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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅳ 社会科見学の狼

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66 幕間の狼③『銀の魔弓』

 空の最果てにあるという神域の中心には、全ての命の源である生命の樹がありました。その根元にはひと柱の美しい女神がおわしました。

 世界の終わりまで眠り続ける()の女神の名はユリアネス。黒き炎で七つの世界を焼き滅ぼした滅びの女神です。


 悪しき魔神はユリアネスを眠りから覚まし、世界に八度目の滅びをもたらそうと企みましたが、双子の弟である戦神に阻まれ、その企みは潰えました。


 しかし、諦めきれない魔神はユリアネスに似せて三柱の女神を創り出します。


 最初に生まれたのは、闇と欲の女神ネフィス。

 しかし彼女はユリアネスに似ても似つかない、鱗の肌をした醜く恐ろしい魔物の姿で生まれました。


 二番目に生まれたのは雪と氷の女神シャンディエル。

 ガラス細工のように美しい透き通った肌をした女神でしたが、触れたもの全てを凍らせる冷たく恐ろしい魔女でした。


 そして最後に生まれたのが、銀月と狩猟の女神ルーネ。

 最も人間に近い姿に生まれた彼女は、背中にカラスのような黒い翼を持って生まれました。

 三度の失敗に魔神は怒り狂い、ルーネに獣の呪いをかけて、魔神の神殿から追い出してしまいました。


 魔神の娘であるルーネは、他の神々から忌み嫌われ、神々が集う生命の樹の神域に入ることができませんでした。しかし、地上に降りれば彼女の銀の毛皮を狙う狩人たちに襲われます。


 ルーネはどこにも身を寄せることができず、夜空を逃げ惑う漂泊の女神でした。





 ある時、魔神はルーネに銀の弓矢を授けて、こう言いました。

『これなる弓矢は、神をも射殺す魔弓。これを用いて白の聖獣と金の魔獣を狩り我に捧げれば、其方(そなた)の呪いを解いてやろう』

 と唆したのです。


 ルーネは狩猟の腕を父神に披露できる事を嬉しく思いました。弓の名手である彼女にとっては、獲物を狩る事など簡単な事です。ルーネは喜び勇んで弓矢を受け取りました。


 銀の魔弓を手に探し回ること幾夜、ある月の明るい夜、東の果ての島に一頭の白い一角獣(ユニコーン)が降り立ちました。額に透き通った青い角、燃える生命の炎の如き金色の鬣が輝いていました。その一角獣こそがルーネが探し求めた『白の聖獣』でした。


 一角獣はじっと東の海の向こうを見つめ、静かに夜明けを待っているようでした。ルーネは気取られないように忍び寄り、弓に矢をつがえ狙いを定めました。

 すると、徐々に明るくなっていく空の下、太陽の光を浴びて一角獣は金色の光に包まれました。


 ルーネはそのあまりの眩しさに、誤って矢を放ってしまいます。銀の矢は唸りを上げて真っ直ぐに飛び、一角獣の脚を捉えました。一際眩しい光が消えた後、そこに居たのは太陽と光の神クリアネルでした。


 脚から血を流しながらも、太陽を空に送り役目を果たしたクリアネルは、ルーネを責めることなく悲しそうに空に帰っていきました。

 雲間から筋のように降り注ぐ太陽の光柱は、その時、クリアネルが流した血と涙だと云われています。





 神殺しは神であっても大罪です。父神に唆されたとはいえ、危うく光神クリアネルを殺してしまうところだったルーネは、自分のしてしまったことの恐ろしさに怯えました。


 ルーネは魔神に『何故クリアネルを殺させようとしたのか』と問いかけましたが、魔神は何も答えませんでした。白の聖獣はクリアネルの化身。聖獣を討ち呪いを解いても、今度は神殺しで罰せられてしまいます。


 失意のルーネに姉神ネフィスが囁きました。

『金の魔獣を討つしかない。金の魔獣は若い娘を(かどわ)かして食べてしまう悪い獣だ。討ち取ればきっと生命の樹の神域に招いてもらえるだろう』

 寄る辺を失くしたルーネには、もうその方法しか残されていませんでした。





 再び銀の弓矢を手に、ルーネは金の魔獣を追いました。ところが、幾夜探し回っても金の魔獣は姿を現しません。

 魔獣の代わりに見つけたのは、月光を浴びて咲く白い花畑でした。後に月光花と呼ばれるその花は、ルーネの悲しみに沈んだ心を癒しました。


 ルーネは月夜の度に空から舞い降りては月光花を愛でました。花を手折(たお)ることなく香りを楽しみ、夜風に揺れる花に埋もれて眠りました。そして朝になると太陽の眼から逃げるように西の空へと飛び去るのでした。


 そんなルーネを、じっと見つめる者がありました……





 ***





「セラ……? 寝ちゃったの?」


 ベッドの上で腹這いに寝そべる銀色の仔狼は、うんともすんとも言わず、眉間に皺を寄せて眠っている。

『眠るまで何かお話して』と言われて、本棚から適当に選んだ絵本を何冊か朗読しているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。


 僕は彼女の背中に毛布をかけ直して、読みかけの絵本をぱたんと閉じた。ベッドから静かに降りて、部屋の明かりを消す。

 薄く開いたカーテンから漏れる光に誘われて、バルコニーに出ると、金色の満月がオクシタニアの森を煌々と照らしていた。


 オクシタニアは昼夜の寒暖差が大きく、夜は夏でも肌寒い。寒さに震えながら冷たい夜風に耳を澄ませると、夜露に濡れた森がひそひそと噂話をしていた。

 森に棲まうものたちは月女神(ルーネ)の娘に興味津々だ。僕の目を盗んではセラに近付き、森の聖域である神話の森へと(いざな)う。


「黙れよ」


 一言命じれば湿気を孕んだ風が森を吹き抜ける。満月を覆い隠さんと伸びた枝葉が、命令に否やと首を振り抗議した。

 空に手を伸ばしたって、月は誰のものにもならないのに。人も獣も草木も、そして月神さえもが空を仰ぎ、月に手を伸ばす。


 ざわざわと耳障りな木々のコーラスに混じり、部屋の中からすすり泣く声が聞こえて、僕は慌てて部屋に引き返した。金色の月光が照らすベッドの上、仔狼は悲しげに啼きながら、誰かを探すように前脚の爪で毛布を引っ掻いている。


『セラはね、とても怖い思いをしたのよ。目の前で大好きなお母様を失くして。狼になると思い出してしまうの……だから、満月の夜はそっとしておいてあげてね』


 母上はそう言っていたけれど、泣いているセラをひとりになんてできなかった。たとえ、セラが会いたいのが僕じゃなかったとしても、満月の光に逆らえる獣人は僕しかいない。セラのためにできることはあるはずだから。


「セラ、セラ……もう大丈夫だよ。怖くないよ。僕がずっと側に居るからね」


 悲しげに耳が垂れた頭を撫でて、彼女が泣き止むまで抱きしめる。ふわふわの背中に頬を寄せてしばらく撫でていると、やがて小さな寝息が聞こえ始めた。

 ほっと息をつく反面、もう必要とされていないような気がして、一抹の寂しさを覚えた。


 月光に染まる金色の夜。何もかもが金色なのに、彼女の毛皮だけは染まることなく凛と銀色の光を放つ。それは、自由で寂しい銀色の女神の、声無き拒絶のように思えた。


 月を手に入れることは誰にもできない。月を落とした月神にすらできなかった。それでも、欲しいのならば、追いかけて手を伸ばし続けるしかないのだ。

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