わからなくていいこともある
べつに盗み聞きするつもりはなかった。偶然に、そうなってしまっただけ。声をかけなかったのも、かける言葉が思いつかなかっただけ。
早瀬から看板をなくしたことを謝られた。天理が一日目、貞子に扮して宣伝のために持ち歩いていた例の看板だ。逢坂は特に気にも留めなかった。謝罪も自分には筋違いだと思っていたからだ。それは製作のほとんどを天理が務めていて、逢坂の看板製作という役割は名ばかりに過ぎなかった、というのもあるが、それ以外にも、のほほんと構えていた理由があった。
逢坂は、看板の所在を知っていたからだ。それは天理も同じだと思っていた。だから天理ならわかるだろうと、早瀬に彼の名前を出したのだ。しかし、天理もその謝罪を受け入れたという。さすがに困惑した。
まだ、天理のほうから看板が消えたと申し出があったのなら、わかる。だがそれなら早瀬が謝罪をして天理が許すという構図はすこしおかしい。そう、おかしいのだ。
あれは、文化祭二日目のことか。
天理が鶏の着ぐるみを着て女子と仲良さそうにしているところを、見かけてしまったことが発端だ。
浮気現場を目の当たりにして脱力して虚脱して魂が抜けた天知はしゅんとしていたのだ。いつもの態度がお転婆娘っぽいところもあって、それには心が痛んだ。だから一発ぶん殴ってやろうと天理を探したのだ。そうして、部室を覗いた。部室で、逢坂は看板を目にしたのだ。
文化祭中に、何もない教室のさらに準備室を訪れる人なんていない。逢坂はあれは、天理が置いて行ったものだと思った。
それならなくしたのは天理のほうだ。謝罪するのは天理だ。
逢坂は早瀬から話を聞いて、部室を訪れた。たしかに看板はなかった。
看板といえど木製だ。力のある人なら素手でも破壊できる。木っ端微塵にしてゴミ箱に捨てられてたらもう追えない。
ひとまず、逢坂は天理を探すことにした。
なんだかデジャブ、なぜ二日目も三日目も天理を探さないといけないのか、と内心では不満たらたらだったが、見つけた。三年八組にいた。
声をかけようと思った。思ったのだが、筋肉ムキムキ、メイド服がはち切れそうな明らかにサイズ感を間違っている屈強なメイドたちに怖じ気づいた。すると、天理はひとりの男子の前に座ったのだ。逢坂は、その男子にも見覚えがあった。
綺麗な顔だ。その眉目秀麗に相応しい顔立ちは、ミステリー部で見事に真相を突き止め、短編集を持って行った人だった。
べつに盗み聞きするつもりはなかった。偶然に、そうなってしまっただけ。声をかけなかったのも、かける言葉が思いつかなかっただけ。
言葉を探していると、彼らが怪盗エスについて話していることも、より深い真相も、自供と捉えられることも、そして天知の名、逢坂の名も、一度だけ出てきた。
やがて、天理は看板を机の上に置いた。やはり、なくなってなどなかったのだ。
轟々と燃え立つ炎、パチパチと爆ぜる音。それらを囲むようにして踊っている人たち。男女のペアが多いが、それもすべてというわけではない。文化祭最後の記念として、写真撮影に勤しんでいる者もいれば、一世一代の大告白に挑んでいる、といった雰囲気のある人もいた。
十月の夜は早く、18時でもすっかり空の色は黒くなっていた。逢坂はキャンプファイヤーを遠目に眺めながら、盗み聞きしてしまった話をどう扱おうか、慎重に腹の中で吟味していた。
天知は今回、表面上の真相にしか辿り着いていないということになる。ミステリー部からの相談としては無事契約満了といった形になるし、例のくろあという人は文化祭中は何もしていないということになる。天理はアシストも妨害もしたということになる。その辺、どうしたものかと考えあぐねる。言えばいいのなら天理がそうしているだろうし。
逢坂の苦心なんて、天知には欠片も通じていないのだろう。暢気にこんなことを言い始める。
「織高の伝説、文化祭の後夜祭、キャンプファイヤーで結ばれた者は冷めることのない熱い愛で結ばれる」
「じゃあ私じゃなくて、天理くん呼んでこようか?」
「それには及ばないよ」
いつもなら是が非にでも! といった反応が返ってくると思ったが、
「わたしとかいくんはそんな伝説に縋らないといけないほど不安定な愛じゃないからね」
「ロマンチックなのかそうじゃないのか、わからなくなってくる」
「それに、もしもかいくんが来たらふたりきりとはいかなくなっちゃう」
さほど期待せずに続きを待つ。
「なぜかって? それはね……わたしたちのほうがキャンプファイヤーの火よりもアツアツだからだよ!」
早口過ぎてほとんど聞き取れなかった。聞き取る必要もなさそうなことだけはわかった。
「いまあそこで踊っている人、告白してる人、写真を撮ってる人はわたしたちの愛の火に呼び寄せられちゃう! やがて伝説は、わたしたちに見届け人をしてもらったカップルは長続きすると塗り替えられていくんだよ」
「よかったね」
「ふふんっ」
上機嫌そうに、天知はからあげを頬張った。そして紙コップを手に取る。
「それってまさか」
嗅いだことのない独特な匂いと、微妙な色の液体。
「オリジナルドリンク。ラジオが終わってからのラストの一本だよ」
「よくやるよ。ハズレだったの忘れた?」
「次は当たりかもしれない」
「ふつうに自販機で買いなよ」
「ええい!」
飲んでしまった。一気に、ぐいと、飲み干してしまった。
「……どう?」
目を閉じて眠ってしまったかのような天知は、やがて、舌を突き出した。
「まじゅい……」
「だから言ったのに……何味だったの?」
「なんだろうこれ。すっぽん?」
「すっぽん」
逢坂がたとえすっぽん味を飲んでもすっぽんだとはわからないだろう。なぜすっぽん味だとわかるのかは、この際、置いておく。
「でもすっぽんって、ふつうにあるんじゃない? 栄養ドリンクみたいな」
「そうだった! かいくんに飲ませるべきだった! 早く言ってよ!」
「なんで天理くんに飲ませるべきだったのかはわからないけど、訊かないでおくから言わないでおいて」
「だってせいりょk」
「言わないでって!」
耳を塞いで聞こえない聞こえないと首を横に振る。
となりでぷしゅっと炭酸の音がした。天知はコーラを飲んでいる。逢坂は、もうどんな顔をしたらいいかわからなかった。
「コーラがあるなら、わざわざ当たり外れなんか引かなければいいのに」
「わかってないね、逢坂さん。わからないからいいんだよ」
その美学はわからない。逢坂とは相容れないことはわかった。
「天知さん、ギャンブル依存症だったんだね」
「失礼な!」
しかし、そうか。わからないからいいのか。
「あ、ちょっと。見て」
指を差す。ん~? と天知も逢坂の指の先を見た。
「あれ、野原先輩と、アヤって人じゃない?」
「ホントだ」
ふたりもまた、キャンプファイヤーの前で話している。深刻そうな雰囲気かと思いきや、笑顔が溢れて和やかな雰囲気へと一転する。そして、キャンプファイヤーの火に何かを投げ入れるようにした。
「なるほど。これで天使は燃えたってことか」
となりで天知がつぶやく。すると、いま投げたのは例の漫画だったのか。
ふたりの間にどういったやり取りがあったのかはわからない。方や毒殺されかけた人、方や毒殺を失敗した人。
すこし、逢坂と柚奈と境遇は近しい。それでも、逢坂が柚奈とした話と同じにはならないだろう。想像でしかなく、やっぱり、わからなくていい。
「ねえ、天知さん」
「ん~?」
「私たち、友達にならない?」
開いた口が塞がらない、といった顔だ。からあげが、ぽろっと地面に落ちる。砂の上に。
「あ」
「あぁ……!?」
「何してるの」
「逢坂さんのせいじゃん!」
「私!?」
「いきなり変なこと言うから!」
と、言われると、逢坂も恥ずかしくなってくる。
「し、仕方ないじゃん! 思い返すと友達ってどうなるのかよくわからないし……。天知さんが悪いんだよ! こうでもしないと、友達になれないでしょ!」
逢坂は即座に自分の失言を悟った。天知が嫌な笑みを浮かべているからだ。
「ははぁん。そこまでして、わたしと友達になりたいんだ。ふうん、へえ」
「やっぱりなしで」
「そうはいかないよ。待ったがあるのは将棋の世界だけだからね。現実では言葉は取り消せないんだよ」
「じゃあ友達になりたくない」
「まさかの上書き!?」




