バトル・トゥ・シェイクザアース 8
決壊した水路から溢れ出す汚水が王都南区を瞬く間に水没させる。
川の大精霊が引き込んだ川水がそのまま流れ込んでいるのだ。
巨大な集合体の足元を浸すほどの量となれば尋常ではない。
それでも集合体の動きを止めるには及ばない。
集合体の顔の一つが己の背後に広がる都市の存在に気づく。
腹を満たそう。
母の乳替わりに人の生き血を啜ろう。
幾重に折り重なる兄弟の、内側から溢れ出る兄弟の、全ての胃に詰め込もう。
煩雑過ぎる集合体の思考は、シンプルに一つとなった。
食べたい。食べよう。食べ尽くそう。
節々に魔物の生える触腕が王都中央区へと向けられる。
陽の光を遮り、街を陰で覆うほどの脅威を目撃する人々。
小丘の王宮よりコンスチュアート王と大臣。
空歩スカイウォークの奇跡で帰還中だった神官達。
避難所で呆然と立ち尽くす住民等。
見上げるその姿を、果たしてどれだけ正しく理解できただろう。
ただ胸に去来する怖気だけは共通していた。
ああ、あれが滅びである。
伝え聞く世界の終わりが、ついに目の前に現れたのだ。
悲鳴も上がらなかった。
生存本能すら凌駕する絶望に、逃げ惑うことの無意味さを誰もが理解したのだ。
ボタボタと、触腕から千切れた魔物たちが地面に叩きつけられる。
屋根に、路盤に、壁に、弾け咲く血糊が、人々へ急速に近づいていく。
明確な恐怖を感じて、皆思い思いの動作を取った。
誰かと抱き合い、手を取り、触れ合い温もりを求める。
無意識に腕で顔を覆い蹲る。
何処かへ隠れようとする。
その全てが無駄だと解っていながら、それでも動く。
死のその瞬間まで、生にしがみ付いていたい。
王都に住まう者達の願いが一つになった。
果たして、終焉は始まらなかった。
集合体の背後より、巨大な水柱が上がった。
集合体の全長をも超える高さであることは人々からも一目瞭然。
何が起こったのか理解する前に、現象は連続した。
水柱が意志を持つかの如くうねり、前進する集合体を締め上げる。
一瞬の停止の後、抵抗する間も増える水柱は集合体を引き摺り倒した。
地鳴りと集合体の絶叫を王都は聞いた。
だが、それをもっとも間近で聞き、見下ろす者が一人だけいた。
黒髪と藍色のマント、そして星光の双眸を輝かせた男。
復活の祝福チートによって甦ったクロイだった。
●
話をしよう。クロイの現状に対して。
彼は至高神に授けられた復活の祝福によって甦った。
死という明確な終わりから、生へと舞い戻る祝福は、それまでの負傷を完全に巻き戻し万全となる。
しかし、巻き戻る数瞬、意識は完全に途切れる。
都合10秒ほどの無防備な隙を復活の祝福は作り出すのだ。
強力な権能を持つ魔王を前に、この隙は致命的である。
ともすれば、復活と同時に殺され続けるという詰みに陥る。
10秒間の安全という担保が無ければ、復活に踏み切れない。
更に、デメリットを乗り越えたとしても、そのメリットは余りにも少ない。
例え万全に戻れたとしても、盛りに盛られた祝福が消えるわけではない。
人間の規格を遥かに超えた物量は、最強の勇者を数秒と待たず押し潰すだろう。
彼が最強の勇者として万全を許されるのは、その僅か数秒間のみである。
逆を言えば、復活の直後のみ、クロイは最強の魔王殺しとなるのだ。
倒す手順を見定めて、数多ある祝福を選び取り、最短で無駄なく行使する。
それだけで勝てる。
そこに辿り着くまでの手順が面倒なのだが。
数秒の内に魔王を倒し斬る為には、相手の力量を読み切った上で、10秒間の隙を曝し、復活した瞬間に動き出さなければ間に合わない。
クロイは最初の接触で、魔王の力量を概ね見切っていた。
残りの問題は、いかに状況をコントロールするか。
祝福を封印した状態では、最高の肉体を持つだけの人間でしかないクロイに出来ることは、精々真正面から殴り合うことくらい。
王都の被害を抑えつつ、色の魔王を確殺へと持って行くには、数手足りなかったのだ。
故にクロイは、足りない手札を埋めるためにアナやコンスチュアートの力を借りた。
アナには川の大精霊による締め出しを。コンスチュアートには避難誘導と不測の事態への対処を。
そうしたバックアップがあって初めて、クロイは復活へと辿り着いたのである。
地下を抜け出た広い地表。
人払いの為された区域。
見定めた手段。
これだけお膳立てされながら、仕留め損なうなど万が一にもあり得ない。
全力行使可能な時間はごく僅か。
用意した手順を行うには十分過ぎる時間だった。
「絶死視界」
幾重にも重なる魔物の悉くを、死神の眼は逃さない。
この世に産まれし生命は、いずれ彼岸に送られるが故に。
死の運命は、唐突に訪れるものだ。
「雷神鉄槌」
雷の戦神が一撃は、全てを砕き、焼き滅ぼす。
未だ産まれる魔物も例外なく補足し、一匹も漏らさず紫電が走る。
絶命した魔物の集合体は、ただの醜い肉の巨塊に成り果てた。
「全能の雷霆」
凄まじき閃光が肉の巨塊を呑んだ。
全能神の必滅は、その比類なき熱量を持って巨塊を一瞬で蒸発させた。
一連の流れは、人々には閃光と轟音が連続したようにしか見えなかった。
集合体が消滅した場所には地表を抉り焦がすクレーターがあるのみであった。
絶望の権化であった集合体は跡形もない。
全ては終わったかに思えたが、クロイは追撃を構えた。
ある一点を見据えながら、取り出したるは知徳神の祝福である金色の神槍。
知徳神の神槍は昼間にも関わらず眩い光を放つ。
「神槍の――」
クロイの視線の先、集合体が消滅した筈の空間から影のようなものが現れた。
直後、世界の表層が裂けた。
何の脈絡もなく、虚のごとき裂け目が開いたのだ。
次元の裂け目から溢れ出したのは魔物だった。
産まれ出るように次々零れ落ちてくる。
裂け目の先はこの世ならざる〝混沌〟が覗き、ひしめき合う魔物共が産まれ出るの待ちわびている。
色の魔王の子宮という触媒を失った魔胎邪界は、まだ消滅していなかった。
本来ならば世界との繋がりを無くした権能は〝混沌〟の元へと還る筈だった。
だが、たった一つの妄念がそれを許さなかったのだ。
己の構成する全てが消滅しても残った母の愛が、権能を概念へと押し上げた。
世界の表層にへばり付き、〝混沌〟へ引き戻されるのを利用して次元の裂け目を作る。
裂け目は〝混沌〟に直通する孔となり、無限に魔物が溢れ出す泉となったのだ。
とはいえ、最初期の段階ならば人の手に負えただろう。
神の奇跡に頼るなら、人柱が数百人犠牲となればいい。
魔導奇術の類ならば、関わる術者全て発狂すれば済む。
神造宝具があるなら、人類最強一人の命でこと足りる。
次元の裂け目から更に大量の間物が溢れ出た。
内側から零れ落ちようとする魔物達の圧力により、次元の裂け目が広がったのだ。
人類が対処可能な段階は一瞬で終わった。
それでも世界は終わらない。
クロイが神槍を投擲した。
「天翔ける一刺――!」
神槍は、対象を射損なうことなく空を走る。
ルーンの施された穂先は概念となり物理干渉が不可能となったはずの魔胎邪界を捉えた。
次元の裂け目が両断される。
世界の表層にしがみ付こうとする妄念は、神槍の一撃によって今度こそ消滅した。
妄念のみを殺された魔胎邪界は、世界の表層から引き剥がされる。
抵抗することなく〝混沌〟へと還っていき、そのまま次元の裂け目は閉じた。
その瞬間、クロイの全身から血が噴き出した。
限界が来たのだ。これ以上祝福を使えば死は免れないだろう。
魔胎邪界は封じられたとはいえ、まだ産み残された魔物の軍勢がいる。
僅か一瞬の事でありながら、産み出された魔物の軍勢は数千を下らない。
復活の祝福がある以上、例え死んでも殲滅可能であることには変わりない。
だが威力の高い祝福は被害を出さないよう打ち下ろしでしか使えない。
他の祝福だと殺し切る前に制限時間が来る。
直後の反動で重傷を負い、再び死ぬ可能性もあるだろう。
そうして手間取れば、街へ雪崩れ込む魔物を止めることは出来ない。
実質、王都に被害を出さないための最後の機会だった。
目が霞む。骨肉が軋み上げ、腕が奮える。
神槍を取り落しそうになるのを堪え、穂先をある方向へと差示す。
「――勝利を」
この一言を放った瞬間、クロイは全ての祝福を封印した。
防御兵装である藍色のマントや聖剣すらない完全な無防備状態。
祝福の限界行使によって肉体は破壊され指先一つも動かない。
頭から地面へと落下するクロイの元へ、魔物の何十匹かが殺到する。
残りは人の臭いが大量にする王都へ向けて動き出した。
もはやクロイにはそれを止める手立てはない。
「全くとんでもない御方ですな」
地面に激突し、死を待つのみであったクロイを誰かが受け止めた。
数十メートルから落下する質量体の衝撃を完全に受け流し、クロイの身体への負担を最小限に留める。
絶技としか言いようがないそれを事も無げに為したのは、全身鎧を着こんだ騎士だった。
「まさか本当に一人で倒してしまわれるとは、人類最強の騎士の名が泣きましたぞ」
騎士の名は、グスターヴ・タブリン。
人類最強と呼ばれる男である。
●
「先んずば、ご無礼を」
間違いなく重傷者であるクロイをグスターブは肩に担ぐ。
正面から迫り来る魔物共を相手取るのに、片手が塞がるのは旨くない。
本来ならば見捨てるか、抱えて逃げるかすべきだろうが、今回は迎撃を選択する。
勇者ならば死にはすまい。いや、死んでも甦るのであったか。
ともかく、今はなぜか、明確に不利ではあるが、
「--負ける気がしませんな」
抜き打ち。刃圏に入った魔物を切り捨てた。
次はすぐ来る。足を止めずに刃が躍る。
おやおや、いかなる道理か。
中津原の負傷より復帰して間もない腑抜けた身体が軽い。
鎧を着こんで出来る動きではない。この速度で行軍するなら馬がいる。
混乱する都市で騎乗するのは手間だ。愛馬は軍舎にでも繋がれているだろう。
だからこそ、部下達を置き去りに徒歩で馳せ参じた。
鈍った体には少々堪える距離だったが、今はどうだろうか。
最近筋肉痛が遅れてくる身体が、まるで全盛期に戻ったかのように軽い。
ともすれば、今この瞬間が集大成と呼べるかもしれない。
飛び掛かる数十体を蹴散らすと、そのまま王都へ向かう軍勢へと突き進む。
同時に、魔物の軍勢の更に奥へと叫ぶ。
「総員――ッ!! 一匹たりとも南区から出すなッ!!」
叫ぶ声の先、南区から他地区へと続く道には、大慌てで陣形を整える兵士達がいた。
王都中央区で避難誘導を行っている警邏隊とは別の、戦闘を前提とした軍である。




