第27話 温泉
「ふひぃ……極楽じゃぁぁ……」
寮に備え付けられた温泉に浸かって、だらしない顔をしている保科の口から心の声が漏れた。ここまでの長旅の疲れが一気に吹き飛ぶと言って、皆、湯舟で体をだらりとさせている。
「しかし広いっすね、この風呂。これがまだ他に二つあるんでしょ。しかも一つは露天って。なんちゅう贅沢な」
「女性用も二つあるから、計五個だってさ。阿蘇の人たちが羨ましいよ」
「これが毎日入り放題だっていうんですからね。三村さんじゃないけど、岡山に帰りたくなくなっちゃいますね」
そう言い合う仁科と高梨もまた、肩まで湯に浸かって緩みきった顔をしている。
「これはいいなあ。呑んだらまた入りに来ようかな」
「その時はもう閉鎖されてますよ。深夜は湯の張替えで利用禁止なんだそうです」
「そっかあ。なんだか明日の入浴が待ち遠しくなっちゃうな」
諏訪と高遠も「これが嫁にバレたら大変だ」と言って笑い合った。
温泉から上がると、諏訪厩舎の面々は今度は居酒屋へと向かった。そこからは三村と石川も合流。少し酒が入ると、三村が早くも愚痴を言い出した。
「先生、ちょっと聞いてくださいよ! 女性のお風呂って露天が無いんですって! ずるいと思いませんか? せめて曜日で使わせてくれるとかあってもええやないですかねえ!」
「立地的に盗撮とかされたら問題だって事になったんじゃないの?」
「そんなん、最初から問題無いとこに作ったらええだけの話やないですか」
「いや、それを俺に言われても。そもそも厩舎関係者って圧倒的に男性が多いからなあ」
石川も「納得いかへん」と言って焼酎を呑んで土橋にからんでいる。
開業からここまで二年半。厩務員が集まってからでも丸二年が経っている。もうすっかり厩務員の関係性みたいなものが固まっている。特に仲が良いのは、三村と石川、保科と津田、高梨と仁科、坂崎と土橋。
三村と石川は共に女性で、三村の方が年齢が上という事で、姉と妹のような関係になっている。保科と津田は厩務員の中でも年長の二人。おちゃめな保科と酒好きの津田は完全に宴会部長。高梨と仁科は共に盛岡時代からの仲で、そこに雑賀も加わっている。坂崎と土橋は生真面目で、毎回三村、石川の玩具になっている。
飲み会の席次も自然と諏訪、高遠、本多の三人がまず前に座り、そこから二人づつ座って行くという感じで定着している。遠征の場合、二人で一部屋になる事が多いのだが、高遠も毎回その二人組で同じ部屋にしている。
「ねえ、先生。次次節、鈴鹿やのうてここにしましょうよ。またこのお酒と温泉を味わいに来ましょ」
そう言って三村がずいっと顔を諏訪に近付けた。高遠、本多も諏訪に注目する。その目は明らかに賛同の目。
「……それも、良いかもしれない」
「ですよね! ほな決まりですね!」
「ただ、ここには大鵬湾の人たちも来るからね。今回は準特だから登録の枠が空いてるけど、次次節はわからないよ。基本は大鵬湾の人たちが優先だから」
「そうか。そうですよね。それやないと保養所代りに使う人らが出ますもんね」
お前もその一人だろと、諏訪は思わず声に出してしまいそうになったが、それをぐっと堪えた。
◇◇◇
翌日からいよいよ『西海賞』出走に向けて動き出した。『西海賞』は準特。周回はそれぞれ一周で、竜の交換が一度発生する。ここまで、一通りの交換の流れを厩務員全員が把握し、ごく自然に行えるようにと、毎日のように練習を重ねてきた。一節目の『山陽賞』が中々に良い手応えであったため、厩務員の士気は中々に高い。
今回、問題があるのは、どちらかというと乗り役の雑賀の方。初の競技場で、流れのようなものも、癖のようなものもわからない。もちろん初日に厩務員たちと各所を見学に行き、許可を取って実際に竜を走らせてもみた。
走ってすぐに気になったのは、とにかく直線が多い。岡山にしても鈴鹿にしても、競技場は縦に長細い印象なのだが、阿蘇は四角いという印象を受ける。それと岡山も鈴鹿も飛越障害と登坂障害は比較的近い場所にあるのだが、阿蘇はかなり離れた場所にある。実際に走らせた感じでは、かなり癖の強い競技場だと感じる。しかも季節は梅雨。競技場の土は雨でぬかるむ。どのような流れになるか、ちょっと走っただけでは想像もつかない。
軽く競技場を一周して装鞍所に戻って来た雑賀を二人の人物が待っていた。二人は仲良く談笑しながら、雑賀が戻ってくると歯を見せて手を振った。
「あっ! 小早川さん! 都築さん!」
雑賀が竜から降りると、その竜を坂崎が曳いて行った。
顔に付いた泥を落とした雑賀に、まず、「どやった?」と都築が声をかけた。
「岡山とも鈴鹿とも違ってて、かなり癖が強そうですね。一回走ってみない事には何とも言えないです」
「そうやな。初戦は捨てるつもりでやらな、厩務員さんらも結果にがっかりしてまうかもしれへんな」
すると小早川が、「こいつがそない繊細なタマか」と言って笑い出した。
「迷ったとこで初戦だけや。こいつの競争時の判断力はもっと上でも絶対に通用する。お前も気ぃ付いたらこいつのケツ追っかけてるいう事の無いようにな」
「ぬかせ、コバ。前節は俺が勝ったて何遍も言うたやろが。お前、こいつに負けたんやろ? お前こそ、ケツ追っかけんようにな」
「勝ったてハナ差やろがい! 大して変わらへんやんけ。粋がんなや、ボケ」
言い争う二人を雑賀がクスクスと笑った。すると先に都築が雑賀の肩をガシッと掴んだ。
「もう今日は終いなんやろ。はよ呑みに行こうや。ずっとうちらお前が来るんを待ってたんやから」
さらに小早川も反対の肩をガシッと掴んだ。
「都築がおごる言うてくれたんやってな。二人で浴びるほど呑んだろうな」
それを聞いた都築が小早川に「お前におごるとは言うてへん」と怒りだしてしまった。それをクスクス笑っていると「はよ支度せい!」と言って二人から尻を叩かれてしまった。
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。




