第50話 剣を下ろす者
夜が、戻る。
焦げた石畳。
崩れた家。
灰になった総司祭。
そして。
向かい合う、勇者と魔王。
風が吹く。
勇者エルドは、剣を構えている。
刃は、俺に向いている。
周囲の兵は、息を呑む。
村人は、震えている。
当然だ。
さっきまで神を砕いていた存在が、ここに立っている。
俺は、動かない。
影が、まだ揺れている。
完全には消えていない。
「約束だ」
勇者が言う。
「決着をつける」
「ああ」
短く答える。
嘘はない。
逃げない。
隠れない。
勇者が、一歩踏み出す。
石が鳴る。
緊張が、空気を裂く。
あと一歩で。
世界は、また壊れる。
その瞬間。
勇者の視線が、逸れる。
ほんの一瞬。
村人。
子供。
泣いている。
震えながら、こっちを見ている。
俺を。
勇者の手が、わずかに震える。
剣先が、揺れる。
「……お前は」
低い声。
「魔王だ」
「ああ」
「人じゃない」
「多分な」
沈黙。
勇者は、目を閉じる。
深く、息を吸う。
吐く。
そして。
剣を――下ろす。
金属音が、小さく響く。
兵が、ざわめく。
「勇者様!?」
「何を……!」
勇者は、振り返らない。
「俺は」
静かに。
「“守る”と決めた」
俺を見る。
真っ直ぐ。
「今ここで、お前を斬れば」
村は救われるかもしれない。
だが。
「また、神殿が来る」
「また、誰かが決める」
「また、誰かが“誤差”で死ぬ」
剣を、完全に納める。
「それは、守ることじゃない」
兵の一人が叫ぶ。
「ですが! それは魔王です!」
勇者が、初めて振り向く。
「知っている」
声は、揺れない。
「だが、さっき村を守ったのも、こいつだ」
沈黙。
夜が、重い。
俺は、言う。
「いいのか」
「今なら、斬れる」
「次は、わからないぞ」
勇者は、少し笑う。
「次も、俺が選ぶ」
その言葉。
俺は、初めて理解する。
勇者とは、称号じゃない。
神殿でもない。
王でもない。
“選び続ける者”。
勇者が、村人に向き直る。
「この者は、敵ではない」
断言。
「少なくとも、今は」
兵が、戸惑う。
神官は、青ざめる。
だが。
誰も、剣を抜かない。
俺は、空を見る。
神はいない。
裁定もない。
残っているのは。
人間の選択だけ。
「勇者」
呼ぶ。
「次に会う時は」
「敵か?」
「わからない」
勇者は、頷く。
「なら、その時も選ぶ」
俺は、背を向ける。
影が、静かに揺れる。
村の出口へ歩く。
誰も、止めない。
子供が、小さく言う。
「……ありがとう」
振り返らない。
だが、聞こえた。
勇者が、最後に言う。
「魔王」
「なんだ」
「お前も、選び続けろ」
足を止める。
少しだけ、笑う。
「ああ」
夜明けが、始まる。
神のいない空。
勇者と魔王が、同時に立っている世界。
物語は、終わらない。
なぜなら。
これは、討伐の物語ではない。
――選択の物語だからだ。




