第94話 『係合』
『甘ったれ。お前が楽をしたせいでシグレが人を殺す羽目になっちまったなァ。元はと言えば、〈エカルラート〉が解散した原因はテメェにあるのにさ』
「俺がやらなきゃ……いけなかった、のか?」
『当たり前だ。人を撃つのが特技だろ? まァ、それだってフランボワーズのやつには手も足も出なかったけどな』
「じゃあパンドラも、俺が、殺さないと」
『それも当たり前。だって倒すってのはそういうことだろう? 一番初めから、それがテメェの役割だ』
殺すための存在。最初から、目的と役割を有したもの。
——まるで、機械のようだ。
そうあれかしと望まれている。
殺戮機構。人を殺すための舞台装置。いっそそうなれたら、とアレンは思った。
感情のない、機械仕掛けの自分になれば、この矛盾に苦しむこともなくなるだろう。
「パンドラを……殺す」
『そうだ。殺せ。残酷に殺せ。冷酷に殺せ。無感情に殺せ。感情を排し、意志を棄却し、夢を火にくべろ。それがテメェに望まれたことだ』
殺せ。殺せ。殺せ。
頭の中で声が響く。アレンを追い詰めるように、何度も、何度も————
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
「ぁ——、あ」
きりきりと脊髄が削られる感覚。体の芯を取り替えるような、形容しがたい痛み。
殺したくないという願望と、殺さなくてはならないという葛藤……背反する二律はしかし、その重さにおいて決定的な違いがあった。
アレンの肩にはすべての転移者の命がかかっている。
大義の前に、個人の意志など吹けば飛ぶ一枚の紙切れに等しい。
優先すべきは明白で。やるべきことは決まっている。
敵を撃ち倒すことが役割であり、引き受けたはずの責務であり、それはアレンにしかできないことだ。
だが——
自身の適性も、責任の重さも、充分に理解できている。わかっている。
それでも。
「それでも……殺したく、ない」
「うん。だったら、やらなくたっていいんだよ」
誰かの言葉が、すぐそばで耳に届いた。
疑問を覚えるより先に、背中に暖かな熱を覚える。包み込むような——この黒く暗い水底でも感じられるほどの、優しい体温の温もり。
「……ノゾミ?」
幻が雲散し、その声も消え失せる。
悪夢から覚ませてくれたのはノゾミだった。声を出したころには、もうまとわりつくような水は消え失せ、そこそこに柔らかなベッドの感触が戻っている。
「もしかして、うなされてたのか。情けない……かっこ悪いな、俺」
壁を向いて寝ながらうなされていたアレンの声で、ノゾミは目を覚まし、起こしてくれたのだろう。
自分のせいで眠りを妨げてしまった申し訳なさと、弱っているところを見せてしまった気恥ずかしさがアレンの中でない交ぜになる。
「アレンは情けなくなんかない。かっこ悪くもないよ。ごめんね、わたし、そばにいたのにアレンの辛さに気付けなかった。アーカディアに来て間もないのに、色んなことに巻き込まれて、プロゲーマーだからって全部背負わされて、苦しくないはずなかったのに」
だが、そんなアレンの気持ちごと溶かすように、ノゾミは柔らかな声音で言った。
その声に、密着している状況も忘れ、安心を覚える。そうして初めて、アレンは自分がここ数日気を張りっぱなしだったことに気が付いた。
「別に、ノゾミが謝ることじゃない。俺はただ……」
——意志が足りないだけ。
本当に、情けない話。迷いを捨て、感傷を断ち切ったユウのことを間違っていると諭しておきながら、自分はこうして踏ん切りがつかないでいる。
「殺したくないって言ったよね。どんな夢を見たのか、想像つくよ。アレンは優しいから」
「……そうかな。優しいとか、そんなつもりはない。俺には銃を撃つ能力しかない。アーカディアじゃそれをするのが、俺の役割ってだけだ」
「役割? そんなのないよ。誰にだって。アレンにだって、わたしにだって」
「そんなわけあるかっ。敵を倒すのが俺の役割だ。これは、俺にしかできないことだ……! だってそうだろ、今のアーカディアで一番戦えるのは俺だ。だから俺がやらないと——」
「わたしを〈エカルラート〉から助けてくれたとき、アレンはそんなこと考えてたの?」
「——え?」
虚をつかれ、アレンは素直にあの時のことを思い出す。
……役割。プロゲーマーの実力を持つ責務。そんなことは、微塵も考えていなかった。
頭にあったのはノゾミを助けること。それから、道を違えた旧友に、その真意を問いただすことだけ。
「あの時は……違った。だけど、マグナさんは俺のせいで死んだようなものだ。アーカディアにプロゲーマーは俺しかいない。バベルを攻略していた騎士団もなくなった。状況が違うだろ」
「だとしても、アレンが背負わなきゃいけない責任なんてないよ。わたしはそりゃあ、どこにでもいるような一般人だし、ヘッドショットばっかり撃つ銃の腕なんてないから、こんなことが言えるのかもしれないけど。少なくともわたしは、アレンがどんな選択をしてもアレンの味方でいるよ。
助けるって何度も言ってくれたけれど——アレンが苦しむくらいなら、わたしは助からなくていい。それならわたしは、アレンといっしょに苦しみたい」
なにがあっても味方でいると、ノゾミはアレンを肯定する。抱きしめる腕とともに、強く——力強く。
それはアレンにとって、世界のすべてに否定されてもなお勝る信頼だった。
悩んでいたことが途端に小さく思えてくる。平静さを取り戻した心が、知らずに抱いていた強迫観念をぽいと手放す。
(ノゾミがいてくれるだけでこんなに落ち着く……そっか。俺は、とっくに)
ふと、ずっとそばにあったつぼみのほころびに気が付くように、アレンは自身の気持ちを自覚した。
けれどそれは今は必要のないものだ。それに、こんな体では面目も悪い。
ならばこれを伝えるのは現実に帰り、元の赤梁連の体に戻ってからにするとして。今はただ、感謝のみを伝えよう。
「誰もが望んでいる、なんてことはなかったんだな。ありがとうノゾミ」
「えっ、わ——わたし、力になれたかなっ? もう大丈夫? 元気になった??」
「……なんで焦ってるのさ」
ノゾミは急に身を離し、ベッドから出ると妙に上ずった声を出す。
ごろんとアレンは寝転がったまま振り向く。暗闇の中、ノゾミがどんな表情を浮かべているのかは窺えなかったが、どうやら両手でぱたぱたと顔を扇いでいるようだった。
「恥ずかしがるくらいならやんなきゃいいのに」
「い、言わないでよぉ。うぅ、だって、なにかしなきゃと思って」
「ま、でもおかげで元気出たよ」
「ほんと?」
誰もが自分に望んでいるのだと思った。敵を殺すことを。
だが、眼前の少女はそうではなかった。
その望みは、ただ、アレンの味方でいること。
「……そうだ。パンドラの願いも、単純なことだった」
「え? 願い……それって、世界をループさせること?」
「いいや。それは目的であって、本心からの願いじゃない。それらが一致しているのなら、あいつはとっくにデウス・エクス・マキナとかいうのを動かしてる」
悩みがほどけ、狭くなっていた視野が広がる。
視界が開ける。俯瞰の視座。鳥瞰の視点。
すなわち、『鷹の眼』。
発散する思考は、管理者の秘奥に届いた。
「ずっと疑問だった。世界のループが目的なら、なぜそれをさっさとしないのか」
「ある程度時間が経たなきゃいけない……とか?」
「なんらかの条件は要るのかもしれない。だが『今回』にはユウというイレギュラーがいる以上、早々に『次』へ回してしまうのが最善だ。6万5千回のうちのたった1回、スキップしてしまってもいいだろう」
「つまり……アレンはそれを、できるけどやらないっていう状態だと思ってる。そういうことだよね」
身を起こし、ベッドに腰掛けるようにしながらうなずきを返す。
パンドラは、たった今この瞬間にも、世界崩壊の引き金を引くことができる。『世界を終わらせる機能』を持った機械に対し、命令を下す権限を持っている。
もしもそうだとして、それを実行しない理由とは?
「じゃあ、その理由って」
「きっとごく自然なことだった。誰にでもある、単純で当たり前の願いだ——」
そんなことすら許されない管理者に。暗黒たる海の底で、幾億のデータと溶け合って消えた存在に。
同情めいたものを碧色の瞳によぎらせながら、アレンはそれでも、迷いのない眼差しで告げる。
窓の外では六万の星。65536回目のループも後半に差し掛かり、盤上の駒は出そろった。
河が流れるように、歯車が回るように、時は無常に進む。
その果てに待つのは『鷹の眼』が描く終局か。あるいは幾度となく訪れた、暗い水底へと続く終わりなき結末か。
音もないこの歯車の駆動が、空転ではないことを祈って。




