7 思い違い。
《へー、居るんだ、実際》
「そうなんですよ、私も最初は僅かにでも疑いと好奇心が混ざっていたんですが、以前のメナート様が絶対にしなさそうな反応をなさっていた事で、確信したんですよ」
『それを心外だと思えば良いのか喜べば良いのか分からないんだけど、まぁ、本当に記憶が無くて、アナタ達より幼い状態なんですよ』
《ふーん、困る事って無いの?》
『ですね、意外にも、上の方の配慮のお陰だと思います』
《私なら、困りそう》
「そうですか?私って頼りないですかね?」
《いやアニエスが近くに居てくれたら良いけど、それこそ離れて、記憶を失くしちゃってたら絶対に困る自信が有る。誰に相談したら良いか分からないだろうし、そうだ、どんな大人になってたと思う?》
シャルロット様との話し合いの後、メナート様が非常に意気消沈してしまったそうで。
その気分転換をとシリル様とミラ様に頼まれ、先ずはマリアンヌさんの美味しいお食事を召し上がって頂きにココへ、と伺ったのですが。
付き添いはウチの侍女だけ、アーチュウ様の同行が却下された事が幾ばくかは気掛かりだったのですが、それは男性だからこそなのではと侍女が申しておりまして。
確かに、と今なら分かります。
男性は困惑する様を見せたがらない、ある意味で自尊心の生き物なのだと、父が自ら言ってらっしゃいましたし。
実際に、こうして落ち込んでらっしゃいますし。
「無いのも当たり前だとも思うんです、そう当たり前を生きるのも貴族としては正しいんですから」
『いや、違うんだ、私は逃げたいとしか考えていなかった。どんな大人になろう、どうなろうとも思っていなかったから、恥ずかしいとすら感じているんだ』
《そんなに嫌な状況だったの?》
『ですね、その当時は抜け出そうと必死で、その道が、最も楽だろうと、思っていたから』
私、メナート様の事はベルナルド家の養子になられた、その事以外は何も知らないのですが。
あ、だからですかね。
人には思い出したくない事も有るでしょうし、それこそシリル様にとっても思い出さない方が良いと思われての事、かも知れないですし。
でも、何か違和感が。
あ、成程。
「もしかして、庶民との接し方に慣れてらっしゃいます?」
《あー分かる、私の言葉遣いを何とも思ってなさそうだし、何か有ったの?》
『貴族教育が中途半端だったんです、本当に最低限度、表面上の礼儀作法以外は殆ど野放しでしたから』
「野放し」
『ココでは、少し』
「あぁ、失礼しました、ウチでお伺いしても大丈夫でしょうか?」
『はい、構いませんよ』
《えー、じゃあ私も聞きたいんだけど?》
あ、悩まれてらっしゃる。
『良いですよ、但し口外は禁止で、知る者は数が少ないですから。もし漏れたら、お2人から疑う事に』
《えー、じゃあアニエスからフワッと聞くから良いや》
「私が言う前提ですね?」
《いやアニエスなら上手く言えそうだし、頑張って》
「はいー?」
ご相談に乗れれば、と。
興味も勿論有りましたが、謂わば友人の友人、そして婚約者の義理のご兄弟も当然ですので。
若干、戦々恐々としつつも興味を抑え切れず伺ったのですが。
『物語にも良く有る、それこそクラルティ嬢と少し似た状態だったんです』
衣食住だけ、不自由の無い暮らし。
どんな山よりも起伏の激しい母と部屋に閉じ込められていた、だからこそなのか、アーチュウと居る事が何よりも居心地が悪かった。
凪いだ湖の様に静かで、コチラから石を投げないと水が有るのかすらも分からない程、透き通った静かな湖。
耳鳴りがしそうな程に静かで、綺麗な湖畔。
「少し、ですが分かります。例の騒動でヒソヒソされ、時に嫌味が聞こえていたのに、途端に歓迎されたり静かにされると凄く不安になりましたし。今でも、出来る事なら前の安定した騒々しさの方が良かったとすら思う時が有ります、見定める必要も無いですから」
王太子の相手としても、確かにアニエス嬢は正しかったのかも知れない。
私の形にも言葉にもならなかった思いを、言葉にしてくれた。
母と2人だけ。
そんな生活から一転して、様々な人間の中で生きなくてはいけなくなった、しかも母とは全く違う反応を返す者達の中で。
私は敵味方の判断を、どうすれば良いのか分からない状態で、いきなり味方で溢れる中に放り込まれた。
私は、どんなに醜く藻掻いたんだろうか。
こんなにまでも忘れたい程、私は醜く生きていたんだろうか。
『今なら、アーチュウが味方なのは分かるんですが。怖かったんでしょうね、信じる事と、愛されていなかったのだと知る事が』
「あの、少なくともアーチュウ様と私は味方です、先ずは思った事を仰って頂けませんか?」
味方、とは何なのだろう。
『もし、私が汚い人間だったとしたら、それをアーチュウに言いますか?』
「事情によりますね、アーチュウ様やシリル様に類が及ばないなら、私は忘れるか良い様に思います。必ず誰かがしなくてはならない嫌な仕事、と言うモノが必ず出ますから、でもだからと言って従事する方が嫌な人間とは限りません。物好きだな、変わった趣味でらっしゃるな、または非常に志が高くてらっしゃる。類が及ばないなら、私はそう思うと思います」
『何をしていたか、教えて貰えないんです』
「それは身の安全の為では?私は知る事の不利益を今回身に沁みて良く分かりましたので、それはシリル様の精一杯の愛情表現なのでは?」
『あの人は、本当にそんな人なのでしょうか』
「あぁ、あの抜歯ですね、確かに酷だとは思いますが。味わえるじゃないですか、舌を切るか歯を抜くか、お薬で喉を潰す案も出ましたが、体に悪いそうなので却下して頂いたんです。やり過ぎない範囲としては私は妥当だと思ったんですが、やはり若い方には衝撃が強過ぎましたかね、ルージュさんも真っ青になってらっしゃいましたし」
『もしかして、相談されたんですか?』
「相談なんて大袈裟なモノでは無いんですが、両者の友人として妥当な案を提示するならどれか、と。あの、お食事に興味があまり無かったですよね?」
『あ、いえ、美味しかったですよ。ただ、食事の躾けが厳しかったので、味わう事に慣れていないんです、すみません』
「いえいえ、でしたら兵糧の食べ比べの方が楽しんで頂けたかも知れませんね、次のお食事に如何ですか?」
『令嬢が、兵糧』
「はい、ふふふ、嫌かも知れませんが驚いた顔がアーチュウ様にそっくりですよ」
あぁ、母の驚いた顔なんて見た事が無いから。
そうか、だから私はアーチュウから離れられなかったんだ。
彼は良い人間、良い人間の見本。
だからこそ周りにも、こうして良い人間が集まる。
私も、少しでも彼を見習って、少しでも他と同じ人間になりたかったのかも知れない。
『もし、私が他と同じく馴染むには、どうすれば良いんでしょうか』
「んー、目的次第なのではないでしょうか?馴染みたい理由、その先の完成した形は何なのか、では無いかと」
この子なら、きっと不器用なアーチュウでも大丈夫。
きっと、素直に対話が出来る筈。
『アニエス嬢は、しっかりしてらっしゃいますね』
「いえいえ私も完成した形を思い浮かべられないからこそ、マリアンヌさんやミラ様を尊敬し憧れているんです。無難な相手と結婚し、如何に家を潰さないか、どうお相手のご家族と上手く過ごすか。そんな事ばかり考えてまして、私の人生なのですが、命運を握っているのはお相手だろう。何処かでそう思っていましたので、結婚の成功以外で、目標や目的の有る方は素晴らしいなと思います。私には、そうしたやる気も何も有りませんでしたし、今も無いと言えば無いですから」
『ですが、確かお店を持ってらっしゃる筈では』
「アレは嫁入り道具みたいなモノです、姉が散々な目に遭いましたので、逃げ場なんです。負い目無しに家に戻れる様に、嫁ぎ先の家に舐められない様に箔を付ける、そのついでに好きにやらせて頂いているだけ、ですから」
『ですけど繁盛してるそうで』
「家族のお陰です、私の力だけで成した事は何1つ有りません」
『ですがシリル様のご友人の座を』
「大変光栄なのですが、私が望んで得たモノでは無い事ですし。私の力で得たと言うより、この家、ジュブワ家の努力の賜物だと思っていますので。恵まれた環境が有ってこそ、私がメナート様のような暮らしをして、メナート様のように側近になれるとは到底思えません」
『それは私も思っているんです、と申しますか、そもそも本当に側近だったのか。そしてシャルロット嬢に嫌悪される様な側近とは、何なのか』
「あくまでも予測なのですが、汚い仕事を請け負ってらっしゃって、汚い手で誰かを罠に嵌めていたとしても。それが公にすべき事では無いとしても、巡り巡って綺麗なお仕事に繫がってらっしゃるのでは?」
『綺麗な、表の仕事に』
「泥にまみれなければ銀も芋もお客様には届きませんし、誰も汚れたがらなければ飢えて不便で。なら私は、何をしたかは別にしても、メナート様にも感謝すべきなんですよね。ありがとうございます、国を守って頂いて」
胸がギュッと痛くなり、同時にむず痒さを感じた。
これは、コレが世に言う、恋なんだろうか。




