5. ショウコの独り立ち(3)
翌日、ショウコは朝から家を出て、マンション近くの公園や商店街をあてもなく歩いていた。気が付くとサトルが働いているレストランの看板が見えてきた。これからのこと、お金のことが嫌でも頭を占拠してくる。引き返そうと思ったその時、サトルが店から出てきた。
「ショウコちゃん。ランチの時間には少し早いけど、食べて行けば?奢るよ」
そういえば、昨夜からロクなものを食べていなかった。自分でも今まで聞いたことのない大きな音がお腹からしている。
「お腹すいているのでしょう。遠慮しないで、さあ。まだ、お客さんはいないし」
軽くうなずいて吸い寄せられるようにショウコは店に入った。
席に座りメニューを見せられたが、何も考えられなかった。サトルの言葉に頷き出されたオムライスを見て、少しずつ冷静になれた。
父の部屋にある金庫から五百万円持ち出してから、思えば頭の中のネジが狂ってしまった。消費者金融にお金を返して残りのお金でホストクラブに行くつもりだったが、そういう気分になれずに残りの二百万円はカバンの中にまだあった。それを大家にとっとと返してしまった方が心は楽になるとわかってはいたが、今は誰にも会いたくない。同居している父親とも顔を合わせないように家を出てきた。
「美味しそう」
久しぶりに発する言葉が俗すぎて自分でも笑えてくる。心と身体は一体だと誰かが言っていたが、極限までくるとそうではないらしい。身体は食べることを欲していた。
二階の一番端の窓際でショウコはゆっくりオムライスを食べた。開店時間になると客がひっきりなしにやってくる。ホールはサトル一人で回しているらしく二階の片付けまでは余裕がないようで、客が帰った後のテーブルはそのまま放置されていた。ショウコは見かねて自分の食べた後の食器と他のテーブルの食器を厨房に運んだ。
「ショウコちゃん、ありがとう。そこに置いといて」
一度やってみると身体が勝手に動くようになる。厨房に掛けられていたエプロンをし、ショウコは他のテーブルの食器も片付け始めた。洗い物もサトルに教わりながら片付けていく。身体を動かすと心が軽くなる。働くことがこんなに心地よいとは、忘れていた体感だった。
ランチタイムが終わり、店の主人もサトルも一息つく。
「ショウコちゃん、本当に今日は助かったよ。実は女将さんが熱を出して寝込んでいて」
「私の方こそ、勝手に働いてしまってすみませんでした」
「いやいや本当に助かったよ。ありがとう」
店の主人もショウコに頭を下げた。
「今日これから時間あるの?」
「ええ」
「だったら夜も働いてくれないかな?」
「はい、喜んで」
条件反射でショウコは心より前に言葉が出ていた。
「なんかその笑顔初めて見るね」
自分でも信じられないほど溌剌とした顔をしていた。今までグズグズ悩んでいたことが馬鹿らしくなる。学生時代に飲食店でアルバイトをしていたことが役立ち、それが妙に嬉しかった。
飲食店でのアルバイトは、母が嫌がり一年でやめていた。でも、ショウコには向いていたようで楽しかった記憶しかない。家を出て夜の街で働くようになったのは、もしかしたら母親への反発からだったのかもしれない。昼の仕事も夜の仕事もどちらもしっくりこなかったが、ここでの仕事なら自分らしくいられるような気がしていた。
ショウコは女将が回復するまでとの約束で、数日間サトルと一緒に働くことになった。
三日後、夜遅くにリョウがレストランに立ち寄った。
「ショウコちゃんが働いているって聞いてさ、来ちゃった」
「今日はもう誰も来ないと思うから三人で飲もうか」
「ショウコちゃんもいいよね」
「はい」
サトルが試作した料理とワインを囲んで和やかな雰囲気がショウコには今までにない時間だった。
「何だか別人みたいだね」
「えっ?」
「あの時とさ。大家さんたちと集まった」
「ここで働かせてもらっているお陰です」
「あっそうだ。言い忘れていた。来週から女将さんが復帰する」
「それは良かったですね」
ショウコの顔は少しだけ曇った。
「でもね、あまりバリバリ働けないから、ずっとショウコちゃんにいてもらいたいって、おやじさんも女将さんも言っているけど、どうする?」
「はい、是非お願いします」
ショウコに笑顔が戻る。
「良かったね。ショウコちゃんもサトルも」
「ありがとうございます」
「そう言えば、ここで働いていることをお父さんはどう言っているの?」
「良かったって言っています。あの父は私が明るくなったって喜んでいます。でも・・・」
「何?」
「実家の母は飲食店で働くことには反対なのでまだ言い出せなくて」
「一度連れてくれば?」
「そうですね」
その一週間後、ショウコは母親を店に呼んだ。疲れ切っているやつれた顔を見ると何も言えなくなってしまった。
「あなたは元気そうでよかったわ」
それでも母は健気に自分を労ってくれている、そう思うと少しだけホッとしていた。
ランチの時間が終わり閑散とした二階のテーブルで気まずい時間が流れる。そこへ実の父が遠慮しながら入ってきた。
「やあ、久しぶり」
「ショウコがお世話になっています」
本当なら敬遠したい状況のはずだが、今回の父の登場は何だかとても有難かった。
「実はショウコの妹が今年大学生になりました。その下は高校生で、どちらも私立に通っています」
「そう、じゃあお金が大変だ」
「はい」
父は言い出し難い母の言葉を引き出した。
「ショウコの学費にと思って貯めておいたお金がここにある。これを受け取ってくれ」
それはショウコの名前の通帳と印鑑だった。
ショウコは思わず中身を見た。そこには二千万円の数字があった。それを母親に見せる。
「この通帳を早くにショウコに渡していれば良かったのかもしれないね」
「いいえ。今この通帳の存在を知って良かったわ。だって少し前の私なら全額ホストクラブで使ってしまったかもしれないもの」
娘と父は笑い合う。それを不思議そうに眺める母。
「私の知らないうちにショウコも大人になったのね。全て私が悪いのに」
「いや、悪かったのは全て私だ」
「もうやめて。誰が悪いということではないことはわかっているのだし、誤れば済む問題でもないのよ。それよりもこれからのことを話したい」
ショウコは自分でも驚くくらい気持ちがしっかりしていた。
「そうだな」
「あなたはこれからどうするの?」
「この店で働く。ここではもう人気者で立派な看板娘なのよ」
「ここで・・・」
「やっぱりお母さんは嫌なのよね。あの子たちを私立に入れたり、お父さんのリストラを近所の人に隠したり、私が飲食店で働くのを嫌がるのも全てお母さんの見栄のせいじゃない。うちにお金がないのはお母さんが原因なのよ」
「ショウコもういいから」
実の父に遮られてもショウコの怒りは収まらなかった。
「本当にごめんなさい」
いつもならヒステリックに反論してくる母が神妙だった。
「この通帳はショウコが持っていなさい。ただ、少しだけ貸してくれる?住宅ローンの負担が大変でもう少しで人の手に渡るところまできていて」
「そんなに?だったら何で・・・」
妹を私立へ入れたことなど言いたいことは山ほどあったが言葉を飲み込んだ。憔悴している母親の姿がそうさせていた。
次の日、銀行で母親の口座に振り込みをして、大家への返済分と引っ越し費用の現金を引き出した。その足で不動産屋に行き、店の近くのワンルームマンションの契約書を貰って大家の部屋を訪ねた。
自分名義の通帳を見せ、母と父との話し合いの内容をかいつまんで話した。
「確かに五百万円受け取りました」
「すみませんでした。ありがとうございます」
「で、ここは出ていくのね?」
「はい、自分の足で立たないといけませんから」
「でも時々はお父さんに会いに来てあげてね」
「勿論です。大家さんにも会いに来ます」
ショウコは大家の表情が曇ったことに気が付いたが言葉にはしなかった。
大家の部屋を出るときには、いつも通りの笑顔で見送られた。
ウエートレス用の制服を作ることになり、そのカタログを早く帰って見なくてはと気が焦っていた。ショウコの心は未来しか見えていなかった。




