第3話 刺客
午後十一時過ぎ、暗い夜の中、ヴィレンスキー城の城内は寝静まっている。
僕は言われたとおり、城内の広場に張られたテントを出て、ソフィア様に会いに行った。
服装は、ナイフと黒服。任務に出る時と同じだ。黒マスクは首にかけてるだけ。
城の北の外れへと向かう道中、僕は様々なことを考えながら、肩を震わせた。
北の別荘にたどり着く。
外に見張りや護衛の騎士はいなかった。
扉の前にしばらく立って、僕はふうっと息を整える。
扉に右手を伸ばし、コンコンとノックした。
「ソフィア様、いますか。カケルです」
別荘の扉は、内からすぐに開かれる。
中から顔を覗かせたのは――シリウスだった。
「……シリウス?」
「――《催眠呪文》」
呪文で、催眠をかけられる。
「……えっ?」
体が勝手に別荘の中へと入っていって、気がつくと僕は別荘の広間でソフィア様の脇腹を持っていたナイフで突き刺していた。
「カケル……くん……」
「ソフィアさま!?」
僕の目の前で、ソフィア様が口から血をこぼして倒れる。
足元で、とても苦しそうにもだえた。
「なんで……なんで、なんで!?」
僕は、自分が何をしたのか理解できない。
「……カケルくん、自分を責めないで。君は悪くない。君は悪くないから」
それなのに、ソフィア様は僕に優しい言葉をかけてくれた。
「いいや。悪いのはお前だよ」
僕が振り向くと、別荘の扉の前にシリウスたちが立っていた。
「どうだ、マーロ。楽しいだろ?」
「ええ……最高です!」
ライアンとマーロが楽しそうに、ニコライはつまらなそうに見物していた。
「ニコライ、外を見張れ」
そう言われて、ニコライが扉から外に出た。
シリウスが右手に鞘に収まった聖剣を、左手にもう一本の鞘に収まった剣を持って近づいてくる。
「シリウス……僕に何をしたんだ?」
「催眠呪文だよ。それを使って、お前を操っただけだ」
僕の前に、シリウスが子供にするようにひざをつく。
「……催眠呪文?」
「そうさ。叔母上を刺せってな」
それって、ソフィア様をナイフで刺すように、僕を操ったってこと!?
「これが何だかわかるか?」
シリウスが左手の方の剣を見せ、その姿が愕然となる僕の目に写し出される。
長さは、小柄な僕と同じぐらい。
鞘は、真っ黒。
握りは、濃い青色。
鍔は翼の形、柄頭は黄金細工、それぞれ真ん中に赤い宝珠が飾られている。
これが何なのか、僕は一目で理解した。
「……伝説の聖剣」
二人目の勇者である僕のために、世界から贈られた聖剣だ。
「そうさ。二人目の勇者である君の聖剣を、叔母上が見つけてきてくれたんだ」
僕をここに呼び出したのは、そのため――。
「ぬうううん!」
それが、黄金の魔力を纏ったシリウスによってあっさりと握り潰される。
剣身の内側から砕かれた聖剣が落下して、希望が失われたかのように四散した。
「残念。これでパアだ!」
「なんてこと……」
倒れるソフィア様が愕然となる中、僕はシリウスに問い詰める。
「なんでこんなこと……ソフィアさまは、アーニャのお母さんだぞ!?」
「この女が、俺への反乱を企ていたからだよ」
シリウスがさもくだらなさそうに、僕に答えた。
「叔母上が二人目の勇者である君をここに呼んだのも、聖剣を渡して自分たちの仲間に加えるためさ。俺に対する旗頭にするためにな。ほんと呆れる。魔王を倒せるのは偉大な勇者である俺だけだっていうのに、この女は……」
「それは……あなたがこんなことをする人間だからでしょ!」
ソフィア様が、瀕死の状態で必死に叫ぶ。
「シリウス、あなたは私の夫だけじゃない……。カケルくんのお姉さんまで!」
僕は、とんでもないことを耳にした。
「どうしてそんなに責めるのかね。死んで当然の奴らだぜ。まっ、君のお姉さんは可愛かったがな」
シリウスは否定もせず、僕の前にしゃがみこんでニヤリと笑う。
「……どういうことだよ?」
「この俺がせっかく目をかけてやったのに逆らいやがったんだよ。軍の医療体制がひどすぎる。何とかしてくださいって。まったく兵が死ぬのが何だって言うんだ」
姉さんは看護師。王国軍の医療部隊に所属していて……。
「兵が死ぬのを防ぐのは彼らの義務、真っ当な抗議よ! それをあなたは……」
「だから魔王に差し出してやった。ああいう女こそ、浄化されなくっちゃな」
世界を救うはずの勇者が、魔王と同じことを口にする。
「お前が……姉さんを?」
「まあ、そういうことだ。お前が世間知らずのガキで助かったぜ」
シリウスが悪魔のように笑って、僕のほっぺたをペチペチ叩く。
「ああ、君のお母さんな、五日前に死んだそうだぞ」
「……えっ?」
「神に誓って本当だ。十日前に危篤だって知らせが届いてな。移動呪文ですぐ帰れるけど、君には隠して、今夜のこれをやらせることにした」
「……なんだよ、それ?」
「お母さんには事前に使いを送っておいた。死にかけの枕元で囁いて、ちゃんと伝えておいてやったぜ。君が、聖母ソフィア様を殺したってな」
「なんで……」
僕の目に、涙が溜まる。
「お母さんの死を報せる村からの手紙にはこう書いてあった。妹は引き取るから安心しろ。二度と帰ってくるな、だとさ。よかったな」
「どうして……そんなこと!?」
思わず叫ぶと、シリウスが僕の頬をバチンと叩く。
僕を黙らせ、悪人面でニヤリと笑った。
「さあ、どうしてだろうな。君をいじめるのが、楽しいからじゃないか。俺と同じ勇者になった生意気なお前を弄べるのが、最高に愉快でたまらないんだよ。お前を生かしておくのもそれが理由だ」
また僕のほっぺたをペチペチ叩く。
「いいか。俺に逆らうな。さっきみたいに怒鳴るんじゃない。でないと今度は妹に言うぞ。妹を殺させるぞ。アーニャやルナとも仲良くするなよ。あいつらは、俺のヒロインなんだからな」
――こんなのが、勇者シリウスの本性。
「お前は、勇者なんかじゃない。犬だ。俺の犬なんだ」
シリウスは、二人目の勇者である僕が邪魔だった。
「世界に勇者は二人もいらない。俺一人でいいんだよ」
自分だけが勇者でいたいから。自分だけが褒められていたいから。
僕をだまして、二人目の勇者だという事実を世界から隠したのも、それが理由。
――こんなクソ野郎を、僕はずっと勇者だと信じてきた。
「シリウス!! げほっ……」
「どうでしたか、叔母上。あなたの希望だった二人目の勇者が、弄ばれる気分は? アーニャもここに連れてきた方が良かったですかねえ?」
「……あなたは」
「あなたの可愛いアーニャのことは、どうかご安心を。偉大なる勇者である俺の婚約者にして、あなたの分までたっぷり可愛がってあげますよ!」
シリウスがそう言うと、催眠呪文の力によって僕の身体が勝手に動き出す。
「やめろ、やめろー!!」
ナイフを振りかざして、倒れるソフィア様の方へ――とどめを刺させる気だ。
体を操られる僕の姿を、ライアンとマーロが扉の近くで見ている。
僕のすぐそばでシリウスが黄金の魔力をまといもしないで楽しそうに見物する。
「カケルくん、気にしないで……あなたは悪くない。悪くないわ……」
ソフィア様は泣いて、優しく微笑んで、
「耐えて、生きて……勇者さま、カケルさま……」
僕に、希望を託そうとする。
「お願いです。どうか、あきらめないで……。私はどうなろうと構いませんから、私の可愛いアーニャを……。いつか必ず、勇者と魔王を倒し……」
僕の振り上げたナイフが――、
『殺してはダメ……』
アーニャの大好きなお母さんが、殺されようとしている。
『お願い…………助けて……』
僕の大好きだった姉さんが、焼き殺された時と同じように。
『命はたった一つしかない大切なものなの』
ごめん、姉さん。
『だから、誰も殺してはいけないんだよ』
それなのに、誰かが殺されるというのなら――僕がやる。
「……覚悟ならある」
昨日の夜、夢の世界で、僕はアサシンにそう答えていた。
「だからなりたい……暗殺勇者に!」
シリウスがあんな奴だなんて、とっくにわかっていたから。
「……わかった」
暗殺者が告げる。
「ならば君に、二つの試練を与えよう」
彼の言葉を合図に、魔法使いが僕に向けて杖をかざす。
「まずは私の技の全てを君に授ける。これを使って――勇者の魔の手から公爵夫人を救ってみせろ!」
魔法使いの杖が光り、僕の心と体に、暗殺者の技が宿っていく――。
二人は、ソフィア様の反乱の協力者。
この時のために、仕込みは済んでいた。
僕は、刺客。
標的を前に、異世界最強の暗殺者の技を行使。
舌の先を噛み、催眠状態を一時的にでも打破。
「あっ?」
予備動作の一切なく、シリウスの首にナイフを突き刺す。
全く油断していたから、黄金の魔力なんてまとっていなかった。
誰もが驚愕する中、僕はナイフの柄を握りしめ、
「お前が――死ね!!」
シリウスの首を真っ二つに切り裂いた。
クソッタレ勇者の首から出た汚い血が、僕の顔を真っ赤に染める。