第一話 神王の出立と絶対なる双璧
遥か西の果て――日向の霊峰。
天を衝くその峰から見下ろす世界は、かつて満ちていた生命の鼓動を失い、ゆるやかな停滞に呑み込まれようとしていた。
雲は流れず、海はさざめかず、大地は眠ったまま目覚めようとしない。
まるで世界そのものが、終わりを待っているかのようだった。
「兄上。世界の器が、限界を迎えています」
玉座から立ち上がった若き神王・イワレの黄金の瞳が、静かに世界を見据える。
その瞳は星々を溶かして閉じ込めたように輝き、全身から溢れる神威は、陽光のような温もりと、万物を跪かせる絶対的な威圧を同時に放っていた。
「ああ」
隣に立つ偉丈夫が低く頷く。
先代の絶対者にして、イワレの兄――イツセ。
彼の背に納められた大剣は抜かれてすらいない。それにもかかわらず、刀身を包む気配だけで空間が軋み、景色は蜃気楼のように揺らいでいた。
「ついに東の最果て――絶対領域『ヤマト』へ赴く時が来た。」
「世界の根源」を解き放ち、停滞した理を塗り替える。
それこそが兄弟に課せられた使命。
覇権でも征服でもない。
世界そのものを、新たな時代へ導くための東征だった。
「参りましょう。」
イワレは穏やかに微笑む。
「我らが歩む道こそ、新たな世界の道となります。」
その瞬間だった。
天地を覆うほどの黒い瘴気が、西方一帯から噴き上がる。
山々を呑み込み、空を染め、太陽さえ隠し尽くすほどの闇。
それは西方を支配する悪神たちと、その眷属たる数百万の魔王軍だった。
翼を広げれば雲海を覆う邪竜。
山脈ほどの巨躯を持つ魔神。
数え切れぬ魔族たちが黒き津波となり、兄弟へ襲いかかる。
『日向の神よ! ヤマトへは行かせぬ! 貴様らの首を我らが王への供物とし――』
「我が弟の御前だ。」
イツセが一歩前へ出る。
「泥が、喋るな。」
その一言とともに、彼は大剣へ手を添えた。
瞬間。
世界から音が消えた。
色が消えた。
時間さえ息を潜める。
## ――絶対概念切断
抜刀は、誰一人として見ることができなかった。
剣が斬ったのは肉体ではない。
「彼らが存在する」という事実。
「彼らが進軍する」という因果。
「彼らが敵である」という概念。
そのすべてを、一太刀のもとに断ち切った。
防御は意味を持たない。
回避も成立しない。
抵抗という選択肢そのものが、この一撃の前では最初から存在しなかった。
次の瞬間。
天地を埋め尽くしていた数百万の魔王軍は、一切の断末魔すら残さず、真っ二つに裂けた空間へ吸い込まれていく。
そして――消えた。
最初から、この世界に存在していなかったかのように。
黒雲は晴れ渡り、空には深い蒼だけが残る。
静寂。
あまりにも完全な静寂だった。
「……少し力を入れすぎたか。」
イツセが肩を竦める。
眼下を見れば、連なる山脈の半分が綺麗に消え失せ、地平線まで続く巨大な裂谷へと変わっていた。
「問題ありません、兄上。」
イワレは静かに一歩を踏み出す。
彼の足が虚空へ触れた瞬間、砕かれた大地が黄金の光を放ちながら浮かび上がる。
岩は結晶へ。
結晶は道へ。
世界そのものが、神王を迎えるために姿を変えていく。
## ――天照す因果の太陽
イワレが「正しき道」と認めたものは、世界の理そのものとなる。
障害は道へ変わり、
拒絶は受容へ変わり、
敵意は光に触れた瞬間、朝露のように消え去る。
彼が歩む限り、世界はその歩みに従う。
「さあ、行きましょう。」
黄金の道は東の空へどこまでも伸びていく。
その背を追うように、風が吹き始めた。
停滞していた世界が、ゆっくりと息を吹き返していく。
こうして始まる。
後に神々すら跪き、「神武東征」と語り継ぐことになる、史上最強の神話が。




