18話 舞い散る粉と鉄槌
【前書き】
いつもお読みいただきありがとうございます!
第18話は、いよいよバッカスとの決着編です。
生活魔法がまさかの「物理法則」を味方につけて大暴れします。
圧倒的な死のプレッシャーを放っていた初老の男が煙のように姿を消し、地下室には重苦しい静寂だけが残された。
「ふぅ……ひとまずは助かったみたいね」
張り詰めていた空気が緩むのを感じながら、結は小さく息を吐いて立ち上がった。自作の現代風な下着姿という、元教師としては致命的に威厳のない格好ではあるが、今はそんなことを気にしている余裕はない。
「い、いてててて……ッ!」
壁際まで吹き飛ばされていたココが、顔をしかめながらゆっくりと身を起こす。結が素早く彼女の状態を確認すると、どうやら骨折などの酷い怪我はないようで、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。
傍らにへたり込んでいる圭も、規格外のステータスを持つ男の殺気にまだ小刻みに震えてはいるものの、外傷は見当たらない。
「で、ソフィ。とりあえず状況を教えてもらえるかしら?」
結は、自身のシャツを羽織らせた六歳のソフィの目線に合わせてしゃがみ込み、優しく問いかけた。
ソフィは小さく頷くと、震える声で事の顛末を語り始めた。彼女の話によれば、治癒院での手伝いを終えて帰る道すがら、突然見知らぬ男たちに襲われ、気づけばこの屋敷の地下に連れ込まれていたのだという。絵に描いたような誘拐だった。
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。
「あの……私以外にも、もっと下のお部屋に、いっぱい子供たちが捕まってるの……。三十人くらい……」
その言葉を聞いた瞬間、結の瞳の奥に冷たい怒りの炎が灯った。
元教育者として、これほど許しがたい悪行はない。結はすぐさま圭とココを伴い、さらに深くへと続く隠し階段を下りていった。
地下二階に相当するそこは、薄暗く淀んだ空気が漂う牢獄だった。鉄格子の中には、ソフィの言葉通り、恐怖に身を寄せ合う三十人近い幼い子供たちが閉じ込められていた。
結は躊躇うことなくスキル『錬成』を発動し、強固な鉄格子の錠や子供たちを繋ぐ鎖を次々と無力化していく。
「もう大丈夫よ。お姉さんたちが助けてあげるからね」
怯える子供たちを安心させるように一人一人の頭を優しく撫でた後、結は背後に立つココを振り返った。
「ココ、お願いがあるの。この子たちとソフィを連れて、先に屋敷の外へ避難してもらえるかしら?」
「わかった。……二人とも、本当にありがとう」
ココは力強く頷き、ソフィの手をしっかりと握る。そして不安がる子供たちを先導し、足早に地下室から脱出していった。
これで、薄暗い屋敷の地下に残されたのは結と圭の二人だけになった。
「さて、これからどうしようかしら」
「え? どうするって……僕たちもココたちと一緒に帰って、警察……じゃなくて衛兵のところに駆け込むんじゃないの?」
圭が当然の疑問を口にする。しかし、結は首を横に振った。
「圭、よく考えてみなさい。このまま帰って衛兵に訴え出たところで、相手はあのバッカスよ? 街の裏社会も牛耳る権力者相手じゃ、簡単に揉み消される可能性が高いわ。決着をつけるなら今しかないわ」
結の冷静な指摘に、圭はハッと息を呑んだ。
確かにその通りだ。バッカスほどの男が、衛兵や街の役人を抱き込んでいないはずがない。もしここで逃げ帰れば、証拠不十分で片付けられるどころか、逆恨みされて再び自分たちやココたちに危害を加えてくるのは目に見えていた。
「でも、じゃあどうやって決着をつけるのさ……?」
不安げに見上げる圭に対し、結はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
その表情は、かつて中学校の教室で、悪戯をした生徒を完全に追い詰める時の「白石先生」の顔そのものだった。
「ふふ……私に、ちょっといい考えがあるの!」
下着姿のまま堂々と胸を張る結の姿に、圭は一抹の呆れを感じつつも、彼女のその揺るぎない自信に不思議な安堵を覚えるのだった。
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豪華な調度品で彩られたバッカス邸の最上階。分厚いペルシャ風の絨毯が敷き詰められた主寝室で、街の裏社会を牛耳る男バッカスは、最高級のワインが注がれたグラスを片手に、一人で上機嫌に喉を鳴らしていた。
「ふぅ……そろそろ、地下の準備ができる頃かの」
口の端を歪め、醜悪な笑みを浮かべる。彼の頭の中にあるのは、金と己の欲望を満たすことだけだ。
「しかし、あの女……ココとかいう小娘の借金を全額返済してきた時は、少々苛立ったがな」
チッ、と不快そうに舌打ちをして、グラスの残りを飲み干す。
「まあいい。代わりに手に入れたあの銀髪のガキ……ソフィとか言ったか。あれを奴隷として売り飛ばせば、損失は十分にカバーできるだろうて」
通常、借金のカタなどで合法的に入手した奴隷は、表の奴隷市場で堂々と売買される。しかし、今回のように街中で力尽くで誘拐してきたような子供たちは、正規のルートに乗せることはできない。すぐに足がついてしまうからだ。
だが、バッカスには裏社会の独自のルートがあった。特にソフィのような年端のいかない可憐な少女は、一部の異常な嗜好を持つ貴族や富裕層の間で高値で取引される。
「ひっひっひ……金貨30枚、いや、300枚の利益にはなるかもしれんな。笑いが止まらんわい」
頭の中で皮算用を繰り返し、バッカスが再びワインボトルに手を伸ばした、その時だった。
――ザザーッ。
背後から、微かな異音が響いた。
「ん? なんだ?」
振り返ったバッカスの視線の先には、部屋の壁に備え付けられた巨大な石造りの暖炉があった。今は夏の盛りであり、当然ながら火など入っていない。
しかし、その使われていないはずの暖炉の煙突から、サラサラと音を立てて、何やら白い粉が滝のように溢れ出してきたのだ。
「な、なんだこれは!? 埃か!?」
あっという間に部屋の中に舞い散る白い粉。それは細かい雪のように宙を舞い、瞬く間に視界を真っ白に染め上げていく。バッカスはむせ返りながら、手で顔を覆った。
そして、異変はそれだけではなかった。
「……なっ、暑いぞ!? なんだこの異常な熱気は!」
暖炉の中だけでなく、部屋全体の温度が、肌がジリジリと焼けるような速度で急激に上昇し始めたのだ。吹き出す汗が、顔に付着した白い粉と混ざり合い、ドロドロになって流れ落ちる。息をするだけで肺が焼けるように熱い。
わけもわからず混乱するバッカス。彼が助けを呼ぼうと口を大きく開けた、次の瞬間。
――ドゴォォォォォォォォォォンッ!!
鼓膜を破るような轟音と共に、バッカスのいた主寝室が、内側から激しく爆発した。
ーーーーーーーーーー
時間は、数十分ほど遡る。
月明かりに照らされたバッカス邸の裏手。地下室から屋敷の外へ抜け出した圭と結は、夜の闇に紛れるようにして外壁の傍に立っていた。
(……春だったら、「悪い奴はぶっ飛ばす!」って正面から剣を振るって大暴れしてるだろうし、雛だったら怖がって僕の後ろに隠れてるだろうな)
圭はふと、別の場所に転移して離れ離れになっている幼馴染たちの顔を思い浮かべた。天真爛漫な春と、男性恐怖症で気弱な雛。二人も今頃、この過酷な世界で無事に生きているだろうか。
不安で少しだけ胸が締め付けられる圭だったが、今は目の前にいる頼もしい『長女』の背中を見つめ、気を取り直す。
「結姉ぇ、なんで屋根の上に?」
首を傾げる圭に対し、結は夜風に肌を晒しながらビシッと指を突きつけた。
「いいから、黙ってついてきなさい! 悪い大人には、キツいお灸を据えてやらなきゃ気が済まないのよ!」
自信満々に言い放つ結だが、その格好は自作した現代風の下着姿である。元教師としての威厳は致命的なまでに欠けている。
8歳の体になったとはいえ、中身は思春期真っ盛りの男子高校生である圭は、目のやり場に困って必死に視線を逸らしていた。
(……結姉ぇの胸、相変わらず慎ましいから下着姿でもそこまでドキドキしないんだけど、それでもなんか居心地悪いなぁ)
圭が無意識にそんなことを考えていると、不意に周囲の温度が氷点下まで下がったかのような錯覚に陥った。
「……圭」
地を這うような、絶対零度の声。
ハッとして顔を上げると、結が一切の感情を排したような凍てつく笑顔で圭を見下ろしていた。
「ヒッ……!?」
「今、私の胸が悲しいくらい平坦だから、下着姿でも全く色気を感じないって……そう考えたわよね?」
「な、なにも言ってないよ!?」
「読心術を持っていなくてもね、長年教師をやっていれば生徒の顔を見れば大体のことはわかるのよ。……この件が終わったら、たっぷりと『補習授業』をしてあげるから覚悟しておきなさい」
怒髪天を衝くほどの本気の怒気を放つ結に、圭は涙目で何度も首を縦に振るしかなかった。怒らせてはいけない地雷を、見事に踏み抜いてしまったのだ。
結はフンッと鼻を鳴らすと、壁面に手を当て、S級のギフトである『工匠』の力をもってスキル『錬成』を発動させた。音もなく石造りの壁が変形し、大人一人が登れるほどの足場が次々と形成されていく。
結の後に続き、圭もスムーズに階段状になった足場を登っていく。二人が屋根の上に到達すると、そこには太い煙突が一つだけ突き出していた。
「よし、到着ね。この煙突で間違いないわね?」
「うん。今日、この屋敷に突入する直前、僕が外から構造を調べて見取り図を書いたでしょ? あの見取り図と、以前ココの借金を返しに来た時の記憶を合わせれば間違いないよ。この煙突は、あの悪趣味で豪華なバッカスの主寝室に直結してるはずだ」
「上出来ね。窓から灯りも漏れてたし、バッカスは自室でふんぞり返っている可能性が高いわ。それじゃあ、準備はいいわね? さっき下で打ち合わせた通りにするのよ」
「うん」
頷く圭を確認すると、結は腰に提げていたウサギの顔の形をした可愛らしいポーチを取り出した。
これもまた、結が錬成と魔法付与で作り上げた特製のアイテムボックスである。見た目は小さなポーチにすぎないが、中には大きなリュックサックほどの容量空間が確保されている優れものだ。
結はウサギのポーチの口を大きく開くと、唯一の煙突の真上から、その中身を勢いよくぶちまけた。
ザザーッ!
夜闇の中を落下していくのは、拠点で準備しておいた、ポーチの限界まで詰め込んだ大量の『小麦粉』である。
「圭、今よ! 『送風』!」
「わかった! 『送風』!」
圭が煙突の穴に向けて両手を突き出し、魔法を発動させる。凄まじい風の塊が生まれ、ぶちまけられた大量の小麦粉を、煙突の奥深く、バッカスの部屋へと一気に押し流していった。
今頃、部屋の中は真っ白な粉塵に包まれているはずだ。
「次、いくわよ。『温度変化』!」
小麦粉を送り込んだ直後、結が両手を突き出し、自身のスキルを発動させた。
『温度変化』――それは本来、金属の鍛造や繊細な素材の加工において、炉の温度を緻密に管理するために使われるクラフター特有のスキルである。だが、S級である結の力をもってすれば、離れた部屋の室温を一気にサウナ以上に引き上げることなど造作もなかった。
急激な温度上昇によって、部屋の中に充満した小麦粉は極度に乾燥し、熱を帯びる。これこそが、結の狙いだった。
「理科の実験の時間よ。密閉空間に可燃性の粉塵を充満させ、そこへ高温と火種を投じるとどうなるか……身をもって学びなさい」
結の口元に、冷酷なまでの笑みが浮かぶ。
「圭、フィニッシュよ!」
「いくよ! 『発火』ッ!!」
圭が煙突の中へ向けて、小さな火の玉を放つ。
可燃性の粉塵が舞う超高温の密閉空間に、決定的な火種が投じられた瞬間――。
ゴォォォォォォォォォォンッ!!
大地を揺るがすような大爆発が、夜の静寂を切り裂いた。
屋根の上の煙突から火柱が間欠泉のように吹き上がり、バッカス邸の最上階の窓ガラスが木端微塵に吹き飛んで、夜空に破片が煌めく。
「粉塵爆発……。威力の弱い生活魔法も、科学の知識と使い方次第で立派な兵器になるわね」
オレンジ色の炎に照らされながら、下着姿の結は満足げに腕を組んで頷いた。
「結姉ぇ……怒らせたら一番怖いのは、間違いなくアンタだよ……」
圧倒的な破壊力と、それを涼しい顔で実行した元教師の姿に、圭は引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。
第18話をお読みいただき、ありがとうございました。
小麦粉と生活魔法の組み合わせ、いかがでしたでしょうか?
「生活魔法って便利……どころじゃない!」と思ってただけたら嬉しいです。
次回、第19話でいよいよリリアガルド編、第2章が完結となります。
物語の大きな節目、ぜひ見届けてください!
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よろしくお願いいたします。




