64 復讐の狼
度重なる地震により、街は混乱の中にあった。閉門間近の大通りは、街を脱出しようとする馬車で渋滞し、進むも戻るも身動きのできない状態。
街の西側の商業地区に隣接する駐屯地へ向かうためには、大通りを西へ渡らなくてはならない。街に拠点を置く第二十三騎士団が交通整理にあたっていたが、渋滞列は伸びる一方で遅々として進まなかった。
検問待ちの待機列に巻き込まれ、未だ駐屯地に辿り着かない私たちは、渋滞の待ち時間を利用して、馬車の中でヴェイグさんと情報を共有していた。
「……なるほど。オルフェウスも似たような事を言っていた。魔物もどきか……」
短く刈られた白金色の襟足を撫でながら、ヴェイグさんは考え込む。憂いに満ちたため息と共に、すっと通った美しい鼻梁に掛かるサングラスのブリッジを指で押し上げた。
事務仕事の時は紙の白さに光が反射して目が疲れるので、サングラスをかけているそうだ。
色と度が入っていないので一見普通の黒縁眼鏡に見えるのだが……絶望的に似合わない。そもそもこの人が事務仕事をしているところを想像できない……。
ムズムズする頬を空咳で誤魔化したところを、アルにばっちり見られていた。
騎士団の輸送用馬車は二十人乗りで、十二人の隊員に私たち五人を加えてもまだ余裕があるはずだが、いかんせん第五騎士団の面々は獣人だからか巨漢が多い。
狭苦しい車内に、ご令嬢方から文句が飛び出すかと思いきや、アンはライルと密着できてちょっと嬉しそうだ。
問題は、その隣で俯く青い顔。怯えていることを気取られたくないのだろう、膝の上で固く組んだ手は小刻みに震え、噛み締めた唇が白くなっている。
隣に座るヴェイグさんの横顔を見上げると、こちらを見て小さく頷いた。質問の許可を得たと判断した私は、正面に座るラヴィアの手を握った。剣なんて握ったこともなさそうな柔らかくて小さな手だ。
「……寒い?」
私の問いにラヴィアは叩かれたかのように、びくりと顔を上げた。無言の注目に囲まれて、街の喧騒が遠去かる。車内の誰もが黙して耳を澄ませていた。
「あ……ちが……わ、私は、わ……」
「なら、怖い?」
揺らぐ青の瞳を見つめて両手で彼女の手を包む。
「何が怖い? 君は何に怯えているの? 何か知っているのなら教えて欲しい。友達が今、危険に曝されているんだ」
地下には何があるのか、魔物もどきの正体は何か、拐われた獣人が捕らえられている場所は、その生死は。聞きたい事は山程ある。
とりわけ今一番知りたいのは、魔物もどきの正体とその目的だ。駐屯地には今、二人の王子が居る。彼らにもしもの事があれば、人間と獣人の断絶はより深いものになるだろう。
そして何より、あの四人は私にとって大事な友達だ。
冷たく震える手は、私の手をしっかりと握り返していた。このままではいけない。ラヴィアはそれを正しく理解しているから、私たちの手を取った筈だ。
真っ直ぐに彼女の目を見つめて頷くと、ラヴィアは視線を落とし繋いだ手を見つめながら、静かに話し始めた。
「……魔物もどきは……私のお母様、ヴェロニカ・ラッセルが造り出した……合成獣よ」
ガタンと馬車が揺れて、またすぐに止まる。渋滞を抜けるまで、あと少し。こうして座って話ができる時間はそう長くは残されていないだろう。
――ラヴィアの母方の祖母コンスタンツェには婚約者がいたが、逸れた狼男に襲われ、望まぬ眷族化によって獣人化したため、婚約を破棄され未婚のまま母ヴェロニカを産んだ。
ヴェロニカは聡明な女性だった。母に認められたい一心で、シュセイル最高学府に進学し薬学を学んだ後、獣人のための薬の開発を担う優秀な研究者となった。心を病んだ母を憐れんで、いつか自分の作った薬で、母を人間に戻したいと願っていたそうだ。
だが、その願いは叶わずコンスタンツェは最悪の呪いを遺してこの世を去った。
『狼男さえいなければ。お前さえいなければ』
コンスタンツェは狼男とその娘であるヴェロニカを生涯憎み続けたという。
その毒が、長い時間を掛けてヴェロニカの心を蝕んでいく。
失意のヴェロニカに手を差し伸べたのは、親子程歳の離れたラッセル男爵だった。
男爵は若く美しい妻を娶る。ヴェロニカはラッセル家所有の研究所で薬の研究を続ける。双方の利益を優先した、政略結婚だった。
やがて、二人の間にラヴィアが生まれ、男爵はヴェロニカが狼女だったことを知る。そして、その日を最後に、男爵が妻子を省みることは無かった。
ヴェロニカは研究に没頭し、己が身を実験台に使ってまで過酷な実験を繰り返した。ヴェロニカは男爵を眷族化しなかったため、犬歯の裏にはまだ赤い牙があった。その牙を使った研究が更に彼女の運命を狂わせていく。
「ある時、母の薬の試作品を盗み出し、誤って飲んでしまった人がいてね。噛まれていないにも拘らず、眷族化したかのように獣人と同じ身体能力を身に付けたの。でも、三日後に……急死したわ。人間にも獣にも戻れない半獣みたいな姿で……狂ったように身体中、を、掻き毟っ……て」
「君は、その姿を見たんだね?」
ラヴィアは何度も頷く。握った手にぽたりと涙が溢れ落ちた。
「それ、で……牙から作った薬には、飲んだものを一時的に眷族化のような状態にする効果があるらしいって分かって、他の種の獣人の牙ではどうなるのか。男女で効果に違いがあるか。混ぜたらどうなるのかって……そうしてできた薬を動物に投与したら、あんな、恐ろしい化け物に……」
望まぬ眷族化から被害者を救おうと始めたヴェロニカの研究は、いつしか狼男への憎しみにまみれ、理を歪める毒を造り出した。
効果や質を追求するのは研究者の性だろう。研究の過程でどれだけの獣人から牙を奪ったのだろうか。そんなものを人間や獣人が飲んだらどうなるのか……。
一刻も早くレナリスを助け出さなくてはならない。
『――元はヴェロニカの牙からできている。だから、狼が混じっているということか』
「その声は、フィリアス!? そっちは大丈夫なの?」
ヴェイグさんの腕の通信機から聞こえた声に、馬車内は騒然となった。
『ああ。数は多いが一匹一匹はそう強くはない。じきに制圧できるだろう。君たちは今どこに居る?』
その問いに答えたのはヴェイグさんだった。
「まだ街の中だ。渋滞に嵌っている。そこにユーリが居たら繋いでいただきたい」
『今替わる。少し待ってくれ』
その時、通信の向こうから耳をつんざくような獣の咆哮が聞こえた。人々の怒号に混じって女性の悲鳴が聞こえる。
今のは、まさかエリー!?
呼びかけようと口を開いたところで、別の人物が通信に出た。
『ヴェーイグ! 貴様どこで油売ってやがる!?』
聞こえてきた野太い声に馬車内の騎士たちがぴたりとお喋りをやめた。ユーリというのは〝蒼獅子〟の名で知られる第五騎士団団長ユーリ・リヴォフ卿のことだろう。
「随分と手こずっているようだな。フィリアス殿下の話では問題無く制圧できそうなんだろう? ならば、そちらは任せていいか?」
『まぁ、そうだな。今しがた新手の魔物が地面から湧き出したんで、手があるに越した事はねぇが……いったい何をする気だ?』
ヴェイグさんは馬車内をぐるりと見渡し、最後にラヴィアに目を向けると安心させるように微笑んだ。
「我々第一部隊はこれより浄水施設に向かう。地下施設のどこかに囚われているだろう人質を解放して、魔物の発生源を叩く」
ラヴィアがハッと息を呑み、口元を覆った。見開いた目からぽろぽろと涙が溢れ出す。
「ありがとうございます……どうか、レニを。みんなを助けて」
「礼を言うのはまだ早い。君も一緒に行くのだからな」
「……はい!」
力強いラヴィアの返事に、馬車内に僅かに活気が戻る。アンが励ますようにラヴィアを抱きしめて頬を寄せた。
『わかった。こちらは任せろ。猟犬は猟犬らしく、一匹残らず地上に追い立てろ。出てきた奴らは俺たちが仕留める。――ああ、ところで、そっちに辺境伯の息子が居ないか?』
「うげ」
呻いて顔色を変えたライルに視線が集まった。




