第四十五話 修正案
修正案は、理想からではなく、制約から組み上がった。
時間がない。
地上ではベルナのような村が薄れ始めている。
王都中枢も安全ではない。
深層にいる自分たちは長く持たない。
識別摩耗はすでに始まっていて、翔太は東京のアパートの玄関の色を思い出そうとして、二度続けて失敗した。
完全な再設計など不可能だ。
できるのは、最も偏りの強い優先順位の一部を、限られた範囲で書き換えることだけだった。
「全部を平等にする案は捨てる」
ミレイアが即断する。
深層の記述層を前にした彼女の声は、地上よりもむしろ研ぎ澄まされていた。
「無理です」
翔太も答える。
「資源流量が足りない。今の基盤損傷率で全域一律保護に振ると、中枢も外縁も両方落ちる」
理想は分かる。
だが現実の設計変更は、願いでは通らない。
通すには、どこを捨て、どこを残し、どこだけをまず持たせるかの判断が要る。
「じゃあ何を変える」
ミレイアが問う。
問いながら、すでに答えの形を探している目だ。
翔太は優先順位層の分岐を見た。
都市中枢へ集中する保護流量。
外縁補助の薄さ。
記録精度の格差。
ベルナのような村が地図から消え始めたのは、単に弱いからではなく、“保持する価値の低い地点”として参照優先が落とされていたからだ。
なら、まず書き換えるべきはそこだ。
「地図と記録の保持優先です」
「先に?」
「はい。結界の厚みを全部上げるのは無理です。でも、“存在の参照”が切れたらその時点で終わる」
ミレイアはすぐ理解した。
「ベルナを残す」
「ベルナだけじゃない。辺境補助都市、物流拠点、村落登録。最低限、“世界が忘れない”ラインを中枢と別に確保する」
つまり、保護の順番を変えるというより、切り捨ての順番を変えるに近い。
美しい話ではない。
だが深層の現実は、たいていそういう形をしている。
ミレイアが別の層を指す。
「治癒と寿命補助は?」
翔太は迷った。
そこに手を入れれば、格差そのものへ触れられる。
だが流量と時間を考えると、一気には無理だ。
「今回は触らないほうがいい」
「理由は」
「副作用の予測が粗すぎます。いまは“消える場所を残す”のが先。治癒格差や寿命補助へ触るのは、もっと安定してから」
ミレイアは数秒考え、頷いた。
その頷きに、少しだけ痛みが混じる。
彼女だって、本当はもっと別の差も是正したいはずだ。
だが今回は、全部を救う案ではなく、最初の修正案を通すための設計を組んでいる。
「転移路の優先を少し落とす」
彼女が言った。
翔太は顔を上げる。
「王都から反発されます」
「知ってる。でも転移路が吸ってる流量を少しだけ外縁保持へ戻せるなら、ベルナみたいな地点の参照落ちを抑えられる」
それは大胆な案だった。
神殿と王国が最も嫌がる部分。
だが深層の計算上は合理的でもある。
転移路は中枢の都合で厚く保たれすぎている。
「下げ幅は最小限で」
翔太が言う。
「反動で物流が落ちすぎると別の崩れ方をします」
「わかってる」
二人は修正案を記述層へ組み始めた。
中枢優先分岐の一部を書き換え、外縁記録保持の最低閾値を引き上げる。
辺境補助の“削減可能”フラグを外し、転移路の常時厚保護を段階式へ変更する。
完全な平等ではない。
むしろ、ひどく限定的な是正だ。
だが、その限定性こそが今は必要だった。
「これでも、王都の一部は少し不安定になる」
翔太が言う。
「王都の誰かが、たぶん“自分たちだけ守られなくなった”と感じる」
「今までが守られすぎてただけ」
ミレイアは淡々と返す。
その返しに、彼女の怒りがまだちゃんと残っているのがわかった。
怒りが残っているから、冷静な修正案も組めるのかもしれない。
その最中、深層のさらに奥から警告に似た反応が返ってきた。
基盤が修正を拒んでいるのではない。
優先順位変更に伴う代償計算が走っている。
翔太はその流れを追い、顔色を変えた。
「代償が出る」
「何」
「識別……いや、帰還識別子側です」
自分の胸の奥がひやりと冷える。
修正を通せば、接続者の“向こう側との結びつき”がさらに薄くなる。
深層は、流量の再配分と引き換えに、接続者をよりこちら側の基盤へ固定しようとしている。
「どのくらい」
ミレイアが聞く。
声に揺れはない。
だが、その問の重さは痛いほど伝わる。
「わからない。でも……戻る可能性をかなり削る」
「あなたの?」
「たぶん、俺のほうが大きい。外部接続だから」
その言葉を言いながら、翔太は不思議なほど静かだった。
怖くないわけじゃない。
だがここまで来ると、怖さがもう何段階か奥へ沈んでいる。
目の前にあるのは選択肢ではなく、支払い方法の違いみたいだった。
「やめる?」
ミレイアが聞く。
問いはまっすぐだ。
説得も同情も混じっていない。
だからこそ、本当に自分が選ばなければならない。
翔太は一瞬だけ、東京のオフィスの蛍光灯を思い出そうとした。
白い。
少し青い。
でも、その色は前より薄い。
木村の紙コップを持つ右手。
たぶん右手。
違うかもしれない。
ベルナ。
フェイン。
北方の村。
未来の他人。
向こう側の自分。
こちら側の世界。
「……通します」
声は小さかったが、はっきりしていた。
「理由は」
ミレイアが聞く。
その問いに、翔太は少しだけ苦笑した。
前ならきっと、“世界を救うため”みたいな綺麗なことを言おうとしただろう。
でも今は違う。
「役に立たないまま帰るのが、一番怖いからです」
ミレイアは少しだけ目を細め、それから頷いた。
否定もしない。
持ち上げもしない。
ただ、その理由を受け取った。
「じゃあ、その怖さのぶんだけ残しなさい」
彼女は言う。
「修正した理由も、失うものも、全部」
その言葉に、翔太は深く息を吸った。
そして修正案を深層へ流し込む準備を整える。
完全な救済ではない。
むしろ不完全な、限られた修正だ。
だが、不完全だからこそ、まだ人間が扱える範囲にある。
それが今の答えだった。




