第六話
囲炉裏にくべた薪が崩れ、明かりと影が揺れる。
それはまるで、影の心を映しているかのように-。
『藩が・・・無い?・・・じゃあ幕府は、徳川様は・・・』
「幕府も無い。幕府が倒されて元号は慶応から明治に変わった。そして、今は明治六年なんだ。もう、徳川の時代はとっくに終わってる」
『・・・嘘だ』
「嘘じゃない」
『・・・嘘だ!!』
「本当のことだよ!幕府は負けたんだ。将軍は朝廷に政権を返上して、今は薩長が中心になって明治政府を作ってる。・・・ちょっと待ってろよ」
晃は立ち上がると、部屋の隅の箪笥を開け、何やら探している。
やがて一枚の紙を持ち、元の場所に座った。そして手にした紙を影に向けて近づけた。
「見えるか?御一新のお触書だよ。明治政府があちこちで配ったんだ」
『・・・・・』
今度は本当に長い長い沈黙だったが、晃は黙って待った。
既に、この影を怖いと思う気持ちは大分薄れていた。
得体のしれないものであることに変わりはないけれど。
彼が幕府方の人間だったことは話しぶりで分かる。
慶応二年といえば、今から七年も前だ。
彼の話が本当で、彼が人間だというなら。
それは気の遠くなるような長い時間だったろう。
その間ずっとあの場に閉じ込められて、遂に間に合わなかったのだ。
きっと一番、守りたかった時に。
いつの間にか小虎が傍に来て、ゴロゴロ喉を鳴らしながら影に体をこすりつけていた。
猫は人の心を読めるのだと、和尚様はいつも言っていた。
辛い時にも嬉しい時にも、猫は寄り添い、心を共にするのだと。
小虎は今、安心しきっている。
その様子を見ても、この影が悪い類で無いことは間違いなさそうだった。
『俺にはもう・・・生きる意味がない』
「そんなことないよ。幕府が無くなっても、結局みんな変わらず生きてる」
『・・・それは俺には許されてない』
「あんたの役回りが何だったかは知らないけど、幕府方の人間で、今も平然と明治政府に仕えてる奴なんていっぱいいるよ」
『他の奴なんて関係ない!俺の生きる意味は幕府を守ること、それだけだ。仲間も皆、そうして生きて死んでいった!』
先程までの落ち着きぶりが嘘のように、影の口調が一変する。
『俺も幕府とともに死ななきゃならなかったんだ!!』
「だから、そんなふうに言うなって!そんな理由で死ななきゃならない奴なんていないよ」
可哀そうだと思っていたが、余りに聞く耳を持たない様子に、晃も頭にきた。
「守れなかったから死ぬなんて、それ、思い上がりだろ?・・・そもそもお前一人で守り切れるようなもんなら、幕府なんか初めから倒れてないって。全部仕方ないことだ。それなのに今さらお前が絶望して死んだって何の意味も無いんだよ。簡単に死ぬ死ぬ言うな」
こいつが影になったのも、幕府が倒れたのも、和尚様や静安が死んだのも、全部仕方の無いことだ。
そして、幾ら後悔しても絶対に元には戻らない。
過ぎた時間も、失われた命も。
『・・・・・』
それから、影は一言も言葉を発しなかった。
晃は黙々と夕飯の後片付けをして布団を敷き、最後に一応声をかけてみた。
「明かりが無くても平気なのか、お前」
しばらく待ったが返事は無かったので、囲炉裏の火を消し布団に入った。
影が出てない時、こいつは一体どうなってるんだろう。
そんなことを考えながら、しかし異常事態への気疲れもあったのだろう。
いつしか晃は眠りに落ちていた。