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第19話:特別ということ

 ヒヨリの意識はそこで、ふっと途切れた。


 目を開けると、窓の外に浮かぶ満月が視界に映り、その冷たく青白い光が独房を静かに照らしている。胸の奥では、幼い頃に負った傷がじわじわと疼いているようだった。


 けれど、無情にもヒヨリの苦しみを増幅させるかのように、記憶はそこで止まってはくれなかった――。


 次に頭の中に浮かんだのは、甲種クラスに選ばれたあの日から始まった、不安と重圧の日々だった。



――不安と重圧の日々――


「本日は、魔力器の測定試験の結果を発表する」


 十歳の年、王血部隊の一期生48名を対象に、魔力器の測定が行われた。


 魔力器とは、生まれつき備わった、属性魔法を蓄える器だ。例えば、レベル3の属性魔法(三種類の属性を組み合わせた魔法)を使うためには、最低でも三つの魔力器が必要となる。魔力器の保有数は生まれつき決まっているが、極秘事項として、生徒自身にも秘密とされていた。


 教室は緊張に包まれていた。

 三つ以上の魔力器を持つと判定された者は、“甲種・一期生クラス”として選抜される。


 最初の名前が呼ばれる瞬間、教室の空気は静まり返った。


 そして――。


「……ヒヨリ」


 ヒヨリの体がピクリと震える。


 自分の名前が一番最初に呼ばれた。

 教室中の視線が一斉に自分に集まるのを感じた。


 けれど、ヒヨリにとって周囲の視線など、もはやどうでもよかった。

 胸の奥で必死に祈るように、ただ一つの願いだけが繰り返される。


 ――ミロ君とだけは、同じクラスになりたくない……!


 自分が甲種クラスに選ばれた以上、ミロの名前だけは絶対に呼ばれないでほしい――それだけを強く、強く願っていた。

 名前が次々と読み上げられるたび、ヒヨリの胸はぎゅっと締めつけられるようだった。


「……最後に、レオ。以上、十六名だ」


 その一言で、ヒヨリの中に小さな安堵が広がった。

 選抜された名前の中に、ミロの名前は、なかった。


 ――同じクラスじゃなくてよかった……


 ヒヨリは小さく息をついた。けれど、その安堵はほんの一瞬のものだった。


 甲種・一期生クラスは十六名。

 しかし、ヒヨリはその中で唯一、四つの魔力器を持つ特異な存在だったのだ。

 それだけではない。王血部隊の中で最も高い戦闘力が求められるエースチーム“イチイセン”への配属が決まったことで、ヒヨリは否応なく注目を集めることになった。


 注がれる視線――それは賞賛や期待の色を帯びたものかもしれない。


 しかし、ヒヨリにとってそれは、あの日のミロたちの嘲笑を思い起こさせるものでしかなかった。“うそつき”、 “クサクサお化け”――幼い頃、笑い声に紛れて浴びせられた言葉が鮮明によみがえる。


 その記憶は薄れるどころか、心に根を張り、抜け落ちることのない棘のようにヒヨリを苦しめ続けていた。

 ヒヨリはその痛みから逃れるように、身を縮め、小さくなろうとする。


 そんな中、教壇に立つガスポールの声が静かに響いた。


「甲種・一期生の諸君。君らにはの、国家の存亡と多くの人々の命が懸かっておるんじゃ」


 そして、ガスポールの視線が、ヒヨリに向けられた。


「特にヒヨリ君、君は四つの魔力器を持つ唯一の存在なのじゃ」


 一瞬、教室全体がざわめきに包まれる。

 驚き、期待、戸惑い――さまざまな感情が混じった視線が、再びヒヨリに集中した。


「ヒヨリ君の力があれば、水、火、土、風の四属性すべてを組み合わせた、レベル4の属性魔法すら可能になるのじゃ。じゃから、ヒヨリ君には大きな期待がかかっておるでの」


 その言葉が響いた瞬間、ヒヨリは胸の中が重く締め付けられるのを感じた。

 “イチイセン”への配属が決まっただけでも十分すぎる重圧だったのに、「唯一の存在」という言葉が、さらにヒヨリの心を重く押し潰す。まるで、自分だけが逃げられない牢獄に閉じ込められるような感覚だった。


 ――どうして私なの……。

   私なんかに、そんなことできるはずないよぉ……。


 心の中でそう呟いても、ガスポールの言葉が、逃げ場を奪うようにヒヨリをがんじがらめにする。

 教室中の視線が、見えない鎖となってヒヨリを縛りつけていた。


 ――逃げられないんだ……。


 ヒヨリには、その期待を受け止める以外の選択肢がなかった。

 押し寄せる不安と恐れを振り払うように、深く息を吸い込む。震える体を押し殺すようにして、ヒヨリは拳をぎゅっと握りしめた。

 そして、胸の奥に小さな覚悟を抱く。


 ――こんな私でも……やらなきゃいけないんだ。


 その覚悟は、最初は弱々しく揺れる炎のようだった。

 それでも、その炎は冷たい闇の中で確かに灯り、次第に決して消えることのない光となっていく。



 そして、その覚悟が試される日はすぐに訪れた――十三歳の秋のことだった。

 アモン国王が暗殺されるという、大事件が起こった年のことだ。


 その年、ヒヨリは暗殺を阻止しようと、何度も時間を巻き戻していた。

 しかし、どれだけ試みても、未来は変わらない。


 繰り返し訪れる、止められない運命――。

 その冷たく重い現実が、ヒヨリの胸をじわじわと押し潰していく。無力感が心の奥深くまで広がり、どんなに手を伸ばしても届かない未来に押し潰されそうになる。


 それでも、何もしなければ、あの悲劇は確実に訪れる――それだけは分かっていた。

 ヒヨリは考えた。この未来を変えるためには、自分一人の力では足りない。誰かに伝えなければならない――と。


 しかし、その考えが浮かぶたびに、幼い頃の記憶がヒヨリをためらわせた。

 ミロたちに“嘘つき”と嘲笑されたあの日々。

 冷たい笑い声が、胸の奥から鮮やかによみがえる。


 ――また信じてもらえなかったらどうしよう……。


 その不安がヒヨリの心を締めつけ、言葉を飲み込ませる。

 過去の傷が、今もヒヨリの足を縛り付けていた。


 ――ダメだよっ、ヒヨリ!

   今は、甲種・一期生クラス、“イチイセン”のヒヨリなんだからっ……!


 弱気になる自分を無理やり正すように、胸の奥に抱いていた小さな覚悟が、静かに燃え上がった。

 ヒヨリは両手をぎゅっと握りしめる。

 恐れは消えない。それでも、この未来を変えるためには、一歩を踏み出さなければならない――。


 悩み抜いた末、ヒヨリはついに決意する。

 自分が信じられる唯一の人物――ガスポール先生に、この秘密を打ち明けよう、と。


 ガスポールを前にした瞬間、心臓の鼓動が早まり、喉がからからに乾くような感覚があった。それでもヒヨリは、小さく震える声で言葉を紡いだ。


「先生……。えっとね、アモン国王が……暗殺されます。……未来で見たの」


 その言葉に、ガスポールの表情がはっきりと曇った。


「ヒヨリ君、そんな馬鹿げた話をしてはならんの。アモン国王がお亡くなりになるとは、不敬極まりないことじゃ」


 先生の反応は、ヒヨリが最も恐れていたものだった。信じてもらえない――その現実が、目の前に突きつけられた。


 それでも、ヒヨリは喉を震わせながら、必死に言葉を続けた。


「ほ、本当なんですっ! 何度も何度も時間を戻して……それでも、どうしても変えられなくて……」


 ヒヨリの声はかすれ、視線は床を彷徨っていた。それでも、ガスポールの気持ちを変えようと、懸命に訴え続ける。

 しかし、ガスポールは首を横に振るだけだった。


「ヒヨリ君は、悪い夢でも見たのじゃろう。未来は誰にも予測できん。君も、現実を見ねばならんの」


 その言葉は穏やかで、まるで諭すようだった。

 けれど、ヒヨリにとっては冷たく突き放される刃のように感じられた。


「先生……お願い……信じてください……」


 声は弱々しく震え、言葉が喉に詰まる。

 それでも懇願するヒヨリに、ガスポールは最後まで首を横に振り続けた。


 そして、何度目になるかわからない悲劇が、またしても現実となった。

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