第九十話 椿姫
前回
首領補佐・八社女征一千の提案で父、道成寺太から弟の陰斗を引き離す事ができた椿陽子だったが、陰斗は突如苦しみだす。
八社女に話を聞いた陽子は器を超えた神為の上昇が原因らしく、これを解決する為には東瀛除丸によって神為を打ち消す必要があると知り、これを手に入れる為に再び久住双葉を利用しようと考える。
八社女はそんな陽子の決意の裏で神瀛帯熾天王としての同志、推城朔馬と連絡し、麗真魅琴と根尾弓矢に加え岬守航を脅威として抹殺の対象に入れることを企んでいた。
更に、気の触れた首領Д・道成寺太は資産家の邸宅を襲撃し金品と屋敷を強奪した上更なる凶行を企んでいた。
道成寺太は椿家に近づく際、名を安珍清と偽っていた。
彼との間に双子の二児を設けることになる椿真理の父親、聖明は独自の武術流派を興したが、娘の結婚相手としても流派の後継としてもこの「安珍清」を信用し切っていた。
しかし真理に横恋慕していた弟子の一人が信頼の厚い一番弟子を追い落とすべく調査した情報によって偶然、安珍の正体が道成寺だと知ることになった。
当然、聖明は直ぐに道成寺を破門にし、娘との婚約も解消させ、彼を警察に突き出そうと考えた。
だが道成寺太の『術式神為・神威』には対象となった女に自身への強力な恋情と情欲を抱かせる力があり、真理は道成寺との駆け落ちを選んでしまった。
その後、二人の間には双子の陽子と陰斗が生まれたのだが、この頃はまだ武装戦隊・狼ノ牙の規模もそれほど大きくはなく、重要人物の隠匿能力も低かったので、五年ほどで道成寺は在宅中に警察に踏み込まれた。
道成寺はすぐさま自身の身を軽くして逃亡することを選択し、内縁の妻真理を殺害。
娘の陽子は敢えて生かしたまま残し、転生の為に必要な男児である陰斗は盾にしつつも確保して警察から逃げ切った。
⦿⦿
その後警察に保護された陽子は椿家に引き取られ、亡き娘から産まれたたった一人の孫として大切に育てられた。
狼ノ牙に陽子を狙われることを危惧した椿聖明は道場を畳み、住所も州を跨いで大きく変えた。
彼が興した「椿流洋式剛体術」はひっそりと陽子に基礎の部分だけ教えられることになった。
そして当然、陽子は祖父母に両親の事、特に父親について詮索することは固く禁じられた。
しかし彼女はずっと離れ離れになった弟のことを忘れることが出来なかった。
彼女が十二歳になった時、漸く祖父母は彼女に母の駆け落ちについてだけ教えてくれた。
しかし、それだけだった。
何故駆け落ちしたのか、相手は何者だったのか、その他は一切話して貰えなかった。
陽子は十五歳の時、遂に家を飛び出して弟を探し始めた。
頼れるのは母の足跡だけ。
母がどのような人間と出会い、何を思って生きたのか、それだけが頼りだった。
⦿⦿
一方で父親である道成寺もまた陽子のことを求め始めていた。
それは息子の陰斗に特異な傾向を持った神為の才覚があると解ったからだ。
通常、皇國の貴族たちは子息に対し三~五歳頃より東瀛丸を与え、神為の資質を図る。
子供は神為の成長が遅く、東瀛丸を服用し始めた頃はじっくり様子を観察しなければならないが、才能のある者は三年程度で大きく神為量を伸ばし始める。
同じように道成寺も陽子と陰斗に別れるまでの二年間、陰斗にはその後も継続して東瀛丸を服用させ続け、一応は戦力としても育てていた。
奇妙なのは、陰斗が通常と異なり最初の二年で異常に神為を伸ばし、その後は並程度の成長率に収まったということだ。
武装戦隊・狼ノ牙はこの奇妙な現象を見逃さず、皇國が秘匿する研究成果を調べた結果、男女若しくは一卵性双生児に於いて互いの神為に相互作用が働き神為量が急成長する現象が見られる事を知った。
ならば陽子と一緒だった頃の急成長も引き離されたのと同時期から見られた成長が鈍化も説明がつくし、再び陽子を一緒にすれば陰斗は更なる戦力として成長する可能性が高い。
更に、陽子自身にもまた神為の才能に大いなる期待が持てる。
狼ノ牙は同時期に進行させていた「双子計画」、即ち、雲野兄妹の作成と同時進行で陽子の居場所を探し始めた。
陽子が家を出て丁度一カ月後、道成寺は陽子を連れ去ろうと椿家を襲撃。
嘗ての師とその妻を殺害したが、肝腎要の娘は自分が連れて行った弟を探して家出していたというニアミスにより、彼もまた娘を探し始めた。
⦿⦿
結果、全国的な組織力を持つ父親の方が先に「母親の情報を探す椿家の孫娘」という情報から娘を見つけ出すことに成功。
自らの正体を明かし、そして弟の境遇を盾に陽子を武装戦隊・狼ノ牙の活動に渋々協力させ始めたのだ。
陽子が十八歳の時で、この時既に皇國は今の世界で猛威を振るい混乱を巻き起こしていた。
⦿⦿
陽子は弟の陰斗と再会した。
しかし陰斗は長年受け続けた父親からの虐待染みた訓練の影響か心を閉ざし、感情を全く表に出さなくなっていた。
時折発する言葉の喋り方すら読み上げソフトの様に単調で無機質なものだった。
姉弟は基本的に道成寺太か朽縄将兵、逸見樹、沙華珠枝の内誰かの管理下に置かれたが、初期の頃はまだ監視も緩く二人きりになることも少なくなかった。
ある時、陽子は陰斗と再会した時の為にと記憶を頼りに探し当てた、嘗て母が好きだった唄を口遊んだ。
記憶違いのメロディもあり、陰斗が果たしてそれと解るかどうか確証は無かったが、数少ない「父親が絡まない母との思い出」は姉弟の絆である。
暫く唄っていると、陰斗はほんの僅かな、注意深く観察していなければわからないほど小さな微笑みを覗かせた。
やっぱり覚えていたんだ。――陽子は陰斗の中にもかつて自分と暮らした記憶の欠片が残っているのを見つけられた気がした。
唄い続けると、今度は誰の眼にも解るような、少年の様な笑顔になった。
この時、陽子は陰斗が驚くほど端正な顔立ちの青年に成長していることを漸く発見した。
今までは殆ど表情筋に力が入っておらず、折角の美貌がごくごく平凡な、何処か間の抜けた男と大して変わらない印象しか与えられていなかったのだ。
陽子はこの時、彼に本来の人生を戻してやりたいと強く思った。
もし真っ当に笑ったり、怒ったりできるような、そんな普通の人生を歩むことがあれば、弟の人生は屹度光り輝くに違いない。
陽子にとって、たった一度だけ見ることが出来た陰斗の笑顔はそれほどまでに鮮烈だった。
それ以来、椿陽子の願いは、希望は、ただ一つ。
獣同然の父を除き、肉親と呼べる唯一の存在である弟陰斗を救うこと。
それさえ叶えば後はどうでも良かった。
彼女にはもう、帰る場所も待つ人もいないのだから。
彼女にとっては弟だけが唯一だった。
日本国から連れ去った新規補充要因に紛れた公転館で久住双葉と相部屋にされ、彼女と交流を深める中で絆されるまでは……。
⦿⦿
陰斗が陽子に少しずつ心を開いていると判ると、父親の道成寺太は陽子に対して意図的に任務を与え、弟と会わせないようにし始めた。
丁度雲野研究所で続けていた「双子計画」が順調だったため、敢えて二人の神為を高め合わせる必要が無くなったというのも一つの理由だった。
そんな中の一つが、日本国より拉致し戦力として加えようとする七人の中に八人目として紛れ込み、上手く誘導、勧誘、洗脳しつつ監視するという任務だった。
目的の為、彼女は部屋割りの話を誘導して相部屋となる様に仕向けた。
それが久住双葉との出会いであった。
彼女の双葉に対する第一印象は、「チョロそう。」だった。
少し思考を誘導してやれば簡単に感化され、導きたい答えに自分で辿り着いてくれる。
そうして自然に吹き込んでやれば、都合の良い手駒が完成するだろう。
彼女はそんな考えで、「最初は自分のことを中々話さないが自分だけには少しずつ本音を聞かせてくれるようになる人。」を演じた。
双葉本来の気遣いが出来る性格が作用して、これは思いの他上手く行った。
上手く行き過ぎた。
ある時、陽子はつい陰斗に良く聞かせてやる唄を思わず双葉の前で口遊んでいた。
皇國の詩なので当然知らない双葉は、彼女に尋ねる。
「何の唄?」
「ん……?」
陽子はハッとした。
どう誤魔化そうかと一瞬考えたが、言い方を繕えば疚しいことではないと思ったのである程度正直に話してみることにした。
「母さんが良く唄っていたんだ。双子の弟が好きな唄でね。偶に口を突いちゃうんだ。」
「へえ……。どういう唄なの?」
陽子は一呼吸置いた。
そう言えば歌詞には母親が好く理由が何かあったのだろうか。
同時に、自分と陰斗を表しているようなものを感じつつ、それを陽子は双葉に伝える。
「幸せな鳥の唄。飼い主に愛され、丁寧に飼育されている。でも、彼は籠の中から出られない。鳥は本来、自由に空を飛ぶはずなんだ。その鳥は空を見上げて、鳥籠の中の幸せな生活じゃなくて新しい世界に出たいと願う。そしてある時、飼い主のウッカリから彼は鳥籠の外、大空の下へと飛び出してしまう。彼はとうとう憧れだった新しい世界で自由に飛び回ることが出来るようになった……。そんな、自由を求める鳥の唄……。」
言葉にしてみて、改めて思った。
自分はこの歌が好きだ。
そしておそらく陰斗もそうなのだろう。
「素敵な唄だね……。」
なので、双葉にそう言って共感して貰えたことは陽子にとって嬉しかった。
しかしそれは意外でもあった。
もし双葉が陽子にとって利用するだけの相手なら、彼女が唄をどう評そうがどうでもいい筈だ。
それが嬉しいのは、陽子が双葉のことを少なくとも単なる駒とは思えなくなっていることを意味していた。
そうか。――陽子は察した。
「双葉、アンタのこと結構好きかも。」
それは双葉に初めて話した陽子の嘘偽りない本音だった。
弟だけだった彼女の中に、新たに双葉の居場所が出来た。
双葉が入り込んでしまった。
それは双葉との絆を築く上では大変有利に働いたが、裏切る上では陽子を苦しめることになっていった。
⦿⦿⦿
十月十日、金曜日。
そして今、再び陽子は、一度は別れを決意し告げたはずの双葉を利用する。
あくまで優先順位は弟の陰斗だ。
それに、厄介ごとに巻き込むと言ってもこの程度のことならば、大した問題は無い筈だ。
日本側の責任者、東瀛除丸を管理しているであろう者の詳細を訊くくらい、迷惑にはならないだろう。
だが陽子にとって、事態は思わぬ方向に転んだ。
想像だにしなかった巡り会わせが彼女を急襲する。
「ん?」
「お?」
「あ……!」
彼女は連れ歩いていた二人の男と出会ってしまった。
久々に見る顔だ。
「岬守……! 虻球磨……!」
「椿!」
岬守航と虻球磨新兒、自分達を追っている元脱走者だ。
想定外の遭遇に、陽子は動揺しながらも身構える。
二人は間違いなく自分を倒し、連行しようとするだろう。
二対一と、少々分が悪いが捕まるわけにはいかない。
だが、そんな彼女に新兒は意外なことを言い出した。
「よー椿、随分久しぶりじゃねえか。ま、立ち話も難だし何処か店でも行こうぜ。」
彼の言葉はまるで旧友を誘う様な軽薄なものだったが、内容とは裏腹に表情と声色にふざけた様子は無く、寧ろ静かな迫力で陽子に拒むことを許していなかった。
航もそんな新兒の提案に初めは驚くような表情を見せたものの、すぐに何かを察して彼に同調した。
「そうだな。出来れば個室がある方が良いな。」
「確かに。俺はずっとお前に訊きたかったことがあるんだよ、椿。」
陽子は考える。
この際、双葉ではなくこの二人に全てを話してしまおうか。
特に、岬守航は敵に対して何処か甘い所がある。
だったら、彼らから今陰斗が抱える問題を突破できるかもしれない。
「わかった。大人しくついて行くよ。積もる話もあるしね。」
陽子は双葉に対し、キャンセルのメッセージを送ろうとした。
しかし、彼女の眼には意外な言葉が飛び込んできた。
『ごめん陽子さん。今日は先約があるから、そっちが終わってからでもいい?』
『どうしてもっていうなら陽子さんを優先するけど……。』
陽子は自分に先約があるという双葉の報告を何故か少し残念に思ったが、事ここに至ってはあまり意味も無い。
陽子は一息吐くと、双葉にメッセージを返した。
『大丈夫、こっちも事情が変わった。気にしないで行っといで。』
『また改めて、きちんと挨拶をしたい。』
それだけのやり取りを済ませ、陽子は航と新兒について行った。
大丈夫、この二人なら、話せばわかって貰えるだろう。――そう自分の胸に言い聞かせながら……。
⦿⦿
三人が入ったのは個室付きのお好み焼き店だった。
この店では自分で焼くか、焼いたものを持って来て貰うかを選ぶことが出来る。
「どうする?」
「どうって、作りながら話すのは面倒じゃね?」
「じゃあ焼いてから持って来て貰うか。」
陽子の想いを露知らぬ航と新兒はそんな会話の果てに、自分のメニューを選んだ。
「椿、お前も注文選べよ。」
「私は良いよ……。」
「選べよ。」
新兒が低い声で陽子に迫る。
「これから話す内容によっちゃ、娑婆で食う最後の飯になるんだ。好きなもん選べよ。」
どうやら新兒は陽子に対して思うところがあるようだ。
陽子にはそれが何なのか、何となくわかる。
「虻球磨、私が憎いのか。家族の仇の内通者だった私が……。」
「いいや、お前にもお前の事情があるんだろ。それくらいのことは解るぜ俺にも。ただ、一つだけ納得のいかないことがあるってだけだ。」
「何のことだよ……?」
普段はおちゃらけた新兒が見せない迫力に、彼の隣の航はすっかり黙ってしまっている。
そう言えばこの二人は公転館で相部屋だった。
そこで育まれた絆があったからこそ、今でも二人で行動したりしているのだろう。
翻って陽子は、同じものを出汁にして双葉を利用している。
この二人を見ていると、陽子の中に再び罪悪感が込み上げてきた。
しかし新兒が訊きたい事とは、それとは全く関係ない話らしい。
「俺はずっと引っ掛かってたんだ。それはあの日の朝、丁度久住ちゃんと虎駕が口喧嘩した次の日、ちょっと仲直りするような雰囲気になった時があっただろう。」
「ああ、僕が朝食の支度をしてた……。」
どうやら航も言われて初めて思い出したらしい。
ということは、彼もまた新兒の気がかりの内容を知らないということだ。
「あの朝がどうしたんだ?」
陽子は少し苛立ちを覚えて新兒に問い返した。
彼女としては、早く本題に入りたかった。
それだけに、勿体ぶった言い方が癇に障ったのだ。
「あの時、俺の妹とお前の弟の話になったよな? 妹煩悩が過ぎると本人に嫌がられるとお前は言った。あの後、お前に双子の弟がいると初めて知ったわけだが、その直前に言ったこと覚えてるか?」
「ああ……。」
新兒にとっての本題は極めて些細な事だった。
だが確かに、後になって思い返せば気になる事だろう。
「言ったね、確かに。『まあ妹には会えないんだけど。』ってさ。」
「そう、それだ。その後でお前にも弟がいるという話になって、状況が状況だけに拉致されて遠く離れちまってもう家族に会えないんじゃないかという意味だとみんな思った。だがな椿、お前が狼ノ牙の内通者だってんなら話は別なんだよ。」
新兒は眉間に皺を寄せ、今にも人を殺しそうな鋭い視線で陽子を睨んだ。
嘗て粗大塵と呼ばれた不良の時も、こんな目で相手を脅したのだろう。
「あれ、本当はどういう意味だったんだ? お前は俺の妹が、家族が梶ヶ谷に、狼ノ牙にみんな殺されて既にこの世にいねえと、知っていたのか? それがずっと気になって、次に会うときは訊いてみてえと思ってたんだ。」
新兒の問いに陽子は瞠目して怯んだ。
はっきり言ってそれは揚げ足取りの様な細かいことだが、そこには別の根本的な問い掛けも含んでいた。
お前は自分がどういうことに関わっていたのか、何処まで自覚的なのか。
お前が関わってきたことは、目の前にいるものから大切な者を全て奪っていったということをちゃんと解っているのか。
何もかも解っていて、開き直っているどうしようもない人間なのか、それとも葛藤を抱えつつも自分に言い訳をし続けているのか。
陽子は息を呑み、答えた。
「確信は無かった。だけど、そういう想像はできていた。」
「つまり国を跨いで離れ離れだから到底会えねえって意味じゃなく、もうとっくに死んじまってるよって意味だったのか?」
「……そういうことになるかな。」
陽子の答えに新兒は一つ、大きな大きな溜息を吐いた。
今にも個室が震え出しそうなほど、隠そうともしない殺気が彼から溢れ出していた。
「岬守、いざとなったら抑えてくれや。何かのはずみで椿のことをぶん殴っちまうかもしれねえ。」
新兒は額に青筋を浮かべ、自分の感情を必死で抑えている。
航はそんな隣の男に一瞬驚いたように目を向けたが、彼が手を出すことは無いと確信したように陽子に向き直った。
そして、彼女に落ち着いた口調で問い掛ける。
「椿、お前久住さんと日本で何度か会ってるよな? 一度目は魅琴と雲野兄妹が入院していた病院を聞き出した。で、それ以降は何やってたんだ? やっぱり狼ノ牙の為に利用してたのか?」
航の問いに、陽子は考える。
既に彼女の中で、二人に助けを求めようとは決めていた。
だが、その為には言葉を選ばなくてはならない。
「利用したとすれば、私の事情の為かな。その事情について、アンタ達に話したい。もっと言えば、助けて欲しい。」
「助ける?」
航と新兒は怪訝そうな表情を陽子に向けている。
信じて貰えるだろうか、助けて貰えるだろうか。
「私だって、好き好んで狼ノ牙に協力したわけじゃない。全ては弟を助けたい一心だった。そして今、弟はとても危ない状態になっている。アンタ達の助けが欲しい。だから聴いてくれ、私の事情を。頼む!」
陽子は二人に深く頭を下げた。
航と新兒は、上目遣いに自分達を見る縋るような陽子の眼に、互いの顔を見合わせた。
そして新兒は踏ん反り返り、航が陽子に目を向けた。
「わかった。話してくれ。」
こうして二人は、椿陽子と双子の弟、道成寺陰斗に降り掛かった運命と現状を陽子の口から全て聞かされた。
道成寺太という男の非道に航は開いた口が塞がらないといった様子だった。
「酷いな……!」
航もまた、とても幸福とは言い難い家庭で育った。
だが、道成寺太という男以上に糞だと言い切れる親など滅多には居まい。
一方で新兒は温かい家庭に恵まれながらそれを奪われた。
しかし弟を想う彼女には、妹を溺愛していたことから何か思うところがあるのだろう。
既に今にも殴り掛かりそうな殺伐とした空気は彼から消え去っていた。
だが、新兒はこんなことを言い出した。
「椿、お前が弟を自由にしたいことはよく解った。だが、お前はその為に人から翼を捥ぐようなことをしてきたんじゃないのか?」
「何が言いたい?」
「死んだ親父が好きだった歌にな、空を飛びたい蜘蛛が蝶々から羽根を捥いで飛ぼうとする歌がある。だが、そんなもので上手く飛べるほど大空は甘くなかった。」
陽子は新兒の物言いに顔を顰め、つい立場を忘れて食って掛かった。
「知った風な口をきくなよ! 世の中汚れずに生きていける人間だけじゃないんだ!」
「そうだな。だけど、汚れなくていい筈だった奴もいる。」
新兒は即座に言葉を返してきた。
「久住ちゃんは本来、すんなり日常に帰れる筈だった。それをややこしい立場にしたのはてめえだろうが。久住ちゃんはいい娘だからな、てめえの力になろうとしたんだろう。だが、どうにもならなかった結果が今のこの様だろうが。違うか?」
「うぅっ……!」
陽子はそれ以上言い返せなかった。
新兒は追い打ちを掛けるように、そんな彼女を問い詰める。
「抑もな、お前等はあの時、俺達と日本に来た時に逃げるべきじゃなかったんだよ! 大人しくお縄について今の事情を話すべきだった! そうすれば拘束中に東瀛除丸を飲まされて、弟の問題なんか起きなかったはずだ! 狼ノ牙も一網打尽だった筈なんだよ! 手を汚したことを自覚しながら、償うつもりは更々なくて、で、切羽詰まったら助けてくださいなんてよ、虫が良過ぎるとは思わねえのか? あ⁉」
新兒の追及に陽子は二人をまともに見られなくなり、完全に下を向いてしまった。
もう言葉が出てこない。
今更になって何を言うのかという糾弾が彼女に深く突き刺さった。
しかし、そこで航が間に入る。
「虻球磨、ちょっとそりゃ言い過ぎじゃないか? いやまあ、気持ちはわかるけどさ。でも考えてみろよ。あの時って日本は皇國と開戦間近で、しかもまず間違いなく負けるっていう状況だっただろ? 日本に捕まってたら、敗戦と同時に間違いなく皇國に引き渡される。そうしたらどうなるかを思えば、逃げるのも無理はないだろうよ。今お前が言ったことは敗けずに停戦を迎えた今だからこそ言える後出しの理屈だ。」
「まあ、そうか……。」
窘める航の言葉に、新兒は腕を組んで考え込む仕草を見せた。
航は俯いたままの陽子に続ける。
「椿、お前と弟のことだけど、一先ずは捕まえることになる。その後だけど、まあ拉致やその他の破壊活動に加担したということでお咎め無しにはならないだろう。けど情状は酌量されるだろうからやり直しがきかないという訳じゃない。それに、皇國とは犯人引き渡し条約を結んでいないし、日本国として絶対に結べない筈だから向こうで処刑されることも無いと思う。」
陽子は顔を上げた。
航の真剣な瞳に彼女の今にも泣きそうな顔が映っている。
新兒はというと、隣で頭を掻いている。
「助けてくれるの?」
「僕達の目的はお前等に法の裁きを受けさせることであって、成敗する事じゃないからな。根尾さんとしても、陰斗に東瀛除丸を飲ませることに何の異論も無い筈だ。」
陽子の眼から大粒の涙が零れ落ちた。
今まで抑えていた感情が一気に溢れ出したようだった。
そんな彼女を見て、新兒も流石に幾分か物腰を柔らかくして彼女に付け加えた。
「ま、一度過ちを犯したらやり直す事すら許されないなんてことはないだろ。それだと俺も困るしな。罪を償った後、自分の力で空を自由に飛べるかはお前ら次第じゃねえか? 親父が好きだった歌もそういう締められ方だったし……。」
陽子は二人に何度も何度も礼を言った。
やっと解放される、陰斗を解放してやれる。――そんな喜びが彼女の胸から溢れていた。
この後、航と新兒の連絡を受けた根尾弓矢は白蘭揚羽の車を寄越し、椿陽子は彼等の滞在するホテルまで連行されて行った。
彼女から事情を聴き、武装戦隊・狼ノ牙の残存勢力の隠れ家を全て潰し、完全に制圧する。
目的達成までは後一歩だ。――航も新兒もおそらくはそう思っていた。
だが陽子を含む三人は物陰から彼らの様子を窺う一人の男に気が付いていなかった。
大柄なその男が気配を消すその技術は凡そ素人のものではなかった。
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推城朔馬、その大男は白蘭の車に椿陽子が乗せられるのを見てほくそ笑んでいた。
そして、何者か、と言ってもわかり切った相手、八社女征一千に連絡を入れる。
「八社女、計画通り、椿陽子が彼奴等の本拠地に向かったぞ。」
『推城、見送りご苦労。直ちに刺客を送らせてもらうよ。』
「労うのはまだ早いぞ。私にはこれから文字通り骨の折れる仕事が待っているからな……。」
『ははは、果たして骨折で済むかな? 』
愉快愉快といった八社女の笑い声に推城は舌打ちして電話を切った。
二人は何かを良からぬこと企んでいた。
そしてそれは、予想だにしない悲劇の幕を開けることになる。
次回更新は、11月24日㈬




