第二十四話 保守室の仲間たち
障害報告書が保守局内で回り始めたことで、翔太はようやくこの場所の“人間”たちを少しずつ見られるようになった。
それまでは目の前の異常と、自分が読み取れる構造にばかり意識が向いていた。
異世界で、世界そのものが壊れかけていて、自分は帰れるかどうかも怪しい。
そんな状況では、人間関係はどうしても後回しになる。
だが現場というのは結局、人が回している。
どれだけ巨大な基盤も、最後は誰かの目と手と癖に支えられている。
グランツは術式工と呼ばれているが、元は王都外郭の工房で働く鍛冶師だったという。
武器ではなく、結界柱の金属帯や術具の留め具、転移門の補助環を作っていた。
戦争で工房が徴発され、現場補修に駆り出され、そのまま保守局へ引き抜かれたらしい。
「術式なんて最初は嫌いだったぞ」
昼休み、部屋の隅で硬いパンをかじりながら、グランツは言った。
「見えないくせに壊れるし、壊れた原因を聞くと大体“古いから”で済まされる。鍛冶なら、割れたら割れた形で分かるのにな」
「今は違うんですか」
翔太が聞くと、グランツは肩をすくめた。
「今も半分嫌いだ。だがまあ、金属だけじゃ人は守れんと分かった」
その“守る”という言い方に、翔太は少し引っかかった。
グランツはぶっきらぼうだが、壊れたものを直す理由に、最初から人が入っている。
木村にも少し似た種類の実務家だった。
エルドはさらに異色だった。
神殿の学究側で古記録の整理をしていたが、ある時期から儀礼文として扱われていた古板の一部が、実は障害記録に近いと主張して疎まれたらしい。
いまは半ば追いやられる形で保守局にいる。
だが本人はそのことを大して気にしていないように見える。
「追い出されたのではなく、近づきたい棚のそばに座れただけじゃ」
そう言って、古板の埃を払う姿はむしろ満足げだった。
「学者って、もっと偉そうなものかと思ってました」
翔太が言うと、エルドは鼻で笑った。
「偉そうなのもおる。じゃが本当に知りたい者は、だいたい埃まみれになる」
その言葉に、翔太は自分の世界でも似た人種を思い出していた。
肩書より、古いログや誰も読まない仕様書に時間を使う人たち。
役職は高くなくても、現場の深いところを支えている人たち。
記録補助の若い術官、サナは保守局のなかでは比較的新参だった。
まだ手が遅く、たびたび緊張で報告書の文字を飛ばす。
だが目はよく、監視盤の微妙な色変化を拾うのが得意だった。
「私、式そのものは深く読めないんです」
ある夜、監視盤の控えを写しながら彼女は言った。
「でも、盤面の癖なら少し分かる。昨日までと今日で、どこが違うか、とか」
「それで十分じゃないですか」
翔太が言うと、サナは少しだけ驚いた顔をした。
「十分、ですか」
「現実でも、全部読める人ばかりじゃないです。むしろ、全部は分からなくても、違和感を拾う人がいないと困る」
それを聞いたサナは、照れたように笑った。
自分の役割を“補助”だと思っている人間は多い。
だが現場では、補助のほうが先に異常を見つけることも珍しくない。
もう一人、最近保守局へ頻繁に出入りするようになった男がいた。
名をレオン。
元は辺境守備隊付きの地脈監視員で、結界外縁の流れを読む役目をしていたらしい。
痩せた体つきで、無駄に口数が少ない。
だが地図と観測値を前にすると、誰より細かくなる。
「ここ、地脈の脈動が一拍だけ遅れる」
そう言って示された線は、翔太には最初わからなかった。
だが監視盤の夜間変動と重ねると、たしかに記録系障害の起きる場所と弱く相関していた。
「よく見つけますね」
翔太が感心すると、レオンは地図から目を離さずに答える。
「見ないと死ぬ場所にいたから」
それ以上の説明はなかった。
けれど、その短い言葉だけで十分だった。
ここにはそれぞれ、別々の壊れ方の記憶を持った人間が集まっている。
だからこそ、同じ異常を見ても拾う角度が違う。
翔太は数日かけて、それぞれの癖を少しずつ覚えていった。
グランツは補修のしやすさから逆算して継ぎ足しの無理を読む。
エルドは古記録から“本来そうではなかった形”を掘り出す。
サナは監視盤の小さな揺れの違和感を拾う。
レオンは地脈や外縁の脈動から広域変動を感じ取る。
ミレイアはそれら全部を運用の順序へ落とし込む。
そして、自分は何か。
翔太はときどきその問いを考えた。
たぶん、自分は構造を跨いで見る側だ。
現実のコードと、この世界の術式。
記録と運用。
局所障害と基盤障害。
名前の違うもののあいだに、同じ壊れ方を見つけてしまう。
それは便利な能力かもしれない。
だが同時に、見なくていいものまで見てしまう癖でもある。
ある晩、保守局で珍しく静かな時間があった。
外から新しい障害報告は来ず、監視盤も大きくは揺れていない。
こういうとき現場では、皆が少しだけ人間に戻る。
グランツが工具の手入れをしながら言った。
「お前、最初は三日で逃げるかと思った」
翔太は顔を上げる。
「そんなにですか」
「異邦人だし、顔色悪かったし、見るたび何かに怯えてた」
「今もあんまり変わってないと思います」
グランツは笑った。
「違うな。今は怯えてるだけじゃなくて、考えてる顔になった」
その一言に、翔太は返事に困った。
褒められているのか、余計に深みに入っていると言われているのか、どちらとも取れたからだ。
エルドが棚の前でぼそりと言う。
「逃げる時は考える顔をしておるほうが危うい」
「縁起でもないこと言うなよ」
グランツが返す。
サナが苦笑し、レオンは黙ったまま地図へ目を落としている。
その光景を見て、翔太はふと、不思議な感覚に襲われた。
ここは異世界で、神殿の地下で、世界障害の最前線だ。
それなのにこの瞬間だけ、どこか会社の夜に似ていた。
大きな障害の谷間に訪れる、短い人間らしい時間。
ミレイアが最後に保守室へ戻ってきたのは、その少しあとだった。
手に書面の束を持ち、疲れた顔をしている。
「上層の承認、二件だけ通った」
「少なっ」
サナが声を上げる。
ミレイアは肩をすくめた。
「でも、二件通れば動かせる人も出る」
その言葉に、グランツが立ち上がる。
レオンが地図を寄せる。
サナが記録板を準備する。
エルドは古板を持ったまま席を移る。
誰かが号令をかけたわけでもないのに、保守室の人間たちが自然に仕事へ戻っていく。
翔太はその光景を見ながら、小さく息を吐いた。
この場所は寄せ集めだ。
背景も立場も違う。
上から見ればたいした権威もない。
それでも、世界が壊れかけたときに最後に前へ出るのは、たぶんこういう連中なのだろうと思った。
その夜、自分の机へ戻った翔太は、記録ノートの余白へ名前を書き並べた。
ミレイア。
グランツ。
エルド。
サナ。
レオン。
それぞれの横に、ひとことずつ癖を書き足す。
運用。補修。古記録。違和感。地脈。
書き終えたあとで、翔太は少しだけ手を止めた。
これはたぶん、ただの覚え書きではない。
未来のどこかで、自分がこの人たちを失う可能性を、どこかで予感している記録でもある。
だからこそ、残しておきたかった。




