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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅳ 社会科見学の狼

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63 街の地下に潜むもの

 休憩室を出て行くと、カウンター席で三段重ねのパンケーキにナイフを入れていたアンがこちらに気付いて手招きした。ふわふわのスフレのようなケーキに山のような生クリームとたっぷりの苺が乗った一品で、この店の人気商品だとメニューボードに書いてある。


「わーいいなー! でも今食べたら夕飯食べれないんじゃない?」


「ふふふー、四人で分ければ大した量じゃないもの」


 ちゃっかり私たちも人数に含まれている。さっき食べ損なったからお腹空いていたし大歓迎だけど。

 アンが四当分に切り分けている間に、カウンターの向かいでコップを拭いている店主にお礼を言おうと声をかけた。


「店内で騒ぎを起こしただけでなく、休憩室まで貸していただきありがとうございました」


「良いんですよ」


 にこにこと穏やかな笑みを浮かべる店の主人は、私とアルに椅子を勧めてメニューを差し出す。

 レモンスカッシュを二杯注文して暫し待つと、青い星型のゼリーが入ったレモンスカッシュが出てきた。しゅわしゅわと弾ける炭酸水の中で青い星がキラキラと宝石のように輝いている。


 このお店はアンティーク調なのに、お店で提供している飲食物は若い女性好みの可愛らしいものが多い。『デートに使うお店選びなら任せて!』と得意げに言っていた同世代一の色男を思い出して頬が緩んだ。


 店主はちらりと店奥のボックス席で向かい合うヴェイグさんとラヴィアを見やり、ほぼ騎士で埋まった店内を感慨深げに見回して、最後に私に視線を戻した。


「最近この街にはあのような無頼漢(ならずもの)が多くてね、あちらこちらで騒ぎを起こしているんです。こんな寂れた喫茶店には来ないだろうと思っていましたが……」


「そうでしたか……」


「アイツら羽振りが良かったのでは?」


 アルがパンケーキを頬張りながら尋ねると、店主は顎に手を当ててふむと唸った。


「私も被害に遭ったのは今回が初めてでね、商店組合の者が『金払いが良くて追い出すのを躊躇してしまう』と言っていたのを聞いた事があります」


 獣人女性を売り飛ばしたお金で偉そうに豪遊しているのかと思うと気分が悪い。売るということは、金を出して買う者がいるということだ。両方を捕まえなければ、売る人間は後を絶たないだろう。

 私は炭酸水の中でゆらゆらと逃げる星をストローで突きながらため息をついた。


「マスター! 注文いいかい?」


「はい、ただ今」


 ボックス席の方でまったりしている騎士に呼ばれて、店主は注文を取りに行った。その隙に、私はカウンターに身を乗り出して、一番端に腰掛けているライルにこそりと声をかける。


「揺れがどんどん大きくなっている。オリオンは魔物もどきだって言っているんだけど……君はどう思う?」


 ライルは『オリオン?』と一瞬訝しげな顔をしたが、アルの足元で寝そべっている魔狼を見て納得したようで、フォークを囓りながら考え込む。


「魔物もどき……な。確かに()()()としか言いようがねェな」


「ねぇ、さっきのあの影の中をびゅーんと移動するやつで、ちらっと見に行けないかしら? 正体がわからないと対処しようがないでしょう?」


 アンの提案に、ライルは難色を示した。ぷつりとフォークで刺した苺から真っ赤なソースが滴る。


「どこでも入れるわけじゃねえんだ。さっきのはセリアルカの影を追えたってだけで、今回は地下がどうなっているか分からねえ。出た先がデケエ魔物の鼻先とか、水の中って事もあり得る。それに、連れて行けるのはひとりだけだ」


「となると、やはり地下への入り口がある浄水施設から入るしかないか。手分けして探せば……」


 言いかけたところで、アルが水を差す。


「君たち、すっかり侵入する気でいるけど、後は騎士団の仕事だからね?」


「チッ、つまんねーの」


「ええー」


「ええー、じゃなくて。僕らはまだ学生で、何の権限も無いんだからね?」


「その通りだ。大人しく学院に帰って寝てろ」


 背後からぬっと影が差し、低く渋い声が頭上に降る。振り返ると、眉間に深い皺を刻んだ大男がこちらを見下ろしていた。「ですよねー」と苦笑いで答えると、困ったように眦を下げる。


「事情聴取はまだ続く。ここで待ってるわけにもいかんだろう? 彼女は我々が預かる。重要参考人として厳重に警護するから安心してほしい」


 優しく言い換えてくれたので、私は渋々頷いた。もう既に多大な迷惑を掛けているのに、これ以上ヴェイグさんを困らせるわけにはいかない。


「わかりました。よろしくお願いしま……」


 突如、店の外から外敵を報せる甲高い鐘の音が鳴り響く。続いて、騎士が身につけている腕輪型の通信機から信じられない情報が飛び込んで来た。


『緊急指令。リブレアスタッド駐屯地内で魔物の群れが発生。付近巡回中の騎士は至急、現場へ急行せよ。繰り返す。リブレア――……』


「もしかして……さっきのアレかな?」


「だろうな」


 同じ想像をしていたようで、ライルは表情固く頷く。

 店の地下を通り過ぎた魔物もどきは、駐屯地に向かったようだ。そして駐屯地には今……。

 行きたい! と希望しても断られるだろうか? かといってじっとなんてして居られない。

 握り締めた拳にアルがそっと手を重ねた。


「休憩は一時中断だ。隊員を招集しろ。駐屯地に向かう。――おい、何をボサっとしている? お前たち見習いもだ。今の話、走りながら詳しく聞かせろ」


「……! はい!」




 ***




 舞い上がる砂煙の中、ヒースは魔物の死骸を飛び越えて走る。風の中に聞こえる剣戟の音に、真っ先に戦いに身を投じた親友の安否を思った。


 親友はその特殊な出自から、幼少期より命を狙われ続けている。どうせ事件の方からやって来るのだから、じっとしていればいいものを、性分か血筋か、戦いの気配を察知すると彼は走り出してしまう。


 側に居て退屈はしないのだが、いつか自分たちの手に余る事態になりはしないか、それが今日この時なのではないかと、何か事件が起きる度にヒースは気が気ではなかった。


 吹き荒ぶ風の匂いに、僅かに腐臭が混じる。そこかしこに転がる死骸の形状を思い出して、惨憺たる思いで剣の柄に手を置いた。

 風が撓む。光が歪む。

 その一瞬の揺らぎを見逃さず、ヒースは即座に抜剣し首を狩るように飛来した一撃を剣身で弾く。


 鳴き声は「ギャアア」とも「ギイイイ」とも聞き取れた。烏か猿か、金切り声を上げてそれは姿を現した。

 実際に生きて動いている姿を見てもまだ信じられない。いくつかの魔物を無理やり貼り付けたかのような悍ましい異形。


 体は猿、頭は狼の小型の魔物で、非常にすばしこい。不自然に長く伸びた腕には、軟体動物のように関節が無く、本来木登りに使うものであろう長い鉤爪が生え、しなる鞭の如く獲物を襲う。

 鎧や盾を身につけていないヒースが一撃でも食らえばひとたまりもない。


 ヒースは次々に飛来する爪撃をいなして接近し、魔物の背後に回り込むと、もう一方の手に抜いた短剣で喉を斬り裂いた。

 崩れ落ちる魔物の生死を確認する間も無く、即座に身を翻し斬り上げ一閃。背後から迫って来たもう一体の首を振り上げた腕ごと斬と刎ねる。

 放物線を描いてぼとりと地面に落ちた首はゴロゴロと転がってこちらを向く。濁った眼にだらりと舌を垂らしたその首にヒースは沈鬱に顔を顰めた。


「……なんで、狼なんだよ」


 呻きながら手首を回して剣に付いた血を払う。

 これは魔物。あの神々しい金の狼とは別物と理解はしている。だが、なんとも言えない苦い思いが胸に広がる。


「ディーン、どこに行ったんだ」


 あと探していない場所はどこだ?

 辺りを見回しながら呼吸を整える。夏の日差しに水捌けの良い駐屯地営庭は、カラカラに乾いて砂煙が舞う。更に倒した大量の魔物の死骸から瘴気が滲み出して視界が悪かった。


 こんな時、彼ならば鼻を利かせるのだろうか、と空を仰いだ時、ぽつりと水滴が頬を打った。水滴は次第に量を増しバケツをひっくり返したかのような大雨となって降り注ぐ。

 恵みの雨に砂煙と瘴気は押し流され、泥濘に魔物の黒い血が滲んでいく。


 やがて暗雲から光が溢れ始め、次第に辺りの状況が明らかになっていった。

 リブレアスタッドに駐屯する第二十三騎士団と、王子の護衛を務める第五騎士団によって駐屯地営庭は制圧されたようだ。

 明るくなった営庭には巨大な空洞が空き、何か大きなものを引きずったような黒い筋が続いていた。その先には留置場がある。


 留置場には、フィリアスとエルミーナを狙った暗殺者が収容されていた。大方の取り調べは済んでいたので裁判所への移送を待つばかりだったが、王妃の息がかかった者たちの妨害を受け、引き延ばされるうちに事件は起こった。

 営庭に大穴が空いて魔物が飛び出してくるなんて、夢にも思わなかっただろう。


「まさか……」


 夕方の風が濡れた身体から熱を奪う。

 地中から突然現れた魔物の大群が向かう先には、影に魔物が憑いていた暗殺者たち。その目的は、憑いていた魔物と同じだろうか?


 なんだか今日は一日中走り回っている気がする。そんな事を思いながら、軋む足を動かしてヒースは走る。


 雨上がりの澄んだ空に、鐘の音が響く。駐屯地から遠く、街の中心にある大聖堂の鐘が閉門の時刻を知らせていた。

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