008 井の頭公園
「よくある話なんだけど……アタシ……小学五年生の時から……中学二年までの間、ずっとイジメられてたの……」
「……」
少し俯いて、少し先の地面を見るようにして歩きながら、珠綺さんは語り始めた。
わたしもそれに倣って、視線を下に落として隣を歩く。
「……ただ……その原因はアタシにあって……アタシ、すごく調子に乗っていたんだよね…………」
「……」
「……自分で言うなって感じで、言いづらいんだけど……アタシ……成績もよくて、運動も出来て……その…………外見も良かったから……なんだか、特別な人間なんだと勘違いしてたみたいで……知らず知らずのうちに、そんな考えが態度や言葉に出ていたみたいなの……」
「……」
「当然、そんなアタシのことを、周囲はよく思わないわよね。特に女子は」
「……」
「気が付くとハブにされていて、色々と嫌がらせもされて……急に学校中の人間が怖くなって、人前で話せなくなっちゃったの。中学も公立だったから、小学校時代の人間関係がそのまま引継がれて……」
「……」
「……でも、中学二年のとき、クラスの女の子が手を差し伸べてくれたんだ……。自分も苛められる側になることを覚悟で……」
「……」
「結局、イジメが完全になくなることは無かったんだけど、彼女が居てくれたおかげで、学校は地獄から、“やや”地獄くらいになったのね」
「……」
「……その彼女はある日、突然、遠くへ転校して……もう会えなくなっちゃったんだけど……もし万が一、彼女とまた出会うことが出来たら……その時は……胸を張って会いたくて……」
「……」
「……つまり……昔のアタシと同じ境遇の子がいたら、彼女がしてくれたみたいに、アタシもその子に同じことをしたくて…………だから、すごく大きなお世話なんだろうけど、蒼井さんのこと、見て見ぬ振りを続ける訳にはいかなかったの……」
そこまで言うと珠綺さんはわたしの方を振り向いて、口角だけを上げた笑みを作って見せた。
瞳だけはどこか寂し気で、そのアンバランスな表情が、わたしの胸にグサリと刺さった。
「…………」
「ということで! アタシが蒼井さんに付き纏うのは、彼女がしてくれたことを自分もしたいっていう……ただの自己満足というか……それが出来ないと彼女に会う資格がなくなりそうで嫌だからというか……うまく言えないんだけど、とにかく! 自分勝手で自分本意な理由かな?」
そう言って微笑む彼女のかんばせは、どこか苦し気で、寂し気で。
わたしはいつもの如く、なんと返事をしてよいのか分からなかった。
その後、無言のまま、井の頭恩賜公園に着くと、二人で池の畔のベンチに座った。
右手にある桜の樹が、大きくなった自身の身体を支えきれず、その一部を水面に沈めていた。
その周囲では名前の分からないカモっぽい水鳥が泳いだり、潜ったり、首を前後に振ったり、とにかく忙しなくしていた。
わたしたちは次の言葉を探しながら、そんな水鳥たちの様子を、無言で眺めていた。
珠綺さんの暗く重たい昔話を聞いたせいだろうか? わたしの彼女に対する苦手意識は、少し和らいだように感じていた。
そんなわたしの中の小さな変化を感じていると、突然、珠綺さんが口を開いた。
「そう言えば、あのボートって乗ったことある?」
唐突な質問に虚を衝かれ、少ししどろもどろになりながら、わたしは答えた。
「あ、あるよ。子供の頃から、よくここに来てたから」
「アタシ、乗ったことないから、今から一緒に乗らない?」
咄嗟に断る理由も思いつかず、二人でボートに乗ることになった。スワンタイプでない普通のボートの方に。
係のおじさんが、「あと二十分くらいしか乗れないけど、いい?」と聞いてきた。
そんなおじさんの問いかけに、珠綺さんは躊躇なく、「大丈夫です!」と明るく答える。
彼女は軽い身のこなしで、ボートにひょいっと飛び乗ると、わたしに向けて手を差し伸べた。眩しいくらいのキラキラした笑顔で。
太陽は既に公園を縁取る雑木林の奥へと沈み、涼しい風が吹くたびに、風は水面を揺らして、わたしたちの頬を優しく撫でた。
交代でオールを漕いで、水鳥を追いかけて進んだり、わざとらしくカップルのボートの脇を通り過ぎたり……そんなことが、妙に楽しかった。
やがて日が落ちて、吉祥寺駅の改札前で、珠綺さんと別れる時間になった時…………わたしは少し寂しいな、と感じていた。