E6-5:本気のアフタースクールⅡ
午前3時。
まだ日こそ昇っていないものの、彼女の感覚的には既に朝だ。
「……あー。今日はここに泊まろっかなあ。帰るの面倒だし。シャワー室隣にあるし」
とりあえず標に式神制作の基礎を教えきった手鞠は、うんと伸びをした後ぼふりと保健室のベッドに倒れこんだ。
「お疲れさん。急かした私が言うのもなんだが平日にここまで根を詰めるとお前の本来の職務に影響が出るんじゃないか?」
標が家に帰るのを見計らって保健室に入ってきた茨乃が、缶のミルクティーをベッドに転がした。
「わーありがとー、瑞葉さん気が利くー。私紅茶好きなのよねー」
脱力しきった声で、それでも嬉しそうに手鞠はそれを受け取った。
「そりゃあここにそんだけ紅茶のティーバッグ用意してたら誰だって分かるよ」
保健室の隅の棚に積まれてあるそれを眺めながら、茨乃はベッドの脇に座った。
「ほんとは茶葉を持って来たいんだけどねー、それは流石に駄目かなってこれでも自重してるのよー」
そうこぼしながらぷしりと缶のプルを上げ、手鞠はベッドの上に座りなおす。
「でも瑞葉さんも最後まで見てるんならいっそのこと中に入ってくれば良かったのに」
「お前の講義に水を差すつもりはねえよ」
茨乃の返答に手鞠は笑う。
「久城君は全く気付いてないみたいだったけど、私としては外からじっと見られてるってのも落ち着かないんだけどなあ。……それともあれ? 私が彼に手を出さないか心配だったりする?」
「してねえよ。大体お前熟年趣味だろ。知ってる」
「ごふっ!? なんで!?」
「こっちにもそれなりの情報網はあるさ」
「……ッ、前に振ったチャラい霊媒師か……!」
ちなみに『前に振ったチャラい霊媒師』とは、手鞠のバイト先で勝手にナンパしてきてあまりにもしつこかったために若い男に興味はねえと吐き捨てた相手だったりする。
今度会ったらシメると宣言しビールのごとく紅茶を喉に流し込む手鞠。
「でも久城君、なかなか見所あるわよ。年上ほどの包容力はないけどそれを持てるだけのたくましさはもうあるし。昨日も今日も相当無茶させたけど私の前じゃ泣き言言わないしね。うん、可愛い可愛い」
「…………」
顔をしかめる茨乃に対し、真夜中に紅茶を飲んでテンションが高まってきたらしい手鞠はわしゃわしゃと彼女の頭を撫でる。
「妬いてる顔かわいー。そういう顔彼の前で見せたらイチコロだと思うんだけどなあ」
「っ、やめ、」
頭を撫でていた手がそのまま肩を掴み、手鞠は茨乃を押し倒した。
「!?」
背中が弾むと同時にベッドが大きく軋む。
「ちょっと失礼」
暴れる茨乃をものともせず、完全に馬乗りになる手鞠。もちろん相手を逃がさないように、脚で拘束するのも忘れない。
「っ、なにす」
反撃の拳すら軽くかわして、手鞠の手は茨乃の上着の下をくぐった。
「……やめ、ろ!」
茨乃の叫びが響くのと、手鞠が彼女の腕部の素肌を暴いたのは同時だった。
「…………、やっぱり」
間近にそれを見下ろし、手鞠はそうこぼした。
右腕の付け根。
雪のように白い肌が、部分的に鬼の細胞に侵蝕されている。食い込むようなそれは、周りの正常な肌まで赤く充血させていた。
痛々しい。
いや、それ以上に忌々しいはずだ。
鬼を滅するものが逆に冒されているのだから。
「……そんな顔すんなら最初から見んな、変態」
ばっと袖を翻し、茨乃は手鞠を強引に退かせる。
「あんっ、もう、乱暴しないでよ」
「どっちが!」
茨乃が吼えると、手鞠はばつが悪そうに謝罪した。
「……ごめんなさい。ちょっと気になって」
ふん、と茨乃はそっぽを向いた。
背中合わせの形に座りなおし、手鞠は茨乃に問いかけた。
「……それ、どうするの?」
「どうにも。とりあえず目先の問題だけ片付けるつもりだ」
「目先の問題? それって土耶のこと?」
ピンポイントで突いてくる手鞠に茨乃は納得の表情で頷いた。
「お前のとこにも来たか」
「ちらっとね。何度かバイト関係で顔合わせてたから公務員やってることバレちゃった。生徒会長様の告げ口でクビにされたらどうしようかしら」
苦笑と、それだけでは片付けられない複雑な表情で笑う手鞠。以前にも標に突っ込まれたことだが、公立高校の職員という立場上副業を持つことは禁止されている。
除霊業だけならまだなんとか誤魔化せたかもしれないが、彼女の副業は怪しい業種な上に数も豊富なためバレるとPTAが黙っていないだろう。
「ただでさえ一部のお堅い保護者に『胸がでかすぎる。子供の教育に悪い』だの言われてるのに。これって身体的特徴に関する不適切な発言よね、裁判ものよ」
「ははっ。もしクビになったら今回の報酬としてこっちの職斡旋してやるよ」
「ふふ、ありがと。バックが大きいと助かるわ」
手鞠は紅茶を飲みきり、傍らのテーブルに缶を置く。
「で、あっちは一体何をしにきたの? 何か魂胆があってここに編入してきたんでしょ?」
「私を飼いたいんだとよ」
茨乃の言葉に『は?』と口をあんぐりさせる手鞠。
「どういう意味?」
「そのままの意味だろ。あいつの父親……先代の当主のことはお前も知ってるな?」
茨乃の言葉に、手鞠ははっとなる。
土耶の先代当主――土耶継は、数代前から衰退しだした土耶家の復興にやたら力を入れていた野心家として知られている。そのあまりの強引なやり方に、土耶についていた勢力がいくらか離れもしたし、手鞠のようなフリーの者からは敬遠される一因にもなった。
が、彼の晩年の取り組みの中で、神木の地を震撼させたものが1つある。
――人の手による土鬼の飼育だ。
「土鬼を使った恐怖による統治? まさか、本気?」
「本気になったからわざわざ生徒会長なんて肩書きまでつけて乗り込んできたんだろう」
「ちょっと待ってよ! 流石にそれは……」
「仮にも土耶家が瑞葉の跡取りを化け物にして飼いならしたなんて知れたらこの辺りの両勢力が戦争でも起こしかねないな」
「――そうじゃないでしょう!」
茨乃の言葉に手鞠は声を荒げた。
「そんな後のことはどうでもいいのよ、貴女自身のことでしょう!? 他人事みたいに言わないで」
手鞠の叱咤に茨乃は驚いたように押し黙った。
「前から思ってたのよ。貴女、久城君のためなら身を削るくせに自分のためには何もしない。それ、人として間違ってると思うの」
手鞠の言葉に、茨乃は一瞬呆けてから、笑った。
「……お前もあの鳥と同じこと言うんだな」
「……?」
「違うんだよ。お前らの求めてるものと私が求めてるものが。今私がこうしているのは、私がこうしたいと望んだからだ」
彼女があまりに穏やかな顔で言うので、手鞠は思わず口走った。
今まで敢えて問わなかった問いを。
「……死んでもいいの?」
その問いにすら、彼女は笑って答える。
「お前は知らないだろうけど、私は1回死にかけてる。持ち直したのはあのバカのお陰だ」
「…………」
「だからこの命はあいつ以外にはやらない。土耶のペットなんぞにはならないし、そのための手だって前から用意してある」
「けどそれって……」
手鞠の言葉を遮るように、茨乃は続けた。
「それよりあれだ。前のあの気色悪い化け物の件、調べたらどうも土耶が関わってたらしい」
「嘘!? なんで!?」
「笑える話だぞ。土耶の奴、絶えちまった土鬼を『創ろう』としてたみたいだ。粘土じゃあるまいし、よくやるよ」
茨乃は可笑しそうに言っているが、手鞠としては微妙なところだ。
彼女は直接その化け物を見たわけではないが、少なくともそれは『生きていた』わけだ。
ただの抜け殻ならまだしも、魂を持った玩具など笑えない。
「……大方粘土遊びに行き詰って私を当てにしに来たんだろ。先代よりまだ分かりやすい男だよ、あれは」
「それは若気の至りってやつでしょ。将来が思いやられるわね、今のうちに潰しましょうか」
「お前の口から真っ先にそんな言葉が出るとは思わなかったな。フリーの奴は日和見主義が多いのに」
「失礼ね、私にだって矜持くらいはあるわよ? それに」
さっと手鞠は立ち上がり、堂々と言った。
「やっぱり私、ロミジュリよりシンデレラのほうが好きなの」
* * *
「貴方にはアートのセンスがありません」
寝る前にいたっても、俺はセキに罵られ続けた。
木村先生指導のもと、何時間も保健室で式神を作る練習をしたのだが、まともに動いた式神は1体だけ。
それもぺらぺらでふらふらの、いったんもめんみたいな奴。
「俺がそんな芸術肌に見えるかよー。そもそも小学校中学校とも保健体育以外はオール2なんだぞ」
「……嘆かわしいですね」
セキが真剣に、低い声で溜め息をつく。
……ちょっと傷ついちゃったぞコノヤロ!
「み、見てろよちくしょう! 寝る前にちったあマシな式神作ってやる!」
式神作成に必要なのはこの真っ白な紙と筆、あとはハサミだけ。
まるで折り紙を切るようにサクサクと型をとる。
型自体はある程度下手っぴでも融通が利くらしい。
紙に記す文字もお決まりの文句しか書かない。しかも木村先生直伝の省略版だったりするし。
式神を作るにあたって最も重要なのは最後の工程――イメージだ。
まず用途を定める。
「……とりあえず、部屋の電気を消してもらおう」
それから、式神の姿をイメージしながら紙に手を添える。
自らの気を紙に流し込むように。
そして最後に、息を吹きかけて、飛ばす!
フッ――と紙を飛ばすと、ひらひらとそれは宙を舞い、そして。
「キャア!?」
ダン! と勢いよく床に着地したのは四つん這いのぐにゃぐにゃした白い物体。
かろうじて手足と頭、胴体は分かれているので人型だと判るのだが、
「怖ッ!?」
その動き方がまるで某テレビから這い出てくるホラー界の女王S子さんのようで冷や汗が止まらない。
「……少年。どうして貴方はそう人型にこだわるのですか。電気を消すぐらいなら僕にだって出来ます!!」
何をキレたのかセキがぴーっと飛んで行って電気のスイッチを切ってしまった。
ぐにょぐにょした式神は目的を失って困惑したのか、一瞬創造主である俺のほうを見、
「も、もういいよ! おつかれ!!」
俺が手を振るとぱっと蒸発するように消えた。
真っ暗になった部屋で、ぱたりとベッドに倒れこむ。
どっと疲れが出てきた。
もう寝ようと、上布団をもそもそと被る。
すると枕元にセキが止まった。
「鳥をつくりなさい鳥を。空も飛べて偵察にももってこい。一番使い勝手が良いはずです」
やたら鳥を押すよなあ、こいつ。
「でもお前とキャラ被るじゃん?」
「……そんなことを気にしていたのですか? 元精霊の僕が式神などと比肩されては困ります。それに……」
とん、といった感じに、布団に重みが加わった。
「!?」
目の前に現れたのは、涼しげな顔をした大人の女性。
絵画みたいに整った顔立ち。
暗い部屋に神秘的なほど白く浮き上がる肌と、透明すぎるその眼は、姿を変えてもやはり彼女なのだと思わせる。
「貴方の側を片時も離れないでいたら少し回復しました。このような姿で顕現するのは骨が折れますが、多少なら貴方の力になれるでしょう。ねえ?」
綺麗な口元が、微笑を湛えながら問いかける。
その様が妙に艶めいていて、困る。
正直困る。
「い、いきなり鳥から美人の姉ちゃんになってんじゃねえよ! つか乗るなあッ!」
「おや、そんなに重くはないはずですが」
「そういう問題じゃないッ!」
「ほう? この姿だとまともに眼も合わせられないんですね。面白い」
「面白くないッ!」
俺が真っ赤になって叫ぶと、セキはぱっと鳥の姿に戻った。
「……まあ、貴方と視線が合わないのは困るので、いつもの姿でいることにしましょう。ですがそのあたりは臨機応変にさせていただきますよ」
「か、勝手にしろぉ!」
俺は顔を隠すように布団に潜った。
「おやすみなさい、少年。今はとにかく、力を蓄えることです」
まどろみの中、セキのささやきが聞こえる。
「貴方なら、きっと……」
……更新が遅いのはいつものことなんですがストックがなくなりました(←)。
ところで告知が遅くなったんですが今一応この作品でアルファポリスのファンタジー大賞に参加してます。
毎年お祭に参加するような感覚で作品を替えて参加してるんですが来年もまだこの作品を連載してたらどうしよう(笑)。
いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。
ストックはなくなったけど頑張ります。