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E0-2:天ノ月Ⅱ~E1:ボーイミーツガール

 深夜。いつも通り俺たちは繁華街の隅に集まった。

「……はァ? お前今、なんつったの?」

 俺より二つ年上の族のリーダーは、案の定俺の脱退を快くは許してくれなかった。

「もちろん冗談だよなオオカミ? 全然笑えねえけど」

 リーダーは笑って俺の背中をたたく。

 周りにいた奴らも、微妙な空気を漂わせながらヘラヘラしていた。

「冗談じゃないっす。俺、今日を限りに族抜けます」

 俺が言うと、リーダーの顔から薄っぺらい笑みが消えた。

「……どういうこった、オオカミ。お前が他の族を叩いてくれたお陰で今や俺たちはこの一帯のトップなんだぜ? 今が絶頂ってときに、なんで抜ける? まさかとは思うが引き抜きでもかかってんのか?」

「違うっすよ。俺、もうこういうのやめようと思ってるんす」

 すると、近くにいた同級生が野次を飛ばしてきた。

「おい久城、お前最近あの天野とかいう先公とよくつるんでたよな? まさかあの女に言いくるめられたのか?」

 すると後輩たちの失望と、非難の声があちこちで上がりだす。

 こうなることは目に見えていたが、実際その状況になるとやはりつらい。

「はっ、女に骨抜かれたってえのかよ。お前には失望したぜオオカミ」

 リーダーが立ち上がる。

 すると周りの奴らも立ち上がりだした。

「……お前になら次期のヘッドを任せてもいいって思ってたのによ……。考えを改めるつもりはねえんだな?」


 この返答で終わる。

 どっちにしたって、一度抜けるなんて言葉を言い出した奴は信頼を失うんだ。

 俺はもう決めた。

 殴り合うだけで何も得られないような生活とはサヨナラだ。


「覚悟の上っす」

 言い終えて、容赦ない蹴りが飛んできた。

 構えていなかったので、身体は簡単に地面を滑った。

「覚悟の上だってんならもちろんボコられんのも分かってんだよな?」

 うちの族はわりと古風で、途中脱退には制裁が待っている。

 俺は立ち上がりながら頷いた。

「遠慮はいらねえぞお前ら!! こんな腰抜け、もう俺らの仲間じゃねえ!!」

 リーダーの声とともに、制裁の時間が始まった。



 抵抗をするつもりは最初からなかった。

 うわべだけだったのかもしれないが、仲良くつるんでいた奴らを殴って終わるのも後味が悪い。

 それにこいつらだって人間だ。殺すまでは殴らないだろうと、心のどこかで俺は甘えていたのかもしれない。


 俺の読み通り、俺はある程度ボコられて、そこで止めが入った。

「そのへんでやめとけや」

 その声は、あまりなじみのない声だった。

 かすむ視界では相手を把握できず、耳から入ってくる情報で相手を判断する。

「え、江口さん! 来られてたんすか!」

 リーダーが急に改まった声を上げた。

 ……江口、とは、確かこのチームのOBで、今は暴力団の端くれをやってるとかいう危険な男だ。

 俺は一度しか顔を見たことがないが、リーダーや先輩たちが一番恐れている人物だった。

「あんまりやったら喋れんようになるやろ。そこは考えてせなあかんで、リーダー」

「は、はあ」

 江口がしゃがみこんで、俺の頭を掴む。

「お前、もしかして殴られたら終わりやと思ってないわな? 俺らんときはそんな甘くなかったで」

 かすむ視界に、光るものが映る。

 ナイフだった。

「これで指なくしたくなかったら、『引退料』を納めるこっちゃ。10万、払えっか?」

 ナイフの刃がぺたぺたと頬を叩く。


 このとき、俺は自分の運の悪さを呪った。

 他の奴らならまだしも、こいつは別だ。

 断れば切られる。

 断らなくても一生カモにされるだろう。


「どうした? 口が腫れて喋れんのか? さっさと答えろや、ガキ」


 男のすわった目が俺の目を脅すように覗き込む。

 殴られすぎて抵抗ももうできない。

 かといって金を払うなんて安易には言えない。

 10万といえど大事な金だ。

 親父が死んでいない分、お袋が必死に働いて稼いでくれてるのは分かってる。


 ……いや。


 俺は本当に分かってたのか?

 嘘だ。全然分かってなかった。


 孤独なフリして勝手にふらふら家を抜け出して、こんなザマになってるのは全部俺のせいだ。

 ひとりでカッコつけて終わろうとして、でもこんな事態になって。


 ……なんて馬鹿なんだ、俺は。


「おい、寝てんのか? 起きろや」

 江口が強引に俺の胸ぐらをつかんで立たせる。

「あ? ……オイお前ら、こいつ泣いてんぞ? ハハッ情けねえツラだ!!」

 江口はひとりで悦に入っていたが、周りの誰も笑っていないのは分かっていた。

 けど誰もこいつを止められない。それだけの度胸がある奴は、ここにはいない。


「いい大人が子ども相手に、笑わせるね」

 その時、はっきりと、先生の声がした。

 俺は思わず声がするほうに首を傾けた。


 恐らく騒ぎ声が漏れていただろうに、誰も怖くて寄り付かなかった路地裏。

 そこにその人は、ひとりでやって来た。


「抜けの儀式はもう十分だろ? それ以上やるんなら私があんたを止めるよ」

 周りの奴らは声も上げずにその人を見ていた。

 誰だって思うだろう。

 華奢な女が、こんなイカれた刃物男にかなうわけがない。


「なんや、てめえ。こいつの保護者か?」

「『先生』だよ」

「は?」

「耳が遠いのか? つくづく呆れる」

「ッてめえ! 何様だ!!」

 先生が江口をわざと挑発しているのは分かっていた。

 俺から江口を離すために。

「『女王様』だよ。皆そう呼んでるんだろ?」

「ざけんなよアマぁッ!」

 江口がナイフを持ったまま先生に向かって走る。

「先生っ」

 しかし先生は臆する風もなく、何かを江口に向かって投擲した。

「!?」

 何を投げたのかは見えなかったが、それは見事に江口の手に当たってナイフをはじいた。

「……つッ!? 飛び道具……!?」

 江口の手首は赤くはれ上がっている。

 しかし、何が当たったのか本人にも、周りの誰もが分からない。

「怪我したくないなら大人しく退きな。それとも、いたぶられたいか?」

 月子先生が腕を振るうと、何も見えないのに、壁に沿っていた雨水管がゴンと凹んだ。

「……う、わあ!?」

 見えない何かに恐怖したのか、わらわらと周りの奴らが逃げていく。

「……ッ! 化けもんかてめえ!」

 周りの恐怖に押されて、江口もあっさり退散した。


「うら若きレディに対して『化けもん』はないだろ、失礼な奴」

 先生は江口が去っていたほうに『地獄に落ちろ』とジェスチャーした。

「……月子先生……」

「悪かったね久城。様子を覗ってたんだが、なかなか出ていくタイミングがつかめなくてねえ。下手に出て行ってもあんたの矜持が傷つくだろ?」

 そう言いながら先生は俺に肩を貸してくれた。

「あのヤクザみたいな男が出てきてくれて私としては助かったよ。……怖かったか?」

「…………」

 怖かった、というよりも、いろんな感情がこみ上げてきて、涙腺が高まった。

「よく耐えたよ。さ、帰ろう」

 先生が歩くよう促す。重い足をゆるゆると動かし始めたその時。

「……!」

 先生が急に足を止めた。

「な、に」

 問う前に、激しいノイズが鼓膜を襲う。

「……ッ!?」


『……ク、ワ、セ、ロ……』 


 路地の影から、何か黒いものがふと這い出てくる。

 それは四足の獣……狸のような形をしていた。

 狸といっても大きさは虎並みだ。


『クワセロ!』


 事態を認識しきる前に、そいつは憎悪のこもった声で叫びながら俺たちに突進してきた。


 避ける時間なんてなかった。

 いや、満足に動けない俺を支えていなければ、先生だけならきっと避けられたのに。


 とっさに先生は、俺をかばった。

 俺を思い切り突き飛ばしたのだ。


 次の瞬間

「ぅぐッ」

 先生の背中に、そいつは深々と牙を立てた。


 赤い血が噴いた。


「せ、んせぇッ」

 倒れる彼女の腰に、まだしつこく食らいつく獣。

 相手が息絶えるまで牙を立て続ける――まるで猛獣の狩りだった。


「ッ先生を離せよッ!」

 すぐそばに転がっていた棒切れを獣に投げつける。

 すると獣はようやく俺のほうを見た。


『人間……クワレロ』

 赤い血が滴る落ちる牙。

 そいつはゆっくりと俺を標的に変えた。

「……ッ、」

 目が合った瞬間に、足がすくむ。

 いや、最初から足は震えていた。


 先生が死ぬ。

 あんな風に噛みつかれたら、先生がどんなにタフでも致命傷だ。


「……ッ、ッ」

 それだけで涙が止まらなくなった。


『クワセロ!!』 


 獣が地を蹴って俺に飛びかかる。

 避ける気力もなくなっていた。

 牙がすくそこに迫る。


 刹那

「!!」

 俺の目と鼻の先で、獣が静止した。

 否、獣は透明な鎖でがんじがらめにされていた。


 その鎖の出どころは

「月子先生!」

 地面に横たわる先生の、手から繋がっていた。


「……狸の悪霊…………狸合戦じゃ、あるまいし」

 先生はわずかに顔を上げてそう呟いた。

「消えな」

 一瞬、鎖がよりきつく締まったかと思うと、次の瞬間鎖は水のように弾けて、獣も同様に霧散した。


「…………悪い、久城。あんたを運べなくなったわ」

 先生は伏したままそんなことを言った。

 それどころじゃない。

 先生の周りには血だまりが出来始めている。

 このままじゃ失血のショックで死んでしまう。

「い、いま、救急車、呼ぶから……ッ」

「ん……頼むわ……」

 それきり先生が沈黙する。

「せんせえッ」


 俺の携帯電話は抜けの洗礼のときに壊れていて、使い物にならなかった。

 俺の喚き声で流石に駆けつけた人が、救急車を呼んでくれた。




 それから俺が先生に再会したのは、3カ月も後――季節が冬になりかけた頃。

 先生が『辞職』の挨拶をしに学校へ来た時だった。


 その時の先生は、車いすに座っていた。


 馬鹿な俺でもわかった。

 先生が辞職する理由が。

 ただの怪我なら、任期途中で辞職までするはずがない。


「…………」

「なんて顔してるんだ、久城。久しぶりに会うのに、これっぽっちも男前になってないね」

 先生は、変わらずに茶化してそう言う。

 その分、車いすの無機質さが余計に際立つ。

「……先生……ごめ」

 俺の脚は勝手に崩れていた。

 その場で頭を下げながら、先生の脚にすがった。

「! おい、くじょ……」

「ごめん、せんせ……!! ごめんなさい……!! 俺のせいで、脚……!!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 先生の顔をまともに見れずに、ただただ頭を下げる。

 けど、どう謝っても謝りつくせない。

「……おれっ、俺、責任……!?」

 その時、先生に頭をがしりと掴まれた。

 そのまま、力強く引っ張られて、上を向かされる。

「簡単にそういう言葉は言うな、久城。あんたはまだ若い。――私もね」

 諭すような、力強い先生の言葉に息を呑んだ。

 俺の情けない面を見て、先生はいつものように微笑む。

「もし、私に恩返しをしたいなら、他の誰かに手を差し伸べなさい。あんたのそれ、きっとそのためにあるから」



 先生は、健全な学生になるよう俺に言って、俺を責めないまま学校を去って行った。

 彼女の行き先は、他の先生も教えてくれなかった。

 多分彼女がそう言い残したんだろう。



 それから俺は、先生の言いつけを守るつもりで、高校に進学した。

 そこで俺は、彼女に出会う。




 * * *

 ――春。

 結局いろんな先生に世話になって無事中学を卒業した俺は、感慨深い気持ちで桜並木をくぐった。

 生温かいのに新鮮に感じる春の風を、肌で感じながら校門をくぐる。

「……!」

 途端、鈍い頭痛を覚えた。


 鋭くはない。

 ただじわりと、空気が重く肩にのしかかる印象。

 何かが、この学校に潜んでいる。

「……まじかよ」


 入学初日。俺は校門前でひとり苦笑いをしたのを覚えている。



 この高校は、もともと男子校だったせいもあって女子の数が圧倒的に少なかった。もともと前情報として知っていたことでもあったけど、教室に入ってその現実を間近で見ると、想像以上にムサくて少し笑えた。

 他の男子もきっと同じような気持ちだったんだろう。なんとなく複雑な表情を浮かべながら、奴らの目は自然と数少ない女子のほうに向けられていた。

 これだけ女子の数が少ないと、『同じクラスになった』というたったそれだけのことにすら運命的なものを錯覚してしまいそうになるのも無理はない。

 女子の方も、案外そうなのかもしれない。

 数が少ないゆえに一箇所に団子になっている女子たちは、男子達の地味に熱い視線に少し戸惑いを見せつつも、逆に彼らを品定めするかのように周りを見渡してはひそひそと楽しげに会話を繰り広げている。


 期待と不安。

 緊張感を持ちつつも、どこか浮ついている。

 実に、春らしい空気だった。


 けど。

 1人だけ、纏っている空気が明らかに違う奴がいた。

 教室の隅の席。

 ぽつりと、女子の輪から離れて座っている少女がいる。


 この春めいた空気から目を逸らすように座る彼女は、ひどく退屈気に壁を見ていた。


 その時から、俺は彼女を目で追うようになった。




 彼女の名前は瑞葉茨乃。

 クラスの女子の名前は3日で全部覚えたけど、彼女の名前を一番最初に覚えた。

 最初のホームルームで順番に行われた自己紹介も、名前だけ呟いて終わった生徒は彼女くらいなものだった。

 あまりの刺々しさに担任も含めて皆大分引いていた。


 入学して1週間。

 校舎の造りに少し慣れてきた俺は、意を決して夜の学校を訪れた。

 学校に潜むものの本質を見極めるためだ。


 害を及ぼすものなら警戒する。

 そうでないものなら無視する。

 これは月子先生の教えだ。


 いざ、校門に足を踏み入れた俺の目に入ったのは、校舎に一人で入っていく人影だった。

 見慣れた人物だからすぐ分かった。

 瑞葉だったのだ。


 それから俺は彼女を追いかけて、見事激突したわけだ。



 俺が言うのもなんだけど、彼女は想像以上に脆い子だった。

 人と違う爆弾を抱えていることが、それに拍車をかけていた。


 学校で始終退屈そうに――辛そうにも見えた――彼女をどうにかして笑かしたくて、馬鹿なこともいっぱい言ったけど、彼女がどこまで本当に喜んでくれたのかは、実際のところ分からない。


 俺を守るために彼女が傷ついて、俺は結局、気休め程度の言葉ぐらいしかあげられなかった。


 ……ただ、彼女が俺に言ってくれた言葉


「私が死ぬまで、私のものになってくれ」


 苦い言葉だったけど、俺は嬉しかった。

 誰かのためになることを俺は先生に誓ったから、それが叶ったような気がしたんだ。


 けど。

 俺はやっぱり無力で、彼女にまた、守られたんだ。


珍しく連日投稿(ほんともっと早くやっとけと)

ここからE1-4のあとに起こった出来事に続きます。

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