プロローグ
西暦2126年、5月
「ハァ……、ハァ……」
少年は一人、暗闇の中を走っていた。すでに息は絶え絶えで、患者衣のような服はところどころ擦り切れていた。
「出来るだけ、もっと…、遠くに…」
何時間走り続けただろうか、どれほどの距離を走っただろうか。そんなことは今、この少年、一之瀬日玖李にとって些細な問題であった。彼は今、自分のいた、正確には、『収容』されていた施設から逃走中である。真夜中に発生した爆発、その混乱に紛れて、彼は施設を脱出してきた。
ここは佐賀県のとある土地にある『幻素』についての調査・実験を行う研究機関だ。『幻素』とは、自然界に存在が確認された、精神エネルギーだ。1世紀前の世界大戦中に突如として発見され、以来、多くの国や機関が総力を上げて性質の解明などの研究を行っている。一之瀬が収容されていた施設も
――――非合法ではあるが――――そのうちの一つである。
彼がいた施設は、脱走を防ぐために周囲を電気柵で囲われているが、爆発でシステムがダウンし、電流が止まったことで、難なく脱出することができた。そして、柵を越えるとすぐに深い森に出るが、整備されてないうえ、暗闇のために足をツタや雑草に絡められ、樹木の枝に引っ掛かり顔を傷つけてしまった。
そんな傷を負うことを、当の本人は気にも留めていない。自分の後ろから迫っているより大きな脅威を振り切ること、それだけが彼の脳内を支配している。
「爆発の混乱で…僕を追っかけてきている人はまだ少ないはず…。だから、もっと…」
実際、彼が逃亡してきた方では施設の人間が消火活動をしているが、逃げ出した少年を捜索する人間は、一人もいない。
かねてより非人道的な研究を行ってきている施設であるため、被験者の命など完全に無視しているのでだろう。むしろ設備の復旧の方に人手を回す。そう、一之瀬も考えた。そのため、遠くまで逃げてしまえば安全だと、そう思っている。
しかし、それは今だけの話。彼の中に眠る強大な力について、彼自身もまだ、知らない。彼の持つ力がある限り、あるいは彼の身体から『幻想の源』が流れ出ている限り、何度振り払っても必ず脅威となるものは現れる。これは、その一つに過ぎない。
これより始まるのは、少年少女が世界の『夢』と『幻想』に対峙する物語。




