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勇者様 ビフォー/アフター  作者: 多居志織
一章 私も昔はJK勇者だった/アフター
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第九節 食事は生きる糧

 ミツキの許にその知らせが届いたのは、太陽が中天に差し掛かったころのことだった。

 すっかり昼まで眠り込んでしまったのは、昨晩の魔力消費のせいだ。久しぶりの大量消費に体が付いていけなかったらしい。

 けれど、まだまだ二十代の現役なのに、歳を取ったなんて思いたくもない。きっと体が鈍っていたからだ。魔力消費を体感するほどの魔法は、聖都に居を構えてから昨晩まで一度も使っていない。

 ミツキは適当な服に着替えて階段を下った。体を伸ばしながら台所に入ると、まだ見慣れていない藤紫の後頭部が(かまど)で昼食の支度をはじめている。


「おはよう」

「あっ、勇者様。おはようございます」


 声をかけると、愛想のよい笑みを浮かべたライナスが振り返った。実に好少年らしい爽やかな笑顔だ。これがマオだったら「おそよう」と嫌味のひとつでも飛んでくる。


「お昼、食べられますか?」

「うん、お腹空いた」


 一般的に、消費した魔力は食べ物から補う。完全に取り戻すまでには時間と休息も必要だけど、ともかく外から熱量を摂取しないかぎりは欠けたままだ。


「シチュー、まだ残ってる?」

「それが、今朝マオさんが全部食ベティゃったので」

「そっかぁ……。あのシチュー、また食べたかったのに」


 残念そうに言うと、ライナスは目を丸くした後、いっそう笑みを深めた。


「気に入ってもらえてなによりです。また作りますね」

「お願い。あれ、好き」


 母親を思い出す懐かしい味。長く会っていないせいで、もうすっかり忘れているだろうと思っていたのに、あのシチューのお陰で顔の細部まで思い出せた。

 ――お母さん。

 心の中で唱えて、それだけで胸が締め付けられる。十六歳でこちらに召喚されて以来十年、連絡ひとつできていない。


「は、はい……」


 ひとりで勝手にしんみりしたせいか、ライナスが戸惑うように頷くので、ミツキは誤魔化すつもりで笑った。弟子に不要な心配をかけたくない。


「ちょっと支度してくるから」


 そう言って顔を洗おうと奥の戸に手をかけたところで、玄関の扉が叩かれた。振り返ると、聞き慣れた女の声がミツキを呼んでいる。


「ミツキさん、私です。ベティです」


 ベティ。正しくはベァ・ベルティナという。魔王討伐の旅を共にした修道女で、ミツキの親友だ。ついでに言うと、イリシア聖騎士団副団長ベァ・コンラッドの妻で、一児の母でもある。

 いつもおっとりしているベティが、珍しく切羽詰まった様子で何度も扉を叩いている。ただ事でないのは確かだ。

 ミツキはすぐに扉を開けて、彼女を家の中に招いた。

 全力で走ってきたのか、息を切らしたベティの柔らかな金色の髪があちこちに跳ねている。三つ編みで作ったハーフアップから所々毛が飛び出していた。

 それを気にする余裕もないらしく、玄関に入ったばかりのベティは(あお)い瞳を揺らしながらミツキに縋りつく。


「マオさんが! 大変なんです!」

「マオ? ……何やらかしたの?」


 思い当たる節はいっぱいある。ありすぎて困るくらいだ。いったい誰から喧嘩を買ったのか。それともどこかで何か壊したか。

 額に青筋が浮かび始めるミツキに、ベティはすぐに息を整えてから続けた。


「殺人罪で捕まったらしくて」

「おっとぉ? それは流石に予想してなかった」


 まさか、そこまでやらかすなんて。

 ――いや……、いやいや。

 ちょっとだけ疑ってから、ミツキはすぐにかぶりを振る。あんなやんちゃで生意気な子どもだけど……、修行として剣術も教えたし、あと魔法もちょっとならできるけど、それでも殺人を犯すなんてできないはずだ。

 そもそも問題を起こすなときつく命令してある。


「一応訊くけど、冤罪だよね?」

「わかりません。私も冤罪だと思いますが、事情が込み入ってるみたいで詳しい情報まで回ってきていないんです」

「あー……、すごく面倒くさいことに巻き込まれてるのはわかった」


 これ以上ややこしくなるか。

 ミツキは頭が痛いとばかりに後頭部を掻きむしる。

 とりあえず、マオの状況を把握しなければならない。冤罪であれ、このまま殺人の咎で拘留されたとして、数日後には裁判にかけられる。聖都でひとりでも殺せば、もっとも重くて死刑だ。

 死刑にされては困る。拘留されている時点でも十分困るのだが。


「とりあえず、知らせてくれてありがとう。ベティも一旦落ち着いたほうがいいし、お昼でも食べてく?」


 捕まったからと言って、すぐに罰せられるわけではない。裁判にかけられて刑が確定するまでに時間はあった。一食ぐらい、のんびりといただける時間はある。


「いえ、ミツキさんの料理は……」


 一緒に旅をしただけあって、ベティもミツキの料理の腕は知っていた。過去の味を思い出してか、口の端が引きつっている。


「人のこと言えないクセに」

「ここ三年で少しはできるようになったんですよ? ……って、あら?」


 軽口の応酬が始まろうとして、ようやくベティの気が抜けたのだろう。今までミツキしか目に入っていなかった彼女が、竈の前でミツキたちの様子を静かに見守っていたライナスに気付く。


「あっ、こ、こんにちは……」

「初めましての方ですよね。こんにちは」


 緊張気味のライナスにベティはそつなく返すが、次の瞬間には貼りつけたような笑顔でミツキを振り返る。


「紫の髪に、紫の瞳……。ミツキさん、どういうことですか?」


 笑顔の圧力がすごい。

 どうやらコンラッドはミツキに言われた通り紫髪紫目の間者のことをちゃんとベティに話していたらしい。


「マオの前に、こっちの事情説明かぁ」


 いずれしなければならないとは思っていたけれど、マオにライナスと面倒な事情が渋滞している。しかし、説明を怠ると今後どうしたって動きにくくなるのは火を見るよりも明らかで。


「ライナス、お昼ひとり分追加できる?」

「はい、大丈夫です」


 ミツキは手早く指示して食卓についた。椅子は昨日のまま三脚ある。そのうちのひとつに、ベティは促される前に勝手知ったる風に座った。


「弟子にしちゃった」


 開口一番、悪戯に成功した子どもの告白のように言うと、ベティは心底呆れたように溜息を吐いた。

 エスファラン自治領からわざわざミツキの弟子になるために旅をしてきた少年。例の間者と特徴は一致しているけれど、聖都には昨日着いたばかりだ。

 もし彼が間者だったとしても、マールベイン王国で間者として働いておきながら、それがどうして勇者の弟子になるなんて不可解な動きをするだろうか。


「新しい弟子、ですか」


 笑っていれば聖都一番の美女と言っても過言ではないベティなのに、今は眉間に皺を寄せ、ひどく渋い顔をしている。


「まあ、その、食べてもらえばわかるよ」

「食べて? 昼食をですか」

「うん。ライナス、お願い」

「はい!」


 ライナスの景気のいい返事のあと、竈の火口にスキレット鍋が置かれる。続いて彼は棚の一画に置かれた冷蔵箱から、桃色の肉が載った皿を取り出した。

 ミツキが起き出すずっと前から下ごしらえしてくれていたのだろう。一口大に切られ、味付けされた肉がスキレットの上に移された瞬間、じゅう、と小気味良い音を立てて焼かれていく。


「良い匂いですね」


 やがて部屋中に漂い始めたかおりにベティが感心するように呟く。

 ライナスが焼いているのは、ニュクドリという家禽(かきん)の一種で、味は鶏によく似ている。三日に一回卵を産み、それも栄養豊富で古くからいろんな地域で食べられてきた。歳をとったニュクドリでも肉が柔らかいのが評判で、しかも飼育も難しくない。ただ臭みが残るせいで、高級料理には使われなかった。ゆえに、安く手に入る庶民向けの食材だ。

 ライナスはそのニュクドリに香草をまぶして焼いている。臭みのあるニュクドリの調理法としては定番で、それこそどこででも食べられる。もう片方の火口には鍋がかけられ、こちらはスープのようだった。

 メインとスープとパン。それがこちらの世界の定番の献立だ。米が恋しくなる時期もあったけれど、十年もこちらにいればそれも慣れた。


「ニュクドリの香草焼きと、トマトスープです」


 ミツキとベティの前に皿が置かれていく。付け合わせのパンは、昨晩と同じように軽く炙られている。

 温かな湯気を上げる料理に、ふたりは無意識のうちに唾を飲んだ。


「いただきます」

「糧になりし命に感謝を。来世がより良きものでありますように。天秤様とイリシア様のご加護がありますように」


 ミツキが手を合わせ、ベティはイリシア教徒らしく食事前の短い祈りを捧げる。

 そうして、ふたりそろってニュクドリにフォークを刺した。口に運ぶのもほとんど同時で。

 ――柔らかい。いや、それ以上に。

 ミツキは肉を噛みしめる。よっぽどの料理音痴が(りょう)らない限り、ニュクドリが柔らかいのは至極当然のことだが。

 いったい、いつから下ごしらえしていたんだろう。ニュクドリ特有の臭みがまったくなかった。どんな香草と一緒に炒めても、あの独特の血生臭いにおいがしていたのに。


「これ……、もしかして、昨日の晩からアマミリ草に漬けてたんですか?」


 ベティが目を丸めてライナスに問う。アマミリ草はこちらの香草で、ニュクドリと相性がいい。殺菌効果もあって、これに漬けておくと生ものも普通より長くもつ。


「はい。アマミリ草がたくさんありましたので」


 これに漬けておけば大体の食材が長持ちするので、保存料代わりにミツキが買い込んでいたのだ。


「でも、そうしたらアマミリ草にニュクドリのにおいが移って残ると思いますが」

「調理する前に漬けていたアマミリ草は全部取っちゃうんです。そうしたら、臭みはアマミリ草が全部持っていってくれますから。今食べていただいたのは、さっき和え直したばかりのアマミリ草です。こうするとニュクドリもおいしくいただけるって、聞いて。ただちょっともったいないですけど……」


 ライナスがミツキをうががうように見た。

 臭みが残っていても食べられないことはない。むしろそのままで食べるのが普通だ。

 おいしくするためにアマミリ草を無駄にしてしまった是非を問うているらしい。


「めちゃくちゃおいしい。最高」


 そう言って、ミツキはニュクドリをまた一口、口に放り込んだ。

 ニュクドリとアマミリ草と塩と、あと何か調味料で炒めたおいしい料理。ミツキの料理知識では、何がこの中に入っているのかすらわからない。ついでに言うと、料理を適切に褒める語彙力もない。


「……そういうこと、ですか」


 うれしそうに次々と料理を口に運ぶミツキに、ベティは呆れたような笑みを浮かべた。


「わかってくれた?」

「はい。心の底から」


 ベティの短い言葉から、ライナスは意図を汲むことができないらしく目を瞬かせてミツキを見た。


「大丈夫。なんでもないよ」


 ライナスは知らなくていい。

 ミツキが勇者として魔王討伐の旅に出発したとき、旅に同行したのはベティだけだった。

 ベティ。旧姓をベルティナ・シーラ。前教皇の孫娘にして生粋の箱入り娘。乳母や侍女に囲まれて育ち、もちろん料理はすべてシーラ家専属の料理人が作る。

 そんなベティとミツキのふたり旅は、宿を見つけられずに野宿するハメになった瞬間、地獄に陥ったのであるが、それは知る人の少ない英雄譚のひとつだ。


「あの、ところで」


 ふたりがあんまりにもおいしそうに食べるので、ライナスはうれしい気持ちもありながら、けれど複雑な顔で遠慮気味に声を上げる。


「マオさんは、どうするんですか?」

「あっ」

「あら」


 忘れていた、とは口に出さず、ミツキとベティは顔を合わせて苦く笑い合った。

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