PHASE II-07|砂嵐
「各班、撤退に入る」
地下から戻った蓮の前で、班長たちが次の指示を待つ。
「五班、負傷者を前へ。ニ班、外周を保ったまま後退」
「了解」
応答が重なる中、蓮は続けた。
「三班は殿を取れ」
冴木が、班長たちの列から前へ出る。
「自分も殿に入ります」
冴木の言葉を受け、蓮の目つきが僅かに鋭くなる。
「……射線は守れ」
「了解です」
班長たちはそれぞれ踵を返し、持ち場へ散っていく。
撤退準備に移る中、三班が位置を下げるのに合わせて、冴木も列に加わった。
戌亥が冴木のそばへ距離を寄せる。
「来ると思ってました」
「顔に出てた?」
「少しだけ」
「守ってくれるんでしょ」
戌亥の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「どの口が言ってるんですか」
「違った?」
「守られるのは、こっちでしょう」
二人の声が途切れたころ、三班の動きが静かに揃い、倉庫内の気配が、撤退へと切り替わっていった。
*
ゴーグルの表面を、細かな粒が叩き続けていた。
隊列は崩れていない。それでも、足元の砂の流れが、さっきより速い。
「風、変わりましたね」
後方の隊員が声を潜める。
蓮は手袋越しにゴーグルの縁を拭った。透明だったはずの視界に、薄い霞のような揺れが残る。
腕を上げ、隊列に減速の合図を送り、歩調を落とす。
「前、間隔詰めろ!」
足元で砂が跳ね、脛に当たる衝撃が連続する。
歩くたびに粒が巻き上がり、前を行く隊員の影が、数歩先で途切れた。
風は一定ではなく、横から、背後から、細かく向きを変えて吹き込んでくる。
「こちら桐生」
インカムに指を掛けたまま、蓮は前を見た。
遠景の色が薄くなり、起伏の影が溶けはじめている。
「そっちで、気象データに変化は出てるか」
基地からの応答は、音が歪み、言葉の端が削られる。
『こちら基地。現在……風速、上昇傾向。粒子……』
無線はノイズを吐き、次の瞬間には砂音に埋もれる。その間にも、砂がゴーグルを叩き、視界の滲みが濃くなっていく。
「砂嵐か」
蓮は空を見上げた。
白く濁った壁が、すでにこちらへ動いている。
「デカいのが来そうだな」
誰に向けるでもなく呟き、腕を上げる。
「全員、視界確保。隊列崩すな」
返答は風に裂かれて聞こえない。無線が当てにならなくなり、判断は現場に委ねられる。
視界が残っているうちに動くしかなかった。
*
砂の幕の向こうで、合流点の影が見え始めた。
隊員たちはそれぞれの位置に収まり、互いの存在を手振りで確かめ合う。
装備を叩く砂の音に紛れて、短い報告が続いた。
「一班、到着」
「二班、合流」
「五班、問題なし」
声が揃うのを聞きながら、蓮は最後尾へ意識を向ける。砂の流れは速く、視界は激しく荒れている。
「三班は?」
誰かが後ろを振り返り、砂の向こうを探す気配が伝わってきた。
「まだ、見えてません」
蓮はインカムを口元へ寄せた。
「三班、応答しろ」
返事はない。
無線に残るのは、砂を引きずる音だけだった。
冴木の表情が脳裏をよぎる。殿に入ると言ったときの、あの感覚。表情の揺れのなさ。
「神崎」
名を呼ばれ、六班班長、神崎がすぐに前へ出る。
「合流点の指揮を引き継げ」
短く言い、周囲の配置を確かめる。
「四班と五班は、このまま後退を継続。二班、周囲警戒を維持」
装備を整えながら、最後に付け足す。
「俺は後ろを、確認する」
蓮は砂の中へ踏み出した。
*
戌亥は歯を食いしばり、前を見た。かろうじて見えている冴木の背を追う。
それも、次の瞬間には、砂に飲まれる。
「冴木さん、返事を!」
息を吸うたび、喉が焼ける。
一歩進むごとに、砂の当たる向きが変わり、前後の感覚が、頼りなく崩れていった。
視界の奥、砂の壁の中で、同じ光が短く返る。
冴木は、その方向へ進路を切る。
結果として、三班の先頭も、その方向へ寄っていく。
「これ、進路、合ってますか」
砂が一段、強く吹き付ける。
風のせいだけではない。
そんな感覚が、喉に引っかかった。
「冴木さん、応答してください」
戌亥はインカムの送信部を指で弾き、舌打ちをこらえる。
「くそ、回線、落ちてる……」
無線を握り直す音が、風に消えた。
冴木は歩きながら、足元へ意識を向ける。
砂の中に埋められた小さな杭。そこに仕込まれた、古い規格の発信器。軍の回線には引っかからない。
誰にも聞こえない声で、短く伝えた。
「こちら、交渉資源AA-47。回線、確立を確認」
返ってきたのは、音ではなかった。
砂の壁の向こうで、わずかな振動が応じる。
三班は、そのまま最も濃い流れへと踏み込んでいった。
*
砂の濁りの中で、人の気配が重なっていた。
輪の縁で、誰かがこちらに気づき、蓮は足を止める。
「動けるか」
前にいた隊員が顔を上げる。
「……桐生、隊長?」
すぐに姿勢を正す。
「失礼しました。三班、状況を報告します。軽傷が二名。行動可能です」
周囲で短く返事が重なり、装備を確かめる音が続いた。隊列が、最低限の形を取り戻し、蓮は全体の配置を確かめる。
「副官は」
班長が砂の向こうを探す。答えはすぐに出なかった。その横から、声が上がる。
「冴木さん?」
戌亥がゴーグル越しに砂の向こうを探す。
「さっきまで、前にいました」
無線に触れ、首を振る。
「返事が、ありません」
蓮は戌亥の立つ位置から、その先を確かめる。
砂の壁の向こうで、影が一つ、遠ざかっていく。見間違いかどうかを確かめる前に、視界は閉じた。
「三班はここで態勢を立て直せ」
言葉を置いて、蓮は視線を戻さない。
「俺は、周囲を確認する」
それだけ告げ、進路を切る。
冴木が消えた方向へ。




