PHASE II-02|初動
装甲壁に囲まれた指揮区画の中央で、卓上に展開されたホログラムが、地形データと敵勢力の想定配置を静かに更新している。
蓮は通信を開く。
「第二班、主進路を南に振れ。 第三班は一段下げて、輸送路の合流点手前で待機」
その背後で、冴木は壁際に立ったまま動かなかった。
視線はホログラム上に投影された戦域全体を見渡している。
「その配置だと、東側の稜線から見下ろされますよ」
冴木は微笑んだまま、蓮にカップを差し出した。
「上から拾われます。偵察用のドローンです」
蓮はホログラムを拡大する。
稜線沿いに、細い索敵ラインが浮かび上がった。
「では、どうする」
「第三班の配置を、遮蔽二番線まで下げた方が効果的です」
蓮は数秒、光の上を見つめたまま動かない。
やがて、再び回線を開いた。
「第三班、配置を修正。遮蔽二番線まで下げる」
マーカーが後退し、索敵ラインが外れる。
蓮はそれを確認してから、差し出されたカップを受け取った。口をつけ、一瞬、眉がわずかに寄る。
「……甘いな」
「ブラック、苦手ですよね」
「なぜそう思う」
「機密です」
冴木は、わずかに口元を緩めた。
蓮はその笑みに、目を逸らしそびれた。
静かにカップを卓に戻す。
「この後、基地内を一通り見せる」
冴木は軽く瞬きをした。
蓮はそれ以上は言葉を継がず、卓上の表示を消した。
淡い光が引いていく。
「行くぞ」
短く告げて、先に歩き出す。
「了解です」
冴木は一歩遅れて、その背中に従った。
*
蓮は宿泊棟へ向けて歩を進める。
冴木は、並んで歩くと改めて感じる蓮の背に、視線を上げた。歩調を崩さずに尋ねる。
「戦況はいかがですか」
「さっきの修正案で、こちらが押している。敵の遊撃は動けない」
「修正は有効だったようですね」
二人は兵舎ブロックの前を通り過ぎる。
扉の向こうで続いていた話し声が、低くなる。
誰かが口笛を吹きかけて、途中で止めた。
蓮は歩調を変えない。
冴木は何も気づいていないように、緩やかな笑みを浮かべて前を見ている。
「こっちが一般宿舎だ。班単位で使ってる」
さらに数歩、区画を分ける通路へ入る。
「士官クラスは向こう。お前は……冴木中尉は、そっちだ。士官区画になる」
一瞬だけ、蓮の足が止まる。
「眠れそうか」
冴木は視線を逸らさず、ふっと笑った。
「むさ苦しい方が、案外よく眠れるんですよ」
「そうか」
蓮はそれ以上何も言わず、再び歩き出す。
通路の先が開け、食堂が見えた。
無遠慮に飛ぶ冗談、粗雑な笑い声。脱いだ装備が無造作に積まれ、湿った布と油の匂いが混じっていた。
蓮は足を止めず、そのまま中へ入った。
半歩遅れて、冴木が続く。
食堂内の笑い声が、途中で切れた。
蓮は配膳台の前で足を止め、無言でトレーを取った。
冴木もそれに続き、必要なものだけを手早く載せていく。
「隊長の隣、誰だ?」
「新しい副官?」
「軍人には見えねぇけど」
蓮はトレーを持ったまま、前を見て言った。
「気にせず座れ」
「了解です」
食堂のあちこちで動きが鈍り、視線が遠慮なく集まり始めた。
「騒ぐな」
その一言で、空気が締まる。
「問題ありません」
冴木は蓮の前の席に腰を下ろし、トレーを静かに置く。
背筋を崩さず、周囲を見回しもしない。
その中で、ひとつだけ、質の違う視線があった。
固形レーションを手にしたまま動かず、冴木から目を離さない。
冴木は顔を上げない。
ただ、視線だけをわずかに持ち上げ一瞬、応じる。
次の瞬間、その視線は、何事もなかったかのように食事へ戻った。
蓮は気づかないふりをした。
それが一番、厄介だと知っていたからだった。
*
「後で、指揮区画に来い」
蓮は食堂の出口で、振り返らないまま伝えた。
「了解」
冴木は短く応え、蓮と逆方向へ歩いた。
足音が遠ざかる。
通路脇、照明の落ちる位置に、壁にもたれた男がいた。
鍛え抜かれた体躯。無造作に着崩した戦闘服。
鋭い目元が、煙の向こうからこちらを捉えている。
指に挟まれた煙草の先が、赤く灯った。
「相変わらずだな」
冴木は足を止める。
振り返り、わざとらしいほど緩やかに口元を吊り上げた。
「緋堂」
名を呼ばれて、男は小さく鼻で笑った。
「その顔。まだ使ってたか」
「便利なんで」
「アカデミーで何度注意されたか覚えてるか」
「三回くらい?」
「数え切れねぇよ。射撃課程の教官、最後は諦めてたぞ」
「成績で黙らせたけど」
緋堂は吸いかけの煙草を指先で弾き、冴木の方へ差し出した。
「で、なんでここにいる」
冴木は受け取り、迷いなく煙を肺に入れる。
「副官だって」
「笑える」
「本当の目的は?」
「さぁ、機密ってやつ」
緋堂は短く言い、新しい煙草を取り出す。
ライターの火が一瞬、顔を照らした。
「うちの隊長、」
火をつけ、煙を吐く。
「あの手のは落ちないぞ」
「まぁね」
「そもそも、タイプじゃねぇだろ」
冴木は慣れた手つきで煙草を口に運ぶ。
吸い込み、ゆっくり吐いた。
「真面目で堅物なのは、対象外」
視線だけが交わり、緋堂は小さく笑った。
「久しぶりに、今夜、部屋来るか」
「後で」
「変わってねぇな」
「そっちも」
冴木は踵を返し、そのまま歩き出す。
緋堂は背中を見送り、落とした煙草を踏み消した。




