山のヌシ
「ヌシ様……?」
私の目線の先には神々しく薄黄色に光るシカのような形の生き物がいた。
「お主、来たか。」
私は言葉の意味が理解できなかった。それに、このヌシ様と思われる彼(彼・彼女?分からないが、声の高さ的に男性っぽかったので、今後は彼と呼ぶことにする。)が話す言葉は少し変わっているように感じた。おそらく口から発せられているのではなく、テレパシーのように私に話しかけている。
「来た……というと?」
「ここにお主が来たということだ。」
「ヌシ様、ですよね。どういうことか、もう少し説明してください。」
‘‘ここに来た‘‘という説明だけでは意味がまったく分からないので、もう一度聞いてみたが、彼はもうこの場で説明する気はないみたいだった。
「……着いて来い。」
ヌシ様はそう言うと、踵をかえして森の中に入って行った。
「え、待ってください!」
私は慌ててヌシ様の後について行った。
ヌシ様の歩くスピードはとてもゆっくりだった。まさに、‘‘この森の神‘‘というにふさわしい悠々とした、しかし威厳のある歩き方だった。ヌシ様が通ると、彼の周りが淡い光に照らさた。そしてその周りにいる動物たちは喧嘩をやめ、虫たちは食事をしていた手を止める。それから、みな頭を下げて彼に敬意を示してた。
不思議な光景だった。ヌシ様が通る場所だけが、まるで夢の中の世界のような静けさだった。彼と、そしてその後ろを歩く私の土を踏みしめる音、落ち葉のこすれた音のみがその世界を支配していた。
しばらく歩くと、トンネルのようなアーチ状にツタがカーテンのように垂れ下がっていて、道がふさがれてる場所にたどり着いた。
私でも知らない場所だった。
しかし、私のさっきいた元集落からそこまで歩いたという感覚はない。ある程度は元集落の近隣であるのに、来たことがないのは不思議だった。もしかしてここは、私達が入ることが出来ない結界が張られていたのだろうか。
「ここは……?」
率直に思ったことを言ってみた。するとヌシ様はゆっくりと、ツタを眺めながら話し始めた。
「ここは聖域だ。普段はお主ら獣人、ほかの動物も、許可された者しか立ち入ることが出来ない。」
「やはり結界が……?」
「その通り。」
ヌシ様は私の方を向いて頷いた。そして、ここの結界はまだ無事だったーー。そう独り言のようにつぶやいたように聞こえた。(実際にはテレパシーで話しているので、つぶやく、という概念があるのかどうかは不明だが。)
「中に入れ。」
その声が聞こえた瞬間、ツタが左右に分かれて私達に道を開けた。その先に見えたのはーー
「泉……?」
目の前には透き通った、というよりそれを通り越したようなみずみずしい輝きを持つ、青みがかった泉があった。その周りには、まぶしい程の若々しい草、そして見たこともないスズランのような白い花、小さなつぼみをいくつもつけている赤い花。そしてさっき私が祈りをささげたものと同じ花も多く自生してた。
「すごい……」
私は言葉を失ってしまった。これほど美しい光景は人生で一度も見たことがなかった。
「ここは森のすべての魂が宿る場所。森のものすべての魂がこことつながっている。」
「.......伝説だと思っていたわ。」
私は昔、集落の長老に聞いた話を思い出した。ーこの森には魂が宿る泉が存在する。しかし、その場に行くことが出来るものは少ない。だがそれはそれは綺麗な泉で、見たものすべての心を癒すー
「伝説ではない。」
「これを見ろ。」
そう言うとヌシ様は泉に近づいてそれを覗き込んだ。
私もそれに従って彼の隣に並んで同じことをした。
その瞬間、私は息をのんだ。言葉も出なかった。
そこに見えたのは、無数の青白い、丸い何か。水の中をそれは遊ぶように飛び回っていた。この泉は思ったよりも深いようで、浅瀬から水の奥深くまでそれらは楽しそうに動き回っていた。
しかし、息をのんだ理由はそれではない。
聞こえたからだ。知っている声たちが。
青白い何かは、水中を飛び回るだけでなく、声を発していた。これも、ヌシ様と同じでテレパーシーのように。
何を言っているのかははっきりと分からないかったが、確かに知っている声だった。
いなくなったはずの、お母さん、お父さん、そして友達、集落のみんな……
「これは……」
やっと出た声で隣にいるヌシ様に聞いた。
「お主には何が見え、そして聞こえた?」
彼は質問で返してきた。品定めするような、そんな目付きだった。
「青白い何かと、みんなの声、集落のみんなの……」
ヌシ様は満足げに、その通りだと頷いた。
「ここにいるのは魂だ。」
彼は泉に目を戻して続けた。
「森のすべての者の魂。だがこの泉を覗く者によって、見えるものが変わる。お主は、かつての仲間、家族の魂と声が見えた。」
「この魂達にお主は歓迎されている。」
「……」
私が黙っていると、ヌシ様は話を続けた。
「お主を応援している。生きろ、とな。」
ー生きろー
彼の言葉を反芻した。
「私は、これをお主に見せたかったのだ。」
ヌシ様はそう言って私に向き直り、私の顔色を窺った。
「どうした。浮かない顔をしている。仲間に会えたのだ。なぜ、そんな顔を。」
そう、私はいまなんとも言えない複雑な感情を抱いていた。仲間、家族のことは一区切りつけたはずなのに、こんなものを見せられたら、また……
「会えたことにはならないです。だって、もうみんなは生きてない。」
短く、でも思ったりよりも強い口調で言ってしまった。
「ごめんない、せっかく連れてきてくれたのに。」
ヌシ様は少し考えて、こう言った。
「生きている。」
えーー
声ともならない声が漏れた。
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