第三話
「・・・」
やはり猫は可愛い。
今この瞬間までの騒動を一瞬忘れ、近寄って頭を撫でてしまう。
『猫が喋ってるんじゃない。喋ってるのは俺だ。そこから俺の影が見えないか』
「・・・あ?」
小虎に近づいていたから、今度は晃にも分かった。
声が聞こえているのは、小虎の体だ。
小虎の体に耳を寄せてみる。
どういう仕組みか全く分からないが、小虎の体全体から、若い男の声がする。
しかもそれは、目の前のこの影だという。
「・・・いや、嘘でしょ」
『嘘じゃない。忍びにやられた。俺に気づいてくれたのはお前が初めてなんだ。頼む、助けてくれ』
晃は、おっかなびっくり影に近寄った。
とんでもなく不気味だが、とんでもなく切迫した声だった。
放っておく方が祟られそうで怖い。
影に顔を近づけると、それをみていた小虎がもう一度鳴いた。
そして、それを合図としたかの様に。
「・・・!!」
影が波紋のように波打ち、それが引くと人の姿が現れた。
まるで川の水に自分を写したようにぼんやりと映る、見知らぬ男。
「だ、誰?何、あんた?・・・これ、どうなってんの?」
『時間がない。二条邸に知らせて誰か連れてきてくれ』
「二条邸?二条って・・・」
その時、小虎が何を思ったか突然晃の背に飛びついた。
それにより体勢を崩した晃と、助けを求める影。
二人の両手足とが、偶然にも地面を挟んでぴたりと重なり合った。
晃はその瞬間、視界が反転し自分が地面の下に潜り込むような感覚に襲われた。
「うわぁっっっ!!」
慌てて体を引き剥がし、尻餅をついたまま後ずさる。
自分の体を隅々まで確認するが、異変はない。
ただ一つ違っていたのは。
「あれ・・・影が無い」
影も、その中の男の姿も、どこにも見えない。
辺りを見回しても、そこにいるの自分と小虎だけだった。
「・・・起きたままこんな夢って見るもんだろうか。なぁ、小虎」
しかし小虎は、もう飽きたと言わんばかりに大きく欠伸と伸びをして、さっさと歩き出す。
「おい、ちょっと待て、小虎。元はと言えばお前が・・・」
追いかけようとして立ち止まり、もう一度、今まで影のあった所を振り返る。
やはり何も無い。
こういうのを白日夢と言うのだろうか。
でも、あんなに必死だった、自分と同じ様な年頃の男がやはり気にかかる。
きっとここで昔死んだ地縛霊か何かなんだろう。
和尚様がいればきちんと供養をしてくれただろうが。
「どうぞ安らかに」
そう手を合わせて祈って、今度こそ小虎を追いかけた。
山道を走って家路を急ぐ晃。
少し傾きかけた陽の光はまだ強く、彼の影をより一層濃く形作った。
この場に誰かもう一人、彼以外の者がいれば気づいたかもしれない。
彼の後ろに続くその影が、彼の姿形と全く異なることに。