2 あやしい求婚者
初めて彼の写真を見た時、『こんな貴族のお坊ちゃんが私を選ぶわけないでしょー! 狼女がいいなんて、絶対何かやばいご趣味をお持ちな気がする!』と父さんと軽く喧嘩になったことを覚えている。
写真の中で微笑むのは、それはそれは儚げな美少年だった。私の方が強そうという謎の自信を持った程だ。
先方は、何をどう聞いたのか、私が彼に興味を持ったと喜んで、その日から怒涛のプレゼント攻撃が始まったのだった。下手に興味を示すと、相手に期待させてしまうと理解したので、それ以降は彼について何も知ろうとはしなかった。
そんな彼、オクシタニア伯の息子アルファルドが、王立学院の生徒だと知ったのは、私が学院に到着してすぐのことだった。
大雪の中、教科書類や筆記用具を入れた鞄を背負い、剣技の授業に使う木剣や真剣の入ったケースを肩に掛け、足元には制服や着替え、生活用品一式を詰めた大きな鞄という重装備。
学院の地図を手に教務課棟を探して歩いていると、向こうから手を振りながら歩いてくる細長い人影を目にした。
「王立学院へようこそ。雪の中、大変だったね。荷物運ぶの手伝うよ」
「あ、ご親切にありがとうございま…………す?」
一番重かった大きな鞄を軽々と引き取って、こちらに手を差し伸べる青年。頭ひとつ分高い位置にある、その素晴らしく整った顔を見上げて、私は呆然と言葉を失った。
見惚れたと言っても過言ではないかもしれない。写真で見た儚げでどこか冷酷そうなイメージとは違って、私を見つけた事を心から喜んでいるように見えたから。
冷たい雪に覆われたモノクロの世界で、彼の鮮やかなエメラルドの瞳は暖かな春の予感を思わせた。初めて会ったはずなのに、懐かしいと感じるのは何故だろう?
「会いたかったよ。セラ。……やっと、会えた」
今にも泣き出しそうな顔でそう言った彼に、私の胸には得体の知れない焦燥が込み上げる。あんなに手紙のやり取りをしていたのに、私は彼のことを何も知らない。
それが、とても怖いことのように思えたんだ。
***
私が硬直しているのをいいことに、彼は隣に寝転んだままもっふもっふと無遠慮に私の身体を撫で回す。父さんにだってこんなに撫で回されたことはないのに!
彼の手が首筋を通る度に、なんとも妙な気分になって身震いした。
「どうしてあんな所に隠れていたの? 試験が終わったら、話がしたいって言ったのに。僕の顔を見るなり逃げ出すんだもんなぁ……」
そりゃあ、狼女だと知りながら婚約を迫ってくる怪しい男から、二人きりで話がしたいなんて言われたら、身の危険を感じて逃げるしかないだろう。
「心配してたんだよ。今夜は満月なのに、どうせまだルームメイトのあの子にも、狼女だって事を打ち明けていないんだろうなと思って。……おや、図星かな?」
苛立ちに毛を逆立てた私に、撫でる手が止まる。私のお断りの手紙は無視するくせに、機嫌を察知することはできるらしい。
私は震える足で毛布を飛び出すと、必死で辺りを見回して自分が置かれた状況を確認した。
木目の壁と丸太が組まれた天井、どうやらログハウスの中らしい。テーブル、ソファ、ベッドに本棚と、家具は全て木製で、古めかしいながらも上品な設えだった。部屋には必要最低限のものしかなく、広さは寮の私の部屋と大して変わらない。
狼の姿をじろじろ見られるのが嫌だったので、目に付いたベッドの下にサッと潜り込んだ。
「セラ? どうしたの?」
彼は毛布に包まったまま上半身を起こして、不思議そうに首を傾げる。まだ愛称で呼んで良いなんて言ってないぞ。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。とって食ったりしないよ? ……まぁ、今のところは?」
今のところはってなんだ? 食う気か? まさかとは思いますが、特殊な嗜好をお持ちの方ですか?
おかしいと思ったんだ。
彼の父の伯爵様は父さんの古い友人で、父さんが狼男だって知っていて、娘の私が狼女だってことも知っている。その上で息子との婚約話を持ってきた。
獣フェチってやつ……? それで困った伯爵様が息子に婚約者を見つけようと? ははーん、なるほどな。……いや、理解したくないけど。
ベッドの下で途方に暮れている私を見て、彼は困ったように笑う。キルトの上にうつ伏せになり、自分の隣をぽんぽん叩いた。
「おいで、セリアルカ。そっちは寒いでしょう?」
猫撫で声ならぬ狼撫で声で彼は呼ぶ。
悔しいけど正直すごく寒いので、私はベッドの下から飛び出して、彼から毛布を剥ぎ取ると、素早く身体に巻いて部屋の隅に移動した。
「うわ、寒っ!」っと悲鳴を上げる彼を無視して、毛布を頭から被り『戻れ戻れ〜』と念じる。すると、私の身体は白い光に包まれて形を変える。身体を覆う銀色の毛皮は消え去り、手足が伸びて狼の耳と尻尾が消えた。
白い光が消えた後には元の人間の姿の私が居た。ちゃんと衣服を着たまま獣化したようだ。
――よし! ちゃんと服着てた! 私えらい!
「……セラ?」
心配そうに声を掛ける彼に向き直ると、彼は眠そうな目をまん丸く見開いて、慌ててその場に起き上がった。
事前に狼女と知っていても、突然狼から人間の姿に戻ったから驚いたのだろう。二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
お礼を言って帰ろう。アルファルドと二人で居る所を誰かに見られたら、今度はどんな噂になるかわからない。
私は渋々口を開いた。
「……助けてくれてありがとう。まさか拾ってくれたのが君だとは思わなかった。お礼は改めて……」
「今返して?」
皆まで言わせず、やや食い気味に彼は要求した。彼は床に敷いたキルトの上に胡座をかいて、両手をこちらに差し出して静かに微笑む。その笑顔がすごく怖い。
「……その手は何? 今は特に返せるものは無いんだ。ごめんね」
危険キケンと頭の中で警報が鳴り響いている。得体のしれない不気味さに、私は自然と早口で答えた。
彼は眉尻を下げて目を潤ませて、あからさまに悲しげな顔をする。美男子がそんな顔すると、なんだか私がいじめているかのような気分になってくる。絶対狙ってやってるだろこれ?
彼はわざとらしく、ふうとため息をつく。
「そんなに警戒しなくても。僕の希望は伝わっていると思っていたんだけどなぁ……。ああ、そうか。僕の口から言わせたいんだね?」
彼は立ち上がり、部屋の隅にいる私の前まで来て片膝を付くと、私の手を取り熱っぽい瞳で見つめる。
「セリアルカ。僕と結婚してください」
「正気か」
思わず本音がぽろっと出たけどもうダメだ。こんな所に居られるか! 私は帰らせてもらう!
「君には感謝しているけれど、その件は何度もお断りしましたよね?」
「そうだねぇ。確かに手紙では何度も断られたけど、今は僕達婚約しているでしょう?」
「は? え? 何を言って……」
彼は私の手を引いて腕の中に抱きとめると、今までで一番美しく怖い笑顔を浮かべて言った。
「君は婚約を拒否する機会がありながら僕に会わずに逃げ出した。――沈黙は肯定と同じだよ。君のお父様も許してくれたしね」
アルファルドは柔らかな笑みを浮かべたまま、私の手首をしっかりと掴んで離さない。我儘を言う子供に手を焼いているような大人っぽい余裕を見せる。それが余計に私を苛つかせた。
「父さんが許したなんて信じられない! どうやって認めさせたんだ…………まさか」
古くから獣人を受け入れてきたこのシュセイル王国であっても、未だに獣人への差別は根強く残っている。獣人だとバレたら、その瞬間からその人は異物とされ、人間が普通に享受する多くの権利を失うだろう。
私自身も、過去に狼女だとバレて酷い扱いを受けた事があった。父さんが私に対して過保護になったのはそれからだ。その父さんが許すなんて……。
「私たち親娘が獣人であることを盾に結婚を迫るつもりなら、私にも考えがあるぞ!」
アルファルドのシャツの胸ぐらを掴んで啖呵を切ると、彼は慌てて両手を上げて、あっさりと降参した。
「やだなぁ、そんな酷いことしないよ。僕もね、身内に獣人が居るんだ。だから決して軽率な思いで結婚してって言っているんじゃないよ」
アルファルドは胸ぐらを掴んだままの私の手をそっと両手で包むと、愛おしそうに目を細める。
「結婚しよう。君が認めるまで諦めないからね」
父さん……。あなたが婚約を許可しちゃった人は、どうやらとんでもないヤバい男だったようです。




