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028 無謬の真実

 灰色の雲。青磁色の空。淡黄色の陽光。三つの色彩が複雑に熔け混ざり、あるいは、より鮮やかな明暗の線引きを生み出し、天空の城に摩訶不思議なコントラストを描いていた。遠くで地面に積もった落ち葉の中から、木の実を咥えたカササギが大空へ羽ばたく。穏やかな風が流れて、日光で温められた緩い空気が運ばれていく。

 水に濡れた自然の、むんと胸に沁み込む湿った空気に、ロレッタ・セヴァリーは黒縁の眼鏡に隠された瞳をぎゅっと細めた。

 元来、閉じたオフィスで幾つものモニターと睨めっこするのが仕事である彼女にとって、久々の自然光にほとんど枯木とはいえ、人間の手が加えられていない有機物(木々)に囲まれるのは久方ぶりのことだった。

 故に、その瞳に浮かぶ感情は、けして気疎(けうと)いものではなく、むしろ新鮮な色合いを楽しむものだった。たとえ、見渡す限りの一面に、風雨にさらされ朽ち果てた墓石の塊まりが広がっていようとも。


「ロレッタ。早く来なさい」

 凛と響く明瞭な声。

 声の主は霜のように真っ白な髪を持つ女性――貴婦人然とした装いの老婆だ。七〇を超える齢に到りながらも、きびきびとした動作で歩む姿は、二〇代のロレッタの動きと比べてもなんら遜色ない。

 ロレッタは気持ちを切り替えると、若干広がった距離を詰めるべく、足早に老婆の後を追った。

「グウェンの回収は?」

「滞りなく、局長。今朝方、スカイロードの貨物船がピックアップ。今頃は狭い船室で爆睡しているでしょう」

 局長と呼ばれた老婆は、ロレッタの報告を聞いて頷くと同時に、部下が言外に匂わせた憤りの感情を感じ取り、やさしい語調で、

「怖いわ。何をそんなに怒っているのかしら」

 端的かつ曖昧な物言いだが、ロレッタは言葉の意図を正確に把握し、端整な顔立ちを僅かにしかめて、

「局長。彼らは秘匿された存在です。にも関わらず、市街地で一般人の存在を考慮しない銃撃戦、倉庫街でのあからさまな破壊活動、特殊装具の無許可使用など、余りにも正式な活動範囲から逸脱しています。民間人に被害が出ていないだけマシではありますが」

「つまりやりすぎって言いたい訳ね」

「はい。彼らも報告を上げる気はないようです」

「彼らはオッドフィッシュ――偏屈なのよ。規則などでは縛れない。だからこそ重宝している訳なんだけど……気に入らない?」

「噛みつく犬の習性は変わりません」

「我々に情報を上げなかったのはね、二人だけでテッドを救出できるという自負と、私たちの余計な口出しを避けるためよ」

 でもね、と老婆は続ける。

「確かに運が良かったのも事実。彼らにとっても我々にとっても。もし、〝くびきの爪(生体チップ)〟に脳を自壊させる機能があると知られたら、彼らとの関係に綻びが生じかねないわ」

「今回うまくいったのは偶然です。二度三度続けば、ほころびが生まれますよ。彼らのくびきを強めるべきです」

 語気を強めて、ロレッタが言う。

 だが、鷹揚に構えた老婆には些細なことなのか、ロレッタの諫言はあっさりと受け流された。

「そうね、考慮だけはしておきましょう。それより、意識を切り替えなさい。彼はキレ者よ」




 最近のトレンドはケルト十字に赤大理石。

 米国風に言うならば、ヤッピーの親世代が眠る墓。

 厳粛然とした景観だが、それを構築する自然から溢れる音が、訪れる者に静穏なフィーリングを与えてくれる。死後にはいい場所だ。

 水気を含んで軟らかくなった道のりを、祖母と孫ほど年齢の離れた二人が進む。もう墓所の中程まで来ただろうか。目当ての場所には二つの影があった。

 一つは成人男性のもの。もう一つはやや角ばったシルエットをしていて、はっきりと見咎められる距離まで寄って、それが電動車椅子に乗った老人であることにロレッタは気付いた。

 耳を澄まさなければ聞こえないほど、微かに発するモーター音を響かせながら、動く安楽椅子(ムービングチェア)を駆る老人。老人の背後に追従するのは、執事服を見事に着こなした壮年の男。敵愾心もなにも発しない彼らを見て、ロレッタのまなじりは自然と鋭くなっていく。

 局長とロレッタ。老人と執事。

 互いに歩みを進め、一つの墓標を挟む形で対峙する。

 鳥が遠くで舞った。

 相克の時が訪れる。

「こんにちは。カーティス・ホワイト」

 二人は刻薄に告げ、

「元気そうだ。アンドレア・アスター」

 醜悪に、凄然と互いに嗤う。

 周囲の空間がきしむような錯覚を惹き起こすほどに、二人はその相貌に刻まれた(しわ)をくしゃくしゃに歪めて笑いあった。

「そろそろ死んだかと思っていたけれど、意外だわ。お散歩する体力が残っていたなんて」

 局長と呼ばれる老婆――アンドレア・アスターがホワイトの車椅子を見ながら、嘲笑混じりに言った。

「相変わらず、淑女の言う言葉とは思えんよ。年を食って嫌味な性格に磨きがかかったかな」

 ホワイトは窪んだ眼の奥から冷徹な視線を向け、

「それにしても、随分と無茶をする。小型とはいえ飛行機を丸ごと一機堕とすとは。御父上もさぞや驚くだろう」

「あなたを引きずり出す為よ、カーティス。多少の被害はしょうがないわ。現に、あなたは私の目の前にいるのだから」

「確かにね。それは褒めようじゃないか。どこで気付いたんだい? 教えてくれないか」

 やれやれと両手を広げ、降参のポーズを取ったホワイトは慇懃に訊いた。背後でロレッタの怒気が膨れ上がったのを感じつつも、アンドレアは後ろに視線を向けず、ふっと小さく肺に溜まった酸素を吐きだし、

「前々からローテックの周囲を探ってたんだけどね、一件目の爆破テロ――どこだったかしら?」

「ウェッソンマーケットです。局長」

「そうそう、そこの通りを撮影していた〝日本人旅行者〟のホームビデオをうちで回収したんだけれど、そこにね、慌てふためくアイルランド人の姿が映っていたの。そこを糸口に調査を開始して、タイミング良くステファン・ブロンドとベン・ロペスの情報が流れ込んできたものだから……あからさまでしょ?」

 アンドレアは先程のホワイトの動きを真似て、両手を上げた。

「墜落事故は撒き餌。網は〈ナゲータ航空〉の危機管理部門かな」

 虚ろな笑みを見せながらも、ホワイトの口調は瓢げたものだ。

「ええ、当たり。なんだけど……白けるわ、あなたの顔。予定調和のつもり?」

「まさか。ただ、君が気付く事態も想定していただけだ。私は君を高く買っているからね。それとなく分かるように、パン屑を落としていったんだ」


 唸るような風が二人の間を吹き抜け、墓碑に降り積もった枯葉をさらっていく。そのたもとに添えられた石板プレートには、一人の墓碑銘が刻まれていた――ジェイラス・スチュアート、と。

 ジェイラス・スチュアート。欧州共同の経済圏新興に尽力を注ぎ、王立国際問題研究所《RIIA》の政策顧問としての登用経験もある、ローテック社の筆頭株主。ステファンたちが非合法な手段にでることになった切っ掛けを作った人物。

 至大な業績を残した彼の墓が、いま、アンドレアとホワイトの目と鼻の先に鎮座していた。


「満足か? あの世で同志に顔向けできると思って?」

 老婆の舌鋒は鋭かった。

 空に浮かぶ青雲が荒々しく吹き飛んでいく。淡雪と見違うほどに色素の薄まったアンドレアの頭髪が、風に煽られてふわりと広がった。その様は、自身の悪行を善と偽った堕天使を咎める神のようで、華奢な体を包む純白のトレンチコートも合わさり、彼女の言葉には、どこか人間を超越した気高さがあった。

「よせ。死者の前だぞ」

 ロレッタの目には悠然と構えるホワイトが、一瞬怯んだように見えた。気のせいかもしれないが。

「亡き同士の墓前だからこそ問うている。もう一度だけ聞こう。何を思い、何を為さんとしてこのような蛮行を行った。結果、お前は満足を得られたのか?」

 いつのまにか、アンドレアの口調は貴婦人然としたものから、罪科を問う冷徹なものへと移ろっていた。

「愚問を。ボーア戦争の褒章より、陛下に賜った羅針儀に狂いなどありはせんよ」

「その結果、何人の罪のない国民が死んだと思っている。我々が権力を授かったのは弱き羊を守らんがためだ」

「履き違えるな。我々が王室の歴史の陰で、どれほどの人間の生血を吸ってきたことか。守るべきは、民ではなく、国家なのだ。失われた人命は付属的損害(・・・・・)にすぎん。歴史の薄皮を一枚めくれば、王室の血脈が至るところで波打っているのだ」

 声高らかに互いの主張がぶつかり合う。

「しかし、混迷を極めた現代において、我々が築き上げてきた偽りの平和のもとに、国力はゆるやかに衰えてしまった」ホワイトは言い、「脈拍が弱り、心の臓が不全をおこしているならば、代わりとなる喞筒(そくとう)が必要だろう? 幸福と発展のために権力がやるべきことがある」


 アンドレアには彼がこのような蛮行に及んだ動機に心当たりがあった。この国が世界の頂点から堕ちた屈辱の記憶――『マーシャルプラン』――1947年、アメリカ合衆国ジョージ・マーシャル国務長官によって実行された国際開発援助のプラン。

 第二次世界大戦の戦後処理で疲弊したイギリスに代わって、欧州各国の経済復興の援助費用〝総額百二億六千万ドル〟をアメリカが援助するというものであったが、のちの国際関係論研究学会の分析によるならば、その日(1947年)、世界を司る覇権がイギリスからアメリカへと移行した事を意味する歴史的転換点であるとした。

 当国(イギリス)がかつて保有していた勢力という名のパワーは、援助計画の実施を受け入れたことによって大きく削がれていく。

 かつて、世界が東西に二分され、冷戦期と呼ばれた時代。

 アンドレア・アスター、カーティス・ホワイト、ジェイラス・スチュアートの三人は祖国を守るための同志であった。

 表から裏へ謀略を紡ぎ、合法非合法問わず、武力あるいは権力といった、相反するさまざまな手段を以って、彼らは国を、民を守ってきた。

 だからこそ、ホワイトの思考を理解できた。

 だからこそ、ホワイトの魂胆を見通せない。

「わからないわ……あなたが爆破テロに関与しているのはもうわかった。だけれど、あなたはそれで何を得たの?」

「今回の件はある意味偶然の産物なのだよ。多方面に謀略を巡らす者たちとの利害の一致。これがカギだ」

 びゅう、と落ち葉が風に舞った。

「陰謀で熱せられた沸騰世界こそが、我々の棲む日の下だということを自覚しろ」謡うようにホワイトは言葉を紡ぐ。「自覚して初めて見える世界がある。……アンドレア、ここまで辿りついた君にはご褒美(ロリポップ)をあげなければならない」

「生半可なご褒美なら結構よ」

「陰謀の話だよ、アンドレア。私を含めた三つの勢力が、複雑怪奇に絡みあった陰謀の話だ」

 ホワイトは鳥の骨のような人差し指をぴんと立て、

「私はね、ローテックの重役会に恩を売るのが目的だった」

「恩?」

 妙な言い回しにロレッタが呟く。

 その呟きが聞こえたのか、ホワイトは訳知り顔で補足をした。

「米国企業との一体化によって将来的に市場を席巻できるだろうが、彼ら(グリーン社)の本当の目的はローテックが保有する軍機密データにある。『技術』の流出を未然に防ぐには、合併自体を阻止する必要があったのだよ。ジェイラスも手を尽くしたが、彼は死んでしまった。代わりにその遺志を私が受け継いだということだ」

 ホワイトの顔には、大地のひび割れのように深い皺が走っている。痩せこけた頬肉に窪んだ眼球、骨ばった体躯……見る者に骸骨を想起させる容姿だ。いま、淡々と罪の告白をするホワイトの姿は、まるで墓から掘り起こされたミイラが生前に溜めた呪詛を吐いているようで。ホワイトは二本目の指を立てた。

「次に軍上層部。高官の一人が中東との橋渡し役となる手筈だ」

「中東?」

「爆破テロの犯人(・・)に資金を供与した王族から、油田を搾取するのが目的だ」

「ちょっと待ちなさい。犯人ですって? 爆破テロの実行犯はあなたの手の内のものでしょう」

 アンドレアの指摘は全くの見当違いだったのか、ホワイトは全身をカタカタと愉快そうに揺らした。その姿が人間をやめた別のナニカに思えて、ロレッタの背筋を冷たい汗が伝う。

「ふ、ふフ…」昏い口膣を覗かせ、「ふっ、フフっ」細ばった肩を震わせながら、「ふふ、うふふふ……」ホワイトが(つい)に曝したのは悦楽の感情だった。

 他者に対する権高な振舞いを好むロレッタも、粛然と背後に控えるホワイトの執事でさえも、この場の中心で笑い転げる小さな老人の狂態に圧倒されるなか――ただひとり、アンドレア・アスターだけが痴態を演じる彼の姿を平然と見据えていた。

「延命治療も怖いわね。お薬はちゃんと飲んだのかしら? おじいちゃん」

「ふふ、減らず口を……」

 ホワイトは笑みを零しながら、

「誰が事件の犯人になるか、報道を楽しみに待つといいさ」

 クリスマスプレゼントをねだる子供へ、あやすように告げた。

 独白は終わらない。ホワイトは人差し指、中指と続けて、最後に薬指を立てた。

「最後の勢力(ピース)にリカルムだ」

「リカルム?」

Re・Calm(再静穏)を意味する、商人もどきが集まった組織だ。彼らの目的は、シティ線に導入された最新車輌の破壊による鉄道関連株の暴落にある」

「株の空売りか」

「その通り。リカルムの役目は犯人役を提供すること。いわば、今回の件はセット契約、いや、マッチポンプと言い換えるべきか」

 9・11の前にアメリカンやユナイテッドといった米航空会社の株に、大量の先物売りの注文が入ったのは厳然たる事実だ。

 想像以上の悪心の連鎖にアンドレアもロレッタも、その顔を強張らせた。反吐が出るような悪意の満ちた陰謀。アンドレアの口元から歯軋りの音がした。

「愚かな……我らが国家の防人たらんとするのは、利益追求のためではなかったはずだ」

 老婆とは思えぬ声量だった。後ろに控えた部下が息を呑む。

「我が領地を跋扈し、蹂躙の限りを尽くした糞ったれの国家社会主義者どもを」

 粗野な言葉遣い。その身なりからは想像できない憤怒の声。

「愚かで嘆かわしい革命的蜂起を為さんと暗躍する、しみったれの共産主義者どもを」

 彼女には許せなかったのだ。国民国家に対しての裏切りが。

「下らん外敵の策謀で国家が瓦解するのを防ぐためだけに、我らはあったはずだ!」

 アンドレアの滔々(とうとう)とした断罪の声が、晴れ間を圧するように響いた。ホワイトはもう駄目だ――否が応でも実感させられる。

「我々こそ国防の要だったはず。それがなに? マッチポンプですって? そんなくだらないことの為にテロルをでっち上げたのか!」

 その鋭い眼光に怒りの情念を宿したアンドレアに対して、ホワイトは抑揚のないトーンで、

「超長期的視野に立って考えるのだ。五〇年後、一〇〇年後……想像したまえ。圧倒的な人口と労働力と資源をもつ国々が強かに力を蓄え、世界の顔となっている光景を」

 それがどんなに恐ろしいことか分かるだろう――言葉にはせず、ホワイトは視線で訴えた。

「だからこそ、いま世界に新たなイノベーションの潮流を起こせば、『技術』を握る我が国が、膨大な権益を獲得できるということは理解できるね?」

「よくもまあ、べらべらと舌が回ること」

「君が好まない手であることは重々承知しているよ」

「自分がイカれてることに――ホワイト、あなたは気付いてる?」

「何をいまさら」ホワイトは、ぶーっと苦々しく息を吐いた。「まともな神経でこんな三文劇は組まないよ」

 ホワイトの粛々とした主張に、鼻白んだのはアンドレアだ。先程までの熱が消え失せたかのように、彼女は冷めた表情で溜息をついた。

「あなたの独断専行の後始末を誰がつけたと思って? 国内の事案に対して私はジョーカーを切るはめになった」

「それについては詫びよう。だがね、最終的には事行くように手は回していたのだよ」ホワイトは誠実そうに言った。「もっとも君の手の内は見事だった。軍は再編期に入り、易々(やすやす)と〝セクション・イレブン〟を動かせないのだ。その点、君の部下たちはワンストップ・サービスだろう? 邪魔者の排除には打ってつけだった」


〝セクション・イレブン〟

 その言葉だけで、アンドレアの眉根が歪んだ。

〝Section・No Exi(・・)st〟――員数外の部隊コードを表す符丁。軍上層部と一握りの国防委員会関係者のみが知る最高軍事機密を、眼前の男は事もなしに口にしたのだから。

 もとはイラクのテロリスト掃討のためにアメリカ・イギリスの特殊部隊から臨時編成された第145任務部隊(タスクフォース145)を前身とし、近い将来、顕在化するであろうテロとの闘いに備えて、特殊部隊支援群《SFSG》によって再構成された実力部門秘匿ラインのひとつ。彼らは対テロ戦争の要だ。あらゆる紛争地帯の最前線にゴーストのように潜り込み、展開。現地での武器取引・暗殺・急襲・拉致監禁など、さまざまな〈濡れ仕事(ウェットワークス)〉による作戦支援を行うスペシャルフォース。

 そして、アンドレア率いる〈宇宙開発医学実験機構〉で生み出された科学技術――軍事転用された『技術』を、部隊の管理運用戦術に組み込んだ、いわば「最新装備群を有した殺し屋集団」というわけだった。


 なぜ、いまその名前が出たのか。

 中東との橋渡し役を担う軍上層部と関連が?

 それとも、話の流れで名前が登場しただけ?

 政府も絡んでる? 国防委員会が承認した?

 いや、そもそも――


「さっきから、なぜ秘密を教えてくれるのかしら。罪悪感の発露でも起こった?」

 余りにもホワイトの言い草はあけすけだった。場末のナイトクラブでコカインをキメたジャンキーでも、まだ口が固いものだ。

 ホワイトとは長い付き合いだが、眼前の痩せ細った病人は、断じて露悪趣味の持ち主などではない。そもそもが、偽善や偽悪すらも飲み込む精神性を持つ男だ。矜持と知性の塊のホワイトが、小物じみた真似で暴露を行っている訳ではないことは、アンドレアも気付いていた。

 侮蔑と猜疑の中間、まるで理解できないという表情のアンドレアから冷ややかに見据えられたホワイトは、苦しげな微笑を浮かべた。

「君も見ての通り、私の体はいつ、くたばるかも分からない状態だ。それに、作り話など君はあっさり見破るだろう……白状するとね、今回の件に君を巻き込んだのは、私の死後に対する保険なのだよ」

「保険ですって?」

「私は保険を掛けるのが好きでね」

 たとえば、とホワイトは手を叩き、

「アイルランド人もいざというときに犯人役としてシナリオに組み込む保険だったんだが、軍部との連携がうまくいった以上、かれらは今回のプロットに必要なくなった、というようにね」

 消してくれて感謝する、ホワイトはにこやかに言った。

「ふざけた答えだ。いますぐ撃ち殺したいほどに」

 アンドレアの苛烈な語調にホワイトは一瞬きょとんとし、それから、無邪気な声を上げて笑った。彼の顔一面に純粋な笑顔があった。まるで、彼が隠し続けていた人間味が、表に浮き出たようだった。

 怪訝そうにアンドレアが言葉を続ける。

「事件の背景を複雑にして、事実を真実に近づけないつもりでしょうけど、勘の鋭いものはいずれ出てくる。第二のカメル証言に気をつけなさいな」

「メディアが暴くとでも? 娯楽に堕した報道に何ができるというのだ。広告収入に視聴率、顧客のご機嫌をうかがう風見鶏ばかりだというのに」痩せ細った頬に嘲りの翳りを滲ませ、断言する。「何も出来やしない。我々の有する権力の前には」

 鼻を鳴らしたホワイトの、重そうな鼈甲縁の眼鏡の奥で、彼の琥珀色の瞳が若干和らいだ。

「ああ、それにしても君との議論は若いころを思い出す。よく大学の講堂で揉めてジェイに宥め賺されたものだ。きっと、奴が生きていれば別のシナリオを示しただろうな」

 ホワイトは皮肉気に言い放ち、動く安楽椅子(ムービングチェア)をゆっくり反転させていく。

 その小さな身体に、アンドレアが言葉を投げ掛けた。

「殺しにまつわる基本ルールを教えてあげる。〝埋めたモノはいつか出る。死体も亡霊も、そこに例外はない〟……ゆめゆめ忘れないことね」

 痛烈な批判だった。

 ホワイトは頬をシニカルに歪め、

「そうさせてもらおう。ところで、君の切り札。私に預ける気はないかね? うまく活用して見せよう」

「つまらない冗談はよしてちょうだい。彼らには彼らなりの忠誠心がある」

「愛国心で動かない軍人というのも面白い。まあ、忘れてくれ。ただの戯言だ」

 最後に小さく笑い、動く安楽椅子(ムービングチェア)の反転を終えたホワイトは執事を伴って、ゆっくりと来た道を引き返していく。そこにアンドレアが声を掛けた。

「ローテックの二人を、ギリギリまで生かしていたのは政治的な打算によるものか?」

 アイルランド人を邪魔者とするならば、ローテックの二人も可及的速やかに消し去るべきだったのに、ホワイトはそうしなかった。情にほだされた訳でもないだろうに、それだけが疑問だった。

 問いを投げかけられたホワイトは僅かにホイールを動かし、二人を眇め見て、

「いいや、人間的な打算によるものさ。最終的に彼らをこちらの陣営に迎えるつもりだったのだが、彼らは愚かな手段に出てしまった。だからこそ、彼らを殺そうとする君の判断に横やりを入れなかったのだ」

 それはアンドレアにとって意外な返答だった。

 ゆっくりと離れていくホワイトに、アンドレアは正真正銘、最後の質問を投げつけた。

「ホワイト! コールマンという名に聞き覚えは?」

 少しずつ小さくなっていく人影が手を上げて、横に振った。


        ◇


 神を愛する者よ。

 耳を澄まして私の言葉を咀嚼するのだ。

 この世は善と悪に分かれている。

 無垢なる者たちは、日々を生きるのが精いっぱいで、世界を分かつ二つの境界線を知る者はごく一握りだ。糧を得て、神に感謝し、酒、女、葉巻といった小さな悪習を好まず、慎ましく日々を生きる無辜なる者たちよ。

 知れ。

 神を愛する者たちよ。

 善を守る為に悪が必要だと知れ。

 私の心を埋め尽くすのは、公言できぬ醜悪な矛盾。善の為に悪を行い、生者を活かす為に死者を貶める。

 もはや、私の心は屈折し、永遠の友でさえ理解することはない。

 傲慢で図々しく振る舞う者よ。

 知れ。

 弱さには途方もない代償がつくことを。

 真実が善であると考える者たちに告げよう。

 複雑に絡み合った爆弾を決して破裂させない為に。

 沈黙の緊張を破る爆弾が絶対に破裂しないように。

 私が行うのは天与の務め。世界を刷新し、祖国が再び覇権を握る為だけに私の人生はあるのだ。善の所為でこの国の未来は閉ざされてしまう。それだけは絶対に許さない。

 天上の神から与えられた残り少ない命を費やし、悪の理を用いて世界に挑め。

 友よ。最愛の友よ。

 矮小なこの身に許された唯一の可能性を信じてほしい。

 同朋(どうほう)よ。親愛なる同朋よ。

 どうか協力してほしい。未来の可能性を掴む為だけに。


        ◇


 夏の若葉のように、青々しい空模様を映す水溜まりがそこいらにあった。周りの景色は来た道を反転させたものといっても、行き路に見たものと大した違いはない。単にロレッタの観察眼が興味を引かないものには向けられないというだけかもしれないが。


「どう思いますか?」

 道を遮る水溜まりをたどたどしく避けながら、納得しかねる面持ちでロレッタが言った。それに対して、少し前を歩いていたアンドレアは肩越しにちらりと視線を向け、明瞭かつ端的に答えた。

「半分はウソ。あるいは、意図的にぼやかしてるわね」

「同感です。あの手の輩は決して本音を口にしないものです」

 相も変わらないロレッタの口ぶりに、アンドレアは満足気に頷く。

「ホワイトとは学生時代からの付き合いだけど、私はもう、あいつの頭の中身を覗く気にはなれないよ。あいつの思考についていけるのは、いまは亡き友ぐらいだ」

「ホワイトの話には国、資本、機関の思想が入り乱れているように感じました。局長、彼の話で信用できる事実は?」

「出だしは真実よ。ジェイラスの遺志を継いで、技術流出を防ごうとしたのは確かなこと。キーポイントは国外に流れたら拙い技術(・・・・)

「特化脳力場観測者に関連するデザイン技術ですか」

 ローテックは一般には知られていないことだが、政府との民間軍事協定を結ぶ企業だ。そして、軍科学部との共同研究内にて、特脳者用に開発された鎮圧剤の成分データを保有する、只一つの民間企業でもあった。

 特脳者を軍事利用する上で問題となるのが、特脳の使用効率をいかに上昇させるかということ。彼らにはメモリという独自の概念があり、能力の無理な使用が祟ると、容易く死が近づいてくる。

 鎮圧剤はそういった避けようのない問題の解決策の一つだ。

 成分データを欲しがる連中は星の数。開発できる技術者は引く手数多といった世界の状況に、アンドレアは物憂げに息をつき、

「いい? ホワイトの目的は特脳に関する医療利権を手にすること。新技術の利権を独占すれば、それはそのまま権力の強化につながる。ホワイトは我々の分野(・・)に馬糞に塗れた手を突っ込む気よ」

「そうはさせません。彼の思惑がどうであれ、『技術』は我々が管理するべき事柄です」

「軍の一部がホワイトに協力している。石油云々は口実ね。王族をどう調理するのか見物だけど――どのみち、彼らは戦争を引き起こすつもりよ」

「……偽装テロは動機作りですか?」

 ロレッタの語調が固くなる。

 当然だ。仮に推測が真実を射ていたとして、そのことが世間に漏れればこの国は終わりだ。国際非難に止まれば、まだマシ。最悪、国家の枠組みが崩壊しかねない。

 (いや)らしい手口だった。ホワイトは、二人がこの真実に至ることを前提に、事実の断片を種のように会話に織り交ぜていたのだから。

「正しくは〝通説〟作りかしら」老婆は真剣な表情で、「虚言で作り上げた通説を世界に敷いたら、そこから先はカオスの入り口。人類が築いた文明社会は瞬く間に燃えあがり、ヒトは沸騰した世界でさらなる進化を遂げる」

 背筋がぞっとするというものだ。

 強張った表情の部下に、アンドレアは冷静さを促す声遣いで、

「いま、調べるべきはリカルムなる組織よ」

「ホワイトの口ぶりでは商人の集いということでしたが」

 ロレッタの返しに、アンドレアは鼻を鳴らした。

「たかが商人の集まりに国家を敵に回す度胸はないさ」

「では、彼らの目的は?」

「空売りがあったかどうかは金融行為監督機構《FCA》に探りを入れれば分かる」

「投機機関の集合体がリカルム?」

「もしくは、国家の隙間に巣食う複合企業か。ただ……」

「何です」

「気になるのはホワイトの言い方。覚えてる? あいつは『商人もどき』と言った。意味もなく言葉遊びをする性格じゃない」

「非合法な商品を扱っている、そういうことでは」

「私が懸念しているのはね、ロレッタ。三つの勢力の思惑が偶発的に纏まって、今回の偽装テロを起こしたという点よ」

 老婆はゆっくりと振り返り、

「すべてが密接に繋がっている。ならば、リカルムとやらも特脳技術が目当ての可能性は十分ある。犯人役を提供するとあいつは言っていたけれど、ただの商人風情にそんな真似できるはずはない。間違いなく、そいつらは地下組織のひとつよ」

 そう、断言した。

 アンドレアが得意とするのは、断片的な情報(パズルピース)から全体図を描くこと。それは、「物事の本質を見抜く観察力」とも言い換えられるわけだが、ホワイトとのやりとりのなか、彼女が読み解き、積み重ねた事実は、確かに真実へと迫っていた。


「特脳技術の産声は、新たなる兵器革命の幕開けでもある」


 第1次兵器革命『火薬』が最大限に威力を発揮し、個人の戦闘力が上がった。

 第2次兵器革命『内燃機関』が生んだ戦車、航空機、潜水艦などによる機動力によって戦況に変化をもたらした。

 第3次兵器革命『原子力』によって、軍事力行使の目的戦域が制限された時代が到来した。

 第4次兵器革命『情報・通信』によって、新しい戦闘ドクトリンが模索され、――〝エア・ランド・バトル〟――拡張型戦場を基礎とする、緊密な連携による戦闘支援教義が誕生した。

 説によってまちまちだが、概ね人類史における兵器革命は四度起こったといわれる。その転換点ごとに戦争の方式は大きく入れ替わり、戦術理論の見直しによって、戦場は金の河が流れる地球最大の市場に生まれ変わる。

 戦場をもっとも駆け巡ったのは商人だ。金に為る木の間を渡り歩き、今日の味方に、昨日の敵に売り付けた商品を提供するのだ。

 業深い(サガ)は、時代が移ろっても変わらない。

 そのことを齢七〇を超える老婆――アンドレアは重々承知していた。


「彼ら特脳者(イルミネーター)は科学の産物。新たなる世界の申し子。世界を変革するファクターとなりうるだけに、もしも、リカルムとやらが特脳技術に商品価値を見出したら? 軍がリカルム、ホワイト、ローテックと手を結んで、実際の戦場でのプログラム運用に乗り出したら?」

 だからこそ、預言、いや宣言をした。

「覚悟はいいね、ロレッタ。潰してやろうじゃないか、世界を玩ぼうとする輩を」

「はい、局長。イカれた年寄りには、暗い隅によって静かに死んでほしいものです」

「あら、それって私に対してもあてつけになっちゃうわね」

「あなたのそれはベクトルが違いますから。問題ありません」

 素知らぬ顔でロレッタは微笑を浮かべた。

「ならいいわ……ロレッタ。諜報畑の連中にコールマンなる人物を捜させなさい。おそらく、こいつが今回の件の首魁よ。こいつを押さえれば全体図の輪郭がはっきりする」

 最後の否定の手振り。それだけは間違いなく事実だ。あの単純な動作が、言葉よりも事実を雄弁に物語っているとアンドレアは見ている。相手にあえて、言葉尻を掴ませてから煙に巻くのがホワイトのやり口だ。その点、おざなりに振った腕からは「邪な考え」が読み取れなかった。

 コールマン――アダム・フィンチからの情報では暗殺者と依頼人を繋ぐ仲介人という話だったが、今回の件の登場人物の中でもっともきな臭いのがこの男だ。

 この男を追えば真実に辿りつける。

 言葉よりも身振り手振りの方が信用できるというのも可笑しな話だが、何気ないホワイトの所作がアンドレアに今後の方針を固めさせるのだから、この世は全く以って奇妙なものだった。

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