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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅷ 図書館の狼

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26 天狼のルシオン

 北国シュセイルでは遅い夏が始まろうとしていた。日はだんだんと長くなり、遠い地平線に居座る太陽は、まだまだ遊び足りないと駄々をこねる子供のようだ。

 白夜によって明るくても月は昇る。獣人にとっては、より一層空に注意しないといけない季節の到来である。


 医務室で襲撃者の顛末を聞いたその日の午前から、フィリアスとエルミーナが仲睦まじく一緒にいるのを見かけるようになった。突然のビッグカップル誕生に学院内は騒めいている。

 ファミリーネームを名乗れない筈の学院内でも、二人の身分が知られていることを鑑みるに、この学院では情報こそが何よりも重要な武器になると、改めて思い知らされた。


 そして図らずも、その情報の核心に近づいてしまった私は、第一王子フィリアスが推す第二王子派に自動的に組み込まれた形だ。

 そんなわけで、これ以上妙な連中に狙われないためにも、これからの身の振り方を真面目に考えなければいけない。


 私はこの隙に忘れられて、このまま卒業まで目立たないように過ごせたらいいなと思うのだけど……。

『ここは僕らも負けずにイチャつくべきでは?』とアルファルドは何故か対抗しようとしている。

 本当にやめて。

 アルがよからぬ作戦を思いつく前に、用事があるから今日は温室に行けないと言い残して、私は逃亡したのだった。


 足が向くままに当ても無く校内を歩き回り、たどり着いたのは図書館だった。転入した当初は毎日閉館間際までここで自習していたのに、今ではすっかり足が遠のいてしまった。

 ここに来たのは何かの啓示かもしれない。そう思って久しぶりに図書館の重厚な扉を開いた。


 図書館の正面入口を入ってすぐ右手に、貸出と返却ができるカウンターがある。顔見知りになった図書委員の青年が、私の顔を見て会釈した。

 栗色の長い前髪でいつも表情がわからないが、たまに見える黒縁眼鏡の奥の鉄色の瞳は知的な色をしている。

 私も軽く手を振って声を出さずに挨拶した。


 内部は三階まで吹き抜けになっていて、天井まで続く本棚が両側にずらりと奥まで続いている。

 高い天井はガラス張りのドームで、明るい時分は自然光が降り注ぎ、暗くなると天井から吊り下げられた魔石の滝のようなシャンデリアが灯る。

 アルの温室同様、魔法で強化されたガラスのようで、雪が積もったところは見たことが無い。


 一階にはひとり用の仕切りがついた自習机が並んでいる。少し前までは私もここの常連だった。

 今は温室のテーブルを借りてオリオンをモフりながら勉強しているけれど、試験前になったらまた通おうかなぁなんて思いながら傍を通り過ぎる。


 二階へは螺旋階段を上る。吹き抜けになった通路の壁にもびっしりと本が詰まっていた。

 さすがは王立学院の図書館。絵本から学術書まで充実している。同ジャンルの本だけで壁一面を占めていて在学中に読み切れない程ありそうだ。梯子を上り探すのも一苦労である。


 本棚からお目当ての本を探すこと数分。ようやく見つけることができた。


「……とはいえ、鈍器かなこれは」


 思わず独りごちてしまう程に分厚く重い『シュセイル王国建国史』を見てげんなりしてしまう。

 シュセイル王国建国史は全三十巻の歴史書で、今から約千年前、シュセイル王国初代王エリオスが戴冠した年を建国元年として、前後百年を記録している。


 何故今更読むのかと言えば、アルがご先祖様のルシオンの話をしていたことを思い出したからだ。魔狼と共に戦った戦士ならば、さぞかし目立っただろう。記録が残っているかもしれない。


 そして、もし私の想像通りならば、アルファルド・セシルは金月と森の神セシェルの御印(みしるし)を持っている。

 もしルシオンに御印があったという記述があれば、これを根拠にアルの正体を看破できないだろうかと考えたのだ。

 ――つまり、セシル家は月神セシェルの一族。金狼セシェルの血を引く、狼の一族であると……。


 私が図書館裏で倒れて獣化したあの満月の夜、アルファルドは確かに人間の姿をしていた。だから私は、彼は狼男じゃないと思っていたけれど、もし彼が月神の御印(みしるし)持ち――月神の器――だとすれば、その前提は覆る。

 神話の中で月神は、金色の大きな狼と金髪の美丈夫の二つの姿を持って生まれた神で、自分の意思で姿を変えることができる。満月の夜でも人の姿で居られる唯一の獣人だから。


 アルと向き合うと決めたけれど、正直、真実を知るのが怖い。『君は狼男だ』と言った瞬間、アルがあの男みたいに豹変したら? と思うと足が竦む。大昔の歴史書を引っ張り出してきて、遠回りな調べごとをしたりするのも〝アルは狼男じゃない〟という確証が欲しいからだ。

 ……でも、逆に狼男だという確証を得てしまったら? 私は、今まで通りアルと接することができるのだろうか?


 私は弱気を振り払い、二階の閲覧席に陣取ると、気になった記述をメモを取りながら本を読み進めた。


 ――ルシオン・セシルについての記述を見つけたのは、寮の門限が近付く午後八時過ぎだっただろうか。



 ***



『天狼のルシオン』


 いつの頃のことか、おそらくはクレアノール王国の滅亡の前だっただろうか。シュセイル騎士団にルシオンという名の騎士が居た。


 常に黒い魔狼を連れて、出所不明の細い黒塗りの鞭のような武器を振るう美丈夫だった。何故、天狼の異名を持つのかは定かではないが、一説によれば、彼の持つ黒塗りの武器の名が『妖魔刀・天狼』であるからと云われている。


 ルシオンを騎士に叙任したのは、かの英雄エリオスだと聞き及んでいる。しかしそれは、言うなれば魔族との契約のように、お互いの利害の一致によるものであったと云う。


 ルシオンの過去に関する記録はほとんど無い。本人あるいは親しい同僚から漏れ聞いたところによれば、騎士になる前は暗殺を生業にしていたという。

 エリオス暗殺に失敗して軍門に下ったというのが最も信頼できる情報である。なお、出身や家族については頑なに話そうとはしなかったため、知る者は誰も居なかった。


 ルシオンはその美貌、天賦の才能から妬まれ、アルディールの戦いにおいて仲間に裏切られ、同僚一名と共に敵陣に置き去りにされた。

 戦いは佳境で後は大将首を取るところだったと言う者もあれば、混乱する大軍の最中だった。あるいは敵軍大将の目前だったと証言する者もあり、真実は闇の中である。


 二名を犠牲にして大勝を得たシュセイル騎士団は、祝杯を上げた。長きに渡る魔族との戦いは人々から安寧と家族、良心を奪った。

 狂宴に招かれたエリオスは、人々の醜態を酷く嫌悪し、決して彼らと共に盃を傾けようとはしなかったと云う。また、その場にルシオンの姿が無いことに気付き、事の次第を知り激怒した。


 そこに、ルシオンが帰還した。気を失った同僚を背負い、悪臭を放つ敵大将の死体を引きずって。

 彼はエリオスの姿を認めると、その足元に死体を投げ捨てた。そして、『あと二つ。あと二つで俺は自由だ』と言い残して去って行ったと云う。


 その言葉が何を意味するのかは、エリオス以外に知る由も無い。その戦いから十年後……



 ***



 寮の門限三十分前を知らせる鐘が鳴って、私は慌てて本を棚に戻した。


 ――人に利用され、裏切られながらも人のために戦ったルシオン。彼の孤独に寄り添ったのは、兄弟のように育った魔狼シリウスだった。そのシリウスは……。

 胸に拡がる苦い思い。幸福な結末を期待して開いた絵本が、救いのない物語だったかのような。


 探していた記述が見つからなかったことに少しだけ安堵しながらとぼとぼと出口に向かうと、貸出カウンターに座って締めの集計作業をしていた図書委員が、私の顔を見て鉄色の目を見開いた。


「大丈夫? セリアルカさん。顔色真っ青だよ?」


 私は彼の名前を知らないけれど、彼の方は何度も貸出カードを書いているから私の名前を覚えたのだろう。


「うん。ちょっと読んだ本が合わなかったみたいでね」


「……そっか。じゃあ、新刊をオススメするのはまた今度にするよ」


「ありがとう。また近いうちに読みに来るよ」


 彼の押し付けがましくない優しさが嬉しかった。彼は頷いて微笑む。やっぱりレンズが分厚そうな眼鏡と口元しかよく見えないけれど。


「最近来ないから心配していたんだ。その……彼とは上手くいってる?」


「ぅえっ!?」


 思わず大きな声が出てしまって周りを見回した。

 そりゃあ、あれだけ一緒に居れば目につくだろう。


「う、うん。まぁ」


 引きつった笑顔で答えると、彼の長い前髪の奥の瞳は鋭く射るように光った。


「もしかして、あの人に脅されてる? ……そうでなければあんな狂犬、君には相応しくないよ」


 彼の侮蔑混じりの言葉に、冷や水を浴びせられた気がした。

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