24 決意
空になった器と木匙を渡すと、テュールはそれを軽く川で濯いでから、自分の分のスープを注ぎ、食事を再開した。中身がなくなった鍋をベン・ニーアがそっと持ち上げ、洗いに行く。
その背を見て申し訳なさそうにしているテュールに、生前の営みを思い出しているのだろうから気にせず任せておけ、と言うつもりでベン・ニーアについて教えてやると、その緑の瞳にはたちまち涙が浮かんだ。目元を抑えていた袖がどんどん湿っていくのが見て取れる。
「すぐに泣くな」
ひくひくと喉を鳴らす音を聞いていると途方もなく居心地が悪くなり、ぶっきらぼうに告げる。
「は、はい、でもあの、赤ちゃんやご主人を残してなんて……きっと言葉に表せないくらい悲しく、心残りでしょうに……それなのに見た目で怖がって、死の使いだなんて思ってしまっていたなんて……」
「それは……俺も憐れだと思うが……。我が子ではないものの、子供達と共にある今の暮らしは、少しは心の休めになっているのではないだろうか」
「えっ?子供?どういう意味ですか?」
余計な事を言ってしまった気がする。そう思いながら、ウィル・オ・ザ・ウィスプについても話して聞かせてやると、案の定テュールは声もなく涙を流し始めた。袖では間に合わなくなったようで、ハンカチで顔を覆う。
洗い終えた鍋を手に戻ってきたベン・ニーアが、事情も聞かぬままに非難するような眼差しを向けてくる。しかし泣き止ませようにも上手い案が思いつかない。仕方なくビスケットを食べながらその姿を眺めていると、遠くから父親の遠吠えが聞こえてきた。既に食事を終えてゆったりと寝そべっていたルァが頭をもたげ、それに応える。柔らかく響くルァの声に対し、今度は兄弟達の声が返ってくる。巣で待っている末狼達の高く細い声も風と一緒に流れてきた。少しのやりとりの後、ルァが立ち上がる。目線で頷くと、彼女はゆっくりと巣の方へ戻って行った。
「……今の遠吠えはどういった意味なのですか?」
テュールが声を掛けてきた。その瞳はまだ濡れているものの、ようやく泣き止んだ事にほっと安堵する。
「食事が終わったから帰る、と話していた。子供達は、腹が減ったから早く帰ってきてくれと催促していた」
「あぁ、だからルァさんは行ってしまったのですね。先ほどの頷きは、自分がいるから私の側に付いていなくても大丈夫っていう意味ですか?」
「あぁ、そうだ」
「本当に狼達の言葉がわかるのですね。改めてなのですが……あなたは、人、ではないのですよね?不躾かもしれませんが、ライカンスロープでは……ないですよね……」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「夜になると狼や熊に姿を変えると言われている種族です。理性を失って凶暴になるそうですので、あなたは違うだろうとは思ったのですが、一応お聞きしました」
「夜の間だけでも狼になれるのなら、それだけでも満ち足りた気持ちになれるだろうな。まぁ、家族や友人達を傷付けたくはないから、そのライカンスロープとやらではない事を喜ぶべきなのだろうが」
「そうですよね、やっぱり。私も人ならざる者の事は知らない事ばかりですので……もし、探求の旅の途中であなたのように暮らしていたり、見た目が似ている種族を見つけたら、ジャンさんに便りを出しますね!そうすれば、あなたにも伝わりますよね」
「……お前は幼子のように泣いてばかりだが、本当にこれから一人で旅なぞできるのか?村に住む娘というものは皆そうなのか?」
俺なんかの事を気にかけるよりも自分の探求の旅に集中すべきだろう、と思ったが、それは口には出さなかった。
「う、そ、そうですよね、頼りないなとは自分でも思っています。他の娘達はもっとしっかりしています。私は魔法の力がない事に引け目を感じてしまって、あまり家と庭から出ないようにしていましたので、気が小さいというか……これは生まれつきのものなのかもしれませんが。家事だとかは不足なく出来るつもりですが……」
「そのようだな。料理、とやらは考えていたものよりも遥かにうまかった 」
彼の言葉を聞き、俯きがちに喋っていたテュールはぱっと顔を輝かせた。
「よかった!香草の風味がお口に合うかが心配だったのです。ジャーキーと野菜を煮込んで、茸とベーコンを炒めようかとも思ったのですが……」
「待て」
「?なんでしょうか」
「お前が作ったものが、料理、なのだろう?」
「えっ?あぁ、初めての料理だったんですものね。いえ、料理っていうのは、数え切れない程の種類があるんですよ」
「……他にも色々な味があるという事か?」
「もちろんです。先程のベーコンのスープに使っていた野菜を変えるだけでも味わいは変わりますよ。乾かした野菜を使ったので旨味は出ていましたが、新鮮な野菜を使ったものに比べれば歯ごたえには欠けましたし。同じ食材を使っても、作った人によって微妙に味は変わるでしょうし」
「……」
先程の食事で受けた以上の衝撃を受けて黙り込んだ。彼にあれ程の感動をもたらしたものが、他にも数え切れないほどあるとは、到底想像もできなかったのだ。
(食べたい)
ただ、純粋にそう思った。
幼い頃は自分の出自を気にしていた時期もあったが、それでも森を出るなどと考えた事はなかった。そして、充足した日々を送る内、そのような疑問を抱く事はいつの間にか少なくなっていた。
(森の外で暮らす人間達は、どのような物を食べているのだろう)
真上に昇った月を見上げながら、久々に森の外について思いを馳せた。
しばらくすればテュールも食事を終える。遠慮するテュールに対し、静かに、しかし有無を言わせない態度で器と木匙を取り上げたベン・ニーアがそれを洗いに行った。
「火はまだ消さなくていい。水浴びをしてくるからここで待っていろ。服を脱ぐから見たくないなら顔を隠している事だ」
焚き火の始末をしようとしたテュールに声を掛けると、慌てて頷き、膝の間に顔を埋めた。出会った時とエルフの里の前で聞かされた悲鳴に懲りた彼はそこまでをしっかり確認した後、川辺に近寄りながら剣帯やベルトを外し、ブーツと靴下を脱ぎ捨て、岩の上にぽいぽいと服を放った。
川の流れはゆるやかだが、水はまだ身を切るような冷たさがある。それに構う事なく足を進め、腰程の深さの所でざぶりと潜った。そのままがしがしと頭を洗う。何度か繰り返し、背中の半程までの長さがある髪を清めた。
普段なら水浴びはそれで終いだが、今夜はそのまましばらく川に浸かったまま、月を見上げていた。とろりとした光を森に落としている満月は、いつも彼を落ち着かせてくれる。
(それにしても、ベーコンはうまかったな)
先程の食事を思い出し、余韻に浸る。
生を受けて23年。物心がついたのは2、3歳だろうか。その頃は果実や木の実、花の蜜などを食べていたように思う。5歳の頃に出会ったジャンから火を使って物を焼く事を教わると、彼の食生活はがらりと変わった。肉を焼く。魚を焼く。塩をかければその旨味は更に高まる。深く満足した彼は、他にも何か食い物を持ってきてやろうか、と言うジャンの提案を断った事を今になって悔いた。
(それにしても、あいつは今後1人で大丈夫なのだろうか)
今度はテュールについて思いを巡らせる。
水から上がる頃、彼は一つの思いを胸に抱いていた。
(護衛として同行を申し出るのはどうだろうか。あいつの旅の結果を見届けることができる。もっとうまいものも食えるかもしれん)




