27 向き合う時
「それは、どういう……」
彼は嫌悪感露わに顔を歪める。続く言葉は、地を這うような怨嗟に満ちていた。
「これ以上、彼に関わらない方がいい。君も彼が他とは違うって薄々感じ取っているでしょう?」
「……でも、そんなに悪い奴じゃないよ」
たしかに人間離れしたところはある。考え方が極端で何をするかわからない危険なところもあると思う。だけど、アルファルドは理不尽に暴力を振るう奴じゃないって、私はもう知っている。
それに、相応しいかどうかなんて外から見た人間に勝手に判断されたくない。
だから、彼の言い方が少し癇に障った。
「君の友達は何も言わないのかい?」
どうしたんだろう? 普段は挨拶するだけの仲なのに、こんなにもこちらの事情にズカズカと踏み込んでくるなんて……。
「だって、上級生五人を半殺しにして、教官を殴って病院送りにした男だよ? 同じ学年の生徒ならみんな知っているよ。それに、クリスティアル君はその場で見ていたんだから。俺だったらそんな奴やめておけって止めるよ」
君のためを思って言っているんだ。そんな声が聞こえそうな程に、どこか必死さを滲ませて真摯に訴えかけてくる。
『昔、教官と上級生数人をぶん殴って病院送りにしたんだ。……聞いてないのか?』
いつかのディーンのセリフが頭の中に過ぎる。
みんな知っている? 知っていて話せないこと? ヒースに至ってはその場に居ただって?
一度湧いた疑念はさざ波のように胸に拡がっていく。
「そんな……」
門限五分前を報せる鐘が私の弱々しい呟きをかき消した。
誰もがみんな口を噤む話を、彼なら話してくれるかもしれない。そんな希望が頭をもたげた。もっと詳しく話を聞きたい。けれど知るのが怖い。
「――また明日ね。おやすみ。セリアルカさん」
たった今までのやりとりが嘘のように穏やかな笑みを浮かべて、彼は手元の仕事に戻った。話は終わりだと暗に言われていると察して、私は曖昧に返事をして図書館を出た。
学院と外界の境、遠くの森の上をまだぐずぐずと太陽は遊んでいる。まんまるの赤い陽が浮かぶ夕焼けに、ふと思い出したように月を見上げる。
知らないのは私だけ?
胸に刺さった棘の毒に苛まれて、白夜に浮かぶ十三夜の月は霞んで見えた。
***
例年より冬が長引いて、つい最近まで雪が降っていたため、春を飛ばして夏が来てしまったようだ。急な寒暖差で身体が重い。
食堂に居る生徒たちも、心なしかいつもより静かというよりは怠そうで、緩慢な時間が流れていた。スノーフレークを描いたステンドグラスの天窓からは、ぽかぽかとした暖かい午後の光が降り注いでいる。
午後からの古典文学と世界史の授業は眠気との戦いになりそうだ。
「ねえ、セラ。昨日はどこに行ってたの? ひとりになるなって言われたばかりじゃないか」
私はきのこと根菜の入ったシチューにパンを浸しながら、アルの非難めいた言葉に顔を顰めた。
朝はなんとか回避したけど、昼の食堂でついに捕まって、向かい合って昼食を食べている。
いつもならエリーが合流する頃だけど、アルの姿を認めて気を使ったのか、食堂の向こうの方でフィリアスとディーンと三人で食べているみたいだ。
「聞かなくたって、どうせ監視してたんじゃないの?」
「昨日は影に入れてないよ……かわいそうに。そんなに嫌わなくてもいいじゃないか。ディアナはいい子なのに」
私の影に隠れていた子はディアナっていうのか。オリオンの兄弟かな?
ツヤツヤの綺麗な毛並みを思い出した。
「嫌ってはいないよ。むしろこの前助けてもらったお礼をしたいし、思う存分モフモフしたい! 私の許可なしに勝手に影に入れるなって言ってるの!」
「なるほど……? つまり許可を取っていれば何してもいいと?」
拡大解釈やめてください。何してもいいとは言ってないからね?
口の中に硬いパンが入っているので反論できず、もぐもぐ咀嚼していると、脹脛にふわっと何かが触れた。テーブルの下を覗き込むと真紅の双眸と目が合って、真っ黒な狼が私の膝に顎を乗せた。
「どうぞ。思う存分、モフモフしていいよ」
苦笑するアルに、なんだか気恥ずかしくなった私は、カラカラになった喉でパンの塊を無理矢理飲み込んだ。残りのパンをりんごジュースで流し込むと、膝の上のディアナの頭をわしわしモフモフ撫で回す。
頭の後ろが特に気持ちいいみたいで、ディアナはうっとりと目を閉じている。オリオンよりも毛が柔らかくて滑らかだ。
やっぱりモフモフは荒んだ心を救う……これがアニマルセラピーか……。
テーブルに肘をついて両手で持ったマグカップを吹いて冷ましながら、アルは眩しそうに目を細めた。
日の光にいつもより金色に見えるプラチナブロンド。新緑色の瞳は私とディアナのやり取りを微笑ましげに見守っている。
二人だけだと、どうしても意識してしまうから、ディアナが居てくれて良かった。でも、そんなことを思うぐらいには心は彼の方に傾いている。
鈍い私でもそろそろ自覚するべきだ。向き合うと決めたのだから。
「――食べ終わったら散歩でもしようか? 今日はお昼寝日和だね」
「うん!」
窓の外の野花を見つめる横顔に、私は二つ返事で了承した。
まるで長年連れ添った老夫婦みたいだな。……なんて思ったことは秘密だ。
昼の長い時期は、お昼休みも長い。たっぷり三時間あるので、運動やトレーニングに励む者もいれば、勉強や読書をする者もいるし、芝生や木陰で昼寝する者も多い。
私の場合は普段訓練で充分に運動するので、昼休みはエリーとお喋りをしていたり、喫茶室のテーブルに突っ伏して寝ていることが多い。
昼下がりの校内を歩けば、使い魔を連れている生徒に出会うこともある。私がディアナを連れて歩いていても驚かれはしても、お咎めは受けない。
授業中は教室に連れ込まない。
他の生徒を傷付けない。
しっかり面倒を見る。
の三つを条件に、生徒が使い魔を使役することが認められていて、一種のステータスのようになっている。
また、使い魔の強さは主人の魔力量に準ずる。判明しているだけで三匹の魔狼を使役しているアルは、相当に強い魔力を持っていることになる。
運動場傍の草原の上に、この時期のシュセイル人の必需品であるピクニックシートを敷くと、靴を脱いで足を伸ばして座った。隣をぽんぽん叩くとアルも隣に座る。
「あぁ〜いい天気だなぁ……。私は寝るけど君はどうする?」
私は上着を脱いでブランケットがわりに膝に掛けるとシートに寝転んだ。大欠伸をしながら尋ねると、アルはずいっとこちらに身を乗り出す。
「添い寝しようか?」
目を輝かせて言うので。
「ははは……よし。ディアナ! 今だ! 嚙みつけ!」
「やめて! うちの子に変な芸を教えないでね!?」
その慌てようが可笑しくて私が噴き出すと、アルも笑い出した。
二人の間に挟まって、困ったようにアルと私の顔を交互に見つめていたディアナは、呆れたようにフスンと鼻を鳴らして私の隣にごろんと横になった。
まだ冬毛でふわふわした背中を抱いて頬擦りすると、お日様と草花のいい匂いがする。
迷惑そうに見ていたディアナは、放してもらえないと諦めて、くたっと私の腕に頭を預けた。
「いいなぁ……ディアナ。セラに撫でられて、抱きしめてもらえるなんて」
ディアナの頭を撫でながらアルが心底羨ましそうに呟く。
「羨ましいなら、君も狼になればいいのに」
ディアナの背中に顔を埋めたまま私が呟くと、撫でる彼の手がぴたりと止まった。痛いほどの沈黙の中、私は覚悟を決める。
「――千の花を咲かせて、セシェル」
青臭い夏の風が湿気を伴って草原の上を吹き抜ける。私たちを神話の森に残して。




