文明開化の花菜(はな)の時代
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江戸時代が過ぎ去り、時は、移ろい文明開化の明治時代。
厳しい修行をするサトリの元を離れ、じっと身を潜めていた月千代は、頃合いと見計らい、人里へと舞い戻った。
勝手知ったる人里。仮初めの宿り木を探し、田助転生の手がかりを求めに近くの里へ降りてきた。
農村自体は、何ら変化した様子もなかったので月千代は社会が変化したなどとは微塵も思っていなかった。
お江戸の様子でもと足を伸ばしたその場所で月千代は、雰囲気の違う街の様子に驚いた。
夜をぼんやり照らす行灯らしきものがぽつりぽつり。その周りにはひとだかり。月千代は、後にガス灯と呼ばれるものであると知る。
昼間、人力車に馬車が行き交い、黒光りする巨大な船が黒い煙を吐きながら、時折、自分の縄張りを誇示するように敷かれた狭い通路を我が物顔で瞬く間に通過していく。
道行く人の服装も妙な者がかなりいた。違和感を感じた月千代が気付いたのはその髪型だ。わらしのように大人の男も一様にざんぎり。女は、着物を着ているもののあでやかな色合いのものが多くあっけにとられることばかり。
猫のままいるわけにはいかない。とりあえず、頃合いの体を借りて人に成りすまし、事情を知らねばならない。
月千代は、歩くうちに武家屋敷と思しき小さな城がいくつか佇む通りに差し掛かり、妙案をひねろうとしていた。
ーー月千代が武家屋敷と思った家々。それは、西洋風に建てられた良家の家や役所などの建物。知る由もなく月千代は、大きな銀杏の木のそばに腰かけていた。
すると、目の前の小さな城から、火の手が上がる。瞬く間に燃え広がる。月千代は、当然壊すものと思って建物を見ていたが、事情が違う。何やら大がかりな荷車が引き出され、勢いよく飛ぶ水に火が消されていく。そして、中から女が一人助け出された。といっても、月千代の目から見ればもはや生くる当てのないいつ果てるともしれぬ命。年は、15くらいであろうか・・・。
月千代は、この体を宿木と見定めた。
目を覚ますと布団に寝かされていた。起き上がろうとするのを若い女にとめられた。女は、小走りでどこかに行った。月千代があたりを見回すと、見たことのない家具が並んでいた。箪笥の小箱に姿見のついたものやら、柱にかけられた何やら音のする文字盤。妙な椅子に壁に掛けられた浮世絵とは違う色彩の絵の数々。形容しがたいものまであり、もはやそれは月千代の理解の範疇を越えてしまっていた。
しかし、月千代にはその不思議なものが怖いとは感じなかった。むしろこの手で触れてみたい。眺めていたいと心がせかし、居ても立っても居られない。
いよいよ、月千代は布団から這い出してしまった。
ーーと、そこへどたどたと足音を豪快にさせ、がっしりとした体格のひげを生やした男が月千代のもとへやってきた。
「華菜、気付いたか・・・。このたびは本当に大変だったな。しばらくは、うちにいるがいい。身の回りの世話はそのマサエが面倒を見る」
さっき、出て行った女が月千代に会釈する。女中らしい。月千代は自分の名前が華菜であることを知った。
「華菜さん、大変でしたわね。お父様もお母様もお亡くなりになって。しばらくゆっくりしていらすといいわ」
ねぎらいの言葉に華菜が振り向くと、男の家族と思しき娘と母親が意地悪そうな顔つきで華菜を見ていた。その後ろに寡黙な青年ーーおそらくは、この娘の兄であろう男が黙ってお辞儀をした。
華菜が居候することになったのは、岩舟弥二郎という実業家の家。華菜の親の実弟にあたる。
華菜の父が実家の商いを継がず、政府の役人になったため、弥次郎が家業を継いだ。兄の情報と人脈から政府の軍事輸送を一手に引き受け、海運業から金融など手広く商売を拡げた男である。
兄という後ろ楯を失ったことは弥次郎にとって痛かったが幸い、華菜がいる。父母を失った兄の娘を無償で面倒を見たといえば弥次郎自身の株も上がる。
うまく、養女として養い、良家に嫁がせれば自分の地位も安泰と考えて、華菜を可愛がり、女学校へ今まで通り通わせた。
そんな弥次郎の胸の内なぞ知らぬ母と娘のリンは、華菜を憎がった。
とにかく、華菜を追い出さねば…。あの手この手で華菜を追い詰める。華菜の父親もかなりの資産家であった。華菜さえいなければ弥次郎のものになっていたはずである。華菜は、女。いずれ結婚となれば、岩舟の財産の一部がどこの馬の骨とも知らぬ男に取られてしまうかと思うと癪に障る。
華菜は、ことあるごとに、二人にいじめられた。
はじめこそ、あたふたと勝手がわからずやり込められる華菜であったが、貪欲に知識や作法を学び、女学校でも頭角を表し始める。弥次郎の通訳をしながら商売の目利きも覚えた。
弥次郎の華菜を見る目が変わり始める。
女にしておくには、惜しい奴だ。やはり、兄の血を引いている…。
弥次郎は、本気でわが娘、リン以上に華菜を可愛がり始めた。
ことある毎にリンは、華菜と比較される。面白い訳がない。
特に自分の腹を痛めて産んだ母親にとっては尚更。弥次郎の態度は到底看過することはできない。
といって、現代と違い、父権の強い社会。弥次郎の怒号と拳で二人の不満はいつも抑えられてしまった。
こうなると、その捌け口は、自然恨むべき当人の華菜に向かう。
リンと母親のいじめは一層激しさを増した。
しかし、当の本人である、華菜は、そんないじめどうということはなかった。
月千代の時代には、もっと恐ろしい目にも在ったし、裏切りも受けた。それにサトリの修行のほうがずっと過酷だったからである。
その平然とした姿にリンたちは、ますます悔しがる。
一方、傍目でみていたリンの兄、弥助は華菜の態度が健気に見え、何かと突っかかるリンを諌め、華菜の肩を持った。
それどころか、前向きに笑顔で生きる華菜の姿に弥助はいつしか、義理の妹以上の感情を持つようになっていた。
リンには、納得出来なかった。父親だけでなく、慕ってやまない兄までもがこともあろうに、他人の華菜の味方をするとは…。
ままごとを一緒にした兄を思い出す。字を教えてくれた兄の優しい横顔を思い出す。
リンの兄に対する兄以上の想いが頭をもたげる。
華菜に兄は渡さない…。
リンは、華菜に対する憎しみを露にする。岩舟の財産。一部ならまだしも全てを華菜にとられるわけにはいかない。
私から父を奪う者。
私から兄を奪う者。
私から岩舟を奪う者。
リンの中に何かが宿った。
一方、そんなリンの気持ちなど露とも知らない華菜は、目を輝かせ、時代を謳歌していた。
マッチ。火打石と比べ物にならない手軽さ。擦るたびに幻想と感動を覚える。時を刻む時計。流れ行く秒針に時の移ろいが勿体なく感じた。いつ時か弥次郎の書類を役所に持って行ったとき「十時」と言われたのを「十字」聞き違え、赤恥をかいたことがあった。時計を見るたび笑い話で思い出す。他にも、傘、化粧品、ビン詰め、オルガン、洋食器。魔法のようで見ているだけで飽きなかった。
しかし、そうこの生活に安穏としてばかりはいられない。華菜は、田助の御霊の手掛かりを探さなくてはならない。サトリのもとを抜け出した手前、いまさら戻るわけにはいかず、式神も行方知れず。信号を送っているものの音沙汰が一向にないのである。
華菜は、正直途方に暮れていた。
数日が過ぎた。華菜は、羽団扇の黒扇丸を連れだし、山へ散歩に出掛けた。
黒扇丸は、かえでの母のもの。月千代が彼女の命を救った礼にもらったものである。
黒扇丸は、実に不思議な「モノ」だ。生き物のように動き回るし、空も飛ぶ。おまけに鳴き声まで発するのだ。
人の多い都会。その黒い体を生かして風呂敷のように装っているが、同じ格好は窮屈なのか、欲求不満気味であった。
暴れて、たびたび華菜を困らせるので、こうして人目のない広い場所で遊ばせているのである。
自らの身体を目一杯拡げ、気持ちよさそうに空を飛び回る。
小一時間が経過し、黒扇丸を呼び寄せた華菜は、家路に着こうとしていた。
「あー、おまいさん…。いや、お嬢さん。ちょっとものを訊ねたいんだが…」
華菜が振り向くと、長身の男が見下ろすように立っていた。洋装。背広にワイシャツ、帽子、ネクタイ、ズボンに靴。地味な色合いだが、この時代にはそれなりに目立つ服装だった。
その男は、懐から一枚の写真を取り出した。白黒の濃淡に写し出されていたのは、小さな少女の笑顔であった。
華菜は、首を横に振った。
「そうか…。ま、何か思い出したら…」
そう言いかけて、男は、鼻をスンと働かせた。人間に混じって別の獣の僅な匂い。
「何か?」
華菜は、上目で不快な眼差しを男に向けた。
「いや、別に…」
男は、首を捻りながら、前を通り過ぎる華菜を見ていた。
華菜の去ったあと、男は、頭を掻きながら、近くの草むらに腰を降ろした。
男の正体は、四使徒の一人、朱雀。閻魔の一人娘、華閻が先頃失踪したので、下界に探しにきていたのである。
朱雀は思った。
それにしても、さっきの娘、おかしい…。人間の匂いに混じって獣、それも猫の匂いがした。
妖怪…?
朱雀は、少々厄介なことにならなければよいが、と思った。
昔、華閻の飼っていた銀狼という名の九尾の狐が雄の猫又をくわえてきたことがあった。
あの猫又に仲間がいて、華閻に復讐など企てはしないか?
だとしたら、自分は軽率だった。こともあろうに、仇と思う相手にわざわざ華閻が入り込んだ人間の姿を教えてしまったからである。
朱雀は、式神にあの娘の素性を探らせようと思ってあることに気づいた。
式神は、謹慎の身であるということを…。
配下には他の神もいるが、朱雀が一番信頼がおけるのは式神。
式神の謹慎を何とか解くため、一旦朱雀は、魔界に戻ることにした。
そして、あの猫の匂いがする娘を新神の狗神に見張らせることにした。
場合によっては、狗神にその娘を成敗する権限を朱雀は与えた。
狗神は、喜んだ。神として末席にいた
自分を朱雀が引き立ててくれたと思ったからだ。
忠実なる職務全うに狗神は燃えていた。
家路の途中で、華菜は、にわか雨に降られた。さっきまでの晴天とうってかわって、急に暗雲が立ち込め、あれよという間に降りだしたのである。民家の軒先で、困っていると、一人の男が傘をすっと差しだした。
にこやかだが、華菜にとっては、見ず知らずの男。学生服のみ見とめて、再び空を見やった。
男は、傘を華菜の手に強引に押し込むようにすると、どうぞと言うと、自分は、頭に手拭いをかぶり、その場を早足で去って行ってしまった。あとに残された華菜は、あまりのことに何が起こったのかわからず、男の走り去る様子だけ眺めていた。
人知れぬ親切ではあったが、無作法に置いて行かれた傘を使うわけにもいかず、懐に濡らさぬように抱え、自分は、雨が小やみになった隙に軒先伝いに家路についた。
それでも、家に着くころには、頭からつま先まで重々しく、泥はねなどしながらひどい恰好になっていた。幸い、義母は不在で、弥助と女中が玄関にいたのみであった。
「傘があるのに、こんなに濡れて帰るとは、華菜どうしたというんだ?」
弥助の問いかけに華菜はいきさつを答えた。そして、わが身を濡らしても傘を濡らさず帰ってきた華菜に、「らしさ」を感じおもわず、ほほ笑んだ。
華菜のほうは、馬鹿にされたと思い、少し怒ったように顔を紅潮させたが、弥助は、否定するでものなく、女中に着替えの支度を頼み、手拭いで華菜の頭と顔を優しく拭いた。
華菜は、さっき笑われたのが癪に障り、「自分でできます」といいながら、弥助から手拭いを奪い取ると、頭と濡れた着物を拭きはじめた。
その様子を廊下の陰から義妹のリンが親指の爪を噛みながら、忌々しげに眺めていた。
岩舟の家を汚されるわけにはいかない。華菜と弥助の仲を引き裂かねば…。
リンと母親は、華菜に縁談を勧めた。
華菜は、気乗りしない。田助を探すために入った宿り木に足を取られた格好になってしまったからだ。
華菜の人生を全うすべきか、自分の気持ちに正直に生きるべきか…。
それにしても、弥助が気になる。身内ということであまり、気にしてこなかったが、彼が近くにいると気が浮き足立ち、落ち着かない。
それに、リンの華菜を見る目付き。あれは、完全に恋敵そのものを見る目付きだ。
どうしたものか、と困り果てた華菜は、家の玄関口で溜め息をついていた。
ふと、目をやると、路地の垣根に幼子がいて、こちらをじっと見ている。
華菜は、近づいて声をかけた。
「どうしたの?」
幼子は、女の子だった。下を向いたまま、体を左右に揺らし、困り果てていた。やがて、意を決したか一言、華菜に発した。
「お兄ちゃん…」
「お兄ちゃん?」
幼子は、こくりと頭を下げた。
「お姉ちゃん、岩舟のお兄ちゃんのこと…好きなの?お兄ちゃんもお姉ちゃんを好きなの?」
「え?」
華菜は、幼子が何を言っているのか理解に苦しんだ。
「何でもない…。また、遊んでってお兄ちゃんに伝えて…」
幼子が泣きながら、後ろを向いたとき、一人の男が血相を変え、こちらに走ってくる。
幼子は、くるりとこちらに向きを変えると、華菜を男に突き飛ばして逃げて行ってしまった。




