死者は、死亡後も救助していた
死者が働いた場合、残業代は誰に請求すればいいのだろう。
水曜、午前八時四十二分。
私は事故資料室の端末に表示された三行を、もう一度読み直した。
`03:18 救護員・柊木沙耶 死亡確認`
`03:41 救助搬送A-12 生体認証承認`
`04:06 救助搬送A-15 生体認証承認`
死亡から二十三分後と、四十八分後。
二度の承認で、十一人が北多摩第二迷宮から地上へ搬送されている。
非常に立派な勤務態度だった。
生きていれば。
「端末の時計がずれたんじゃないのか」
向かいの椅子に座った迅さんが言った。
首には三十日間限定の現場検証員証。黒い耐魔手袋の横には、事故調査院の来客用紙コップが置かれている。
紙コップには太い油性ペンで、`くろせ・砂糖なし`と書かれていた。
「受付で何をしたんですか」
「何も」
「初日に飲み物の好みまで記録される人は、何かしています」
「缶コーヒーを断った」
「理由は」
「甘かった」
受付係は再発防止が早い。事故調査院が見習うべき対応速度だった。
私は右膝の固定帯を直し、端末へ視線を戻した。昨日まで冷却材だったものが、今日は医務室から支給された立派な装具になっている。階段を使うたび、医務主任の説教が膝から再生された。
「中央時計、救護端末、柊木さんの個人ビーコン。三つとも時刻同期の誤差は〇・〇二秒以内です」
「認証を盗まれた」
「救助搬送の承認には掌紋、脈拍、個人魔素紋の三つが必要です。死後の指だけでは通りません」
「なら、生きてた」
迅さんは簡単に言った。
それが一番自然な答えに見える。
だが、北多摩第二迷宮の事故報告書は、柊木沙耶の死因を午前三時十八分の魔力枯渇性心停止と確定していた。医師の署名も、心電記録もある。
生きた認証と、死んだ記録。
どちらかが嘘をついている。
「真壁」
事故資料室の扉から、小野寺主任が私を呼んだ。
「遺体確認室へ来い。黒瀬もだ」
「俺は検証と避難補助だけだ」
迅さんが限定証を指で弾く。
「遺体は戦わない」
「前回の床も、規則上は戦わないはずでした」
私が立ち上がると、右膝が遅れて抗議した。
迅さんが無言で資料端末を持つ。
「持てます」
「階段で落とすな」
「資料をですか」
「お前を」
返す言葉を選んでいるうちに、迅さんは先に廊下へ出た。
負傷者への配慮は、もう少し配慮らしい形で実施してほしい。
遺体確認室には、白い搬送袋が一つ置かれていた。
柊木沙耶、二十七歳。北多摩第二迷宮の契約救護員。治癒術師資格B級。夜間救護班に所属し、事故当夜は十六時間連続で勤務していた。
袋の傍らに立つ若い男性が、私たちを見る。
薄緑の救護服。左胸に北多摩第二迷宮の紋章。名札には、救護班長・久住直哉とあった。
「沙耶は無理をしていました」
挨拶より先に、久住班長は言った。
「魔物の群れが出て、負傷者が増えた。最後まで治癒を続けて、魔力を使い切ったんです。搬送承認は端末の再送です。現場を知らない人が、数字だけで彼女の死を疑うのはやめてください」
迅さんの目が、救護服の袖口へ動いた。
乾いた茶色の汚れ。薬草液か、血液か。ここからでは断定できない。
「疑っているのは、柊木さんではありません」
私は手袋を着けた。
「彼女を死者として記録した時刻です」
搬送袋を開く。
柊木さんの顔に目立つ外傷はない。指先には治癒術師用の銀環が五つ。長時間の術式使用で焼けた皮膚と、爪の間に残る青い消毒剤。
公式記録どおりなら、魔力枯渇による心停止で矛盾はない。
私は右手首の個人ビーコンを確認した。
「製造番号KM2-7714。現在時刻、九時十二分。封印を開けます」
一次記録を読み出す。
三時十八分、生命反応消失。
三時四十一分、救助搬送A-12を承認。
四時六分、A-15を承認。
中央記録と同じだ。
「再送じゃありません」
私は画面を久住班長へ向けた。
「二件とも別の搬送先、別の負傷者です。承認時の脈拍は毎分百二十一と百三十四。個人魔素紋も、その場で取得されています」
「機械の誤作動だ」
「二つの機械が、違う脈拍まで作ったと?」
「短絡中継なら、記録はいくらでも」
久住班長の言葉が止まった。
私は顔を上げる。
「いま、何とおっしゃいましたか」
「ニュースで見た。湾岸第六の違法設備だろう」
「名称は公表されていません」
遺体確認室が静かになった。
迅さんは久住班長ではなく、搬送袋の足元を見ていた。
「調査官。靴下を見ろ」
柊木さんの救護靴は、搬送時に脱がされて袋の下段へ収められている。私は左足の靴下をめくった。
足首に、細い赤い圧迫痕が一周している。
点滴用の固定帯でも、救護装備の留め具でもない。
迅さんが自分の限定証の吊り紐を外し、痕へ重ねた。幅が一致する。
「搬送台の拘束帯だ。意識のある人間が暴れた時につく」
「心停止後に搬送されたなら、暴れません」
「死んだ場所も違う」
公式記録では、柊木さんは地上救護室の椅子で死亡したことになっている。
だが足首の痕は、彼女が拘束された状態で、少なくとも一度は搬送台に載せられたことを示していた。
死亡確認後に運ばれた死体ではない。
死亡確認前に救護室へ運ばれただけでもない。
死んだと記録された後、柊木沙耶は生きたまま、どこかへ運ばれている。
久住班長が扉へ一歩下がった。
小野寺主任が、その前に立つ。
「北多摩第二迷宮へ、証拠保全命令を出す。救護端末、搬送台、午前三時以降の全位置記録を凍結しろ」
「主任。もう一つです」
私は個人ビーコンの承認記録を拡大した。
二件とも、通常なら存在するはずの安全照合欄が空白になっている。
代わりに、短い認証コードが残っていた。
`AUTH: SG-0`
迅さんが限定証を首へ戻す。
「次も命令を出せと言ったな」
「はい」
「どこへ行く」
私は個人ビーコンの位置記録を、北多摩第二迷宮の現場図へ重ねた。
救護室の下に、図面にはない搬送先が一つ浮かび上がる。
「死者が、最後に救った場所です」




