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勇者ばんぱいあ  作者: NE
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第二十二話 人外独白

真っ黒な色、だけが渦巻いていた。


風とも水とも砂嵐とも言えない、ただただ黒いだけの空間が ぐるぐると(まわ)りながら音を鳴らしている。

ごろごろ。ざらざら。じゃりじゃり。ずるずる。どろどろ。ばらばら。

種々様々な雑音が渦の内側にて鳴り響き、それ以外の何ものも其処には存在しない。


草木の一つも生息出来ない無人の荒野。

上空では渦の勢いに呑まれたために白雲さえもが姿を消して、晴れ渡る青空が遠く広がり、頂点の臨めぬ黒渦の一柱 以外に何も無い。


それを人は魔王と呼ぶ。


生命持つものでなく、意思を有するわけでもない。突如 地中より噴き出し天へと至り、以後はずっと、勇者に滅せられる時まで其処で廻り続ける魔物の始まり。人類種族の敵を生み出す、絶対悪たる自然現象。

魔王そのものに情は無い。願いも無い。魔物を生み出し続けるだけだ。


だからこそ、絶対に滅ぼさなければならない。


魔王が際限無く魔物を生み出し、生み出された魔物は生物として持って当然の生存欲求に従い、仲間の数を増やして広がり続ける。互いの領域が重なれば戦い、勝利すれば殺して食べて、敗北すれば殺される。

それは地上に生きるモノとしては当たり前の営みだ。だが、同じ地上に住まう人間達にとっては到底 許容できない事だ。


魔物は数に限りが無い。魔王から生み出されるだけでなく、自然繁殖により生物的な手段も用いて その数を増やし、本能に従い何処までも自らの版図を広げていくのだ。彼等(まもの)の繁栄には限度が無かった。だから何時かきっと、遠い時代で、魔物の存在は世界を埋め尽くして滅ぼすだろう。

魔物は滅ぼさなければならない。奴らの生まれる根源を断たねばならない。


かつての人々は神に祈ったとされる。

人を守護する数多の神は その祈りを聞き届け、世界を救う存在を喚び込む魔法を彼等に与えた。

召喚された救世主には魔物と戦う剣を授け、人々は救世主を中心とした人間の群れを率いて魔王の討伐を成し遂げた。


犠牲となった者達の死を(いた)んで涙を流し、しかし ようやく訪れた平和に皆が揃って喜び笑う。

魔王亡き後、生き残った魔物の全てが滅びるには長き時間が必要だが、それは間違いなく平和な時代。人々は救世主を讃え、城と見紛う立派な墳墓を建造した。異なる世界から喚び寄せられ、無関係な赤の他人のために命を捧げた、勇気に満ち溢れた救世の主。

かの者こそが最も偉大なる英雄。


何時かまた魔王の脅威が訪れた時、英雄の再来が必ずや人という種を救うだろう。

喜びに沸く人間種族を見下ろした神々は満足気に笑い、祝福の言葉を救世主の墓標に贈る。


――心優しき生贄よ。従順なる世界の供物よ。お前こそが真に勇気ある者よ。ゆえに お前を勇者と呼ぼう。


神々の賛辞が勇者のために建てられた墓の上空から降り注ぎ、人々は更に喜んだ。神々の口にする言葉の全ては分からずとも、自分達の救い主に手向(たむ)けられたのだ、きっと素晴らしいものなのだろう。そう心から信じて笑っていた。


未だ文明が未熟な時代、人々が無垢であった頃の事。

これから先 幾度でも繰り返される、魔王と勇者の始まりの話である。


日の差し込まぬ霊廟内の暗がりで、一人の青年が壇上(だんじょう)に安置された(ひつぎ)を前に、祈りを捧げて跪いていた。


それは溶けた黄金のような金髪を襟元に垂らす、とても美しい青年だった。

背は高く、身体も鍛えられて引き締まり、祈りを捧げるために目蓋を閉じた物憂げな表情は年頃の女性ならば思わず溜息を吐いてしまうほどの色気がある。


ただ、彼の肌は とても生きた人間のものには見えなかった。


暗闇で光る蛍石のように、しかしそれよりも 僅かに弱い、闇の中に(うす)ぼんやりと浮かび上がる青白く輝く肌の色。きっと目にする誰かが居れば、彼を人だとは思わない。良く出来た人型の彫刻か、或いは不気味な幻覚か。どちらであろうと、生きている人間と言えないだろう事に違いは無い。


長い祈りを終えたのか、ゆっくりと青年の目蓋が開かれる。

その奥から現われたのは、肌の色よりも尚深く、昼の太陽ほどに強く差す、赤く輝く異形の瞳。

日の光の下であれば多くの人目を惹いただろう美貌の青年は、しかし闇の中でしか生きられない化け物達の一員だった。


第一王子ナザレ。


かつてそう呼ばれ、今は極限られた者達にしか その存在を知らされぬ、公的に死亡した王族筆頭。

床に膝を突く姿勢から身を起こし、彼の動きに沿って不自然すぎる瞳の色が暗闇の中に赤い残光を糸引いた。

先程まで祈りを捧げていた棺に暫し視線を投げ掛けて微かな笑みを浮かべると、背を向けて暗がりの中を歩き出す。


此処は国王のための後宮、その最奥部に設けられた、王家の正統のみが踏み込む事を許される秘匿霊廟だ。


現時点で立ち入りを許可されている者は国王バプテスマのみ。

他の王族は決して訪れる事は無く、後宮に続く門扉(もんぴ)は全て国王の私兵ともされる第一騎士団、近衛騎士達の最上位たる極小数名が厳重に警備を行っている。

上位の貴族であろうと、王族の一員であろうとも、後宮に足を踏み入れる者に対しては国王直々の殺害許可が下りていた。

唯一の例外として(ナザレ)が後宮内に居るのは当然の事。彼は長らく此処に身を潜めて、外へは一切出ていない。王の後宮こそが彼の住まいだ。


第一王子ナザレが死亡したのは、十数年前の事である。

日々 版図を広げ続ける魔物達。王族の一員として、次代の国王として、民を守る正義感に衝き動かされたナザレは、自身に付き従う騎士達を引き連れ討伐軍を結成した。


当然ながら、今現在の魔王討伐軍とは比べ物にならない小規模なものである。あくまでも魔物の数を減らすための間引き作業と、魔物の存在に脅える民の不安を晴らすための出陣。王族筆頭たるナザレが前に出て成果を上げる事で、きっと皆の心は明るくなる。そう考えて行われた戦いだった。


今考えても、ナザレ当人には あの時の何がいけなかったのかが分からない。

戦力が足りなかったのだろうか、魔王から程遠い位置だという油断があったのだろうか。若さゆえの血気に(はや)って戦術が雑になっていたのか、はたまた魔物達の攻勢が予想以上に激しかったからなのかも知れない。


結果として、国の希望足り得た第一王子は死亡した。――否、その結末は死ぬよりも尚悪かっただろう。


首筋に齧り付かれ、戦場を引き摺り回された際の苦痛。

牙を突き立てられた箇所から急激に吸い上げられる生命の雫。

吸血を受けた事による、人としての理性を失うほどの脱力感。


第一王子の率いる軍勢は全滅したとされている。

しかし実際には、王や王子に深き忠誠を誓う極小数を除いて処分されたのだ。


魔物と化した王族の存在を外部に漏らさぬように。吸血鬼へと堕ちた第一王子の存命を、決して誰にも知られぬように。――そして、人喰いの怪物となったナザレに喰われて死んだのだ。


「それでも……、それでも、父上は僕を必要としてくれたのだ」


ナザレは その時、生まれて初めて父が涙を流す様を見た。


国王バプテスマは己の愛する後継者(ナザレ)を襲った悲劇に嘆き悲しんだ。

常の感情 窺えぬ振る舞い、或いは他者の目を惑わすための些細な演技でもない。滂沱(ぼうだ)の如くに涙を流し、人間では無くなったナザレを抱き締め慟哭(どうこく)した。


己の後を任せられる優秀な王子。国を背負って立つ事を期待されていた愛息子。

彼の悲しみは果たして どれほどのものだったのか。


そこから全てが狂い始めた。


魔王討伐のために十二王女を儲け、国内治安に対する方針も王都を中心として他を(ないがし)ろにする、極端な体制に移り変わっていく。

国家全体を満遍(まんべん)なく富ませようとした王者の優しさが欠け、国体さえ最低限維持できるのならば それで良いとばかりに苛烈に動き、事実そう考えているのだろう、あからさまなほど為政者としての方針転換を行い、攻撃的な政策ばかりを打ち出していた。


勇者の存在をもって魔王討伐を成し遂げる。その過程において数多の犠牲を生み出し国家規模を大幅に縮小させて、吸血鬼と化したナザレが王位に就いても反逆出来ないような形を作り出した上で玉座を譲る。

大まかに言ってしまえば、それが国王バプテスマの目論見。


永遠に生きる魔物の王を頂点に戴き、永遠に続く国家を築き上げるのだ。

過程における犠牲の多寡(たか)なぞ知った事ではない。国王の目には、もはや己の夢想を叶えた未来しか見えていないのだから。


「ちちうえ……」


幼い子供のような、途方に暮れる声が響いた。

果たして今のナザレに父親の望みを拒めるだろうか。

魔物と化した自分を抱き締め、涙を流してくれた父を。

いつ何時(なんどき)、本能に操られた実子の手によって殺されるかもしれないのに、彼を後宮に(かくま)い手ずから食事を運ぶ、血の繋がった あの老人を。


ナザレには国王の他に縋れるものなど何も無い。父の行いを止めるためにと、命を絶つには遅過ぎる。

当の昔に全てが狂ってしまっていた。

事態は既に転がり出して止まれない。


何よりも彼自身が、血の繋がった父の願いを拒みたくなど無かったのだ。

情があり、恩があり、此処に至るまで積み重ねてきた罪がある。

毎夜の食事が人の生き血である事などは当然ながら知っていた。それが誰のものかなど、暗がりで生きる彼に知る術は無い。父の好意に甘え、間接的にでも重ね続けた罪の重さから目を逸らせず、しかし拒む事も出来ずに繰り返してきたのだから。


きっと、人であった頃の彼ならば決して許さずに拒んだ筈だ。

今のナザレは魔物となる事で弱くなったのだろう。

日の光の下に出る事の叶わぬ吸血鬼の生態、闇の中で十数年を過ごす事によって歪んだ心、かつての覇気に満ちた王者の姿とは異なる父親の振る舞い、今一度人々の前に姿を現し国の名を背負って戦えるかもしれないという愚かな期待。

永遠の国家繁栄を望む国王バプテスマの意思。


それが完全に間違っているわけではないが、絶対的に正しいとも思えない。だというのに、ナザレには父親の望みを拒絶する事も否定する事も叶わなかった。


全ては今更の事なのだ。魔物と化した あの瞬間に、自らの命を絶てなかった彼自身の失敗だ。父の愛情に甘えてしまった、(ナザレ)の弱さの自業自得。


「ははうえ……」


祈りを捧げていた棺を思い起こし、背後を振り返る。

棺の中には幾重もの浄化処置を施された王妃の遺骨が納められていた。


毎日毎日、暇さえ出来れば何度も祈りを捧げる実母。その死因とは、此処に居るナザレの存在だった。


今でも思い出す。自慢の息子に殺される間際に見せた、老いた母親の泣き出しそうな悲痛の顔を。

吸血鬼となった彼に脅えながら、それでも気丈に振る舞い、血の繋がった母親として息子へ愛情の篭もった両手を差し伸べた果ての結末。


あれ以来、吸血鬼となったナザレには定期的に、搾り出したばかりの人の生き血が与えられている。

飢えに狂って正気を失わないために。喉が渇いたと牙を剥き出し、二度と親殺しの悲劇を繰り返さないために。


――こんな自分が、王になど なれるわけが無いというのに。


果たして実父たる国王は理解出来ているのだろうか。それとも、本当に狂ってしまっているのだろうか。

新鮮な人の血液で腹を満たされていなければ実母さえ喰らう、この おぞましい化け物に、本当に永遠の国家を築けると考えているのだろうか。

果断にして慈悲に溢れた かつての王子の面影なぞ、今此処に居るナザレに、本当に残されているのだろうか。汚らしい吸血鬼に、本当に人の営みを護る事が出来ると言うのか。


それでも、もはや立ち止まる事など出来はしない。


迫り来る破滅の未来から逃げ出す事さえ出来ない臆病者。既に亡き筈の第一王子ナザレは、暗がりの中で今日も祈りを捧げて天を仰ぐ。

彼の瞳に映る天とは即ち、霊廟内の味気無い暗闇と石材の壁。

目に見えるような希望など ずっと昔に(つい)えて以降、彼の視界の何処にも無かった。


黒髪の吸血鬼が、(にお)いの篭もった洞窟の中で獲物を組み敷く。


「……不味い」


蜥蜴(とかげ)のような魔物の首に無理矢理ながらに齧り付き、血を啜っては眷属を増やす。

余り増やし過ぎれば眷属達の食事の確保に困るため、定期的に配下の選別を行っては処分するという事を繰り返していた。その上で、彼の周囲には未だ十を超える眷属の魔物が瞳を赤く光らせ侍っている。

新たに生まれた眷属は、毒を撒き散らす蜥蜴の魔物。種族としての名称は知らず、興味も無い。


滅びた街から遠く離れた佐藤正一は、ただ黙々と吸血鬼らしい生活を送っていた。


もはや彼の同行者は誰も居ない。

眷属達は手駒に過ぎず、特別製の動く死骸へと作り変えた茶髪の勇者も、魔王討伐軍との戦いの地に置いてきた。


誰に遠慮する事も無く、獲物を捕まえ血を吸って、付き従う眷族を増やす。

未だ絶対に勝てないような格上の魔物と出会ってはいないが、己こそが狩人であると信じて気安く相手へ飛び掛り、容易く敗北するような失態は二度と望まない。ゆえに次から次へと眷属を生み出しては取り替えて、戦力と成り得る有用な手駒を確保しながら歩き続けた。


明確に目的と呼べるようなものは無い。ただ、敢えて言うのならば正一が目指す先は魔王だろうか。

異世界に召喚された本来の目的。魔物と化したために叶う事の無くなった、勇者としての責務の行き先。

今更、勇者ゴッコを気取っているわけでも無いのだが。


「目的、無いもんなあ……」


独り言を口にして、小さく笑う。

イスカリオテが居なくなってから、笑う事が増えた気がする。きっと、自分の被害者である彼女の存在が正一にとっては重荷だったのだ。

勝手に殺して、勝手に魔物にして、勝手に引き摺り回しておいて。だというのに彼女が己の傍に居る事に対して負担を感じていたのだろう。

なんという恥知らずな男だ。そうやって自嘲して、自分自身を罵倒して、けれど最後には笑ってしまう。


何も無くなった事が気楽に感じてしまうなんて、今までとは大違いだ。

正一は自身の薄情さを哂ったが、それでも、ずっと抱えていた胸の苦しさが無くなっていた。


己を縛る(かせ)が一つ残らず消えた事に若干の寂しさを感じてはいたが、どちらかと言えば開放感の方が大きかった。情の薄さに呆れつつも踏み出す足を止めなくなったのは、つまり今の方が正一にとって適した環境と言う事だ。

独りが あんなに嫌だったのに、誰か助けてくれと必死に祈っていたというのに、結局は独りの方が身が軽い。


軽くなり過ぎて目的が無く、僅かな惰性と数少ない この世界の知識に則って、魔王を目指して歩いている。

辿り着いて どうするのか、などという事は今の正一には分からないが――。


「着いてから考えれば良いさ、――なあ?」


そう言って笑い、答えなど持たぬ眷属達を一頻(ひとしき)り眺めて立ち上がった。

そして何も持たない吸血鬼は、のんびりとした足取りで歩き出す。


第五号勇者が召喚される、数日ほど前の事だった。

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