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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅸ 満ちる月の狼

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34 一途過ぎるのも考えもの

 私は蹲るレナリスの側に膝をついて、アルの殺意に満ちた視線を遮った。過保護というか過剰防衛というか……。後で反省会だな。


 捻られた時に痛めたのか、腕を押さえて俯くレナリスの背中をさすると、彼はびくりと身を震わせて顔を上げた。


「どうしてこんな事をしたのか、理由を話して欲しい」


 努めて優しく声をかけたつもりだったけれど、レナリスは哀れなほどに怯えきっている。

 それもその筈、風も無いのにざわざわと擦れ合い蠢く森は、巨大な生き物の腹の中のよう。アルの怒りを体現するかのように、暗く突き刺さるような無数の視線がレナリスを糾弾している。その渦中にあれば誰だって怯えて言葉が出なくなってしまうだろう。


「私もアルも、君がやったとは思っていない。だから、君の知っていることを教えて欲しい」


 奥歯を噛み締めてレナリスは顔を歪めた。冷たい目で見降ろすアルを恐る恐る見上げて、小さく悲鳴をあげてすぐに目を逸らす。


「君が協力してくれるのなら、アルには何もさせない。約束する」


 震える背中をさすって励ましながら、これが狼男の恐ろしさを知る者の正しい反応なんだと、過去の自分を見ているようだった。

 アルと接していると、ついその危険性を忘れがちになってしまうけれど、それはたぶんアルにとって私は大事な(つがい)候補で、守る対象だから。私を怖がらせないように慎重に振る舞っているからなのだろう。狼男の中にもちゃんと理性が働く人も居る。

 果たして、レナリスはどちらなんだろう?


「……君は、自分がもしただの人間だったらって、考えたことはない?」


 湖を渡る冷たい風が夜の気配を帯びる。色を取り戻しつつある月の視線に背を向けて、レナリスは告解するように話し始めた。


 獣人として嫌な目にあったことがある者ならば、一度は『獣人でなくなることができれば』と考えたことが有るだろう。私だって何度も思った。獣人でなければ。狼女でなければ。その方法があれば、と。


「俺の主人は、俺を選んだ事を恥じているんだ。……だから、俺を人間に戻す方法があると知って、飛びついてしまった」


 やっと話し始めてくれたのを邪魔したくなくて、黙ったままアルに目線だけで真否を問う。信じられないといった表情のアルは、私の目線に気付いて首を横に振った。

『そんなものは無い』――私もそう思う。


「満月の夜の獣化を止める薬があるでしょう? その研究の副産物で、まだ市場に出回っていない薬があるって……。でも研究費と材料が無くて研究が続けられない。薬が完成すれば、望まない獣化から獣人を救えるのに。これは、俺たちだけじゃなくて、獣人全体のためになる事だからって」


 食いしばる彼の頬に涙が伝う。

 人間が獣人の眷族になると決意するまでには、きっととてつもない葛藤があったと思う。その後の人生がガラリと変わってしまうのだから、まさに人生を捧げる覚悟だ。


 レナリスは望まれて眷族になった筈なのに。選んだ奴が選んだことを恥じただって? 覚悟を要求した癖に他に目移りしたのか、捧げた愛情を突き返されるなんて! そんな酷いことがあって良いのか!?


 やるせない思いに、彼にかけるべき言葉が思い浮かばなくて、そのまま泣き崩れる彼の背を撫でていた。


「はぁ……それがセラと何の関係があるの? 君と(つがい)の問題は二人で解決するべきだ。僕らを巻き込むなよ」


 うんざりとした口調で言い捨てるアルに、私とレナリスは唖然としてしまった。嫉妬深い生まれながらの狼男は、どうやら私がレナリスを構うのが気に入らないらしい。


「そ、それが傷付いた仲間にかける言葉かー!?」


 私がレナリスを庇う事で事態を悪化させるのは分かっていたけど、どうしても一言言わずにはいられなかった。

 曲がりなりにも神獣の末裔なんだからさぁ……妬いてないでもっとこう、慈悲とか威厳とか出していくべきだと思うんだけどなぁ。

 私の抗議が森の木々に虚しく響く中、アルは杉の木に背を預けて鼻で笑い飛ばす。


「仲間? 冗談でしょ? 別の群れの狼ってだけでも気に入らないし、君を傷つけようとしたんだよ? セラはお人好しにも程がある。君さえ許せば今すぐにでも必要な情報を吐かせてやるのに」


 アルの一片の慈悲も無い敵意に、ガタガタ震えだすレナリスを背に庇った。


「絶対ダメだからね! そういうことする奴は……も、もふらせてあげないから!」


 アルは息を呑みショックを受けた顔で黙ったので、その隙にレナリスに話の先を促した。


「く、薬の材料に、獣人女性の血と赤い牙が必要なんだ。俺の主人は俺を噛んで牙が抜けてしまったし、セリアルカを目の敵にしているから……」


「――やっぱ、コイツ殺していいかな?」


「だから、ダメだってば!」


 レナリスに詰め寄ろうとするアルを押し留めて、しがみ付くように抱きしめると、予想外の行動だったのか強張ったアルの身体から力が抜けていった。

 アルは胸に抱きつく私の頭上に顎を乗せて、深いため息をつく。


「一体何処の馬鹿がそんな嘘を吹聴しているんだ……獣化を止める薬は魔物の体内で稀に作られる魔障石が原料だ。だから魔物が少なくなった現代では滅多に入手できないし高価だ。飲み続ければ身体が壊死するような死の薬の副産物が、まともなわけがないだろう?」


 冷静に指摘するアルの言葉をレナリスは黙って聞いていた。


「……君、わかってたんだろう? 君の主人は騙されて、その研究とやらに出資した。金と材料が足りないから薬が作れないってズルズル引き伸ばされて、資産を回収できなくて焦っている。だから、手段を選べなくなって手荒なマネをするようになった」


 昔と違って獣人狩りは無い。満月の夜さえ我慢すれば、正体がバレない限りは普通の人間と同じように暮らすことができる。

 完全に人間に戻れる薬があったとして、何処の誰のものかもわからない獣人の牙と血から作られた、高価で違法で怪しい薬を飲みたいと思うだろうか? 全ての獣人のため? その()()()()()に、女性は含まれないの?


「そもそも、その薬を飲んで獣人女性がどんどん人間に戻ってしまったら、どうやって薬の材料を調達する気だ?」


 同様の疑問を呈したアルの言葉に、ふと嫌な想像が脳裏をよぎって、アルの背中に回した手に力が入った。


「そいつらは、本当に獣人のために研究をしているのか? 獣人女性を狩って獣人を淘汰しようとしているんじゃないのか? ――君も疑問に思ったんだろう? だから、セラに『警告』した。違うか?」


 私はハッとアルの顔を見上げる。

 それじゃあ、レナリスの警告は私に危険を知らせるためのものだったってこと?


「それは……どうかな。俺はただ、あの人の眷族でいたかっただけかもしれない。俺は狼男になって日が浅いけれど、あの人に選ばれて幸せだった。彼女のためなら何でもできた。主人以外はどうでもいいんだ。……君だってそうでしょう?」


「へぇ……初めて意見が合ったね」


 口の端を引き上げて満足そうに言うアルは、また馬鹿にしたように鼻で笑うけれど、今度はなんだか少し嬉しそうに見えた。レナリスは力無く首を振って自嘲する。


「警告を残したのは俺だ。でもあの時、視線だけで気付いてくれたでしょう? だからすぐに美術室を出た。そしたら次の日大騒ぎになっていて……とても言い出せなかった。君の側には常にアルファルドが居たし……ごめん」


 あの時、私は視線を感じて足を止めた。エリーを狙って植木鉢が降ってきたのはその後だ。最初から傷つけるつもりなら、極力気配は隠すものだ。彼の言う通り、植木鉢を落とした犯人は土魔法使いの一派なのかもしれない。


 では、もうひとつの事件は?


「……私の剣に細工したのは君たち()()の仕業?」


 告解を見届けた月に背を向け、静かに目を閉じるレナリスは胸の奥の重荷を降ろしたからなのか、穏やかな表情をしていた。


「君の主人はラヴィアだね?」


 たとえ薬が完成しなかったとしても、主人に見放されたという事実は残る。けれど彼の顔は不思議な程に晴々としていた。

 レナリスは今でも自分の決断に後悔は無いのだ。彼の忠誠と心は、まだ愛する主人の元にあるのだろう。


 何故、彼のこの素朴な幸せが壊れなければいけなかったのだろう? 行き場のない怒りに震える私の背を、アルがそっと優しく支えた。

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