61.返らないもの
事件から数日経った。
夏休みはまだ続いていたけれど、あの日以来何もかも変わってしまった。
流と共に洞窟から帰ってきた時、鈴音は何も言わず京一を抱きしめ、お帰りとだけ言った。
京一も、ただいまとだけ言って、3人で早めの夕食を取った。
家族でとりとめの無い会話を交わし、事件の件については一切触れなかった。
その日京一は疲れたので早めに寝たが、夜中にトイレに起きた。
トイレから戻る途中で、両親が何かを話してるのがドア越しに聞こえた。
何を話してるかはよく聞こえない。
眠気も残ってたので、部屋に戻ってまた布団に入った。
翌朝、二人の京一に対する態度はいつもと変わらなかった。
色々訊きたいことはあったが、二人の態度はそれを許さない空気があった。
父は、村の人達との話し合いがあるからと集会場へ向かった。
京一は村の広場へと向かった。
そこには三太と美香が居た。
「どうしたの?なんか変だよ?二人とも。」
二人の態度の微妙な変化を美香は見逃さなかった。
「別に変じゃねえさ。変なこと訊くなよ。」
三太はムキになって誤魔化した。
「他のみんなは?」
誰にともなく京一が尋ねた。
「いつもの場所に行ったよ。俺はもう関係ないしな。」
「それでいいの?」
「あんな大口叩いておいて、今更戻れないだろ。それに今のほうが気楽だよ。お前たち、行きたかったら行ってもいいぞ。」
どうやら本気らしい。
「美香ちゃんはどうしたい?」
京一は、一応という感じで彼女に訊いた。
「嫌だよ。あんな事があった後に行ったって、仲間はずれにされそうだし。」
そう言ったっきり、しばらく無言の時間が続いた。
「どうしようか。夏休み、まだ始まったばかりなのに。」
誰にともなく美香が呟く。
「じゃあさ、やる事無さそうだし、3人で宿題やっちゃわない?早めに全部終わらせたら楽になるし。」
京一がそう提案すると、意外にも二人とも乗ってきた。
そうして、京一の家で、3人で勉強しようということになった。
「ごめんくださーい。」
揃った声に、鈴音が出ると「あらあら、ご苦労さま。京一から聞いてるわよ。ちょっと呼んでくるから待っててね。」と二人に告げた。
「いらっしゃい。待ってたよ。」
京一はそう言うと、普段は客を招くときに使う、大きめの和室に案内した。
そこに大きめのテーブルを置けば、三人で勉強するにも支障はない。
三人は黙々と宿題をこなしていった。
解らない所は三太が教えてくれた。
前日の出来事に関しては、誰も口を開かなかった。
一時間ほど経ったとき、鈴音が飲み物とお菓子を持ってきてくれた。
「頑張って疲れたでしょう?一休みしなさいな。」
そうとだけ言って、部屋を出ていった。
三人はそれぞれお礼を言うと、飲み物を飲んだ。
「ねえ…」と京一の方から話の口火を切ってきたのは、飲み物を飲んで、お菓子を食べてひと心地付いた頃のことだった。
「二人は昨日帰ってから、親に何か言われた?」
二人は首を振った。
「気持ち悪いくらい何も触れてこなかったよ。」
「美香ちゃんのところは?」
「あたしのところも何も言ってこなかったよ。だからあたしの方でも何も言わなかった。」
「お前の父さんに何か言われてんじゃねえの?まあ、訊かれないことをわざわざこっちから言ったりしないけどよ。」
ため息を就くようにそう言うと、ゴクゴクとコップの中身を飲み干した。
「宿題の続き、やっちまおうぜ。」
三太の言葉に、二人はテキストとドリルを広げた。
それは鈴音が二人の帰りを促しに来るまで続いた。
「明日どうする?」
京一が二人に訊く。
「また来るよ。」
「俺も。」
太陽は西の空を徐々に茜色に染めようとしていた。
そうして二週間。
二人は京一の家で宿題をするのが恒例になった。
ある日、いつものように京一の家を出ると、三太と美香の両親が、流と一緒に拝殿から出てきた。
「父さん、どうしたの?」と三太が訊くと、「ちょっと挨拶に来たんだよ。お前ら毎日来てるそうじゃないか。」と、三太の父親は言った。
「大げさだなあ。」
「しょっちゅうお世話になってるなら、挨拶に伺うのは当然のことだ。」
三太の父親は、そう言いながら三太の頭を軽く小突いた。
「では、流さん、長い時間ありがとうございました。それでは失礼します。」
美香の父親がそう言って、深々と頭を下げた。
遅れるように、三太の父親も頭を下げ、流もいえいえと言いながら頭を下げた。
「ほら、お前たち、もう帰るぞ。」
そう促されて、二組の親子は境内の階段を降りて帰っていった。
また一週間ばかりが経った。
その日、二人は手ぶらでやってきた。
「どうしたの?今日は勉強やらないの?」
京一が二人に訊くと、釈然としない表情で、ちょっと話があるという。
「だからお前んちじゃなくて、いつもの広場で話しようぜ。」
三太にそう言われて、三人は広場へと移動した。
「話ってなに?」
京一はシンプルにそう訊いた。
「うん…それがな…」
三太はそう言ったっきりだ。中々本題に入ろうとしなかった。
「一体どうしたんだよ。何か話しづらいこと?」
京一の畳み掛けに、三太は意を決したように言った。
「近いうちに引っ越すことになったんだ。」
京一は、三太が何を言ってるのか一瞬理解できなかった。
「え…?ちょっと何言ってるか分かんないよ。」
「だから!
俺んちと美香んちが近いうちに引っ越すんだって!」
三太が大きい声でそう言うと、美香がワーッと泣き出した。
「泣くな!バカヤロウ。」
三太はそう言って唇を噛んだ。
「そんな…一体どうして!」
やっと理解した京一は、思わず大声で詰問口調になってしまった。
「知らねえよ、そんなの!」
三太も京一に釣られてついつい大声になる。
「街の工場で…社員寮に入るって。」
「そうなんだ…」
京一はそう言ったっきり首をうなだれさせた。
知らず知らずのうちに、涙が浮かんでくる。
「お前まで泣くんじゃねえよ、バカ。」
そう言う三太の目からも涙が滲む。
「ゴメン…せっかく仲良くなったのになぁ。」
三太にそんな殊勝な事を言われても、京一には何と返したら良いか分からなかった。
ただ無言で首を左右に振るばかりだ。
それからしばらくの間、押し殺したような泣き声と、時おり鼻をすする音だけが響いた。
その日の夕食時。
「お父さん。
三太から、近いうちに引っ越すって聞いたよ。」
京一は、鈴音の手製のカレーを食べながら父に訊いた。
「そうか…聞いたか。」
流はコップの水を一息で飲むと、そう言って溜息をついた。
「まあ…いずれ分かることだからなあ。」
「知ってたの?」
京一は驚いた顔をした。
「まあ…な。」
そう言った流は、苦いものでも飲み込むような顔をした。
「何で教えてくれなかったの?」
「ハッキリ決まるまでは内緒にしておいてくれって言われたんだよ。」
「そんな…」
「お前は三太君から今日聞いたのかい?それなら三太君も親御さんから聞いたのは今日だ。だから三太君を責めちゃいけないよ。」
流はそう言いながら沢庵をひと切れつまんだ。
「お父さんはいつから知ってたの?」
「前にうちで美香ちゃんと三太君の両親に会っただろう?その時に相談を受けてたんだ。」
「なんて?」
「それはよそ様の家の話だよ。お前にだって言うことは出来ないよ。」
それを聞いて京一は、ご馳走様も言わずに自分の部屋に引っ込んでしまった。
「京一!」
鈴音は部屋に行こうとする京一を呼び止めようとした。
「いいから。今はそっとしておいてやりなさい。」
流は鈴音にそう言った。
「でも…」
「あいつの気持ちも分からんでもないからなあ。」
そう言いながら、また沢庵をひと切れ摘んでポリポリと噛み締めた。
それ以来、3人で集まって夏休みの宿題をしようという話も立ち消えになってしまった。
京一へ、行っても良いかという連絡も無かった。
かと言って、二人が省吾のグループへ行ったという訳でもない。
そもそも省吾はまだ入院中だった。
流の話によると、体調はほぼ戻っているものの、事件当日の記憶はほぼ無いそうだ。
皆と森へ行った所で記憶は途切れているらしい。
夜中に悪夢にうなされて、大きな叫び声を上げることがあるとも言っていた。
催眠療法を施すために、もっと大きな病院に移すことになったとも聴いた。
村に戻ってくるのはまだしばらくかかるということだ。
京一は、それらの話を聞いても、特に何も感じることができなかった。
そうしてある日、三太が訪ねてきた。
「ちょっと外へ出れるか?」と言ってきたのは、多分流や鈴音に色々と言われるのを避けたかったという部分もあったのだろう。
いつもの広場で、二人でブランコに乗りながら話をした。
互いに顔を突き合わせて話すのが辛かったからというのももちろんあった。
「すまんかったな。ずっと連絡してないでおいて。」
二人で前を見てブランコを漕ぎながら三太は言った。
「ううん。気にしなくていいよ。気持ちは…何となく分かるから。」
「そう言ってくれると…助かるわ。はは…。」
三太は自嘲気味に軽い笑い声を立てた。
「今日な…美香も連れてこようと思ったんだけど…お前の顔見ると辛くなるからって…」
「うん…」
「そんなこと言われると…無理言えないよな…。」
「うん…」
ブランコはいつの間にか止まっていた。
「そんでな…そんでな…明日…に、決まったよ…引っ越し」
「え?」
京一はその時初めて三太の方へ顔を向けた。
「何時?見送りに行くよ。」
「いいっていいって。」
三太は遠慮がちに言った。
「行かせてよ。もう最後じゃん。」
京一は、絶対に譲らないという熱を込めて言った。
「分かったよ。
一時までに荷物まとめて、全部トラックに積み込め次第、引っ越しトラックと一緒に、車に乗って村を出る。」
「そう…。」
三太と美香が明日には村から居なくなる。
いよいよ明日かと思うと、急に実感が込み上げてきた。
「おお!神主さんとこの息子と三太じゃないか!」
通りがかって、そう声をかけてきたのは源さんだった。
「源さん!」
二人は思わず声を揃えて言ってしまった。
「三太…明日でお別れだな。」
源さんはシワだらけの顔で優しく笑いながら言った。
「うん。源さん、今までありがとう。」
三太は何か辛いことがあったとき、よく源さんの家に行ったりしていた。
源さんは何も詮索せず、黙って飲みものを出してくれて、お菓子も食べさせてくれたりした。
そんな源さんだけど、必ず日が落ちる前には帰らせていた。
そうして帰らせるとき、必ず言う一言があった。
「気が済んだか?」
子どもたちが、それでうんと言うと、じゃあまたいつでも来いと言うし、何も言わないでいると、やっぱりその時も同じセリフだった。
三太は涙が滲んできた。
「なんだお前?いい歳した男の子が簡単に泣くんじゃないぞ。」
源さんはそう言いながら、無骨な手でワシワシと三太の頭を撫でた。
「うう…源さん…」
我慢しようと思っても溢れる涙を止められない。
それを見て京一も泣けてきた。
「お前ら、まだここに居るか?」
その質問に、二人はうなずくと、じゃあちょっと待ってろと言って、源さんは自宅に何かを取りに戻った。
そしてすぐ戻ってきた。
手には3本の缶ジュースを抱えていた。
「皆で飲もう。別れの盃ってやつだ。」
源さんはそう言って、二人に手渡した。
3人で同時に缶に口を付けて、ひとしきりゴクゴクと飲む。
「三太。元気でやれよ。向こうでも。」
源さんはニッコリと笑いながら、また三太の頭をワシワシと撫でる。
「うん。」
そう返事をしながら、残りのジュースを一息で飲み干した。
「村のことが忘れられなかったら、来れるようになったときにまたここに帰ってきたらいいさ。な?」
三太は何も言わずに頷いた。
「また来い。
ワシはずっとここに居る。」
源さんはそう言い残して、二人から缶を回収してから家に帰った。
そうして夜が来て、また朝が来た。
別れの朝だ。
「来るなって言ったって、どうせ来るんだろうけど、出発時間近くまで来るなよ。手伝おうなんて思わなくていいから。」
前の日、三太はそう言っていた。
「え…?」
京一は呆然とした顔で三太を見た。
「勘違いするなよ。来られるのが嫌って訳じゃないんだ。
でも……分かるだろ?」
そう言われると、京一としてもそれ以上は何も言いようがない。
そう言いたくなる三太の気持ちもよく分かるからだ。
京一は何も言わずに頷いた。
翌日、京一は昼近くに三太の家へ向かった。
「京一!お腹の具合はもう良いのか?」
先に手伝いに来ていた流が、京一を見て声をかけていた。
実は朝からお腹が痛いと嘘をついて、家を出る時間を送らせていたのだ。
「お母さんは?」
「美香ちゃんの家の方の手伝いに行ってるよ。」
流は荷物を積み込みながら京一に言った。
「家の中に…三太君居るぞ。」
父に促されて、京一は家に入っていった。
「お邪魔します。」
おずおずと、といった感じで、京一は中に入った。
もう既に荷物の大半は片付けられて、家の中はガランとした感じだった。
後はいくつかの、荷物を詰めたダンボールが、部屋のあちらこちらに置かれているような状態だった。
三太は邪魔にならないように、部屋の隅っこで漫画を読んでいた。
目を上げて京一に気付くと「案外早かったな」と言った。
「これでも遅く来たんだけどな。」
「ま、いいや。読むか?」
三太はそう言って、読みかけの漫画本を京一に渡そうとした。
「いや、いいよ。」
京一はそう言って、三太の隣に座った。
暫くの間、二人は黙って座っていた。
「お前、美香の所には寄ったのか?」
京一は黙って首を左右に振った。
「じゃあ、ここもまだ暫くかかりそうだから行ってみるか。」
三太に促されて、二人は美香の家へ向かった。
行ってみると、ここでも引っ越しのための作業が忙しそうに行われていた。
荷物の積み込みのために、玄関の引き戸は開きっぱなしになっていた。
「京一、お腹の調子はもう良いのかい?」
京一は母からそう声をかけられた。
鈴音は美香の母親達と、荷物が撤去された場所の掃除をしている最中だった。
「うん、大丈夫。美香ちゃんのお父さんとお母さんは?」
「積み忘れや、壊れやすいものが下になってないかの確認のために、トラックに居るよ。」
「そう。」
「美香ちゃん訪ねてきたんだろ?自分の部屋にいるよ。」
鈴音からそう聞いた二人は、美香の部屋に向かった。
ドアをノックすると美香が出てきた。
「京ちゃん!三ちゃん!」
美香は驚いたような顔をして二人を迎えた。
「入っていいか?」
三太がそう訊くと、美香はいいよと言って二人を招き入れた。
部屋の中は殆どの荷物が撤去されてガランとしていた。
「何も無くなっちゃったね。」
京一がそう言うと、美香は「もうすぐ出発だしね」と言った。
「そう…だよね。」
ドアの向こうからは働く人たちの足音が聞こえる。
「京ちゃん、顔出さなくてゴメンね。」
美香は申し訳無さそうに言った。
「別にいいよ。
気持ち…わかるし。」
そうは言ったが、顔をまともに見ることはできない。
そのうちに、美香が涙をポロポロとこぼし始めた。
両手で顔を覆う。
「こんなふうな顔を見せるのいやだったからさぁ。だから嫌だったんだよ。」
美香は必死に鳴き声を堪えながら言った。
別れが辛いのは皆一緒なのだ。
「我慢しなくていいよ。」
京一は慰めるように言った。
「源さん言ってたぞ。
いつか自分で来れるようになったら、又来ればいいって。」
三太が励ますように言った。
「うん。うん。そうだね。」
何度も頷きながら、美香はそう言った。
そこへノックの音がして、鈴音が顔を出した。
「美香ちゃん。荷物が積み込み終わったわよ。」
そう促されて、三人は部屋を出た。
美香の家のトラックの隣には、ワゴン車が止まっていた。
その側には三太と美香の両親が立っていた。
「そろそろ行くぞ。車に乗りなさい。」
そう言われて、二人はワゴン車に乗り込んだ。
二組とも、目指す所は同じなので、一台の車で行こうとチャーターしたものだ。
エンジンがかかった。
回転を安定させるために、一度大きな音が轟き渡った。
排気ガスの香りが周囲に漂う。
「じゃあ…元気でな。」
「京ちゃん、元気でね。」
二人は窓から顔を出して京一に言う。
「うん。二人も元気でね。」
何とか笑顔を作れただろうか。
自信は無かったが、これが精一杯だった。
「加賀美さん、長い間お世話になりました。」
二人の両親も、流と鈴音にお礼を言った。
「またいつでも遊びに来て下さいね。」
鈴音は笑顔でそう応えた。
その手は京一の両肩に置かれていた。
ゆっくりと車は走り出した。
10メートル。
20メートル。
京一は冷静に手を振っているように見えた。
30メートル。
堪えきれない様子で、鈴音の手を振り払い、走り出した。
車は加速していく。
とても追いつけるものではない。
京一は全力で走った。
車はどんどん遠くに、小さくなっていく。
今自分がどんな顔をしているかもわからない。とにかく走らずにはいられなかった。
最後までにこやかに送り出そうと思っていたけど無理だった。
走っているうちに、躓いて派手に転んでしまった。
膝からは血が滲んでいた。
「うわーっ!」
思わず叫び声を上げる。
血を吐くような叫びだった。
それは血が滲んだ膝が痛いのか。
それとも心が痛いのか。
どっちなのかもよく分からなくなっていた。




