表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェルナ霊導録 ――環の静寂  作者: 桐原 朔


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/14

序章 「ラギールの孤児」

記録は事実を残す。しかし事実のすべてが、記録に残るとは限らない。

――王国霊導庁 文書管理規程 前文より

 王暦一八五年、南部地方都市ラギールに新型霊導変換炉が設置された。


 王都へ向かう中央霊脈の支流上に築かれたその街は、かつて工芸で栄えた土地だった。だが近年は衰退が目立ち、石畳の通りにも、職人街の炉にも、往時の熱は薄れつつあった。

 だからこそ、変換炉の導入は再興の象徴とされた。


 広場には祝いの旗が掲げられ、役人と技師が並び立つ。

 壇上では、この新型炉が都市の未来を変えるのだと繰り返し語られた。


 制御こそ秩序である。


 その言葉は祝辞の中に何度も織り込まれ、まるで街そのものに言い聞かせるための呪文のように響いていた。

 誰もが、これでラギールはよみがえるのだと信じていた。


 炉は段階的に起動された。

 初期波形は安定。理論値の範囲内。

 第二段階、出力上昇。観測盤の針がわずかに揺れ幅を広げたが、補正術式は正常に展開されていると報告された。

 第三段階、効率向上のための追加式が組み込まれる。

 設計上の限界には達していない。まだ余裕はある。

 制御室には、その判断を疑う者はいなかった。


 地下を流れるものが、その余裕をどう受け取ったのか。

 それを知る者は、誰もいなかった。


 出力増強の直後、都市の基盤にごく微かな位相のずれが生じた。

 音ではない。光でもない。

 流れそのものが、ほんのわずかに角度を変えただけだった。


 そのずれは、炉心に刻まれた変換式の継ぎ目を軋ませた。

 観測者たちは数値の揺らぎを読み取り、補正術式を重ね掛けする判断を下す。

 まだ耐えられる。

 安定は維持されている。

 誰かがそう言い、誰もがそれに従った。


 次の瞬間、揺れは都市を貫いた。


 爆発ではなかった。

 地下の流れが、自らの歪みを正そうとしただけだった。


 変換炉は逆流を起こし、封鎖環が裂け、術式が連鎖的に崩壊した。

 建造物の基礎に組み込まれた簡易安定式は次々と弾け、街路はうねり、塔の上層から石材が降った。

 石造りの街並みは外から壊されたのではない。

 内側から、軋み、裂け、崩れていった。


 灯りが消える。

 瓦礫が重なる。

 悲鳴は上がっていたはずなのに、それすら霊脈の奔流が発する重低音に呑み込まれ、街は奇妙な静けさの中で壊れていった。


 その頃、住宅区の一角で、ひとりの少年が机に向かっていた。


 まだ六歳になったばかりだった。

 霊導灯の淡い光の下で、覚えたばかりの文字をぎこちなくなぞっていた指先が、最初の揺れで止まる。

 顔を上げた直後、二度目の衝撃が家を打ち抜いた。

 椅子ごと身体が跳ね、梁が軋み、天井が割れた。

 次の瞬間には、視界は土埃に埋め尽くされていた。


 耳鳴りの中で、世界だけが遠かった。

 地響きは絶えず、床石の下を何か大きなものがうねり続けている。

 胸を圧する振動が息を奪い、肺の奥まで揺らした。

 少年は瓦礫に半ば埋もれながら、崩れた床石へと手を伸ばした。


 熱を帯びた石の奥に、微かな律動があった。

 脈打つようでいて、鼓動とは違う。

 痛みにも似ていたが、怒りとも異なる。

 言葉にできない不調和だけが、そこにあった。


 揺れはなおも増していく。

 都市全体が、このまま引き裂かれるのだと、誰もが疑わなかったはずだった。


 だが、その静寂に近い混乱の中で。

 ただ一人、その少年だけが、足裏から伝わる震動の「終わりの形」を正確に感じ取っていた。


 終わる、と少年は知っていた。

 なぜそう分かるのか、自分でも分からないまま。


 そして、唐突に、すべてが凪いだ。


 轟音は吸い込まれるように消えた。

 振動は断ち切られたように途絶え、空気を満たしていた圧だけが、遅れてほどけていく。

 瓦礫の下、少年の周囲だけが、波紋ひとつない水面のように静まり返っていた。


 熱が引いていく。

 乱れていた律動が、ゆっくりと整っていく。

 地下を流れるものの位相が、ほんのわずかに揃う。


 なぜそうなったのかを、観測した者はいない。


 後に残された記録には、中規模震動、術者の誘導不備による霊素逆流、変換炉閉鎖、死傷者多数、再発防止策の検討――そうした文言が整然と並んだ。

 報告書は過不足なく綴られ、事故は理解可能な失敗として処理された。


 ただ、事故当時の観測記録の片隅には、一瞬だけ波形が完全に平滑化した地点が残っていた。

 理論上あり得ないゼロ点。

 原因不明の誤差として分類され、その記録はやがて閲覧制限付きの資料庫へ移された。


 瓦礫の中から救い出されたその少年は、のちに王立霊脈学院へ進むことになる。


 学院で彼の過去を知る者は少ない。

 それでも、ときおり囁かれる呼び名があった。


 ラギールの孤児。


 彼自身は、あの日を、揺れと、そして静寂としてしか覚えていない。

 地下を流れていたものが何であったのか。

 なぜあの瞬間だけ、世界が凪いだのか。

 その意味を、まだ知らないまま。

2026/3/12 改稿

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ