第一部 第四章 8
第一部
第四章
8
気分転換に図書館の周りをブラブラしていたら「篠原もガキみてえな顔してるくせにやるねェ」という嘲笑じみた声が聞こえてきたので(その件はゆうべ親から聞き及んでいたが)覗いてみたら案の定、
「あんたたち、なにやってんの」
駐車場の半透明の屋根の下、車の陰でたむろしていた矢島明たちのグループがウンコ座りでプカプカやっている。
夏休みに入ったので全員私服だ。といっても、男子は学校でシャツを脱いだときと大差ない、Tシャツやタンクトップ。ズボンがチノパンやジャージに変わっただけで、足元はサンダルといった恰好だ。
明が片眉を上げてフンと鼻を鳴らすと、高石正充と中谷大介が座ったまま睨みを利かせてくる。
「あんだよ、ミカ。うッせェな」
「ほっとけよ。おめェには関係ねェだろ」
関係ない。関係ないが、見つけてしまったからには黙ってられない。クラス委員としての責任感云々ではなく、性格的に見過ごせない。だからこそクラス委員にまつりあげられたわけだけど。
優等生上等! 自分の性分は、美香自身がいちばんよくわかっている。
「今度タバコ吸ってるの見たら、先生に報告するっていったでしょ!」
「おもしれえじゃねえか! チクるってのか、やってみろよ!」
駐車中の車の横で村沖麻琴と話していた小山裕子が、かったるそうに声をかけてくる。
「ミカさァ、そーゆーのウザいンだよ。ほっときゃいーじゃン」
今日はポニーテール。薄くメイクもしているようだ。
スマートフォンから伸びたイヤホンを片方だけはずしてブラブラさせているので、けっこう音が漏れている。いつものごとくクラブ系の曲で、リズムに合わせて軽く体を揺らしている。街に出てもさすがにクラブには出入りしてないみたいだが。それにしても――。
Tシャツにジーンズ(もしくはデニムのスカートやハーフパンツ)にサンダル、という夏らしい身なりは女子全般にいえることだが、裕子だけは極端なクロップドTシャツにヘソ丸見え、ローウエストのホットパンツという、すさまじく露出度が高い恰好をしている。
しかも悔しいことに、かなりイケてる。スラリと伸びた小麦色の生足には、女子でさえ目を奪われる。美香も短めのデニムだが、さすがにあれを着る勇気も自信もない。
そもそも美香や畑山敦子は地黒だ。夏はみんな日焼けするんだからどうってことないじゃないか、と思われるかもしれないが――違うんだな、これが。裕子や麻琴のような色白の女子が日焼けするとセクシーな褐色の肌にもなろうが、地黒が日焼けしてもただ黒味が増しただけ、というけっこう悲しい結果になるのだ。
「ちょっとユーコ。それにマコも一緒にいるんだったら、こいつらに注意しなさいよ。次は停学だよ」
麻琴はいつもどおり、どうしていいかわからないといった顔で目を伏せたが、裕子は一転して鋭い目を向けてくる。
「なによ、たかがタバコじゃん! それよりなんでアンタがマコに指図すんのよ。それともアタシらみんな、アンタのいうこときかなきゃいけないわけ。いい子ちゃんやりたきゃ、ひとりでやんなよ。だいたいミカ、アンタさァ……」
そこでスマホがメールかラインを報せたのだろう、裕子はほかのことなどどうでもいいといわんばかりに、もう片方のイヤホンもはずして車にもたれかかった。
ちなみに三校の中学生は、ほぼ全員、携帯電話の端末にイヤホンを挿して音楽を聴いている生徒がほとんどだ。ただし、美香たちは仲間といるときにはつけたりしない。
真面目な顔でスマホを操作している裕子を斜めに見上げ、明がアメリカの若者がやるみたいにお手上げのポーズをする。面白くなさそうなのは、むしろ高石正充と中谷大介のようだ。
「なんだよ、またメル友かよ」
「それってオトコか」
メル友、オトコ、と聞いて、美香は真っ先に出会い系を連想した。
「ユーコ、そんなことやってんの。ヤバいんじゃないの、それ」
裕子は顔を上げると、大きな目をキッと見開いてこっちを睨んだ。
「うッせぇわ! アンタたち、マジ、アタオカッ!」
裕子の剣幕に、大介が矛先をふたたび美香に戻した。
「オメェだって、学校終わったらヤることヤってンだろ」
ただでさえ暑苦しい顔なのにイヤラしさが加わると見るに堪えない。
正充が目を剥いてツッコミを入れる。
「えっ、どっちとだ? コージか? タクか?」
クソッ! このデブとデメが!
裕子以外の女子に対して、大介と正充はいつもこんな調子だ――ビーチク、見えんぞ……オッパイ揉ませろ……一発ヤらして……などなど。まあ、チューボーの男子のオツムの中身なんて、だいたいそんなものなのかもしれないが。
しかし、いまの一言は赦せない。
面白半分にからかわれただけだとわかっていても、美香はいちばん痛いところを衝かれて一気に頭に血がのぼった。
「くっだらないこといってんじゃないわよッ! つるんでなきゃなんにもできないくせに!」
道をはさんで通りかかった敦子と田村かおりが、驚いた顔でこっちを見ている。きっといまの自分は鬼みたいな顔をしているはずだ。でもでも、まだ収まりがつかない。
「どうせあんたたちなんて、ワルんなっても落ちこぼれよッ!」
ン? とスマホを弄りながら、裕子が細めに整えた眉尻をひょいと上げる。
「ワルに落ちこぼれなんてあンの?」
アタオカなのはオマエだよ、このアホ女ッ!
「馬ッ鹿じゃないの! 最近のワルはね、頭がよくなきゃ一生下っ端で終わるのよッ!」
明が噎せながら噴きだす。
「かもしれねえな。……けどオメェらはいいよ。ちゃんと受験勉強やってたもンな」
その様子が心なし「らしく」なく見えたので、頭にのぼっていた血がわずかに下がった。
どんなに激怒していても、美香にとって、やはり明たちはクラスメイトであり、ずっと同じ村で暮らしてきた幼馴染みなのだ。
「あんたたちだって、いまからでも間に合うじゃない」
明がフッと笑ってなにかいいかけたとき、自転車がザッ!と横滑りで停まる音がしたと思ったら、
「おい。そんな連中、ほっとけッ!」
拓也が険も露わに駆け寄ってきた。
「なんだよ、ナンバー2かよ。コージじゃなくて残念だったな、ミカ。ま、ナンバー2は2で、キ―プしとけばナニかと便利か」
正充が陰険な笑みを浮かべて、美香と拓也を交互に指差す。
真夏のじっとりした空気の密度が、そのとたんスッと薄くなるのを感じた。けれど、長くは続かない。その微妙な変化を察したか、明が顔色を変えて腰を浮かせかけた――が、もう遅かった。
拓也がものもいわず正充に殴りかかった。
しかしながら、ことケンカにかんしては正充のほうが上手だった。一発目はヒットしたものの、二発目のパンチをかわされた拓也は頭突きをもろに喰らって転倒した。デミ柄の眼鏡が弾け飛び、有名ミュージシャンのロゴが入ったTシャツの肩が舗装されていない駐車場の砂利を跳ね上げる。
「やめてッ!」
美香の叫び声を聞きつけて、表にいた三校の生徒たちが集まってきた。それとは逆に、外に出てきたばかりの敦子とかおりが図書館へ取って返す。こうなると誰かが逃げ道を作ってやらなければ収拾がつかないのだが、完全にケンカのスウィッチが入ってしまった男の子ふたりを止めようとする者はいない。野次馬は対岸の火事よろしく、道をはさんで傍観者を決めこんでいる。
ええい、しょうがない――。
すかさず拓也に馬乗りになり、いまにも殴りかかろうとしている正充に向かって、
(体当たりくらいなら、あたしにだってできる!)
美香は猛然とダッシュした。
ところがコンマ何秒かの差でさきに動いていた者がいた。なんと、麻琴だった。
衝突スレスレ。ツインテールの髪を揺らし、麻琴はシンクロするように美香の前に飛びだし、勢いそのまま正充に突進していった。
思わず目を瞠った。こんな麻琴、見たことがない。
友だち同士で言い争いやいさかいがあっても、自分の意見を主張することなく、いつも一歩離れて距離をとっているのに。現在の中三のクラスでは黒滝村は麻琴ひとりなので、地理的に白河村の敦子やかおりと行動することが多いが、誰とでもうまく付き合える中立派。悪くいえば、誰の味方にも敵にもならない、たまにイライラさせられる八方美人。穏やかでおとなしくて、ちょっとドジでドンクサい女の子――。
かくして麻琴のアタックは寸前で足がもつれにもつれて、体ごと明後日のほうに飛んでいったのだった。
勢い余って反転した彼女の背中が無情にも拓也の眼鏡を圧し潰す。そこでうまく止まれた麻琴が、自分でもビックリしたようにキョロキョロとあたりを見回す。
そして、次の瞬間だった。
人垣を縫うようにして道を渡り、そのまま奔り込んできた光治の足蹴りが、一瞬動きを止めていた正充の顔面に凄まじい勢いでヒットした。
(近くの木にとまっていたセミが、すぐそばをかすめていった〝ヒトの歯の破片〟という見慣れない物体に驚いて、ジッという音を残して飛び去っていった)
ほんの数秒の出来事だった。
「コージ、テメェ……」
座って観戦を決めこんでいた明がゆらりと立ち上がった。
裕子が慌ててその腕を摑む。大介は腰が引けてマゴマゴしている。
仰向けに倒れたまま、正充が血だらけになった口許を確認するように手をやり、
「手ぇ出すな!」
ギョロ目をこぼれんばかりに剥いて起き上がった。
光治が警戒しながらジリジリとその距離を詰めていく。白いTシャツとジーンズに返り血がすこし着いている。
「待てよ! オレがやる」
低い声でいいながら、拓也がゆっくりと立ち上がる。頭突きのダメージでこっちもポタポタと鼻血が落ちている。
明が光治の前に割って入る。
ダメだ。四人とも完璧に戦闘モードだ。男子のガチのケンカは、女子では止められない。それができたのはせいぜい小学校の二年生くらいまで。もう収拾がつかない。
「コラッ! やめんかッ!」
よかった――。
誰かが図書館から山本先生を呼んでくれたらしい。おそらくいま戻ってきた敦子とかおりだ。山本和馬は走ってくるなり、中三全員を見回して一喝した。
「八人ともこっちへきなさい!」




