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午前三時のレジ打ち

 そのコンビニは、地図に載っていない。

 少なくとも、正式な店舗一覧には存在しない。

 だが、夜道を歩いていると、ふとした曲がり角の先に、蛍光灯の白い光が滲んでいることがある。見慣れた配色の看板、ガラス張りの自動ドア、均一に並んだ雑誌と飲料棚。

 どこにでもある、二十四時間営業の店。

 ただひとつ違うのは、午前三時ちょうどになると、レジが鳴ることだ。

 客がいなくても。


 その噂を最初に聞いたのは、大学の友人からだった。

「深夜にさ、帰り道で見つけたんだよ。見たことないコンビニ。腹減ってたから入ったら、レジに誰もいないのに、ピッて音がしてさ」

 友人は笑いながら言った。

「バーコードも通してないのに、合計金額が表示されるんだ。三三三円って」 

 ちょうど、三時〇〇分。

 表示は、三三三円。

 冗談だと思った。

 だが、友人はその一週間後、事故で死んだ。

 単独事故だった。深夜の高架下で、ハンドル操作を誤ったとされている。

 死亡推定時刻は、午前三時前後。

 私は、その話を忘れられなかった。


 社会人になり、終電を逃す日も増えた。

 ある夜、会社を出たのは午前二時半。タクシーを拾うには微妙な距離で、私は人気のない住宅街を歩いていた。

 空気は湿り、遠くで犬が吠える。

 曲がり角をひとつ曲がると、白い光が目に入った。

 コンビニ。

 こんな場所に、あっただろうか。

 看板は見慣れた色合いだが、店名が妙にぼやけている。読もうとすると、焦点が合わない。

 ガラス越しに見える店内は、整然としている。棚はきちんと補充され、床も光っている。

 時計を見る。

 午前二時五十七分。

 喉が渇いていた。

 私は、自動ドアの前に立つ。

 ウィン、と機械音がして、扉が開く。

 冷房の冷たい空気が、頬を撫でる。

 店内に、客はいない。

 レジカウンターにも、店員の姿はない。

「すみません」

 声をかけるが、返事はない。

 奥の事務所らしきスペースも、電気がついているのに、気配がない。

 妙だ。

 だが、棚の商品は普通だ。ペットボトル、弁当、カップ麺、雑誌。

 弁当の賞味期限も、今日や明日の日付だ。

 私はペットボトルの水と、おにぎりを一つ手に取る。

 レジへ向かう。

 午前二時五十九分。

 カウンターに商品を置く。

 店員はいない。


 そのとき。


 ピッ。


 バーコードリーダーの音が鳴った。

 誰も、商品を通していない。

 私は息を呑む。

 レジの液晶画面が、ゆっくりと点灯する。


 合計 333円


 背筋が冷える。

 まだ三時ではない。

 時計を見る。


 二時五十九分五十七秒。


 五十八。


 五十九。


 三時〇〇分。


 ピッ。


 ピッ。


 ピッ。


 立て続けに、三回。

 レジのドロワーが、ガシャン、と開く。

 中には、札も硬貨も入っていない。

 ただ、黒い空洞があるだけ。


「お会計、三三三円です」


 背後から声がした。

 振り向く。

 そこに、店員が立っている。

 いつからいたのか。

 年齢も性別も曖昧な顔。コンビニの制服を着ているが、名札は白紙。

「……あの、いつの間に」

「三三三円です」

 抑揚のない声。

「払わないと、出られません」

 私は財布を取り出す。

 千円札を出そうとして、手が止まる。

 財布の中に、三百三十三円ちょうどが入っている。

 百円玉三枚、十円玉三枚、一円玉三枚。

 こんな端数、持っていただろうか。

 指先が震える。

「払わないと」

 店員が一歩近づく。

 顔が、蛍光灯の下で青白い。

 私は硬貨を、レジの中へ落とす。

 チャリン、と音がするはずだ。

 だが。

 音はしない。

 硬貨は、闇に吸い込まれるように消えた。

 ドロワーが、ひとりでに閉まる。

「ありがとうございました」

 店員は、深く頭を下げる。

 私は商品を掴み、出口へ向かう。

 自動ドアが、開かない。

 ガラス越しに、外の景色が見える。

 だが、さっきまでの住宅街ではない。

 真っ暗な道路。

 信号機は点滅している。

 どこかで、サイレンが鳴っている。 

「まだ、終わっていません」

 背後から店員が話しかけてくる。

「三三三円は、入店料です」

 心臓が跳ねる。

「では、出るには?」

「お買い上げいただいたものを、お召し上がりください」

 私は手元のペットボトルを見る。

 ラベルのロゴが、歪んでいる。

 おにぎりの包装に、具の表示がない。

「早く」

 店員の影が、床に長く伸びる。

 私は、ペットボトルの蓋を開ける。

 中身は、水ではない。

 黒い液体。

 鉄の匂い。

 おにぎりを開く。

 中身がない。

 空洞だ。

「食べないと」

 店員の顔が、近い。

 目が、黒く塗り潰されている。


 そのとき。

 店内放送が流れる。

 ポーン

「ただいまの時刻は、午前三時三分です」

 無機質な女性の声。

 午前三時三分。

 三三三。

 友人の顔が、脳裏に浮かぶ。

 あの日、彼も払ったのか。

「三分以内に、完食してください」

 時計を見る。


 三時三分。


 まるで、まだ会計が終わっていないと告げるように。

針が、逆回転し始める。


 三時二分五十九秒。


 二分五十八秒。


 時間が、減っていく。

 私は、黒い液体を口に含む。

 苦い。

 喉が焼ける。

 飲み込む。

 店内の棚が、わずかに歪む。

 おにぎりの空洞を、無理やり口に押し込む。

 何もないはずなのに、重い。

 時間が、減る。


 三時二分。


 一分三十秒。


 店員の口が、裂けるように笑う。

「足りない」

 何が。

「あなたの分が」

 背後で、レジが鳴る。

 ピッ。

 液晶に表示される。


 合計 666円


 倍になっている。

 私は叫ぶ。

「もう払っただろ!」

「それは、入店料です」

 店員の声が、重なる。

 ひとつではない。

 気づく。

 棚の隙間、冷蔵ケースの奥、天井の監視カメラの影。

 同じ制服を着た“店員”が、無数に立っている。

 皆、無表情で、こちらを見ている。

 時間が、ゼロに近づく。


 三時一分。


 私はレジに飛び込む。

 ドロワーを引き開ける。

 中は、やはり闇。

 その奥に、光るものがある。

 スマートフォン。

 見覚えのあるケース。

 友人のものだ。

 画面が点灯する。

 午前三時三分。

 着信履歴。

 発信先は、私。

 私は、覚えていない。

 だが、履歴は残っている。

 午前三時三分。

 通話時間、三分三十三秒。


 そのとき。

 自動ドアが、開く音がした。

 外の景色が、元の住宅街に戻っている。

 店内の“店員”たちが、すっと消える。

 カウンターの向こうに、ただ一人、最初の店員が立っている。

「ありがとうございました」

 私は、何も持っていない。

 ペットボトルも、おにぎりも、ない。

 レシートだけが、手に残っている。

 そこには、こう印字されていた。


 333円


 ご利用日時 午前三時三分


 商品名 あなたの時間


 私は店を飛び出す。

 振り返る。

 そこには、暗い路地しかない。

 コンビニの光は、どこにもない。

 時計を見る。

 午前三時四分。


 それから。

 私は、深夜に外を歩かない。

 だが、月に一度ほど、決まって午前三時三分に、スマートフォンが鳴る。

 非通知。

 出る勇気は、まだない。

 ただ、耳元で、あの音が蘇る。


 ピッ。


 レジの、乾いた音。


 まるで、まだ会計が終わっていないと告げるように。

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