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S級探索者の死因は魔物ではない ~新人事故調査官と追放エースのダンジョン検証録~  作者: sakumaaa


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1/10

死体には、魔物の痕跡がない

S級探索者の死体には、魔物の痕跡がなかった。


 正確に言おう。


 遺体を覆う白銀の軽装鎧には、獣の爪で裂かれたような傷が三本、胸元から脇腹へ走っている。けれど事故調査院の試薬は、一滴も青く変わらなかった。


「検体番号AG6-20391014-01。採取時刻、午前八時十二分。胸部装甲、裂傷右縁。残留魔素反応、陰性」


 私が読み上げると、撮影用ドローンの赤いランプが一度明滅した。


 記録完了。


 もう一度、綿棒を裂傷の奥へ滑らせる。透明な試薬へ浸す。陰性。予備試薬に替えて、もう一度。やっぱり陰性。


 鋼殻狼の爪には固有の魔素がまとわりつく。襲撃から九時間しか経っていないなら、洗浄しようが焼こうが痕跡は残る。


 つまり、報告書どおり鋼殻狼に殺されたのなら、魔物はずいぶん礼儀正しく爪だけ置いて、魔素を持ち帰ったことになる。


 新種として学会へ発表すれば、一週間くらいは話題を独占できそうだ。残念ながら、事故調査官の仕事は愉快な新種を発見することではない。


「真壁」


 背後から主任の声が飛んできた。


 私は反射的に背筋を伸ばした。透明な保護眼鏡の向こうで、小野寺真琴主任が腕時計を指している。


「初担当の開始から十二分。もう結論が出た顔をしてる」


「顔に出ていましたか」


「新人はだいたい出る。言ってみなさい」


「鋼殻狼による損傷ではありません」


「それは事実か、仮説か」


 研修で百回は聞かされた問いだった。実地で刺されると、百一回目でも痛い。


「仮説です。事実は、二種類の試薬で残留魔素が検出されなかったことだけです」


「よろしい。なら、次に何を疑う?」


「検体の汚染、試薬の不良、魔物種の誤認、傷が死亡後に付けられた可能性。順番に潰します」


 主任は小さくうなずいた。


 合格、と口には出さない。褒めて伸ばすという概念は、事故調査院の予算と一緒に削られたらしい。


 遺体確認室の中央で、天城晃は目を閉じていた。


 三十歳。現役S級探索者。企業広告では、白銀の鎧と明るい笑顔で湾岸第六迷宮の安全性を宣伝していた。その本人が同じ鎧を裂かれ、冷たい検査台に横たわっている。


 胸部と左脚に大きな損傷。死因の暫定判定は、鋼殻狼の襲撃に伴う魔素性ショック。


 遺体の状態は決して軽くない。けれど、そこに余計な想像を足してはいけない。死者へできる最低限の礼儀は、見たものと考えたものを分けることだ。


 私は鎧の製造番号を読み上げ、次の採取箇所へ手を伸ばした。


 扉が二回ノックされたのは、そのときだった。


「失礼します」


 入ってきたのは、銀縁眼鏡をかけた四十代の男性だった。濃紺の運営服に一つの皺もない。胸ポケットには、今の制服には合わない古い救助隊の認識票が差してある。


 アステラ・ゲートサービス湾岸第六迷宮、安全管理責任者。


 榊原征司。


 資料で見た顔より、実物のほうが疲れて見えた。昨夜から眠っていないのだろう。それでも声は穏やかだった。


「調査院の皆さんにはご足労をおかけします。天城さんの事故について、運営側の一次記録をお持ちしました」


 差し出された端末を、主任ではなく私が受け取る。


 榊原さんの眉が、ほんの少しだけ動いた。


「今回の担当は真壁です」


 主任が説明した。


「真壁……。失礼ですが、空間容積検査の?」


「設計者は父です。調査を担当するのは私です」


 私は端末の受領時刻を記録した。


 六年前、父が設計した転移安全規格で事故が起きた。探索者三名が負傷し、父の計算ミスと判定された。懲戒審査のあと、父は失踪した。


 だから真壁という名字を聞いた人は、だいたい二種類の顔をする。


 同情する顔か、疑う顔だ。


 榊原さんは、そのどちらも一秒以内に隠せる人だった。


「承知しました。若い方に責任を負わせる意図はありません。ただ、迷宮の閉鎖が長引けば、地下に残る探索者への補給にも影響します」


「営業再開の希望時刻は?」


「本日二十三時です」


 死亡から二十四時間。事故の分類が魔物災害なら、汚染区画だけを閉鎖して営業を再開できる。設備事故なら、転移設備を含む全面点検が必要になる。


 端末には、運営会社がまとめた時系列が表示されていた。


 昨夜二十三時十四分十八秒、一般探索区B-42で鋼殻狼と遭遇。二十三時十四分四十一秒、生命反応が危険域へ低下。救助隊到着は二十三時十七分。鋼殻狼はすでに逃走。


 きれいな報告書だった。


 きれいすぎる報告書は、汚れた現場より扱いに困る。


「鋼殻狼を目撃した人は?」


「近隣区画の探索者が咆哮を聞いています。B-42の監視映像は戦闘の魔素障害で乱れ、直接の映像は残っていません」


「救助隊が見た痕跡は」


「壁面の爪痕、血痕、天城さんの装備損傷です。現場責任者は典型的な襲撃と判断しました」


「魔物の体毛、体液、足跡は?」


 一拍だけ、間があった。


「採取されていません」


 典型的な襲撃なのに、典型的な痕跡はない。


 私はその評価を口にせず、端末へ入力した。いま必要なのは皮肉ではなく記録だ。皮肉は無料なので、心の中でいくらでも生産できる。


「残留魔素は陰性でした」


 榊原さんの視線が、検査台の鎧へ向いた。


「鋼殻狼にも個体差はあります」


「あります。ですから、まだ設備事故とも犯罪とも判定していません」


「冷静で助かります」


 言葉どおりの笑みだった。少なくとも、表面上は。


「ただし」


 私は続けた。


「証拠品は調査終了まで返却できません。営業再開の都合で検査項目を省くこともありません」


「もちろんです。人命より稼働率を優先する会社ではありません」


 湾岸第六迷宮の広告映像で、何度も聞いた言葉だった。


 天城晃も、その台詞を笑顔で言っていた。


 榊原さんが退室したあと、主任が私の端末を横からのぞき込んだ。


「印象は?」


「協力的です」


「事実か、仮説か」


「……願望です」


「よろしい」


 今のは合格に数えないでほしい。


 主任は壁際の時計を見た。


「現場検証員を呼んである。戦闘痕の判定は専門家にも見せる」


「運営会社の探索者ですか」


「元探索者。黒瀬迅」


 聞き覚えがあった。


 二年前の湾岸第三迷宮崩落事故。撤退命令を無視し、一般人十二名を救助。同じ班の一名を死亡させた責任を問われ、S級認定を剥奪。現在は探索者免許も停止中。


 英雄と命令違反者は、見る角度が違うだけで同じ人間を指すことがある。


 報告書では、たいてい後者だけが太字になる。


「天城さんと同じ班だった人ですよね」


「天城の証言が、黒瀬の処分を決定づけた」


「その人を、天城さんの検証に?」


「だから呼ぶ。利害関係を記録したうえで、証言と物証を分ける。できる?」


「できます」


 答えた直後、遺体確認室の扉が開いた。


 ノックはなかった。


 入ってきた長身の男は、まず左の非常口を見た。次に私と主任。壁際の警備員。検査台。天井の換気口。最後に、閉じた扉へ視線を戻す。


 出口、人数、遮蔽物。


 事故資料に記載された、黒瀬迅の現場習慣と一致した。


 右肩から腕にかけて、服の上からでも分かる古い傷がある。左手には黒い耐魔手袋。首から下げた探索者証には、赤字で資格停止中と表示されていた。


「黒瀬迅だ」


「迷宮事故調査院の真壁依織です。本件の担当調査官です」


 彼の視線が私の新品の調査服を一往復した。


「新人か」


「新品なのは服だけです、と言いたいところですが、残念ながら中身も本日からです」


「正直なのは長所だな。現場では短所になる」

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