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E9:終末ノ場所

 目が覚めた時、俺の目から涙が流れていた。

 視界に広がったのは、見覚えのある白い天井。木村先生に以前一度運んでもらった診療所だ。


 ――ようやくすべて、鮮明に思い出した。

 だっていうのに、俺はまた、彼女を助けられなかったのだ。


「……ッ」

 顔がゆがむ。

 涙も嗚咽も止まらない。

 腕を動かすことすらできずに、そのまま雫が垂れ流しになる。


 そこに声が降って来た。

「男がみっともなく泣くなよ。まだ終わってないだろ」

 すぐ隣の椅子に座っていたのは、木村先生じゃなく月子先生だった。


「月子、先生……なんで、」

「悪いけど、詳しいこと説明してる時間ないんだよ。あんたがぶっ倒れてから6時間経ってる。蛇女もなんでかもったいぶってるみたいだし、そろそろ百鬼夜行が起こってもおかしくない頃合いさね」

 先生は俺よりも事態を把握しているらしく、急くようにそう言った。

「……俺、瑞葉の手、離しちまった」

「そうだね」

「……俺、また庇ってもらった」

「そうだね」

「……俺、何にも……できなかった! 木村先生の力も借りたし、セキにもあんな無理させたのに! 全然敵わなかった! 俺、どうしたらいい? 瑞葉、鬼になっちまうよ……! あんなに、嫌がってたのに……!!」

 喚く俺に対し、先生は無言のまま、椅子から立ち上がった。

「……あんたはどうしたいのさ」

 抑揚のない問い。

 先生の真っ直ぐな眼が射るように俺を見下ろす。


 ……どうしたいかなんて、決まってる。

 でも、

「ッ、動かないんだよッ、……脚も、腕も……ッ」

 すると月子先生は、俺の胸ぐらをいきなり掴んで上体を引き寄せた。

「甘ったれんなこの泣きべそっかきが! 脚が動かないだ? 私は立ってるぞ、ほら見ろ!」

「…………月子せんせ……」

「あの子はまだ鬼になってない! 殺されてもいない! 泣いてる暇があったらお前もとっとと立ちな! もっと後悔するよ!?」

「……」

 先生は鬼気迫る表情で俺に吠えた。

 先生のこんな人間めいた表情は初めてで、俺は息を呑んだ。


 そこに割って入ったのは

「……まあ少し落ち着きなさいよ二人とも。見てるこっちがハラハラするから」

 やや疲れた表情の木村先生だった。

「……確かにいきなり『立て』は難しいか。久城の体にガタがきてるのは事実だし」

 月子先生は俺から手を離し、わしゃりと俺の頭を不器用に撫でた。

「でも、私はあんたに『立て』って言う。私の気持ちの押し売りもあるけど、あんたがそんなになってまで守ろうとしたんだから、あんたの気持ちのほうがきっと強いはずだよ」

 それだけ言って、月子先生は部屋を出ていった。


「……不器用なひと」

 木村先生は嘆息気味に彼女をそう称した。

「一応、状況を説明するわね」

 先生はそう言って、さっきまで月子先生が座っていた椅子に座る。

「瑞葉さんの鬼化が始まってから、町の外からも心鬼や邪鬼がこの神木に集まってきているの」

 弱い者は強い者に惹かれる。

 それゆえなのだろう。

「このままだと、鬼が群れをなして町を呑みこむ『百鬼夜行』が起こる可能性があるわ」

 『百鬼夜行』――さっき月子先生が言っていた言葉だ。

「……それが起こったら、どうなるんですか」

「町は鬼に支配される。町が完全に鬼の瘴気に呑みこまれれば、普通の人にも、鬼が見えるようになるわ。そうなれば、どうなるか分かる?」

 ……どうって……。

「いろいろ、おかしく、なるんじゃ」

「正解。前の土耶の当主はこの土地を守っていた御神木がない状況をいいことに、この地にいた最後の土鬼を使って人為的に百鬼夜行を起こそうとしたの。鬼の存在を町の人々に示せば、鬼をくだせる強い力を持った自分たちが崇められ、支配できると思ったんでしょうね。けど、その土鬼を瑞葉さんが偶然封じて未遂に終わった」

 恐怖によって支配する。それが土耶の考え方らしい。

「じゃあ、あいつの目的も……?」

「土耶綴が土鬼を欲しているのは、今度こそ完全な百鬼夜行を起こすため。……彼は前の当主とは血が繋がっていないはずなんだけど、考え方は一緒なのね」


 ……記憶によれば、あいつはそう思われるのを嫌っていた気がする。

 けど、俺にとってはそんなことどうでもいい。

 俺が、しなくちゃいけないのは。


「――久城君」

 木村先生の温かい両手が、俺の頬を包んで持ち上げた。

「大事なことだからよく聞いて。貴方の恩師だかなんだか知らないけど、あのひと、貴方にかなりの無茶を言ったわ。貴方は今、とても立てる状態じゃない。無理に体内に気を流したでしょう? その代償で神経のいたるところが傷ついているわ」

 先生の眼はいつになく真剣だった。

 あの特訓のときですら、ここまで真剣な眼じゃなかっただろう。

「これ以上動くのはいくらなんでも無茶。最悪、本当に死ぬわ」

 今度こそ、これは脅しじゃない。

 分かっている。

 ……それでも、俺は。

「……俺は、瑞葉を、助けにいきたい……!」

 自然と涙が頬を伝っても、俺の喉はそう言った。

「……俺、あいつに何にもできなかったけど……! 約束したんだ、いっぱい……」


 瑞葉は最後になんて言った?

『嬉しかった』って、言ったんだ。

 返事になってないんだよ。

 俺が、ちゃんと返事をさせてやれなかったんだ。


 だから、もう。

「守られるのはもう十分だ! 今度こそ、俺はあいつの手を離さない……!!」


 先生は、しばらくじっと俺の眼を見つめた。

 眼と眼が静かに意志を主張し合う。

 にらめっこのような時間が、ほんの少し続いて、

「……相変わらずね、君は」

 そっと、先生は手を離した。

「色鬼のときもそうだった。止めても無駄そうだから、私はもう何も言わないわ」

「木村先生……。ありがとう、ございます」

 本当に理解ある先生で良かった。

 ここにきて、俺は先生にこの学校で出会えたことの幸運をかみしめる。

 彼女がいなかったら俺はもっと無知で無力なままだったのだ。

 しかし、先生は不満げに俺の鼻先にひとさし指を立てた。

「それよ!」

「へ?」

 先生は、まるで幼い少女のように少しだけ口をとがらせて言った。

「久城君、私のことは『手鞠先生』って呼んでくれないわよね。……あの女のことは『月子先生』って呼ぶのに」

「え……」

 ええと。

 ……それって先生、もしかして月子先生に妬いてる……?

「別にいいのよ? ただなんていうか、教師としての壁を感じるっていうか、負けてるっていうか。……別にいいんだけどね?」

 ……完全に妬いてる感じっすか。

「――ありがとうございます、手鞠先生」

 言うと、先生は無邪気な微笑を湛えた。


 その時、診療所の窓から突風のような勢いで、転がり込むように何かが入って来た。

「何!?」

 突然のことに先生は驚いてガタリと席を立った。

「く、久城さん!」

 美しいはずの銀髪を振り乱して現れたのは、闇里だった。

「姉さんが、茨乃姫様を見つけました……! 今ならまだ、間に合います! どうか、姉さんを止めてください!」

「……!」

 懇願するように、闇里は床に膝をついて必死に頭を下げる。

 すると

「……闇里……!? なんであんたがここに」

 戸口から、月子先生が再び現れた。

「僕の懇願を、お父上が聞き届けてくださいました! あの方は、本当は、姫様の死を望んでなどおられないんです!」

 月子先生は闇里と面識があるらしい。闇里の言葉に彼女は顔をしかめた。

「何を今更……」

「今更とか、そんなこと僕にはどうだっていいんです!! 今やらなくちゃいけないことがすぐそこにあるんです! 気持ちの整理なんて、全部あとでいいんです!!」

 闇里が顔を真っ赤にして言った。

「久城さん! 僕の力を貴方にお貸しします。僕が憑いている限り、少なくとも満足に動くことは出来ます」

「闇里……」

 ありがとう、と頷くと、闇里が霊体となって俺の中に入っていった。


 途端、心に映ったのは泉の情景。

 穏やかでありながら、力強く湧く生命の力。

 すぐに、手足に力が戻ってくるのが分かった。


『水行と木行は相性がいいんですよ』

 闇里がそう言った。


 そのまま俺はベッドから飛び降りた。

「ちょ、ちょっと久城君! もう行くの!? あの鳥の精霊もいないのに」

「セキは?」

 言われてみれば、いつも頭上にいるか肩に乗っているはずのセキの姿がない。

「あの子、久城君が目覚める前にどこかに出ていったの。『気持ちを清算してきます』って言ってたけど……」

 ……セキがいないのは痛手だが、彼女を待っている時間の余裕はない。

「俺、行ってきます。瑞葉のところに」

 枕元にあったグローブをとり、握りしめる。

 手鞠先生は心配げに、けれどふっきった顔で俺を見送る。

 一方、月子先生は複雑な表情を浮かべていた。

「……すまん久城。私、あんたに偉そうなこと言ったけど……あの子のこと、頼むよ。あんたにしか頼めないんだ」

 そう言った先生は、ともすれば涙を見せそうな、そんな表情だった。

「ううん、先生、ありがとう。……あいつは絶対死なせないから」


『行きましょう』

 闇里の声に従って、俺は診療所を飛び出した。


今まさに最終話を書いているところなので、連日更新できるかと思います。

最後までどうぞお付き合いください。

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