは、あの日地の下から這い出たときに決別した。このやり方が合っているのかもわからないし、踏み込んだ右足を疎ましく思われて刃を突き立てられるかもしれない。
そうだとしても、ここで引いたら深陽はどこに行ってもなにが遇っても何も学ばないような人間ということになってしまう。だから引くわけにはいかないのだ。
そんな小さな覚悟に対して、彼女の反応は、あまり良いものとは言えなかった。
銀行で詐欺師に擦れ違ったような訝しげに曲がった唇と疑いに寄った眉間、そして困惑を乗せた目をして、少しの間口にストローを運ばなかった。
やがて。
ぽつ、と水滴が落ちるように、机上に返答が降った。
「……好き嫌いが」
「すききらい?」
「…………多いだけ」
「すききらいが、おおい……」
復唱する深陽。
──……同い年くらいだよな……?
食べ物に関してほぼ好き嫌いの無い彼が彼女の子供染みた台詞に呆気に取られて口を開けると、ニーナは唇をぎゅうと閉じて──あるいは歯をぐぅと食い縛って──、堪えられないというように勢いよく立ち上がった。
「帰る」
「まだ授業あるぞ」
「教室に帰るの」
「違う落ち着いてくれニーナ、子供みたいな理由だなとか思ってないから」
「ついてこないで」
素直すぎる口が余計なことを言っていることに気付かない深陽は、立ち上がり競歩のごとき動きでスタスタと出口へ向かうニーナに追い縋った。
「そうか好き嫌いが多いのか、何が嫌いなのか訊いてもいいだろうか」
「なんであんたに教えなくちゃいけないの」
「知りたいからだ」
「どうして」
「それは、ほら、卵アレルギーだったのにうっかりパンケーキとかあげたりしたらまずいだろうから」
「アレルギーじゃない。嫌いなだけ。数えたらキリない」
出口を出て廊下へ、人波をするする避けるニーナに反し深陽は何度も人とぶつかりながらも足と口を止めない。
「じゃあ好きなものは?」
「ない」
「ひとつも?」
びた。食堂からある程度離れたためまばらになった人混みの中、ニーナが足を止める。側を通った生徒が急に立ち止まった彼女に驚いたような顔をしつつ避けていったとき、赤毛を揺らしながら白い肌が深陽の方を振り返る。
「うるさい」
「…………コホン、……好きなものはひとつもない……?」
「小声になれって意味じゃないっ」
苛ついたように少し荒れた口調に、深陽はすぼめていた口を元に戻して、「ごめん」と謝った。それにまた少女の眉が寄る。
「あんた、うざいよ」
「……、ごめん」
「謝るくらいなら無駄に関わらないで。巡録の仕事をちゃんとしてくれるなら私はそれで十分だし、それ以上は要らない」
拒絶するように腕を払う仕草をするニーナ。
赤色の前髪の向こう、ブラックベリーを潰して溶かし混んだ双眸が睨みつける。──ああ、本当に拒むときの目だ、深陽の経験がそう告げる。
──でも引きたくない。
擦れ違う生徒たちが、はためくローブが、靴音が。廊下の真ん中で立ち止まって睨み合う深陽とニーナを視界に納めては外すを繰り返す。それを意に介さず、深陽はただ、どうしたら彼女に答えてもらえるかを思案した。
──彼女は、ニーナは。
──人界ではなく、魔界の出身で。
──『魔法使い』。
代償という言葉が、頭蓋内を掠める。
「……あ」
そうだ、と、授業で習った一つの法則を思い出す。
使用する魔法には相応の代償がある。それは主に体内にある魔力。そして精神、知識、技術。しかし自分に不相応な魔法を使おうとすれば身を滅ぼし、あるときは形を異質なものに変え、あるときは心を汚染する毒になる。
要は──価値の等しいものを差し出すことから、健全な魔法は始まるということだ。
つまり。
「──俺は甘いものが好きだ」
繋がった思考が弾き出した言葉に、
ニーナが「は、?」と口を開けた。
「しょっぱいものも好きだ。ポテチとか。あと辛いものも辛すぎなければ好きだ」
「なんの話……」
「酸っぱいのは……うーん、あまり得意ではないかもしれないな……。梅干しなら、うん、まぁ大丈夫……。あぁそれと、母に咎められるから内緒なんだが、ジャンクフードがこれまた美味しく感じてしまって。こっそり夜中に食べたことがこれまで五回ほどある」
つらつらと深陽が話す内、彼が求めんとしていることを察したのだろう。ニーナは不審そうな表情を再び苛立ち方面に寄せた。
「……私、うざいって言ったんだけど」
「うざくて大丈夫だ」
「好意も気遣いも要らないの」
「うん、わかってる」
「…………、」
ひくりと目尻を歪めて、踵を返す後ろ姿。その後を怒ったようにぶんと舞った髪が着いていく。
──ダメだったか。
と、深陽が肩を落とした直後。
「──水」
「……?」
「水と、魚介類。あとはだいたい嫌い。特に獣の肉と野菜は最悪」
嫌悪を乗せた声は、徐々に遠ざかりながら発せられていたが、確かに深陽の耳に届いていた。それが彼女の答えなのだと理解する頃、赤毛が広がる黒い後ろ姿は他の生徒と混ざって消えてしまっていた。
一人残され、しばし硬直していた深陽は、取り合えず食堂でシーフード系のメニューを取り扱っている店舗を探すことを心に誓った。




